これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「怪物」

人は誰しも自分の行動は正しいと思う。
それが犯罪者であっても基本はそうだろう。
その正しさが本当かどうかは分からない。

しかし、客観的にレンズを通して眺めると、
正しさなんて独りよがりなもの。
目線を変えれば正しさは180度変わってしまう。
実に恐ろしい。
いかに自分が一方的な見方しかできていないか、愕然とする。
本作で描かれるそれぞれの目線は僕らへ痛切に知らせる。

学校の先生なんて無責任だ!
モンスターペアレントは勘弁してくれ!
子供は子供らしく育て!

それも自分勝手な正しさから生まれるもの。
先生も親も子供もみんな真剣でまっすぐ生きている。
悩みを隠しながら、まっとうに生きようともがいている。

これがヒシヒシと伝わり、僕は自分の愚かさを知る。
愚かさを認めれば怪物は現れないのかもしれない。
正しさだけで貫こうとすれば怪物が現れるのかもしれない。

大人になればなるほど、怪物の存在は大きくなる。
挙句の果てに同化してしまう。
誰にも怪物と気づかれないまま・・・。

本タイトルを説明すれば、そんなことになるんじゃないか。

本当のところは分からない。
これは僕が映画を観て、感じたことに過ぎず、捉え方はまちまち。
無責任な校長を怪物と見立てる者もいるだろうし、
悪気なく嫌がらせをする子供を怪物に見立てる者もいる。

いつの間にか純粋さを失くした僕らは大切なものが見えなくなる。
それが大人への階段と決めつけるには少し寂しい。
それがラストシーンに繋がるのかな・・・。

本作は公開直前にカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞。
先日亡くなった坂本龍一が音楽を手掛けた。
僕ら世代にはトレンディードラマではなじみのある坂元裕二が脚本。
それを世界で一番知名度のある是枝裕和が監督。

公開のタイミングはベスト。
この分野の作品は過去、それほどヒットしなかったが、
巧みな戦略(?)が効果的に働くかも・・・。

俳優陣も素晴らしい。
安藤サクラのナチュラルなお母さんもよかったし、
永山瑛太も誤解を招くオタクな先生はいい味。
そして何より2人の子役。
是枝監督は子役の使い方が上手い。
改めてそう思った。

感じ方はいろいろで、明確な答えも出てこない。
すっきりする人もいれば、モヤモヤが残る人もいるだろう。
だからこそ、多くの方に観てもらいたい。

この時期の日本映画は秀作が続く。
梅雨は映画館に行けということだろうか。

映画「ウーマン・トーキング 私たちの選択」

映画を観ながら、いつの時代を描いているんだろうとずっと考えていた。
(解説にはしっかり説明されているが・・・)
今から50年以上前の世界かと思っていたら、統計調査の車が現れ、
そのアナウンスから2010年ということが判明した。

つい最近じゃないか・・・。
時代錯誤も甚だしいと感じたのは僕が時代を読み違えたというよりも、
映画の本質を見落としていたということ。
自給自足で生活する村が文明的な進歩もなく旧態依然とした世界は演出。

ネタバレしない程度に説明するとキリスト教が色が強い架空の村が舞台。
そこに住む若い女性たちはレイプされるが、
それは「悪魔の仕業」として押さえつけられ事実は隠されている。
男どもの勝手な論理がまかり通っていた。
しかし、それが犯罪として認識され、そこから女性が立ち上がっていくストーリー。

ここに描かれるのは実話がベース。
2005年から2009年にかけて南米ボリビアで起きた事件だという。
身勝手な犯罪を許さないのは当たり前だろというのは共通の視点。

作品はそれを強調したいわけではない。
弱い者が強い者に対してどう立ち向かうか、
非人道的な行為に何をすべきか、
それを間接的に訴えているともいえる。
昨今、世界を取り巻く環境も該当するし、国内で起きる些細な事件も同じ。
自分たちの生き方が問われている。

赦すのか、戦うのか、去るのか、
被害にあった女性たちは納屋に集まり激論を広げながら、自らの道を選択する。
そこに未来はあるのか、
神は見捨てないのか、
むしろ不幸への道に陥らないか、
時に感情を露わにし、時に感情を抑え、
年配者は年配者の経験で、少女は少女の価値観で物事を語る。

それが正しい行為。
自分たちが知らないだけで、まだまだ虐げられた世界は存在する。
そこから僕らは目を背けてはいけない。

何人もの女性陣が会話を広げるが、僕は女性の見分けが付かず、ごっちゃになってしまった。
その中でひと際目立ったのがルーニー・マーラ。
どこで観たんだっけ?と思っていたら、そう「キャロル」だった。
彼女は可憐で透き通るような透明感。
グラつくてしまう。

先程まで重めの内容だったのに、急に軽くなってしまった。
まあ、そんなもん。

本作は第95回アカデミー賞で脚色賞を受賞。
どんな脚色が評価されたのは観てもらいたい。

映画「波紋」

人は困った時に笑う。
それはよく見る光景。
その場をごまかす意味もあるだろうし、
自分を落ち着かせる意味もあるだろう。

映画を観て思った。
人は人生を達観した時や絶望を乗り越えた時も笑うのだろうか。
その笑いは強さか弱さか、世間への皮肉か。

主人公依子の筒井真理子も笑い顔が印象的。
自転車に乗りながら満面の笑みもあるし、
失踪した夫に対しての冷笑、ラストでの大笑い。
笑わないとやってられない環境が彼女を取り囲む。

客観的にみればその笑いは健全な精神性ではない。
どこかおかしい。
しかし、そんなことを依子は1mmも思っていない。
迷いながらも自分の行動は正しいと思っているはず。

一体、何が原因なんだろうか。
原発事故、旦那の失踪、義父の介護、溺愛する息子の彼女。
いくつかの要素が絡み合い、それが増幅。
気づいた時には別の世界に誘われている。
そんなことか・・・。

家庭の崩壊なんて、誰でも簡単に作ることはできる。
僕が嫁さんに暴言を吐き続け、子供を虐待し、
借金まみれになれば、すぐに崩壊する。
当事者は変わらなくても、相手は傷つき、精神は荒む。
新興宗教に流れてもおかしくない話。

それは極端な例だが、ある意味、映画はそんな世界を描いている。
当たり前の日常が一つの事件で大きく変わっていく。
人も闇へと引っ張られる。

本作はそんなことを教えてくれた。
襟を正そうと少なからず思った(汗)。
何かが起きる場合、全て自分が原因なんだと・・・。
それを知るだけでも本作を観る価値はある。

荻上直子監督作品は久しぶり。
ここ最近の映画は観ていない。
おっとりとした映画を作る監督のイメージだったが、刃物で抉られるような鋭さを感じた。

そして、なんといっても出演者。
筒井真理子は今年、いくつか映画祭で主演女優賞を獲得するんじゃないかな。
「淵に立つ」「よこがお」もよかったが、
それを凌ぐ存在感と居心地の良い不気味さ。
とても優しい表情もあれば、何も語らなくても残酷な表情もある。
抜群だ。

失踪した旦那役の光石研は最低な男なのにまともに見えるから不思議。
最近、活躍が目覚ましい磯村勇斗もなかなか。
「ヴィレッジ」ではセリフのなかった木野花は饒舌。
そして、ここにも柄本明。
まあまあ、達者な役者連中が映画を盛り上げていた。

いずれにしても家庭が崩壊しないように励まないと・・・。
お互い切磋琢磨していきましょう(笑)。

映画「聖なる復讐者」

今年に入って韓国映画は4本目。
意識をしているわけではないが、かなりのペース。
4月に観た「ハンサン 龍の出現」はブログを書きそびれたが(汗)、他の作品は書いている。

本作も韓国映画らしい作品。
二転三転する展開や極端な人物の描き方がそう感じさせる。
ようやく傾向性が分かってきたぞ。
ちと遅いか(笑)。

その方が盛り上がるし、緊張した状態が続き、結果として面白い作品になる。
こうして世界に認められていくのだろうか。
日本映画として盗めるところは盗んだ方がいい。

原題は「Christmas Carol(クリスマス・キャロル)」。
どこをどう間違ってこのタイトルになったかは不明だが、
予告編を観た人は邦題がしっくりくる。
「愛と青春の旅立ち」みたいなもんだね・・・。

舞台設定はクリスマスだし、
映画の中でもクリスマス・キャロルという言葉は何度も出てくる。
この曲が韓国では定番ソングなんだろう。きっと。
ストーリーに巧みに絡み合い、キーワードとして成り立つ。
そう考えるとやはり原題がよかったのではと思ったり。

僕は韓国人俳優をほとんど知らない。
特に男優はほとんど知らない。
興味がないせいもあるが、名前も覚えられない。

しかし、主役を演じたパク・ジニョンは覚えられそう。
暴力的な兄と障害を持つ弟の一人二役の双子を見事に演じている。
同じような顔つきだが同人物とは思えない。
韓国では人気アイドルグループなので、更に人気が出るのか?

弟の仇を取るためにわざわざ少年院に入り、その中で事件を引き起こす。
それだけでもあり得ない世界。
登場する2人の教官もあり得ないと思うが、
韓国は日本以上にダイバーシティが進んでいるのか。

いや、待てよ。
これはダイバーシティという言葉で片づけてはいけない。
相当深刻な問題。
先日観た「不思議の国の数学者」もそうだが、この国の教官、教師は乱れまくっている。
日本でも教師の犯罪は多いが、韓国はそれ以上かと勘繰ってしまう。

大富豪やそのボンクラ息子も酷い。
この描き方も共通していたり。
そんな人物が叩かれることも共感を呼び、映画として盛り上がる。
それも韓国映画の特徴なのかもね。

あの手この手で攻めてくる韓国作品。
なぜか見入ってしまう。

日本映画も負けないでほしいね。

先生、どうか皆の前でほめないで下さい

ここ最近、、Z世代の効果的な採用について話してほしいという依頼をちょくちょく頂く。
ありがたいことだが、僕が話せることを網羅しているわけではない。
Z世代に共通項はあるにせよ多様化が進んでおり、一方的な話では終わらない。

いろんな角度の見方が必要。
僕自身の勉強のためにも本書を手に取った。
ある種の正解だし、世代をうまく表現している書籍。

確かに共感や賛同する面は多い。
特に学生が教室のどこの席に座るかの項目は自分が大学の授業で目にする光景と同じ。
納得感は高い。
意外と学生は密を気にすることなく、友人同士ではべったりとくっついていた。
小さなコミュニティは彼らにとってとても大切な存在。
昔から前の方に座る学生は少なかったが、その傾向は更に進んでいるようにも思える。
みんな目立ちたくないし、当てられたくない。

大学の授業では最後に振り返りレポートを提出してもらう。
自分にキャッチコピーをつけるという大学のレポートには相応しくない課題もある。
これでもマジメにやってます(笑)。

ブログでの紹介は控えるが、そのキャッチコピーはまさに本書に書かれる若者像と同じ。
自分が主役というより脇役で周りを盛り上げることを得意とする学生が多い。
それも成績が優秀な学生に目立つ。
クラスの特徴に過ぎないが、象徴的な出来事のように思えてしまった。

僕も感じることだが、今の若者は本当にいい子が多い。
授業も当たり前のように出席する。
昔が異常だったか(汗)。

そんないい子症候群の仕事観はこんなことだという。
・とにかく人目は気になるし競争もしないけど、自分の能力を活かしたい
・そこそこの給料をもらい残業はしないけど、自分の能力で社会貢献はしたい
・自ら積極的に動くことはないけど、個性を活かした仕事で人から感謝されたい
・社会貢献といっても、見ず知らずの人に尽くすとかではなくて、
とにかく「ありがとう」と言ってもらえるような仕事がしたい

なんだか学生が提出したキャッチコピーに似てるんだよね。
これがすべてでないのは当然。
授業では必ずといっていいほど積極的に質問に来る学生もいた。
一つの傾向性として捉えておくべき。

昔は人前で褒められることで優越感に浸ったが、今はその反対。
人前で褒められたくはないようだ。
大学生の息子に聞いても同じ答え。
学級委員や部活のキャプテンを任されてきた身でも人前で褒められるのはイヤだという。
なかなか難しいね。

そんなことばかりだとネガティブになるが、今の若い連中はまんざらでもない。
僕らが若い時に持っていなかった能力を確実に持っている。
ITリテラシーは当然ながら、僕なんて論理的な思考なんて一切持ち合わせていなかった。
そのあたりは明らかに違う。
僕が社会で鍛えられ、少しはマシな大人になったように、
今の若者も社会でうまく鍛えることで確実に立派な大人になれる。

そのために自分たちがいるのかもしれない。
そのためには誤った育成をしないことも重要。
今の若者を嘆くのではなく、自分たちの在り方を考える方が先なのかもね。

そんなことも考えてしまった。

キネマ旬報95回全史 パート7

1990年代は80年代と比較すると映画を観る機会が減った。
厳密にいえば映画館に行く回数が減った。
90年代前半はともかく、結婚して子供ができてとなると自分の時間は少ない。
仕事も忙しくなり、常に時間に追われるようになった。

そのため観た映画もリアルタイムではなく、レンタルビデオで観るケースが増えた。
キネマ旬報のベストテンを確認し、その後、TSUTAYAで借りることが多くなった。
ベストテン入りする作品は玄人受けはするが一般的に人気はないので、
TSUTAYAでも並んでいないことも多かった。
せいぜい1~2本しか置いてないこともあり、観れず仕舞いも多かったんじゃないかな。

日本映画は北野武監督、そして周防正行監督が90年代の象徴だと思う。
北野監督は「3-4×10月」(90年7位)、「あの夏、いちばん静かな海」(91年7位)、
「ソナチネ」(93年4位)、「キッズ・リターン」(96年2位)、
「HANA-BI」(98年1位)、「菊次郎の夏」(99年7位)とコンスタントに名を連ねる。
僕はヤクザ映画もいいが、「あの夏、いちばん静かな海」、「キッズ・リターン」が好きだ。
モロ師岡が最高と思っているのは僕だけだろうか。

周防監督は数年に一度しか映画を撮らない。
90年代に監督した2作がいずれも1位。
「シコふんじゃった。」(91年1位)、「Shall we ダンス?」(96年1位)。
両作とも抜群に面白かった。

と個性を発揮する一方でドラマ性が全体的に弱かったん年代じゃないか。
興行的も主役の座をアニメに奪われてしまった。
興行収入を塗り替えた「もののけ姫」(97年2位)という目立った作品もあるが、
ベストテンのうち半分はアニメ作品。
今も続くドラえもん、名探偵コナン、ポケモンなどだ。

96年には渥美清が亡くなり「男はつらいよ」シリーズは終了、
監督も97年には伊丹十三、98年には黒澤明、木下恵介が亡くなった。
時代の変化を感じざるを得ない。

俳優で目立ったのが役所広司。
今でも第一線で今年も話題作に主演しているが、
「うなぎ」(97年1位)、「Shall we ダンス?」でも主演男優賞を受賞している。
この後も何度受賞することか。
先日、ついにカンヌ映画祭でも受賞したし・・・。

外国映画は多種多様。
僕が後悔しているのは、やはり映画館で観れなかったこと。
「許されざる者」(93年1位)、「ショーシャンクの空に」(95年1位)、
「L.A.コンフィデンシャル」(98年1位)。
このあたりの作品を映画館で観ていたら、もっと感動していただろう。

そして、未だに見ていない作品が多いのは90年代。
映画コラムニストになる気配は一切なかった時期。
老後に楽しむために取っておくべきか・・・。

「マディソン郡の橋」(95年3位)を観て、家人が号泣したのは今でも鮮明に覚えている。
クエンティン・タランティーノ監督が暗躍した?年代でもあるが、そのあたりは割愛。

そして、2000年代に移っていく。
続く・・・。

映画「最後まで行く」

藤井道人監督による「ヴィレッジ」からの連続作品。
またまたインパクトの強い映画を作ってくれた。
この類の作品を撮る監督は見た目もエグかったりするが、
藤井監督は穏やかで優しそうな雰囲気を持つ監督。
(あくまでも見た目なので実際は分からない)

まだまだ若いのでこれからの日本映画を背負ってくれるはず。
そう期待したいし、それを十分感じさせてくれる作品を連発している。

本作は2014年に公開された韓国映画のリメイク。
中国やフランスでもリメイクされたというし、どこかのタイミングで観たい。
予告編は日本版も韓国版にかなり似ている。
あえてその方向に持っていったのだろう。

本作の予告編も抜群だったので、その段階で観ることを決めた。
そして、その期待は見事に的中。
ずっと追いかけ回された2時間。
とことん「最後まで行く」映画だった。

これは僕の勝手な見方だが、藤井監督作品は
(僕が知る限りでしかない)
いつも問いで映画が終わる。

作品自体に答えはない。
「で、これからどうする?」
そんな感じで終わる作品ばかりだ。

確か「新聞記者」もそうだったし、前作「ヴィレッジ」もそう。
本作に続編があるとは思わないが、その後の展開も気になるところ。

あの2人はどうなっていくのだろうか・・・。
あの2人というのは主役の刑事工藤役の岡田准一とエリート監察官矢崎役の綾野剛。
ネタバレになるので詳細は割愛するが、この2人のスリリングな展開が続く。
それに巻き込まれていく者はどんどん犠牲者になっていく。

これが国を守る連中のやることか!
と冷静に見ればそう思うが、そんなことはどうでもいい。
いつでも自分の権力や金が優先されるのだ。

それにしても綾野剛が不気味。
あの表情もさることながら、ターミネーターばりに強い。
エリート階段を上っていくために相当鍛えていたんだろう。
それが半端ない。
観る者は不思議とそれを期待し、その通りの展開になる。

それを上回るのが柄本明か・・・。
本作でも肝心な役どころだが、この半年の出演作を観ても存在感は強い。
「夜明けまでバス停で」「ある男」「シャイロックの子供たち」
「湯道」「ロストケア」
全く異なる役を見事に演じ、その中でも強烈なインパクトを残す。
日本映画界にとって一番のバイプレーヤー。
一年でどれだけの映画に出演するというのだ。
趣味の世界かもね・・・。

そうそう、書き忘れそうになったが、本作のロケ地は愛知県が多い。
知多半島が中心だが、栄のTV塔も使われている。
生まれ変わったHisaya-odori Parkも映し出される。

あちこちにネタが飛んだが、本作は2023年公開の日本映画では観るべき1本。
心臓の弱い人は観ない方がいいかもしれないけど・・・。

映画「帰れない山」

本作は青春映画というジャンルに該当するのだろう。
しかし全編通して観ると青春という言葉がチープに感じてしまう。
好きとか嫌いとか、挫折とか成功とかをうたう訳ではない。
その要素がないわけではないが、物語のごく一部に過ぎない。

僕らが人生を過ごすにあたり、少なからず挫折や成功を繰り返す。
その瞬間を捉えれば大きな出来事だが、後で振り返れば些細な出来事の場合が多い。
そんな経験を繰り返し、歳をとる。
それだって見方を変えれば青春。

57歳になった今でも僕は青春を謳歌している。
そういえなくもない。
本作を観ると人生そのものが青春のように思えてくるのだ。

舞台は北イタリアのモンテ・ローザ山麓。
どのあたりかも知らない。
そこで出会った少年が大人になり、自分と葛藤しながら自身の生き方を模索していく。
それを自然豊かな山麓と共に描かれる。

どうでもいいことだが、この作品はどれくらいの期間を掛けて撮影したのか。
美しい春の光景、
湖に飛び込む夏、
沈む夕日が山々を映し出す秋、
そして大雪に包まれた冬。

自分たちで作った山小屋(まあこれも住まいですね)で時間を重ねながら、過去と未来を探る。
親子、家族の関係に向き合っていく。
正解など何一つない。

正解に向かうことに周囲が認めてくれるわけでもない。
それでも自分の信じる道を愚直に歩むしかない。
正解は自然が与えてくれるしかない。
温かく迎えてくれることもあれば、残酷に訪れることもある。

描かれている時代は現在。
田舎育ちの僕も最近は季節感がない。
もちろん夏に向かう毎日に季節を感じる。
そんなものは季節感とは呼べず、本当の季節感とはもっと壮大で生活を左右すること。
映画で描かれる大自然を目の当たりにすると僕が感じる季節はちっぽけなものだ。

ここまで書いたところで、どんな映画かさっぱり分からないと思う。
まあ、いつもの通り(笑)。

イタリアの作家パオロ・コニェッティの世界的ベストセラー小説を映画化で、
2022年カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した作品と紹介しておこう。
こんな小説を映画化するのはかなり難しいと思うが、美しい風景を見るだけでも一見の価値はあり。

やはり視野は広めておきたいね。

映画「MEMORY メモリー」

殺し屋が主役のアクション映画。
007シリーズさえ観ていない身としては珍しい選択。
ただこの類の作品ではかなり風変りといえるだろう。

主役の殺し屋は間もなく70歳を迎えそうな年齢。
それもアルツハイマー病で記憶を失くしていく自覚がある。
それでも依頼された任務を確実にこなす・・・。

映画を観ながら、なぜか思った。
日本なら北野武監督が撮りそうなストーリーじゃないかと。
正確かつ冷徹、圧倒的な強さを誇る殺し屋が年齢を重ね、
老いゆく自分に抱く感情がなんとなく北野武的かと。
彼が作るヤクザ映画もそんな要素を持っていると思うし・・・。

アクションや舞台設定だけみればB級作品。
さほど新鮮なテーマでもない。
驚くようなアクションシーンがあるわけでもない。

裏で糸を引く大物。
それに迎合する警察幹部。
それに抗う現場。
まあまあよくありがちな設定。

しかし、そんなシンプルな流れがあるからこそ、
アルツハイマー病殺し屋の生き様が際立ちカッコよく思えてしまう。
なぜここまで殺し屋稼業を全うできたかは、
その一挙手一投足で納得できる。

僕は全然知らなかったが、
主役リーアム・ニーソンの上手さに尽きる。
手捌きなんて、オ~っと唸ってしまう。
記憶がなくなりもどかしさを感じると思えば、
一瞬のうちに相手を仕留める完璧さは見事。

自身の死と向き合うことが、仕事へのこだわりにも繋がる。
ある意味、理想的な仕事像。
殺し屋なのに正義感が強い。
目指すべきキャリアだと勘違いしてしまいそうだ(笑)。

ジェームズボンドと比べれると相手はそこまで大物じゃない。
ボンドガールのような絶世の美女は登場しない。
不死身の体でもない。
特殊な性能を持つ車も出てこない。
ポンコツ車にしか乗らない。

だからこそ人間味がある。
悪い奴なのについ共感してしまう。

多分、数年後は内容も忘れている可能性は大きい。
タイトルすら忘れる恐れもある。
それでも不思議と思い返すシーンが多い。

そんな映画だった。

キネマ旬報95回全史 パート6

優柔不断ではあるが、80年代についてもう少し触れたい。
前回書いたように80年代後半の大学時代は狂ったように映画を観ていた。
映画館でバイトをしていたので、その系列の劇場はタダで観れたのが大きかった。
(その分、時給は恐ろしいほど安かった・・・笑)

時間があったのも大きな理由だが、もう一つ上げるとすれば当時は2本立てだった。
邦画も洋画も2本立てだったので、一気に数を稼ぐことができた。
その分、集中力が続かなかったことは否定できない。
覚えていないことも多い。

当時、印象に残っているのは「ビーバップハイスクール」(85年46位)のシリーズ。
1作目こそヒロイン役の中山美穂が中心だったが、
その後は仲村トオルと清水宏次朗が作品を引っ張っていった。
シリーズはどんどんエスカレート。
とても高校生とは思えないストーリーだったが、ツッパッた観客も含めとても面白かった。
バブルに向かう気配が漂っていた。

そして邦画の象徴的な存在といえるのは伊丹十三監督。
「お葬式」(84年1位)、「タンポポ」(85年11位)、「マルサの女」(87年1位)、
「マルサの女2」(88年19位)と話題作を連発させた。
今でもその死は惜しいと思ってしまう。

宮崎アニメ作品の存在が目立ってきたのもこの頃。
「風の谷のナウシカ」(84年7位)、「天空の城ラピュタ」(86年8位)、
「となりのトトロ」(88年1位)
別の形で邦画を牽引していくわけね。

先日、亡くなった坂本龍一氏が音楽を手掛けた「ラストエンペラー」(88年1位)も印象的。
その年は「フルメタル・ジャケット」(2位)、「ベルリン・天使の詩」(3位)という順位だが、傑作なのは読者選出。
なんとこの3作を上回ったのが「ロボコップ」(読者選出1位)。
確かにハチャメチャで面白かったが、今では考えられないんじゃないかな・・・。

いや、必ずしもそうとはいえない。
80年代は「ダイ・ハード」(89年1位)で終わった。
芸術性は乏しいが、すこぶる面白いアクション映画。
こんな作品が1位を取るなんて、例年では考えにくい。
踊っていた日本経済をある意味、表しているのかもしれない。

他にも書きたいことはあるが、80年代はこれくらいにして90年代に入っていこう。
続く・・・。