これからも前向きに 名大社会長ブログ

さて、どうなった?5月の目標

6月に入りもう5日目。
暑い日が続き、外で過ごすのも半袖で十分。
さて、どんな服装でこれから過ごそうかと考えていた時に肝心なことを報告していないと気がついた。
3人のライバルがヤキモキしているの報告しなければならない。
5月のランニング距離を・・・。

先月は自分でいうのもなんだが、結構頑張った一ヶ月だった。
5月17日の「ぎふ清流ハーフマラソン」に参加する事が決まっていたので、
GW休暇は時間があるだけ走り込んだ。
走り込んだといってもたかが知れているが、5連休で30km。
それ以外の休日もコンスタントに距離を伸ばした。

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肝心な「ぎふ清流ハーフマラソン」は平凡なタイムで終わってしまったが、
フラフラになるほどの体力消耗はなかった。
少なからず練習の成果がでたのかもしれない。

その後も忙しい日が続いたが、時間を見つけては走っていた。
東京出張した際も皇居を走り、

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三河湾での研修の時も海岸沿いを走り込んだ。

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そして、5月で有難かったのは、土日が5回あったこと。
最終日の31日が日曜日だったので、調整しやすい月であった。
結果的にランニング距離は103km。

「な~んだ、大したことねえじゃないか」と聞こえてきそうだが、久々の目標達成。
ほぼ1年半ぶりの目標達成。
マラソンブログがフェードアウトしていきそうな気配があったので、まずはひと安心。

この6月の目標達成はまず難しいと思うので、言い訳がましく言えば、
たまに目標達成できればいい。
でも、秋の達成は目指しますよ。

そして、ライバルにも多分、1年半ぶりに勝利。
ヤッター!パチパチ!!

この日を待っていたのだ。
東京のライバルは話にはならないので気にしないが、名古屋のライバルに勝てて良かった。

「おめでとうございます!」
「ありがとうございます!」

そろそろ走ると汗だくになる厳しい季節。
体調管理しながら6月は走っていきたいと思う。

食べ物のはなし 円頓寺シリーズ その9

円頓寺商店街に戻ってきました。
東京の茅場町もいいですが、やはりこちらの方が落ち着きます。

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アーケード街の北側にお店を構えるイタリアンバル「アランチャ」さんに行ってきました。
気軽に入れるカジュアルなイタリアンですが、僕は少々緊張してしまいます。
スパゲティをパスタと言うのに慣れていないからかもしれません。
こちらのお店に入るのも躊躇しましたが、
「おススメ!オムライス」の黒板を見て入ることにしました。

「すいません、オムライスをください!」いつも通り礼儀正しく注文します。
「セットにされますか?」と背中に赤ちゃんを背負った奥さんらしき女性が聞いてきます。
このほのぼのとした雰囲気がいいのです。
名古屋駅や栄や、ましてや銀座や六本木では許されないと思います。
円頓寺だからいいのです。

「セットって何ですか?」とロクにメニューを見ないで注文したことに後悔しつつ、聞き直します。
どうやらプラス120円でサラダと飲み物が付いてくるようです。

ランチでは何よりコスパを気にする人気食べ物ブロガーとしては頼まない手はありません。
セットを注文してから、厨房をぼんやり眺めます。
オーナーらしき旦那さんが手際よくオムライスを作ります。
「さすが!イタリアンシェフ!」
と意味のないつぶやきをしながらオムライスが出来上がるのを待っています。

オムライス 880円+セット(サラダ、アイスコーヒー)120円

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「お~、トロトロ。なかなかやるじゃないか。」と定番のセリフを吐きながら食べ続けます。
ふと気になり、別のランチメニューを見てみます。

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「う~ん、エスニック風カレーペンネか、美味そうだな。こっちにすればよかったかな。」
とロクにメニューを見なかったことをまたまた後悔します。
「でも、このオムライスもイタリア風で美味しいから、これでいいんだ。」
とイタリア風を知らないくせに自分を納得させます。

その時です。
僕のスマホからアラートが表示されます。
緊急事態が発生したようです。
詳細を確認すると円頓寺界隈に不法侵入があった模様です。これは急がねばなりません。
僕はオムライスをかき込み、アイスコーヒーも一気に飲み干し、現場に向かいます。
もう少しで危ういところでした。大事件が発生していたかもしれません。
こちらのお店にいたおかげで現場にすぐ辿り着くことができ、不法侵入者の身柄を確保しました。

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これで一件落着です。
当面、円頓寺の平和は保たれそうです。

何のこっちゃ??という疑問も沸くかもしれませんがこれでいいのです。

ごちそうさまでした。
来週も円頓寺の平和を見守りつつ、食べ物のはなしを続けます(笑)。

いろいろあるけど、今週末はエンジニアフェア!

今週はイベントが目白押し。
5日(金)には株式会社アスリートプランニングとの共催で体育会学生限定のイベント
「アスリート就職セミナー2016」を名古屋駅前ウインクあいちで開催。
一般の就活生と異なり体育会学生の就職活動は限定的。
そこをしっかりとサポートするのが今回の目的。
真っ黒に日焼けした学生さんが元気よく参加してくれるのではないだろうか。

そして、その翌日6日(土)は第9回エンジニアフェア。
技術者採用に特化したイベント。

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今回も会場となるウインクあいちで出展可能なギリギリの社数となる60社の企業の方に参加頂く。
個性豊かなジモトの企業に参画頂き、会場内で仕事の魅力について熱く語ってもらう。
イベント初登場の企業も多く、新たな可能性が発見できるはずだ。

当日はブース内での説明のほか、「イベントの活用法」や
「スムーズな退職交渉のために知っておくべきポイントとは」の講座も用意。
出展企業によるメッセージタイムもあり、それぞれの企業の特徴も知ることができる。

そして、現在、@FM(FM愛知)で放送中の「明日へのグッジョブ」でも
今回のエンジニアフェアの特集を行う。
(ただの宣伝という話もありますが、貴重な内容ですぞ・・・)

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「社長さん、ステキな笑顔ですね!」って、聞こえてきそう(笑)

明日、明後日には参加頂く企業のエンジニアの方に出演頂き、会社の魅力について語ってもらう。
(実は先週も放送しました。)
金曜日には僕がエンジニアフェアの活用法をマジメにトーク。
(これはただの宣伝かな・・・)。
時間のある方は是非、聞いてもらいたい。
美人パーソナリティと遊んでいるわけではないですぞ~。

今回のエンジニアフェアの詳細はこちら
<日時>2015年6月6日(土)
     11:00~17:00
(参加企業との面談は12:00~)
<会場>ウインクあいち 8階展示場
    名古屋駅徒歩すぐ

事前予約の方にも、当日面談された方にも特典あり。
即戦力の方も、経験の浅い方も、
もちろん来年春卒業予定の学生さんも名大社は全面的に応援してきます。

社長になってからのこと 4

ただこのタイミングで社内の制度を大幅に変えた。
子会社であった株式会社名大社火曜日を清算し、名大社に吸収。
委託契約の社員さんが活動する会社であったが、その体制を見直した。
正直なところ、ここはお互いの考え方が合わず、うまく機能させることができなかった。

名大社本体は部署名も一新、組織も新しくした。
社内インフラも見直し、携帯電話の支給(これは遅すぎ・・・笑)、Gメールの活用、
日報のWeb管理とデジタルの活用を推進した。
HPもリニューアルし、「人と企業が出会う場所。」という
自分たちが大切にしていることを前面に押し出した。
そして、対外的にもその役割を公開した6月から「第三創業期」と位置づけた。

一人ひとりの主体性を重視する政策に変え、ボトムアップ型組織に切り替えた。
倫理観を大事にし、自分が理想とする組織つくりを行った。
いくつかのプロジェクトチームを作り、若手にその業務を任せていった。
会社の雰囲気は大幅に変化していった。
毎月開催されるマーケティング講座で学ぶと共に
積極的に自分のアイデアや意見を発言する場を作っていった。
感覚的でしかないが何でも言い合える雰囲気が醸成されていったのだろう。

営業面でいえば、新たな企画として障がい者採用向けのイベントを立ち上げた。
これまで行政と仕事を組むことはなかったが、
初めて名古屋市、名古屋商工会議所と企画を立てイベントも実施した。
また、業界に先駆けインターネット就職サイトの基本掲載を無料とした。
「新卒ナビFREE」として他社サイトと差別化し、
新卒採用に予算をかけることが難しい中小企業を中心に新たなサポート体制を作っていった。
人材紹介業の準備もスタートさせた。

まだまだ厳しい状態は続いていたが、可能性を感じる毎日であった。
11月の転職フェアでは前年同月比の200%の数字を達成することができ、
営業面でも自信を取り戻すことができた。
これは本当に一人ひとりのメンバーの頑張りのおかげ。

夏の賞与はゼロ。
秋にようやくワークシェアリングは終了したが、納得できる待遇ではなかった。
前年にはなかった冬の賞与は支給したが満足できる金額は程遠い。
それでも誰も文句ひとつ言わず、懸命に目の前の仕事に取り組んでくれた。
この一年、社員は一人も辞めることはなかった。
「全員参加」という言葉を事あるごとに使っていたが、
それが表面的ではなく日々の業務が証明していた。

それが名大社の強さ。
今こうして順調に会社が成長しているのも、全員が高い意識で仕事を続けてきた証。
一人でも欠けていたら、今とは違う状態になっていたのかもしれない。

一人ひとりの力は小さい。
抜群に能力の高いメンバーがいるわけではない。
しかし、この一体感が生み出すとてつもないパワーが会社を動かす原動力になっている。
その存在が僕には誇らしい。
そんな風にして一年が過ぎていった。
未熟な社長を支えるメンバーが会社を支えていった。

これが会社の代表になって過ごした一年。
書き足りない点はいくつかあるとは思うが、大切なことは披露させてもらった。
こんなことをオープンにすることが正しいかどうかはわからない。
人によっては恥を晒すなと非難されるかもしれない。
しかし、そこも含め、これが僕たちの会社。
いいじゃないか。その姿勢で・・・。

最初の一年の話はこれで終了。
最後の方はちょっとカッコつけすぎかもしれない。
二年目以降のことはいつ書くかは未定だが、時間を見ながら書き起こしていきたい。
もう興味を持ってもらえないかもしれないけど・・・(笑)。

社長になってからのこと 3

自分で道を広げるしかなかったのは、逆にありがたかったのかもしれない。
年明けからいろんな人に会いに行った。
今、懇意にしている当時就職エージェント社長で現キーカンパニー社長の下薗氏や
ディスコ取締役の坂戸氏もこの時に何年振りかで再会した。

それがご縁でふるさと就職応援ネットワークにも加盟し、
各地域の就職情報会社の社長とも親しくなった。
今でこそ、愚か者名誉本部長なんて絡んでいるパフ釘崎社長もこの時に初めて出会った。
当時は口を聞いてもらうのも失礼にあたるくらい雲の上の存在だった。
同世代の地域の就職情報会社の社長は大いに刺激を与えてくれた。

そして、以前ビジネススクールに通っていた時のマーケティングのP講師にも救いを求めた。
僕が尊敬する大好きな講師で、数多くのことを学んだこともあり、
会社に新しい知識や考えを吹き込みたい想いでダメもとで協力を依頼した。
涙が出るくらい嬉しい言葉をかけてくれた。

出会ったすべての方が温かく僕を迎えてくれた。
(そうでもないかもしれないがそう感じている・・・笑)
先の見えない新米経営者に温かい声を掛けてくれた。
力になってくれた。素直に嬉しかった。
こうした人との出会いが僕に更なる勇気をもたらせてくれたのだろう。
今でもこのスタート時の出会いが僕の財産にもなっている。

だからといって業務が全て順調に進むわけではない。
年度末には新聞社による代理店解除の申し入れもあり、試練に耐える時だった。
結果的には事なきを得たが、多くの対策を求められた。

新オフィスに移転したタイミングで新卒ナビのサーバー環境を変えた。
万全のはずだった。
しかし、サーバーが支障をきたし、新卒ナビがストップした。
クライアントにとっては採用活動における重要な時期。
そんな時期に大迷惑を掛けてしまった。

1~2日程度の障害だが致命的だった。
新年度の最初の仕事はクライアントに謝罪に出向くことだった。
理解を示してくれたクライアントもあったが、そこで少なからず信頼を失ったのも事実。

辛い4月のスタートだった。
お詫びに伺うことが僕の大きな仕事だった。

(続く・・・)

社長になってからのこと 2

期待だけ持たせて何も書かなかった1回目(笑)。
過去を振り返り、それを文章化するのは面倒な作業。
それも低迷が続いていた1年目の事を書くのは結構恥ずかしい。

会社の財務体質は大幅に改善したとはいえ、
一年目の決算は赤字だったので、褒められるようなことは何もない。
それでもここに証を残しておこうと思う。

2009年12月21日に社長に就任した。
しかし、いきなり任され準備期間は全くなかった。
対外的には公開せず社内の人事として発表され、全責任が僕の下に降りてきた。
それはいい。全ては覚悟の上。
自分が責任を取ると決めた以上、後悔はなく前に進むことしか考えていなかった。
いきなり実印、代表者印、銀行印の管理から全ての契約書の管理まで僕の手元にきた。
会社のお金がどこにどれだけ預けてあり、
新聞社への保証金はいくらでどんな扱いなのかも全くといっていいほど知らなかった。

経理面、財務面に関しては無知だった。
初めて見せられる資料に「ほ~」とか「はあ~」とかうなずくことしかできなかった。
今思えば、あんな知識のない者がよく社長を引き受けたと感心する。
無知は時に強い。勢いをつけるものだ。

そんなことより営業面、組織面の方が僕にとっては不安材料であった。
どん底の業績をどう復活させるか、赤字垂れ流しの状態をどう食い止めるかが大きなテーマだった。
だが次長以上が月半分休みのワークシェアリングはいかにも不憫だった。
月半分休みということは、交代交代で休むようなものなので、
同じ会社でも顔を合わすことがほとんどない状態をさす。
それはさすがにまずかった。意志の疎通が全く計れない。
古い付き合いでも統率は取りにくい。

そのため、年明けからは次長以上は7割の出勤として、助成金制度も申請をした。
同時に進めなければならないのは最大の固定費だった家賃の圧縮。
ビルを移転することで家賃負担が1/3の計算。
当時はリーマンショックの影響で名古屋の地価も下落。
現在、オフィスを構える丸の内周辺は家賃の交渉がしやすかった。

まだ建築中だった現在のビルとの交渉がうまく進み3月下旬に移転をすることが決まった。
新築ビルがオープンすると共に移転できるのは新しい門出としてはうってつけ。
メンバーのモチベーションも上げることができた。

その一方でビル移転に絡む原状回復が思った以上に費用がかさんだ。
長年過ごし改装しまくった中日ビルの原状回復費用は半端ない。
指定業者しか使用を許されず、交渉は難航。
かなり粘り、当初の金額よりも下がったもののその出費は大きかった。
だが、それ以上に新しいオフィスへの期待は大きく、僕も何度も視察にお邪魔した。

そして肝心な営業面。
僕自身、大した戦略を持っていなかったし、何から手を付けていいのか正直分からなかった。
とにかく多くの人に会い、多くの情報を集め、今後、会社にとって有益な方法を探るしかなかった。
それまでの名大社はいい面も悪い面も閉鎖的な会社だった。
新聞社、TV局とは友好的な関係を築いていたが(そうでもないか・・・苦笑)、
クライアント以外の企業とは付き合いが皆無だった。

独自路線を走っていたと言えばそれまでだが、同業他社との付き合いは途絶えていた。
それがより会社のベールを包む状態であり、
「山田なんて聞いたこともないわけ分からんヤツが責任者」程度に思われていたと思う。
(今もあまり変わらないか・・・笑)

前社長から引き継いだパイプはない。
自分で道を広げるしかなかった。

(続く・・・)

食べ物のはなし 番外編 B弁当

今回は円頓寺シリーズではありません。
全国30万人の読者の方々、ごめんなさい。
ネタがありません。来週は復活する予定です。

そんなわけで今回は番外編なのです。
東京・茅場町にある老舗の焼き鳥屋「鳥徳」さんに行ってきました。
正式には連れていってもらいました。
この時点で読者の1/5にあたる6万人の方は気づくかと思います。
「あ~、あのオジサンと行ったのか」と・・・。

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この佇まい。
円頓寺、四間道あたりにあっても違和感はありません。
創業は明治30年代らしいです。

12時過ぎると外に行列ができるので、少し早めに時間にお店に入りました。
さすが、気の利くオジサンです。
この日は僕の誕生日前日でした。どうやらご馳走して頂けるそうです。

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「う~ん、どうしよかなあ~。鰻重松(3200円)にしようかなあ~。」と迷っていると、
「すいませ~ん、B弁当2つください!」
とはっきりした口調でさすがのオジサンは注文します。
「ここはB弁当がおススメ。これが一番いいんだよ。他はダメ!」
と僕の鰻重松の夢を砕く発言を容赦なくします。
「あ~、そうですか・・・。わかりました。」
僕は納得せざるを得ません。

お店の一番高い料理を注文してやろうという僕の姑息な作戦はあっさりと崩れました。
性格も読まれていたのでしょう。さすがです。
「はい、おまちどう!B弁当です。」
元気な江戸弁かどうかはわかりませんが、2段になった弁当が運ばれてきました。

B弁当(1050円)

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「ほう、これが一番いいB弁当か、C弁当(3000円)よりもこっちの方がいいんだな。どれどれ。」
と半信半疑で食べ始めます。アップにするとこんな感じ。

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チキンカツと焼き鳥、ねぎま、つくねと玉子焼きがど~んと乗っています。
ちなみに漬物は食べ放題です。

「お~、なかなかやるじゃないか。」といつもの言葉が自然に出てきます。
鳥スープも出汁が効いてとても美味しいです。
「はふはふ、うぉん、うぉん、俺はまるで人間火力発電所だ!」
と久しぶりのセリフも出てきます。

さすがのオジサンはこちら。

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顔写真はNG(ホントに・・・?)です。
全国6万人の読者はお気づきの自称永久名誉本部長と呼ばれる方です。
ブログはこちら(あっ、バレてる・・・笑)。

すっかりご馳走になり、僕は茅場町から元気に次の目的地に向かったのでした。

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とても美味しく一番のおススメだそうですが、次回は鰻重松かC弁当をお願いしたいです(笑)。
ごちそうさまでした。

社長になってからのこと 1

今日は名大社の株主総会。

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毎年5月の最終火曜日に開催している。
とんでもない株主が乗り込んできて「誇りで業績が上がりますか?」と
株主提案がない限り、平穏に終えれるだろうと予測する。
(いきなりはあり得ないんだけど、大丈夫かな・・・笑)
今のところ、後ろ指を指されることはないはず。

この株主総会が何かと節目にあたるので、昨年の同時期にこのようなブログを書いた。

社長になるまでのこと 1
社長になるまでのこと 2
社長になるまでのこと 3
社長になるまでのこと 4

僕が社長に就任するまでの1年間の行動を書いたのだが、予想以上の反響を頂いた。
会社の恥部を晒すような内容だったが、
なかなか見ることのできないレアなケースのため、驚嘆の声が多かった。
社長になる1年前まで飛び込み営業していたわけだから、不思議ではないか・・・

ただ、僕にとっては嬉しく励まされ、自信になるコメントがほとんどだった。
「本を出版したら」なんていう有難いコメントももらった。

中には「社長になってからの事を書きなさい!」という声もあった。
この5年間、世の中が驚くような取り組みなんて何もしていないので、
書くべきではないと思っていた。

しかし、何もないと言っても日々変化はしており、会社も大きく変わった。
社名も変わらず、提供しているサービスも基本は同じ。
だが、社風や組織を含め、以前とは全く違った会社になったのは事実。
それが正しいかどうかは僕には判断できない。

ただ、これも会社の歴史としてその足跡も残しておくべきだとも最近は考えるようになった。
僕が引退してからも会社が継続していくようであれば(それが当たり前)、
僕が取り組んできたことも残しておく必要はある。
それは成功したことも失敗したことも含め、会社の歴史として刻みこんでおかねばならない。
となると「社長になってからの事を書きなさい!」というのは天使のささやき。
僕自身の拙い経験を文字として残さなければならない。

別にブログに書く必要はないかもしれないが(笑)、分かる場所に記録、保存しておくことも大事。
まずは社長に就任してから1年の行動を書いていきたい。

というものの今日はここまで。

お叱りの声が上がるかもしれないが、ちゃんと確認しないと不明な点もあるので・・・。
タイトルはインチキかもしれませんね(笑)。

この週末あたりに、しっかりと書きます。
つまらないとは思いますが、ご期待ください(笑)。

リーダーがどう若手を育てていくか

現在、名大社の課題の一つとして中堅のリーダーをどう育てていくか、
そのリーダーがどう若手を育てていくかということがある。
自分の事は棚に上げて(苦笑)、今、真剣に考えている重要項目。
「NEXT4」と呼ばれる(僕が勝手にネーミングしただけ・・・)
中堅の4名に対して僕が月1回の勉強会を主宰している。

明日が第5回目の勉強会。
これまでは会社の歴史から、自分の履歴、名経営者と呼ばれる方の考え方など、
テーマ別に実施してきた。
本来は参加者の意見や考えを聞きながら進める方法がいいのだとは思うが、
僕が大半喋っているケースが多かった。
まずは何が重要かと伝えていきたいのがその理由。
(自分ことは棚に上げています・・・笑)

そして、今回はリーダーの役割がメインのテーマ。
それぞれの抱える部下をどう育成していくかが中心になっていく。
僕自身どんな話をすべきかと考えていたが、
先週参加した「HRカンファレンス」が大いに参考になった。

その一つ、慶応義塾大学大学院教授の高橋俊介氏の「若手人材の育成に関する4要素」は
僕の中でも納得感の高いいい学びであった。

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簡単に言ってしまえば、
1.人が人を育てる
2.仕事が人を育てる
3.深く学ぶ習慣
4.キャリア自律風土
なのだが、その話の中で、僕の出来ていることと出来ていないことが明確になってきた。
(できていないことが大半だったり・・・)

自分自身のキャリアを言語化することは簡単ではないが、
それを示すことにより、成長曲線が分かりやすく伝えられる。
不本意なキャリアチェンジを何度か経験するのがこれからのキャリア形成だとすれば、
僕が辿ってきた道も大きくは逸れていない。
それを言語化し伝えることもこれからは必要だろう。

従来のタテ型OJTだけでは人は育てられないし、変革を起こすことから遠ざかってしまう。
守るべきことと変えていくべきことの両方が重要だと思うが、
この変化の激しい時代には変えていくことに優先順位が上がる。
それをしっかりと中堅リーダーに伝え育成し、
さらにその下の若手を育てていかなければならない。

特にうちのような人ありきの組織であれば、それが最重要。
お互いにとって学び合える時間が取れればいい。

今週もあっち行ったり、こっち行ったりと何かとバタバタするが、
充実した時間を過ごしていきたい。

孫正義の参謀

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これは僕がただの政治音痴である証明になってしまうが、
著者の嶋聡氏は元民主党の国会議員であることは知らなかった。
それも愛知県第13区の選出で以前は愛知県知事である大村秀章氏と争っていた。
出身は岐阜県。それだけで親しみが湧いてしまうのは愚かだが、
そんな方がソフトバンクの社長室長を務めていたなんて全然知らなかった。
政治音痴だけじゃなく、経済音痴でもあるじゃないか・・・(苦笑)。

本書は社長室室長を務めた3000日の行動が克明に描かれている。
ソフトバンク社長孫正義氏の一挙手一投足を最も間近な存在として描いているのだ。
ある意味、主観的な思いで書かれているので、
客観的に見た場合にどこまで信頼性があるのかはわからない。
本書だけ理解すれば民主党は素晴らしい政党であり、鳩山氏も菅氏も一流人物であるし。
(すいません、否定しているのではありません・・・)

最も感じたのはよりスケールの大きい仕事を成し遂げようと思うと政治の力が必要だということ。
なぜ、嶋氏が孫氏の参謀を務める理由があったかは、本書を読めば一目瞭然。
なるほど、こんな時に政治家とのパイプが必要なのかと納得させてくれる。

政治の世界とは無縁の地方の中小企業経営者では知る由もない世界。
それを知っただけでも本書を読んだ価値があるということ。
企業献金がなぜ必要なのかも何となく分かってきた(笑)。
僕が無知なだけか・・・。

それにしても孫正義氏のパワーは凄い。
今更そんなことを言っても仕方ないが、ニュースに表れる表面だけでなく、
ここ数年の行動をより詳細に読み取ることでそのパワーをより感じるところ。
今の僕の年齢の時にボーダーフォンを1兆7500億円で買収している。
2億円の買収で悩んでいる自分とは比べ物にならない。
(ウソです・・・)。
比較する時点で大きな誤りだが、その大きなビジョンの差に愕然とする。
まあ、当たり前のことだけど。

孫氏も嶋氏のような方が参謀でついていてくれるとしたら心強いだろう。
相当、歴史も勉強し、策士として明晰さも兼ね備えている。
孫氏は数々の名言を残しているだろうが、ボーダフォン買収の際の言葉もいい。

「そば屋は何万軒もある。携帯電話会社はNTTドコモ、KDDI、ボーダフォンの三社しかない。
何万軒もある市場と三社しかない市場で、トップを取るのはどっちが楽だと思う?
三社しかないところに決まっているじゃないか」

そんなことをサラリと言いきってしまうのは今の日本の経営者では他に誰がいるだろう。
僕はいくら酔っ払っても言いません(笑)。
それが人物の大きさであり、トップを狙うという意志の表れだ。

ビジネス小説を読んでいるような展開。
今後、孫氏はどうなっていくのか。
また、社長室室長を退いた嶋氏はどんな活躍をしていくのか。
無責任極まりないが楽しみである。