こんにちは。水谷(女)です。

寒い日が続いたと思ったら、急に温かくなってみたり。
名大社内でも、風邪が流行っているようで・・・?!

そんな中、先日、親戚の結婚式に参列しました。

三重の桑名宗社(春日神社)で厳かに行われた神前式は参列した私たちも
身も心も引き締まる思いでいっぱいです。

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春を先取り。華やかな桜とピンポンマムが可愛い装花でした。

偶然にも、同じ日取りで1年前に私も結婚式を挙げました。
もう1年も経ったのかと振り返り、新郎新婦のお二人を見ていると
初々しさにかなり眩しさを感じてしまいました。

幸せのおすそ分け、バンバンいただいちゃおうと思います!(^○^)

「名大社と私」シリーズ2です。(シリーズ1は先月のブログです;笑)
今回も長いですが、お付き合いいただけましたら幸いです。

以前、山田さんのブログを読んだときに、
私にも「仕事においてのターニングポイントがあったんだろうか」と
考えを巡らせてみました。

うーん。と考えてみて、思い当たるのは
現、丸の内オフィスへの引っ越しでしょうか。

今のオフィスへの引っ越しについては、リーマンショックの影響そのものだったわけですが
当時、契約社員という立場であったため、引っ越しと同時に名大社を去ることになるんだろうと
思っていたので、「新オフィスに行くぞ!」と言われたときは、予想外の展開に
心躍らせたことを覚えています。

しかしながら、引っ越して間もなく、試練が待っていた気がします。

前オフィスの中日ビルでは小さな部屋で仕事をしていたので、
神谷さんと同室で仕事をしていた不破さん以外の人と特に関わらず過ごしていました。
営業さんの顔と名前なんて当然のように一致せず、丸の内に引っ越してきてから
覚えていたくらいです。

今のオフィスは営業さんも含めた全社員同じ部屋で仕事をしていますので、
引っ越しをしてきた当初は、違和感しかありませんでした。

環境が変わり、自分の周囲に明らかに人が増えたことで、周りから見た
自分の仕事に対しての「立ち位置」的なものと「人間関係を築かなくては」という焦りで
いろいろなことを必要以上に気にするようになっていきました。
携わる仕事の内容も濃いものになっていったこともあり、自分の仕事さえ
いろいろと見失っていき、今思えば”大迷走”していました。

このような事態に、どうしたら良いかも分からず、本当に落ち着かなかったですし、
些細なことで落ち込んで、様々な感情から泣きながら帰ったことも数え切れません。
居辛さというか、息苦しい感じで毎日を過ごしていました。

そんな迷走気味な自分が目指したのは「内勤のユーティリティープレイヤー」

ユーティリティープレイヤーとは、スポーツで言う複数のポジションに就ける選手を言います。
昔、プロ野球でジャイアンツに在籍していた時の木村拓也選手の話は特に有名で、
ケガで退場した選手の代わりに、通常の守備ポジションとは違う「キャッチャー」として
ミットを構えたという試合がありました。

それを、内勤業務でやってみようではないか。と。

ユーティリティープレイヤーを名乗ることも、恐れ多いのですが、
能力的に中途半端なことしかできない私にとって、その「中途半端」を生かさなければ
この場所に居れないのではないか。それが、自分で出した一つの答えでした。

 

幸い、大学では情報科の専攻でしたので、勉強したプログラムの知識は錆びていましたが、
ベースはありましたし、デザイン系のソフトもそれなりには使えました。
不破さん程のクオリティはないけれど、緊急事態に耐えれる対応は、できるのではないかと
勝手に思っていました。

エクセルとワードは使えるので、資料の作成には不自由しませんでした。
電話の受け答えも、入社以来、誰かにきちんと教えていただいたという訳でもなく
横の席で奮闘している小鹿さんや神谷さんの真似をすればと盗み聞きをして覚えました。

 

何も起きないことを祈りつつ、ピンチの局面を迎えるようなことがあれば
「水谷に振ってみろ」と言われたら、動くんだ。と心構えを持ちました。
もちろん、通常の業務をしつつ、「振られた仕事は、どんなショボいことでも何でもやる」と
沈み込んだモチベーションを無理矢理上げて毎日出社していました。

数年この感じで走ってみて、手応えがなかったら、会社を辞めよう。
そう思い、過ごした数年後、社内で一定の評価をいただいていたと伺ったときは
本当に飛び跳ねたくなるくらいに嬉しかったですし、
プライバシーマークの更新手続きの窓口として、前線に立たせてもらえたことと、
動き始めたばかりの人材紹介事業に微力ながら携われることになったことは貴重な経験でした。
(単純に暇そうにしているのが私だけという残念な現実もあったかもしれませんがwww)

 

昨年末の社員総会で「あなたが選ぶベスト内勤賞」という内勤向けに創設された表彰でも
受賞こそ逃したものの、山田さんから、社内で私に投票をしてくださった方々からの
コメントをまとめたものをいただいたとき、
「パソコンのことも、ソフトのことも、いろいろ知っていて、すごいと思う」等々、
数年前に選んだ自分の方向性が、時間をかけてちゃんと形になっていたことに感動し、
胸がいっぱいになって、帰りの電車の中で、一人こっそり泣いていました。今回は嬉し泣きです。

 

大変有難いことに、名大社は業績も良くなり、社員も増え、業務も開催するイベントも
特化型のものが増え、多様化しつつあります。
そういう意味で、「ユーティリティープレイヤー」という立場は役目を終えたと考えています。

「器用貧乏」とか「なんでも屋」とか、友人たちに揶揄されたことも多々ありました。
運が良く、周囲にこんな自分を評価してくださる人がいらっしゃったから良かった話でありましたが
会社の機動力に微力ながらなれていたのであれば、気持ちよく過去の自分に「頑張れたね」と
思うことができると思います。