これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「ひとよ」

時代は白石和彌なのか。
先行きの見えずらい時代はこの映画監督が一番輝くのだろうか。
ここ最近の活躍は目覚ましく、僕の心が揺れ動かされる作品ばかり。

感動して幸せになるストーリーなんて一つもない。
どうしようもない生活から一歩前に進んだ程度のもの。
一歩前進的な意味からすれば幸せなのかもしれないが、
それは最悪の環境から少し抜け出しただけのこと。

平凡な生活がいかに幸せなことを教えてくれるだけ。
それだけ描かれる世界は暗くて重い。
ここ最近見た白石監督の作品はすべてそう。

映画「凪待ち」
映画「止められるか、俺たちを」
映画「孤狼の血」
映画「日本で一番悪い奴ら」

ここ最近、公開された作品もすべてそう。
数本観ていない映画はあるが、その類であるのは間違いない。
その中で年数本の作品を手掛ける。
2019年は既に3本の映画が公開されている。

昭和30年代の映画監督じゃないんだから、
これだけ精力的に動く監督もいないだろう。

そして、何故か僕は引き寄せられ観てしまう。
本作も予告編を観た段階で観ることを決めた。
先日の「マチネの終わりに」とは反対。
仮に評判が悪かったとしても観てしまっただろう。

そして、本作も見事に期待を裏切らない。
どうにもならない世界をある意味、後ろ向きに、
ある意味、若干の前向きさで生きている。

全てが犠牲者であり、それが故に誰に対しても責めきれない。
誰しもそれを理解している悲しい事実。
観ている側の方が辛くなってくる。
それを感情むき出しに描くのだから、映画は重くなる。
白石監督の得意分野なのだろう。

田中裕子さんはじめ出演する役者陣も全てはまり役。
松岡茉優さんのアバズレ感も良かった(笑)。
それにしても白石作品には音尾琢真さんが必ず出演している。
それも脇役ではあるが重要な役どころで。
欠かせないや役者さんなのかな・・・。

本作「ひとよ」は「一夜」だったり「人よ」だったり。
映画を観て、「否と世」「人世」「非豊」そんな受け取り方もできる。
単なる当て字だけど(笑)。

白石作品も観ると必ず思う。
まっとうな生き方をしようと・・・。
それを教えてくれる数少ない映画監督。

それも貴重。
観るべき一本ですね。

映画「マチネの終わりに」

当初、本作は僕の鑑賞リストには入っていなかった。
福山雅治さんも石田ゆり子もどちらかといえば好きな役者。
それでもその気にならなかったのは、予告編で観たセリフのくささ。
福山氏の吐くセリフがいかにもチープな恋愛ものに感じてしまったのだ。

なんだ、中年アイドルの恋愛映画かと・・・。
しかし、何人もの知り合いが「観るべき作品」と推していたので観ることにした。

中年のアイドル映画と言ってしまうには勿体ない作品。
僕が10代後半くらいに憧れた欧州の恋愛映画に通ずるものを感じた。
パリやニューヨークの風景がそんな過去にオーバーラップさせていたのだろう。
それだけでも大人のラブストーリー。

50歳を超えると10代、20代を対象とした青春映画には何の魅力も感じない。
ワチャワチャとうるさい映画としか捉えられない。
そこが大人の映画との差。

映画というフィルターがくさいはずのセリフを詩のように奏で文学的になる。
それを福山や石田が発するから観る側はフラフラする。
(ここからは呼び捨て・・・)
言い方を変えればうっとりしてしまうのだ。

そこに福山が奏でるギターや石田の感情を押し殺した表情が僕の気持ちを加速させる。
あり得そうにない大人のラブストーリーに知らず知らずのうちに巻き込まれていく。
気がつくと憧憬と自身の曖昧さが映画の中でシンクロする。
本来愚かであるはずの行動が美しく映る。

そして僕もこの映画を推した人たち同様に魅力を語ってしまう。
そんな世界をみんな求めているわけね・・・。

本作のキーとなるのがマネージャー役の桜井ユキさん。
彼女は悪者として捉えるべきだが、僕は彼女の言動に揺れ動かされる。
つい味方をしてしまう。
きっとそんなおバカな人も多いだろう。

本作をハッピーエンドとするか、しないかは観る者次第。
その終わり方も賛否両論あるだろう。
僕の答えはこうだ。
ハッピーエンドとしてこの映画は正解。

このブログを読み返すと酔って書いたことがよく分かる(笑)。

たまには気持ちいい酔いにさせる恋愛映画もいいですね。

小説「トヨトミの野望」

ビジネス小説は池井戸潤氏か真山仁氏くらいしか読まない。
そもそも小説を読む機会が少ないが、何となく気になり手に取った本書。
いや、何となくではないな。
以前からその題材が気になっており、あえて手に取った本書。
本当は手に取ったわけじゃなくて、ダウンロードしたんだけど。

この愛知県でビジネスを行う者としては気になる書籍であるのは間違いない。
描かれているのはどう見てもトヨタ自動車。
東海地区で仕事をする者としてトヨタ自動車の存在は大きく、
この地区、いや日本を代表する尊敬すべき企業。

悪者として扱う人はほとんどいないはず。
当然、僕もそう。
間接的ではあるがうちが恩恵を受けているのは事実。
地域への貢献度も高いからね・・・。

だからこそ本書の描き方が気になった。
登場人物もトヨタ自動車の歴代の代表を思い浮かべながら読み進めた。
ネットでの感想や投稿を読むとかなり特定されているし、辛辣。

武田剛平=奥田碩氏、御子柴宏=張富士夫氏、豊臣統一=豊田章男氏。
誰しもが想像してしまうだろう。
そして、裏ではこんな事件が起きていたんだ…と勝手に決めつけたり。
あり得ない話だとも思うし。
事実は藪の中で、それを信じたくない面もあるし。

ただ馴染みの場所が頻繁に出るので身近に感じたのも事実。
飲み歩く場所は錦であったり、丸の内であったり。
僕の縄張りじゃないか(笑)。

そして、語られる時代もまさに僕が歩んでいた時期。
リーマンショック前後は今でも鮮明に覚えており、本書のストーリーは当時をオーバーラップさせる。
だから余計に厄介だし、頭の中で妄想が勝手に膨らんでいく。

そんな意味ではこれまで読んだビジネス小説とは一線を画す内容。
ここに描かれているストーリーの真偽はともかく面白く読まさせてもらった。
たまにはノンフィクションを感じさせるフィクションを読んでみるのもいい。

本当にクレームがついたのかな?

映画「最高の人生の見つけ方」

う~ん、なんだろうか。

メチャクチャ優秀作品とは言い難い。
歴史に残る作品でもない。
きっと2019年日本映画ベストテンにも選ばれないだろう。

しかし、とても愛らしくステキでホロっとくるいい映画。
全編通してそれを感じさせてくれる作品。

深く考えさせるわけではない。
しかし、もっと考えなければとも思う。
自分の人生はどうあるべきか。
しかし、そこまで真剣でもない。

その程よさがこの作品の最大の魅力であり、自分の人生を問いながらも悩むまでには至らない。
まあまあそれでいいじゃないか。

本作は2007年に公開されたアメリカ映画が原案。
元の作品はジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが主役の人間ドラマ。
残念ながら僕は観ていない。
もし、この作品を観てからの鑑賞であれば別の感想を持ったかもしれない。
それがいいと言う方もいるだろう。

ただ僕はシンプルにこの作品のみでOK。
70歳過ぎのアイドル吉永小百合さんと
日本で一番カッコいい50代天海祐希さんとの共演だけで十分なのだ。

ある意味、ロードムービー的な要素はあるが、そこまで情緒的でない。
どちらかといえばファンタジーな世界。
それが死に向かう重さを吹き飛ばし、ワクワクした世界を演出する。

だからこそ観る者をシアワセに導く。
先行きの短い人にも希望を与えるステキな作品といえるだろう。
すみません・・・・。

それだけじゃない。
まだまだ先行きの長いはずの僕も人生を見つめ直す。
最後の最後に僕のやりたいことは何なのか?
間もなく寿命を迎えるとしてやり残したことはないか?
普段はいつ死んでもいいと思いながらも、死を宣告されたらしどろもどろするはず。
これもいい気づきといえるだろう。

そして、どうでもいいことをいくつか浮かんできた。
主役の二人は本当にスカイダイビングをやったのか。
本当にエジプトに行ったのか。
宇宙には間違いなく行っていないはずだが、宇宙服を着て喜んでいたのか。

本作は主役の二人が演技したのではなく、ただ楽しんでいるようにしか思えない。
だからこそ、一緒に笑えるし一緒に泣ける。
そう感じるとやっぱ映画っていいよね。

そして、思う。
こんなふうに死を迎えたらいいと・・・。

映画「ダークナイト」再び・・・

コミックシリーズの「バットマン」がこんな社会派映画なんだ。
と感じたのが最初に観た時の感想。

その昔、ジャックニコルソンがジョーカーを演じた「バットマン」も面白かったが、
こんなに病んではいなかった。
ましてや「スパイダーマン」なんて単純に痛快に楽しめる作品。
子供が小さい時は喜んで観ていた。

本作「ダークナイト」は子供とは観ていないが、
仮に一緒だったら怖くて逃げ出したんじゃないかな・・・。
しかし、このシリーズの中で僕は「ダークナイト」が一番好き。
「ダークナイトライジング」も良かったが、
こちらの方が惹かれる要素が多かった。

先日、「ジョーカー」を観て、もう1回観たい気持ちが沸々と湧いてきた。
「ジョーカー」から一週間も経たないうちにAmazonプライムで観てしまった。
こんな時のAmazonプライムは都合がいい。
「ダークナイト」は「ジョーカー」から20年後といったところか。
ゴッサムシティも高層ビルが立ち並び、ブルース・ウェインもすっかり大人。
会長だしね・・・。

20年の間にジョーカーはどんな人生を歩んできたのだろうか。
アンダーグラウンドな世界で非人道的な生き方をするうちに完全なジョーカーへ姿を変えてしまった。
以前は強者に対して、むしろ権力に対して卑劣な行動を起こしてきたが、
ダークナイトではもはやそれはどうでもいいこと。

相手を苛立たせ、怒りの矛先をこちらに向けさせるだけで快感を得る。
それがジョーカーの最大の喜び。
幼少時の体験からは反比例。

それはジョーカーに限ったことではなく、
世の中で何度も繰り返される無差別殺人も同様といえるだろう。
壊れていくジョーカーから壊れ切ったジョーカーへ。
それは至極まっとうなことなのかもしれない。
映画を思い返しながら恐怖を感じてしまった。

そんな中でのバットマン。
ここも自らとの闘い。
ジャーカーとは真逆に自己否定しながら生きなければならない。
そんなふうに映画を観るとヒーローものとかアクションものとかジャンルに置くことはできない。

だからダークナイトなんだけど・・・。
正義であろうと悪であろうとすべてに嫌われるし、すべてに愛される。
さほど差はない。

この2本の映画を観て、そんなことを感じてしまった。

職場の紛争学

決して対岸の火事ではない。
今までなんら問題は起きていないといって、今後、社内的なコンフリクトが起こらないとは限らない。
起きない方がいいに決まっているが、それに向けて対策を練っていく必要はあるだろう。

それは一体何か?
職場で起きるコンフリクト。
帯にはゆとり社員VS.バブル上司、上昇志向VS.専門志向、
「意識高い系」部下VS.実直上司、女性総合職VS.男性上司と表現。

6つの実態として職場のコンフリクトが描かれている。
事実に基づいた話なので読んでいても、もの凄くイメージできる。
きっとこんなことは多くの職場で発生しているだろう。

僕の立場だとどうしても上司側についてしまうが、
部下側の言い分が間違っているわけでもない。
わがままとか自分勝手と捉えられなくもないが、
彼らの言い分を聞くと必ずしも否定できるものではない。
それなりのロジックと説得力を持ち合わせている。
仕事に対しても真摯に臨んでいる。

では、なぜ、そんなことが起きるのか。
時代が違うから・・・。
間違ってはいないが、そんな単純なものではない。

年功序列も終身雇用も一般的にはもう過去のものとして認識されているだろう。
それは40代も50代も同じ。
あとギリギリ何とかやり過ごしたい方々も多いと思うが、頭では十分理解しているはずだ。

感情面に負うところは多い。
これまでも感情面の齟齬はあったのだろうが、場を読むとか、忖度するとか、
まあまあ、そこはそこは…とかでうやむやにしてきた。
それで何とかなってきたのが日本の企業文化だろう。

それが通用しなくなったのも事実。
組織が大きくなればなるほど個々人の価値観は異なる。
ダイバーシティが進めば当然。純粋培養はある意味理想だが、それでは企業の成長は期待できない。
そんな時代なんだろう。

本書では対立を生む出す3つの要素を紹介している。
1.条件の対立 
2.認知の対立 
3.感情の対立
詳しく紹介すると著者に叱られそうなので、、関心のある方は読んでもらえばいい。

この3つの対立をクリアするだけでも随分と関係性は変わるだろう。
特に感情の対立は起きやすいが、対策も練りやすいはず。

まずはトップの言動からかな(笑)。
できるだけみんなが信頼し合って働きやすい職場を作っていかねばならないのだから・・・。

映画「ホテル・ムンバイ」

先日、ブログに映画「ジョーカー」を今年を代表する一本と書いたが、それ以上かもしれない。
僕自身は「ジョーカー」以上に惹き込まれた。

今月は観る作品に恵まれている。
映画の持つパワーにまざまざとやられてしまった。

観ている作品によるだが、今年は特に洋画は秀作が多い。
僕にとっての当たり年。
邦画ファンとしては日本映画にもう少し頑張ってもらいたい。
見逃してる作品も多いけど・・・。
ガンバレ、ニッポン!!

つくづく僕らは歴史的事件を知らない。
それも海外の事件についてはニュースで知ってそれで終わり。
大きな関心を持つことも少ない。

本作の舞台となる2008年のインド・ムンバイ同時多発テロも
その当時、小さな関心は持ったはず。
しかし、歴史的背景や原因を確認することなく、
次から次へと起こる他の事件に話題は移っていく。
それも瞬間的に・・・。

それが日常。
何の疑問も持っていない。
しかし、映画を観ると感じる。
自分の無知を、自分の至らなさを。

ここで起きる事件は悲惨だ。
こんなことは起きてはならない。
罪のない市民、観光客が無差別にテロの餌食になっていく。

悲しくて目をそむけたくなるが、それは何の意味も持たない。
できることは反らさず正視すること。
生々しい事件を頭に叩き込むこと。

本作に登場する人物はほとんどが犠牲者。
テロの実行犯も犠牲者といえる。
映画に登場しない数少ない加害者が多くの犠牲者を生み出す世界。
それを現実と受けとめ事実を認識しなければならない。
映画はそれを教えてくれる。

実話を描く映画は多い。
そこから感動が生まれる。
演出によっては、お涙頂戴ともなるし、チープに映ることもある。

その点でも本作は優れている。
映画の冒頭から張り詰めた緊張感が続く。
それが途切れることはない。
時折、さらに緊張感を生むこともある。

自分がホテルのスタッフだったらどうする?
自分が人質だったらどうする?
どこまで冷静でいられるか・・・。
そんなことも考えてしまう。

映画の持つパワーは凄い。
この類の作品は作られ続けなければならないし、観続けなければならない。
映画は人間として大切なことも教えてくれる。

映画「ジョーカー」

平日のレイトショーにも関わらず、観客は満席に近い。
それも若い人が多かった。
感覚としては僕のような世代、
もしくは「ダークナイト」に魅せられたファンがその対象だとも思ったが、
意外とそうではないのか・・・。

隣のイマドキのカップルのイマドキの兄ちゃんは
「オレ、こうゆうの好きだよ」と大きな声で話していた。
映画館でデカい声を出すな。
早々にジョーカーに影響されたか・・・。

「ダークナイト」が公開されたのは2008年。
その当時、僕は映画コラムニストでもなく、会社の代表でもなく、
役員を降格となったただのサラリーマン。
公開時に劇場で観たのではなく、その評判を知って後日DVDを借りて観た。
だいぶ忘れてしまったがかなりの衝撃を受けたのは覚えている。

第3作の「ダークナイト ライジング」は映画コラムニストとして活躍し始めた頃なので、
しっかりと劇場で観ていた。
ゴッサムシティという架空の都市も頭の中に叩きこまれていた。

本作の舞台もこの架空の都市ゴッサムシティ。
治安は悪く人々の生活も荒んでいて絶対住みたくない街。
ここで病んでいくのも仕方ないと思われる。

しかし、この街にすがって生きていくしかない人が多いのも事実。
どんなに罵倒されようが酷い扱いを受けようが生きていくしかない。

これはいつの時代だろうか?
映画を観ながらふと考える。
1980年代?
それくらいが妥当じゃないだろうか・・・。

ストレスを癒してくれるのは煙草でありクスリであり酒。
そして、卑屈に笑うこと。
誰もがピエロを演じて、不満をぶちまける生活。
それがリアルの世界のように映し出される。
混沌とした街を覆う雰囲気が映画の魅力を後押しをする。
ゴッサムシティは実際に存在するんじゃないか・・・。
そんな錯覚にも陥る。

ある瞬間から善が善である世界から善が悪の世界へ移っていく。
主人公であるアーサーはかろうじて善を保っていた表情よりも
悪へと移行していく表情の方が断然人間らしい。
清々しく健康的ともいえるのだ。

そして、ピエロに扮し踊る姿は美しい。
自分の才能が昇華していく。
しなやかさと軽やかさ。
導かれる世界は最悪な方向なのに、不思議とハッピーエンドへ向かっていると思わせる。
この映画は喜劇であり人を幸せにするのか・・・。

観ている側までピエロになり、起きる事件を正当化してしまう。
そんな恐ろしさを発する映画。
こんな作品だからこそ絶賛されるのかもしれない。
いろんな場で注目を集める作品だが、確かに今年を代表する一本なのかもしれない。
観ておくには惜しくない。

そして、こう思う。
「ダークナイト」をも一度、観てみようと・・・。

「上級国民/下級国民」を読む

かなり話題になってる本書。
普段、ベストセラーと呼ばれる書籍を読むことはあまりないが、
(池井戸作品は別です・・・)
ちょっと気になり手に取ってみた。

橘玲氏を読むのも初めて。
てっきり女性かと思っていたが、男性だったんですね(笑)。
そのレベルの知識しか持ち合わせていないのが実情。

読後の正直な感想は「ちょっと大袈裟に言い過ぎていない?」。
確かにデータを使い説得力はあるものの、バイアスがかかってるとどうしても思ってしまう。
そんなふうに思った読者も多いじゃないだろうか。
だから叩かれることも多いんだろうけどね。

だったら読まなきゃいいかというとそういうわけではない。
若者を対象とした事業を行う者として知識は持たねばならない。

今、僕が日常で付き合う人で、ここでいわれる下級国民はいない。
それは友人、知人や会社のスタッフ、ブレーン、ユーザーとなる学生や転職希望者も含めてそう思う。
もしかしたら気づいていないだけかもしれないので、断言はできないけど・・・。
ビジネス領域で仕切るとそうなってしまう面もあると思うし。

ただ本書を読んでいると辛くなるのは事実。
日本はそんな住みにくい国なのか?
そんなに格差があるのか?
サラリーマンは会社を憎んでいるのか?
必ずしもそんなふうには思わないが、それは非現実的なのだろうか。

僕は上級国民ではない。
小さい会社とはいえ代表をやらせてもらい、一般的にみれば所得も多い部類だろう。
しかし、既得権で守られているわけでなければ、一夫多妻でもない。
いつ何時、最低の生活になるとも限らない。
常に不安と戦う生活をしている。
別の意味で”残酷な運命”を背負っているともいえるだろう。

一方で本書でいう「下級国民」でも這い上がり、
幸せな人生を送ることだってできるはずだ。
それをさも不可能なような絶望のような切り口で書かれることに違和感を感じる。
むしろ可能性を消すマイナスの行為ではないかと思ってしまう。

著者に「あんたは何にも分かっていない」と言われるかもしれないが、そんなふうに思うのだ。
そして、少しでも可能性を高めるのが僕らの事業でもあるだろう。
理想ではあるが・・・。

確かに日本のGDPの急落やエンゲージメントの低さは気になるところ。
僕が何か大きなことができるわけではない。
目の前の取り組みで少しでも関わる方をプラスの方向に持っていくだけ。

この類の書籍を読むとそんな気持ちにもなる。
それだけでも勉強になったといえる。

こういった書籍が刺激があり売れるんですね(笑)。

映画「プライベート・ウォー」

ジャーナリストは過酷な職業。
命懸けで自分の仕事を全うしていく。
本作は実話。
女性記者メリー・コルビンの半生を描いているが、彼女は命懸けを完全に通り越している。

この映画の意味を考えるとジャーナリストの役割はその実務にあるだけでなく、
亡くなった後の影響力に大きな意味があるとも言える。
戦争の悲惨さを伝えるのは現役時代だけでなく、
その役割を全うした後に本当に語られるべきかも。
本作がまさに証明している。

僕はメリー・コルビンの存在をこの映画を通して知ったわけだが、
映画を観たからこそ彼女の表現したかったことを理解した。
実話を描くのは悲しいが、十分意味のあることでもある。

その主役メリー・コルビンは激しい人物。
正義感が強く、どんな危険な場所にも飛び込み、戦争に巻き込まれることも厭わない。
そのせいで片目を失くすことになるが・・・。

一方で仕事のストレスを解消させるか如く、男に走る、酒に溺れる、ひたすら煙草を吸う。
人間は弱い。
正しく生きるだけは不可能なのだ。

その役を演じるロザムンド・パイクさんは見事。
完全にメリー・コルビン。
元々は美しい女優さんだが、それを微塵も感じさせない。

5年前の「ゴーン・ガール」は美しくも恐ろしい妻役だったが、本作は別の意味で恐ろしい。
恐ろしさを演じさせたら一番の女優さんなのかな?(笑)
「ゴーン・ガール」もほんと怖かった。
いわゆる怖い人ですね・・・。

社会派映画は僕らに多くのことを教えてくれる。
海外で起こる悲惨な出来事は瞬間瞬間、耳に入ってくるが点で伝わることがほとんど。
知識不足だけかもしれないが、点と点が繋がることは少ない。
映画は線として僕らに訴えかけてくれる。
こんな世の中にしてはいけないと・・・。
アメリカファーストの描き方がなくはないが、この事実を知り、世を問うことはかなり大切。

娯楽作品も好きだが、絶望的になるこの類の作品も好きだ。
いい映画は継続的に観るべき。
当たり前のことだが、そんなことを感じた。