これからも前向きに 名大社会長ブログ

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映画「密輸 1970」

ユニークな韓国映画が上映されるんだ…
と呑気に予告編を観ていたら監督はリュ・スンワン。
僕が2022年のナンバーワンに推した「モガディシュ 脱出までの14日間」の監督。
圧倒的に面白い映画だった。

観ない選択肢はない。
迷うことなく映画館に足を運んだ。
こうして日本映画は韓国映画の後塵を拝していく。
残念ではあるが・・・。

「モガディシュ~」は実際の事件を基に制作されたが、本作も実話を着想して作られた。
もしこれが全て本当としたら恐ろしい話。
あり得ない。

舞台は1970年代半ばの韓国の漁村クンチョン。
繰り広げられるのは海女、税関、密輸王、チンピラが密輸品を奪いあうアクション劇。

当時、韓国での女性の地位は低かったと思う。
明らかに男性中心の社会。
本作にそれを象徴するシーンはないが、それぞれの立場や振る舞いがイメージさせる。
その分、海女たちの活躍は現代社会にも繋がる面もあり爽快。

ネタバレしない程度に解説すると、
密輸品の引き上げに協力した海女が税関の摘発により逮捕される。
一人逃げ切った海女が数年後、漁村に戻り海に眠る密輸品を更に探し求めていく流れ。
悪党の中心やラストの描き方は韓国映画らしい展開。
ドキドキしながらも安心して観られる。

正統派のエンターテイメント作品。
この四つ巴の闘いは迫力もあり面白い。
地上では虐げられる海女も海中ではすこぶる強い。
チンピラなんてひとたまりもない。
そのあたりも爽快感を与えるのだろう。
そして、これはジョーズか?と思わせるシーンも・・・。

前作「モガディシュ~」は社会派ドラマの要素もあったが、本作はあえて外したように思える。
70年代のファッション、演歌とPOPSを足したような音楽、品のない店。
本来暗いであろう70年代をポップに映し出し、娯楽に徹する。
軽快なノリが重くなりがちな事件を面白くさせている。

そして主演の2人の女優がいい。
キム・ヘスとヨム・ジョンア。
2人とも50overだがとても魅力的。
余貴美子と木南晴香にソックリとどこかのレビューで読んだが、まさにそんな感じ。

密輸王クォン軍曹のチョ・インソンもカッコいい。
「モガディシュ~」の参事官もいい役だったが、本作のアクションも含めいい味。
リュ・スンワン監督のお気に入りだと思うし、世界に出ればいいのにね。

本作は青龍映画賞で最優秀作品賞など4冠を獲得したという。
この映画祭がどれほどの価値か知らないが、評価のバロメーターにはなるだろう。

日本もこの類の娯楽映画を作ってもらいたい。

映画「キングダム 大将軍の帰還」

世の中はもう夏休みか。
昨年の第3作、一昨年の第2作(1作も)は8月の夏休みのド真ん中に鑑賞。
この時期は意外と観たい作品が少なく当初は仕方なくの選択だった。

しかし、今年は公開早々に鑑賞。
キングダムファンでもないのに・・・。
映画コラムニストとしての仕事もあるが、興味を持ってしまったのか。
全巻を売り出そうとしている息子のコミックを今のうちに読んでおくか。
72巻はとてもじゃないけど読めないが(汗)。

まず僕が思ったのは、自分ももっと頑張らなきゃというどうでもいいこと。
王騎役の大沢たかおは1968年生まれ。
ほう煖役の吉川晃司は1965年生まれ。
僕は1966年生まれなので、ほぼ同世代。

極端にいえば本作はこの2人の闘いがメイン。
あの激しいバトルを見ながら、その力強さに感心した。
もちろんCG技術を駆使しての撮影や演出だが、あの身のこなしを見て、
もっと頑張れねばと思ってしまったのだ。

もうすぐ60歳じゃないか。
この作品のためにどれだけ体を鍛えたのだろう。
自分を追い込み役作りに賭ける執念は伝わってきた。
もうそれだけで観た甲斐はあったといえよう。

そして、本作の主役は間違いなく大沢たかお。
大将軍王騎のドラマ。
これは誰が観ても思うこと。
同じようなレビューも多かった。
だから敢えて語る必要もない。
その生き様や大将軍としての振舞いは本シリーズを引っ張るには十分。

きっと2024年興行トップの作品になるのだろう。
そんな作品をブログで紹介する必要はない。
あまり日の目を浴びない映画を紹介し、観客を増やすのが僕のミッションだし。
(誰も思っていないか・・・)

日本を代表する役者陣が総出演という映画に草刈正雄が重要な役どころでの登場は嬉しかった。
清野菜名もキレキレでよかった。
山本耕史があっけないのもよかった。
残念なのは長澤まさみ。
あの両脇のボディビルダーは必要ないので、彼女の時間がもっと欲しかった。

本作が本シリーズの最終章だという。
そう感じさせる面もあるが、まだまだ続編を期待させるシーンも多い。
東宝や日テレはこのドル箱をこのまま終わらせるのか。
今後の戦略も楽しみにしておきたい。
時代はいつも変わっていくしね。

ほとんど映画を語らずにブログは終わってしまった(笑)。

映画「フェラーリ」

やはり本作を観ながら「ハウス・オブ・グッチ」を思い出してしまった。
それは主役がアダム・ドライバーだからではない。
イタリアの街並みが「ハウス・オブ・グッチ」とダブったのだ。
歴史ある建物は時代が移ろうとも残す印象は変わらない。

それにしてもアダム・ドライバーは凄い。
本作ではフェラーリの創業者エンツォ・フェラーリを演じ、
一方ではグッチ経営者のマウリツィオ・グッチ。
似ても似つかない。
中年太りの体格とスラッとした紳士。
クリスチャン・ベール並みの役作り。
いやいや凄い。

クリスチャン・ベールといえば「フォードvsフェラーリ」
4年前の作品だが、痺れた作品だった。
クリスチャン・ベールはフォード側のドライバー役を演じていた。

舞台は1966年。
経営難のフェラーリを買収しようとしたフォードが物語の発端。
本作の舞台は約10年前の1957年。
この時もフェラーリは破産寸前。
ずっと経営危機なわけね・・・。

それは両作品のエンツォ・フェラーリを見れば理解できる。
経営者というよりはエンジニアでかつドライバー。
レースに勝つことが第一優先。
車の売れ行きは二の次。
だからこの尖がったマニアしか乗らない車を生産できるのだろう。

「フォードvsフェラーリ」で製作総指揮を執り本作では監督のマイケルマンは
フェラーリをリスペクトしているのか、嫌っているのか。
どうでもいいことを思ってしまう。
と本作とは関係のないことをツラツラと書いてしまった。
映画は車業界の歴史も教えてくれますね(笑)。

実話を基にした作品はより僕の気持ちを揺り動かしてくれる。
デッドヒートを繰り広げショッキングなシーンにもグラグラくるが、
経営者として何を拠りどころし、それを大切にすること。
自分を信じて貫き通してブレない生き様もそう。

このこだわりがなければ名声や名品を残すことはできない。
部外者からみれば迷惑な堅物が歴史に名を刻むことになる。
彼よりバランスのいい人やマネジメントに優れた人は山ほどいるが、太刀打ちはできない。

創業者の持つ圧倒的なパワーはファミリービジネスの強さでもあり問題点でもあるが・・・。
見方を変えれば、本作もファミリービジネスを描いた作品。
エンディングロールまで辿り着くとそう感じさせてくれる。

アダム・ドライバーもよかったが、僕が惹かれたのは奥さん役のペネロペ・クルス。
若い頃のシーンはわずかだが、その変貌ぶりには驚かされる。
環境が人の表情や性格も変えてしまうのかもしれない。
気をつけないと・・・。

個人的には楽しめた作品。
次回、友人のフェラーリに乗せてもらう時はより感謝したいね。

映画「ブリーディング・ラブ はじまりの旅」

20歳の娘と父親との家族愛を描いたロードムービー。
年頃の娘を持つ身として、惹きつけられつい観てしまった。

映画を観ながら、どうしても自分をダブらせてしまう。
本作のように娘はアルコール依存症ではない。
僕は離婚経験もなく、子供と離れ離れの生活を送ったこともない。

そんな点では180度異なる家族設定。
お互いまっとうな人生を歩んでいる。
しかし、胸に迫るものがあり、自身の行動に反省させられる面は多かった。

娘の立場からすれば父親の存在は大きい。
最も愛情を欲する時期にどこまでそれに答えることができたか。
今、振り返れば僕の愛情は足りなかったのではないだろうか。

そんな会話をしていないので事実は分からない。
本人は十分と感じているかもしれないし、
単純にウザいと思っているだけかもしれない。

何日間も2人きりで車の旅をすればそれは明かされるだろう。
助手席は互いに見つめ合うこともなく、程よい距離感。
本音を語りやすい環境になるのではないだろうか。
関係を修復しようとする父娘を眺めながら、そんなことを感じた。

本作はユアン・マクレガーと実娘のクララ・マクレガーが親子役で共演。
それが理由なのか、とてもリアル。
日常会話も喧嘩も自然。
お互い名前は明かされず、娘はパパといい、父はターボというニックネームで呼ぶ。
2人の関係において名前は必要ない。

本心を明かしたいが素直になれない時間が続くが、
途中で出会うろくでもない人たちによって距離は縮まる。
いかにもロードムービーだ。

「Bleeding Love」というタイトルのみだと濃厚なラブストーリーと勘違いする。
「はじまりの旅」とプラスすることでイメージが広がる。
そして、確かにはじまりの旅。
この父娘にとってこれが始まりといっていいだろう。
ラストシーンが象徴している。

どんな状況でも父親は娘を想い、娘もいざとなれば父親を頼る。
「あんのこと」が辛かった分、本作は救われた。
あれは母親だけど。
親のあり方が子供を幸せにも不幸にもする。

どこまでいっても親の存在は大切。
反省はしていますよ。

映画「悪は存在しない」

「ドライブ・マイ・カー」でアカデミー国際長編映画賞を受賞した
濱口監督作品となればもっと話題になっていい。
しかし、思ったほどではない。

公開される映画館も時期もまばら。
4月公開作品だが、僕は7月に近所の映画館で鑑賞。
気づかなければスルーしていた。

では、公開時から駄作扱いか。
そうではない。
本作はベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。
ヨーロッパの映画祭は派手ではなく難解な作品が選ばれる傾向もあり、
そのあたりも話題性の低い理由かもしれない。

映画を観て思った。
本作に話題性を持たせ広げるのは容易ではない。
誰しもが感動する映画ではない。
前作「ドライブ・マイ・カー」も娯楽作品ではなかったが、流れる感覚が心地よかった。

本作も流れる感覚はついて回る。
それが濱口監督の持ち味かもしれない。
ただ流れ方は大いに異なる。

心地いいと感じるかは人次第。
テーマも人によって捉え方は違う。
田舎に住む住民と都会からの新参者の価値観の違いとも受け取れるが、
もっと壮大な神や宇宙をテーマにしたとも受け取れる。

一般的には自然との共存共栄だろうが、考えてもよく分からない。
幼稚な僕は主人公の親子は人ではなく動物の生まれ変わりかと思ってしまう。
それは言い過ぎか(笑)。

前半は静かに時間は流れる。
表現を替えれば退屈な時間が流れる。
ロングショットの長回しが多用され、人の生活の覗き込む感覚に襲われる。

それがある時を境に時間の流れは早くなる。
退屈な時間はそのための伏線なのか。
ゆっくりと過ごす田舎者と時間に追われる都会人との視点の違い。

AmazonのCMにも登場する自然に興味のない社長や口だけのイケメンコンサルが象徴的。
(名前が分からず、すみません)
あれが今の時代を表しているともいえる。

客観的にみれば観客は田舎側に賛同するが、果たして自分はどっちなのか。
あんな風になりたくない社長やコンサルだったりして。
どっちつかずの状態が本作では最悪の存在になる。

上辺だけを理解しても何の意味をなさないと感じさせる。
それがラストシーンということか。
これも受け止め方によるな。
解釈はさまざま。

いえることはここに悪は存在しないということ。
いや、そうじゃない。
全てが悪かもしれない。

そこは本作を観て確認してもらいたい。

映画「ピクニック at ハンギング・ロック」

1975年に公開された作品をリバイバル上映で鑑賞。
監督や主演女優が亡くなったわけでもなく、なぜ今の時期に公開されたかは分からない。
僕が知らないだけで明確な理由は存在するのだろう。

ポスターのイメージは美しい少女を描くファンタジックな作品。
イメージ通りだったら観ることはなかった。
監督のピーター・ウィアーはこの作品で評価され、
国外でも注目を浴びたというのが観た理由。
本作をキッカケにアメリカでの活躍があるようだ。

80年代、90年代は素晴らしい作品が多い。
「刑事ジョン・ブック 目撃者」「モスキート・コースト」
「いまを生きる」「トゥルーマン・ショー」はリアルタイムで観た。
「いまを生きる」は10年前にブログにも書いた。

人間味を描くのがとても上手い監督という印象。
最近はどんな作品を撮っているのか調べてみたら、2010年で引退したという。
どおりで名前を聞かなかったわけだ。

本作の舞台は1900年。
オーストラリアの全寮制の女子学校を描く。
富裕層のお嬢様が通っていた学校とイメージできる。
当たり前だが、品がよく規則正しい生活を送っている。
ピクニックに出掛けた時に起きた謎めいた事件が中心のミステリードラマ。

ミステリーの場合、ピリピリとした緊張感を伴う事が多いが、本作はそうではない。
ほんわかとしたムードが逆に神秘的な雰囲気を醸し出す。
タイトルにもあるハンギング・ロックがカギとなるが、
オーストラリアではそんな象徴なんだろうか。
美しい少女が登るにはちょっと危険。
だから事件は起きるんだけど・・・。

最終的な解釈は観る者に委ねられている。
現実的と捉えるか、夢物語と捉えるか。
きっと観た人は少ないだろうから、語り合える場もないかな・・・。

失踪した女学生の一人のミランダはとてもチャーミング。
アン・ルイスではなくアン=ルイーズ・ランバートという女優さん。
全く知らない。
これも調べてみると1955年生まれ。
僕より11歳も年上のことに衝撃を受けた。
映画よりも衝撃度は大きかったかも(笑)。

本作は4Kレストア版のため当時に映像が鮮やかに映し出される。
歴史を感じさせるが昔の作品をこのような手法で観られるのもありがたい。
時々は以前の作品を映画館で楽しみたいね。

あの同族企業はなぜすごい

定期的にこのジャンルや読む必要がある。
もちろん自分自身の勉強のためだが、
成功例も失敗例も知っておくことで関わる方との会話も広がる。

先月からスタートした「名古屋ファミリービジネス研究会」
僕にとっては大きな学びの場。
受講者の学びが目的なのは明確だが、その場は僕にとってもありがたい。
お互い理解し合うことでリスペクトも生まれる。

同族企業における報道は未だにネガティブな面が中心。
最近でも某製薬会社や某食品メーカーが非難の対象となったり。
非難されるべき事実を受け入れるのは当然だが、
尾ひれがついて同族企業自体が悪いという認識はどうかと思う。

それは僕がこの仕事をやってきたことと仲のいい同族企業経営者が多いので思うだけ。
もし、サラリーマンのままだったら、マスコミの報道をそのまま受け止めたかも。

そのためには中立的に学ぶ面は重要。
本書はマイナス面を披露しながらも、本来持つ「本当の強さ」を明らかにする。
20社以上の事例が紹介されているが、その大半は知らない企業。
獺祭やホッピービバレッジ、ジャパネットたかた等、
頻繁に紹介される有名な企業もあるが、そうでないのがほとんど。

背景には苦労や葛藤、相当な覚悟が存在するが、それが今も成長を続ける強さの証。
順風満帆に承継されるケースは少なく、生きるか死ぬかの攻防も多い。
僕も苦労したつもりだが、きっと鼻で笑われる。

苦難を乗り越え、今、実績を上げているということ。
苦労せずスムーズに事業を営む人も知っておいた方がいい。
どこかでオーバーラップさせた方が危機管理にも繋がる。

事例が中心の本書だが、参考になるデータも多い。
日本には婿養子による経営という選択があるが、欧米や中国、韓国にはない。
婿養子は日本独自の仕組み。

付随する「バカ息子」問題も目立ちやすいが、
実際には資質のある後継者を選び業績にも反映されている。

売上高成長率からみた場合、後継者は「年齢が若い」「業務経験が短い」
「技術や経理に強い」等が成長率が高い。
一方でROAの高さからは「業界経験が長い」「技術や経理に強い」等
の場合に優位さが目立つという。
売り上げを伸ばすには若く短く、ROAを高くするには業務経験が重要。

なるほどね。
なんとなく分かる気がする。

他にも参考になるデータはあるので、次回の研究会にでもネタにするかな。
僕の周りにも知らないだけで、すごい同族企業は数多く存在する。
もっと知れる機会があるといいね。

映画「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」

予備知識はなく映画サイトの評価が高かったので観た作品。
オープニングでリバイバルかと思ったり、
いつの時代を描いた作品なのかと予備知識のなさを後悔しながら映画は進行。

70年後半?
80年代初頭?
と想像していたが、映画の途中で1970年ということが判明。
本作の解説にはしっかりと表記されていた(汗)。
当時のバラエティ番組やジムビームが2ドルで買える背景から時代は明確に。

作品とは関係ないが、主人公のハナム先生はどこでもジムビームばかり飲んでいる。
料理長のメアリーはラベルから推察するとオールドグランダッドじゃないかな。
1970年代のアメリカはバーボンが主流。
それもストレート。

ちなみに僕は20代半ばはバーボンをロックで飲んでいた。
70年代から90年代にかけてバーボンがウイスキー文化を作っていたのか。
いや、アメリカだからバーボンが普通か。
あまり飲まなくなったバーボンを急に飲みたくなってきた。
ジムビームは安く買えるし・・・。

ウイスキーの話をしたいわけではない。
映画でも重要なポジションを担うが、あくまでも脇役。

作品は主人公の教師と寄宿舎に残る学生と寄宿舎の料理長との交流を描く。
教師は生真面目で皮肉屋で生徒からも同僚からも嫌われている。
学生は両親と疎遠になりつつある。
料理長は息子を戦争で失くし落ち込む日々を送る。
そんな事情を抱えた3人がクリスマス休暇を一緒に過ごす。

どこかで観たことのあるようなストーリー。
目新しさがあるわけじゃない。
それでも毎日一緒に過ごす時間に僕らは吸い込まれていく。

反発しあっていた関係から理解し合いかけがえのない存在に。
その流れが感動的。
本音をさらせば心も通い合う。

結局は人なんだ。
1970年代であろうと2020年代だろうと関係ない。
白人であるか黒人であるか国籍も関係ない。
日本人も同じ。
互いを許しあえるかどうか。
今、危うい方向に向かっている世界も一緒。
そんな点は学ばないと・・・。

本作は今年のアカデミー賞にもノミネート。
メアリー役のダバイン・ジョイ・ランドルフは助演女優賞を受賞。
全然知らなかった。
その影響か地味な作品の割には観客も多かった。

それにしても70年代は飲酒運転も映画館でのタバコも当たり前。
おおらかな時代。
それがいいとは思わないが、いつの時代も求められるのは同じ。
こんな関係性を作れる存在でありたいね。

ドリーム・ハラスメント 「夢」で若者を追い詰める大人たち

今やハラスメントはどんなことにも当てはまる。
何かと気をつけなければならない時代。
そんな時代を嘆く人も多いだろうが、現代の常識と受け止めるしかない。

そして、こちら。
ドリーム・ハラスメント。
ここまできたかという印象もあるが、むしろ僕は共感する。

今年も大学でキャリアの授業を担当し、170名の学生が受講。
毎回、リアクションペーパーで学生の学びを理解するが、本書と被る面は多い。
多くの学生がやりたいことが決まっていなったり、やりたいことが見つからない。

それを否定するつもりはない。
学生は自分に夢がないことを卑下するが、問題ないことを伝えている。
これだけ情報が溢れ、また、生まれた時から暗いニュースばかり接してきた学生からすれば、
夢を描くのが難しいのが現実。

それを大人が理解できるかが問題。
ありがたいことに僕はキャリアの授業や就職支援を通して、その実態をみることができる。
しかし、多くの大人はそれを知らず、無責任に良かれと思い、夢を作らせようとする。

温かいエールのつもりで発している「やりたいことをやっていいよ」でさえも、
背中を押すどころか若者たちを苦しめる凶器と化している可能性がある。

本書ではそう表現している。

ファミリービジネスでは「やりたいことをやっていいよ」は期待されていないと捉えられるが、
言葉の使い方次第では相手を傷つけるのだ。
僕も20年前なら「夢に向かって努力しろ」と自分を棚に上げて言ったかもしれない。
セクハラ、パワハラと同様にこちら側がまず学ばなければならない。

ドリームハラスメントによって個性が捻じ曲げられた若者はいくつかに分かれるという。
1つ目は夢に出会える日を待ち続ける待機型。
2つ目は夢を慌ててとか無理矢理に作る即席型。
確かにそんな面はあり、それに縛られて苦しくなる。
だから、学生は自分の将来が決まっていないことをマイナスと捉えてしまう。

全ての学生を呪縛から解放してやろうとは思わないが、本書を紹介し安心材料にはしてあげたい。
僕らにできることは偶然の出会いを求めての行動や「小さなチャレンジ」を促すこと。
そのために多くのサンプルを見せること。

背中で語ることで何かを感じることもある。
本書を読み、僕とニシダで取り組む授業の方向性が誤っていないことを改めて感じた。

今週からはゲスト週間。
先輩たちに身の丈を語ってもらう。
それがきっと勇気にもなる。
そんな気持ちで若者を育てていきたいね。

映画「朽ちないサクラ」

今年は愛知県を舞台にした映画が多い。
先日の「ディア・ファミリー」は春日井市が舞台。
映像から背景をイメージさせてくれた。

本作は愛知県平井市という架空の街。
映像からどのあたりかも想像できない。
海が近い?
山が近い?
ということは三河方面?
なんて愛知県民らしい想像はするが、どこかはイメージできなかった。
作り手の策略なのか不明だが、混沌とした事件を解明するには謎が多い方がいい。

ネタバレしない程度に解説すると、杉咲演じる県警の広報職員が
親友の変死事件をキッカケに捜査に乗り出し解明していくサスペンスミステリー。
本作で県警の広報職員は警察官でないことを初めて知った。
正規社員でも警察署で働いている全てが警察官ではない。
商売柄理解しておかないと・・・。

そのため職員といえども捜査する権利はなく、自分勝手に進めていく。
それでも意外と許されるんだね。
その中から警察内の闇を暴いていくのだが、それがリアルにありそう。

パズルのようにピースをはめ、真相を追求する展開は観る側をその気にさせる。
杉咲花と同様にもしかして・・・と想像力を働かせる。
彼女のような完璧なロジックは難しいが、なんとなく読める面もあったり。
そのあたりも巧みな演出なんだろうか。

僕は小説はあまり読まない。
読んでもビジネスものか歴史ものくらいでミステリー小説はゼロ。
原作柚月裕子は僕の好きな「孤狼の血」シリーズの作家。
あのハードな世界を想像したが、そこまでではなかった。
白石監督がぶっ飛び過ぎているのか。

気になるのはその後のストーリー。
「で、どうする?」と某タクシーアプリのCMの気分になる。
事件はどこで区切るのだろうか。
観た方に感想を伺いたい。

それにしても主演杉咲花の活躍が目立つ。
この半年だけでも「市子」「52ヘルツのクジラたち」と続き、180度異なる人物を見事に演じる。
本作もほぼ出っ放し。
彼女のために制作されたと勘違いしそうだ。
当面、時代は続くかもね。

ふと、疑問に思ったこと。
やたらと社屋の屋上での密談が多い。
他の職員は屋上に行かないのか、
もしくはあれだけ行っていたら、それでバレないのかと思ってしまう。
刑事もののテッパンと解釈すればいいのか。

キーワードはサクラ。
多くの場面に登場する。
まあ、タイトル通りという話だけど・・・。