これからも前向きに 名大社会長ブログ

2022年05月の記事一覧:

名大社半生を振り返る 最終回

2016年11月に丸の内から現在の伏見にオフィスを移転した。
前回の移転は後ろ向きの移転だったが、この時は前向き。
オフィスが手狭になったこととよりアクセスのいい環境を求めての移転。
広さは倍近くになった。
家賃は倍以上になった(汗)。

この前後は会社としても好調。
2年後にはオフィススペースが手狭になり、レイアウトを変更しデスクも増やした。
40名収容できるセミナールームも作ったので、ここでセミナーを開催したり、
社内の勉強会、時にはブルーシートを敷いて飲み会も行った。

丸の内時代には円頓寺に通っていたが、伏見に移ってからはこの界隈を荒らしまくった。
(悪さをしたのではありません・・・)
どちらも大好きな街。
それだけで働く喜びが生まれた。

2019年11月に会社は設立50周年を迎えた。
会社の寿命が30年といわれる中、この地区で50年事業を継続させることができた。
親会社の倒産を経験する稀有な存在である名大社。

オーナー家でもない僕が50年の節目に立てたのは感謝すべきだが、不思議な感覚もあった。
多分、これは僕しか分からない感覚。
OBの嬉しそうな顔や参加者同士の楽しそうな会話をみながら、
責任を果たした気持ちにもなった。

自分でなければ会社はもっと成長したかもしれない。
逆に会社の存在すらなかったかもしれない。
それは誰にも分からない。

2018年度までは毎年順調に業績を伸ばしてきたが、翌年は前年割れとなった。
一つは僕が掲げた新たな営業体制が機能しなかったのが原因。
ソリューション強化は僕の独りよがりの考えだった。

そして、2020年年明けから国内に広がった新型コロナウイルス感染拡大。
この影響で大幅に業績を落とした。
非常事態宣言が発令された3月はイベント中止。
大掛かりな企画を組んでいた5月も全て中止。
売上がほぼなくなった。

6月以降、イベントは再開できたものの規模は縮小。
赤字が続いた。
採用市場も冷え込んだ。

名大社は基本的に営業会社。
人が動いて売上を形成する。
雇用調整助成金の活用も限定的。
仕事がないから休ませる、というわけにはいかなかった。
業界全体の落ち込みに比べ、イベント比率の高い名大社は半端ない落ち込み。
これまでの方針が裏目に出た。

全ては社長の責任。
当然のことだった。
新しい手は大きな力にはならず、守ることが中心だった。

2020年10月末、ホテルに一人で籠り考える時間を作った。
メンバーに対し申し訳ない決断をした。
自分自身の進退も決めた。

「中継ぎ」があまり長いのもよくない。
中継ぎ投手は打たれたら交代するのはプロの世界。
それは経営の世界でも同じ。
そんな判断をした。
それから徐々に権限を委譲し今に至る。

名大社では明日、株主総会。
その後の取締役会で正式に社長退任と新社長就任が決まり、6月1日からは新体制。
僕の12年5か月の在任期間も明日で終了。

従って、この半生ブログも社長ブログも今日が最終回。
反省は山ほどしているが悔いはない。
寂しい気持ちはあるが判断は間違っていない。
社長として幸せな時間を過ごさせてもらった。

一度きりの人生なら1回くらい社長を経験したほうがいい。
今、改めてそう思うし、若手やこれからの人に大きな声でいいたい。

社員、クライアント、経営者仲間、ブレーン、全ての方に感謝。
もちろんブログを読んでくださったみなさんも。
ありがとうございました。
そして、これからの名大社にも期待して欲しい。

 

終わり。

 

会長ブログはあるのかな・・・。

これは、アレだな

高橋源一郎氏って、いつぶりだろうか。
きっとこの30年は読んでいない。
最近も活躍されているんだね・・・。

高橋氏がメディアによく出ていた頃、ちょくちょく似ていると言われた。
教養の高さではなく単に顔が長いことが理由だが、
そんなに悪い気はしなかった。
だったらもっと読んでもいいのにね(笑)。

本書は中日新聞か日経新聞の書評欄に紹介されていて、何気に手に取った。
最近は意図的に普段読まないジャンルに果敢にチャレンジ。
そんな大袈裟なことではないが、自分の興味の範囲内だとどうしても視野が狭くなる。
たまにはそうじゃない書籍を選ぶわけだが、それも意外と難しい。

表紙もタイトルもライト。
それが手に取った理由だが、中身もライト。
著者はもっと固い作家だと思っていたが、エッセイだとかなり柔らかい。

しかし、眼のつけどころはシャープ。
昔、流行ったね、そんなCM。

著者は『「これは、アレだな」は世界を豊かにしてくれる、魔法の言葉なのである』と書いている。
むむむ・・。そうなのか。

僕は極力、アレという言葉を使わないようにしてる。
無理にでも意識をそちらにもっていかないと「アレって、アレだよね?」なんてつい出てしまう。
実家に帰り母親と会話をするとアレのオンパレード。
「お兄ちゃん、こないだアレだったんだわ」
「ちゃんとアレ、やっといてね」
とそんな会話が続く。

ずっと一緒にいれば理解できるかもしれないが、いくら親子でも分からない。
「アレじゃ、分からん。アレばかり使ってるとボケるぞ」
と脅すが、一向に治ることはない。

結構な危機感を持っているんだが、高橋氏は魔法の言葉だという。
使い方が異なるので、安易に受け止めることはしないが、
いい解釈をすればその使い方は悪くないということか。
あまり責めちゃいけないね。

本書のアレは母親の会話のように言葉が出てこないのではない。
ある事実や歴史上の出来事が別のケースと似通っている表現として、
「これは、アレだな」と使っている。
そこには高い視点と知識があり、著者ならではの解釈がある。

凡人だと気付かないが、言われてみるとなるほど!と思う。
常に何かを意識して行動しろという注意喚起なのか。

目にするものは誰かと誰かが大きく変わるわけではない。
同じような情報を得ている。
しかし、受け止め方や感じ方は大きく異なる。
何も考えなければ、そのままその情報は過ぎ去っていく。
いかに時間を無駄にしてしまってるかも反省。

「これは、アレだな」
は言葉を忘れて使うのではなく、鋭い視点で使いたいね。

名大社半生を振り返る その25

肝心なのは事業で売上を上げ利益を出すこと。
そして社員の生活を豊かにし、働きやすい環境を作ること。
それを心掛けてこの12年は仕事をしてきた。

一定年数は理想に近い環境を作ることができた。
しかし、直近の数年を見ると理想とはかけ離れた実績しか上げていない。
紛れもない事実。
決して驕ったわけでもなく自信過剰になったわけでもない。
会社は生き物。
上手くいったことが永遠に続くことはない。

名大社は採用支援、就職支援がコア事業。
それをより明確にし同業大手他社との差別化を図るためジモト色を強調。
「企業展」と慣れ親しんだ新卒イベントの名称も「ジモト就職フェア」に変えた。

それは象徴的なメッセージだが、この12年で様々なイベントを送り出した。
前社長時代は閉鎖的で他社と組むことはあり得なかった。
ノウハウが流出するリスクと捉えていた。
それは間違いなくあるだろう。
考え方として間違ってはいない。

しかし、僕は逆転の発想でそのリスクも踏まえ、積極的にアライアンスを組んだ。
スタートは名古屋商工会議所との小さな企画だったが、その後、いろんな団体と組むようになった。
名古屋証券取引所や名古屋中小企業投資育成など。

呼び捨てですみません・・・。
この後も呼び捨てで(笑)。

同業他社とコラボ企画も取り組んだ。
楽天、アスリートプランニング、デアイバ・・・。
お互いの強みを発揮することでイベントとしての成果を上げた。
特定の分野に強い同業他社と東海地区に強い名大社。
その掛け算でインパクトある仕掛けができた。

2014年のディスコとのコラボイベントを僕が社内で提案した時はさすがに反発を食らった。
地元でもガチンコで競合する同業。
そこは目的を明確にして理解を求めた。
結果としては上手くハマり実績を上げることができた。

集大成は2016年から始まった中日新聞社との共同開催。
全国有数のブロック紙であり地元を代表する企業。
新聞社として新卒事業を自社で展開していた。
営業時代はよくバッティングした。
嫁さんとの出会いもそんな縁だった(笑)。

元々、名大社は中日新聞社の広告代理店。
主従の関係でいえば明確。
そこを対等な関係でアライアンスを組んだ。

就職活動が解禁する時期にリクルート、マイナビ等大手は大掛かりなイベントを運営。
名古屋でも300社規模のイベントを開催し、ナショナルクライアントも引き連れていた。
地域特化の名大社では叶わない時期が続いた。
それが中日新聞社と組んだことにより2018年2月には225社のイベントを提供することができた。
コラボ事業が功を奏したカタチとなった。

中途事業では転職フェアに留まっていたが、
社内の勉強会から2012年にエンジニアフェアが誕生した。
今も継続するイベント。

人材紹介事業は2011年よりスタート。
言い出しっぺとして最初は僕がキャリアコンサルタントとしてキャンディデイトと面談。
企業と人のマッチングを行った。
当時は社長の肩書を隠して対応していた。
最初は見よう見まね。
今では僕よりも遥かに高いレベルで面談が行われている。

継続する事業もあれば撤退した事業もある。
前にも書いた障がい者採用向けイベントは5年で撤退。
その他にも「転職ナビ」をリニューアルし、
2011年に「転職ナビFREE」としてスタートさせたが浸透しなかった。
その後、「つなご~や」という成果報酬型サービスに切り替えたが長くは続かなかった。

細かいものを含めると他にもあるだろうが・・・。
トライ&エラーを繰り返してきたが、
結局、僕はイベントに続く柱を作れなかった。
これが後に大きなマイナスとして響くことになる。

続く・・・。

食べ物のはなし 伏見シリーズ その219

会社から伏見駅方面に向かいます。
ふと伏見通を眺めると今まで見たことのない看板が目に飛び込んできました。

「あれっ?あんな店あったっけ?」
確かに以前は上島珈琲店でした。
それがかすかな記憶では1年ほど前に閉店となり、
その後きらびやかな看板のお店がオープンしました。

「あの店はもうなくなっちゃったのか・・・」
と思い、気になってお店の前までやってきました。

よくよく眺めると以前の看板も下の方に隠れています。
店がわかりずらかったのでしょうか。
どうやら看板を張り替えリニューアルをしたようです。

わずかな期間でリニューアル。
思い切った決断ですね。
「鶏酒場シュワトリ」にお邪魔しました。

ハイボールやレモンサワーを150円で飲ませてくれます。
サクッと飲んで帰るのもいいでしょう。

ここは鶏が自慢のお店。
スピードランチメニュー、ヘルシーランチメニューといろんなランチが並びますが、
初めてなので冒険は避け、一番のおススメを注文します。

鶏のからあげランチ 730円

どこにでもあるメニューだと思いますが、
人気食べ物ブロガーは当たり前すぎてほとんど食べたことはありません。
家人の作るからあげで十分と思ったりもします。

しかし、ここはイチオシ、看板メニュー。
しっかりと味わせてもらおうじゃないですか。
からあげもかなりの迫力です。

これはそのまま食べるのかな?
と思っていると「こちらをお使いください!」と調味料が運ばれてきました。

「おー沢山、あるな・・・」
と眺めますが、どれも普通。
至ってシンプルです。
ペペロンチーノなんとかもありましたが、お昼ということもあり控えました。
マヨラーはきっとドボドボかけるんでしょうね。

こちらはご飯のお替りも自由。
若者は喜ぶでしょう。
からあげとご飯は最高の組み合わせかもしれません。
さすがに先日56歳になった身には必要はないですが・・・。

からあげで差別化するのは難しいなと思いつつ、普通に美味しく頂きました。
夜はからあげとハイボールかな。
井川遥さんようなスタッフがいると嬉しいです。

ごちそうさまでした。

映画「シン・ウルトラマン」

なぜかワクワクしながら映画館に行ってしまった。
15年ほど前、息子と一緒にウルトラマンを観に行った時はワクワクしなかったのに。
確かウルトラマンメビウスとかウルトラマンマックス。
結構、冷めた目線で観ていたと思う。

その違いは何だろうか?
本作が子供の頃に見たウルトラマンに近いせいもあるだろう。
ウルトラマンのロゴ、登場シーン、その姿かたちが当時を思い起こさせ、ワクワクさせるのか・・・。

初代ウルトラマンの放映は1966年。
僕が生まれた年。
リアルでは見ていない。
リアルで観たのは「帰ってきたウルトラマン」が最初。
初代はその前後の再放送で見たのか。

変な社会性もあり、子供ながらに理解しがたいシーンは多かった。
そりゃあ監督も実相寺昭雄氏だったりするわけだから、よく分からない。
だから「ウルトラセブン」に惹かれたのかな。
いろんな技や子飼いの怪獣も持っていたし・・・。

さて、本作。
ウルトラマンへのオマージュが強く、同世代のオジサンたちが喜ぶように仕上がっている。
長澤まさみのアップや巨大化シーンに魅了されたオジサンも多いはず。

映画としては単純であり複雑。
複雑であり単純。
政治や国際情勢を絡ませ覇権争いを狙うあたりは現代チックで複雑だが、その決断は意外と単純。
いとも簡単に総理はハンコを押してしまう。
実際、ハンコは押していないけど。

そこも過去の作品へのオマージュなのかな。
初代ウルトラマンとの違いはカラータイマーがないこと。
当時は気づかなかったが、あれはない方がいい。
ピコンピコン鳴る状態を怪獣が知れば戦いを延ばせばいい。
自分の危機を相手に親切に教えるようなもの。
その反省があって、本作は失くしなのかな?
きっと関係ないね(笑)。

僕が個人的に気に入ったのがメフィラス星人役の山本耕史。
堀北真希の旦那なのは気に食わないが、最近の演技はいい。
大河ドラマ「真田丸」の石田三成役もよかったが、「鎌倉殿の13人」の三浦義村役もいい。
義時の相談相手としての立ち振る舞いがいい。
本作でもイヤらしい役を上手く演じていた。

映画を観終わって思った。
もう一度「シン・ゴジラ」や「初代ウルトラマン」を観ようと。

いやいや、「シン・仮面ライダー」もあるぞ。
これはどうかな?
来年の公開だから、随分先だけど。

オジサンの楽しみも増やさないとね。

名大社半生を振り返る その24

昨日は56歳の誕生日。
多くの方にお祝いのメッセージを頂いた。
気づけばこんな年か・・・。

温かいお言葉、ありがとうございます。

社長になるまでの振り返りは時系列で書いていたが、
社長時代はあちこちに飛んでこちらも変則的。
日々の変化はブログにアップしてるので、ヒマな方が読んで頂ければ・・・。
この半生ブログも変則になったので、変則のまま続けます。

年々、組織もまとまりメンバーも成長してきた。
僕が何も言わなくても主体的に動いてくれるし、
僕の指示よりも的確なので、現場のことはできるだけ現場に任せることにした。

特にNEXT4と呼ばれる4名が大きく成長し活躍してくれた。
高井は「テツさんの唯一の実績はNEXT4を育てたことですね(笑)」と言っていた。
まあ、そうかもね。
口出ししないのもある意味、自分の仕事として捉えた。
物は言いようだけど。

ネットワークを広げていくと面倒なことも多いが、そこから得られる仕事も多かった。
ちょくちょくメディアで紹介されることも影響してか講演の仕事が増えた。
ラジオ番組を持ち、ここでも喋った。
(これはスポンサーとしてだけどね・・・)
大学のキャリアセンターとの信頼関係もあり、大学でのガイダンス、講演、臨時講師の依頼も増えた。

がっつり授業を行う非常勤講師も今年で5年目。
どこかの党から立候補しても経歴詐称にはならない(笑)。
自分が学生に何かを教えるなんて、昔はこれっぽちも考えなかったが、
いざ登壇すると遣り甲斐も出たり・・・。

自治体や金融機関からも依頼があり、ピーク時は年40本ほど講演した。
多い時は1000名規模、遠い場所は四国・愛媛での講演も頂けた。
テキトーなことをテキトーに話すのが得意なので、
聴く方によっては「ふざけるな!」と思われるかもしれないが、
今のところ、クレームは届いていない。

自分が何屋さんか分からなくなる時もあったが、広告塔の役割として有難く依頼を受けた。
たまに専門外の依頼もあったが、基本お断りすることはなかった。
テキトーな話でも会社の信用は失くさないように努めた。
そんな形で会社に貢献したつもりだが、自分で勝手に思っているだけかもしれない。

社内環境も以前に比べれば大きく変わった。
とはいえ、ようやく一般企業に追いついただけだろう。
就業規則から始まり、新たな経営理念を掲げ、クレドの作成も全員で行った。
賃金体系や人事評価制度も見直した。

CRMも導入し営業管理の見える化も行った。
当初はセールスフォースを言われるがまま使用していたが、
徐々に社内でも運用できるようになり、今は別のCRMをクラウド上で管理。
若手にとっては当たり前の業務フローだが、10年前と比較すると雲泥の差。
それも内務の神谷はじめ優秀なメンバーがPDCAを回し続けてくれたおかげ。

僕は所詮営業マン。
外部に対して仕掛けや交渉はするが、内部の細かいことは得意ではない。
思い切って任せた方がいいし、知ったかぶりをしたところでボロが出るだけ。
そうした積み重ねで社内体制が出来上がり、今も常に見直しが行われている。

社内体制で忘れてならないことをもう一つ。
2014年9月よりスタッフブログを始めた。
大半のメンバーは嫌がり、スタート時は反発を食らった。

一人ひとりの顔を見せること、
世の中に関心を持ち表現力を身に付けること、
社内のコミュニケーションを活発にすることを目的としたが、
最初はあまり理解されなかった。
僕の趣味の範疇と捉えていた者が多かった。

月に1番”いいね!”を獲得したメンバーにブログ賞として朝礼で表彰。
ヤル気を喚起した。
クライアントからの反響もあり評価も高かった。
力を入れる者とそうでない者が明確になるのもこのブログ。
それも面白かった。

ただ同じことを繰り返すだけではマンネリ化するし惰性にもなる。
次のアクションのために今年3月でスタッフブログは休止。
今後の展開は僕自身が楽しみにしておきたい。

さて、次回は本業の振り返りかな。
だんだん締め方が難しくなってきた(笑)。

続く・・・。

映画「はちどり」

2年前に日本で公開された作品。
その時、本作の存在は知らなかった。
キネマ旬報外国映画ベストテンで2位のランクインで知っただけ。
映画コラムニストとしてはまだ勉強不足。

この年話題になったのは「パラサイト半地下の家族」
キネ旬でも1位だったし、アカデミー賞作品賞も獲得。
最も話題になった韓国映画だった。

その陰に隠れていたのが本作。
この年は韓国映画の当たり年だった。
日本映画も負けちゃいられないね。

それ以来、気になっていたが最近、ようやくAmazonプライムで鑑賞。
舞台は1994年、韓国ソウル。
今から28年前。
そうか、僕が結婚した年じゃないか・・・。

どんな年だっけ?
アメリカでW杯が開催され、
北朝鮮のキム・イルソン主席が亡くなり、
ソウルで大惨事が起きた。

それは僕が思い出したのではなく、映画の中で描かれる世界。
急に現実感が出てくる。
その時代の韓国の状況を僕は知らないが、描かれる世界はリアル。

男尊女卑。
明らかに扱いが違う。
モーレツな学歴社会。
ソウル大学を目指すことがエリートへの第一歩。
エリートになることが全て。
そうならないと豊かさを手に入れることはできない。

決して大げさではなく、当時をストレートに描いているのだろう。
日本人として違和感を感じるが、
28年前の日本だって、今と比較すればその働き方は違和感を感じる。
時代は少しずつ変化し、気づいた時はまるで違う世界になっているのだ。

それを14歳の少女の視線で捉える。
その視線は至極真っ当であるが、
(冷静にみれば・・・)
周囲の大人たちは理解できない。

とっても可愛い子だが不良扱いされ、
それに抗うかの行動もしてしまう。
誰しもが歩んだ道にも思える。
日本でもこの類の映画ってあったんじゃないかな・・・。

より繊細に描いている分、評価も高い。
その視線は50代の僕でさえ共感する。
爆発は青春の証だ。
ドンドン!

主役ウニを演じるのはパク・ジフ。
100%初めて知る女優だが、とても可愛らしい。
見方を変えれば彼女のアイドル作品。
そんな雰囲気もあったり。
いや、ちょっと違うか。

韓国はおかずは箸で食べるが、ご飯はスプーンで食べるのが一般的?
どうでもいいところが気になってしまった。

韓国映画、頑張るね。
日本映画も負けてはいられないね。

名大社半生を振り返る その23

本来、このブログは来週月曜日。
半生ブログは月末が最終回なので、計算するとあと2回。
どうしようもなく頭の回転が悪いが、とてもじゃないが、あと2回では終わらない。
え~っと、あれとこれと書くと何とか4回で終わる?
というわけで今回より週2回アップします(汗)。

「出会いは人生の宝」
これはユニー創業者故西川俊男氏主宰の経営塾「西川塾」で教えて頂いた言葉。
今も大切にする言葉だが、まさに僕はこの通り。

営業時代はクライアントや小さなコミュニティで出会いがあったが、
経営者になってからは多くの出会いが僕の宝となった。
社長時代を振り返っても大した実績は残していない気もするが、
自ら求めていった出会いは会社にとっても大きな財産なはず。

僕は食べ物も飲み物も好き嫌いはない。
人においても同様。
好き嫌いも得意不得意もない。
誰とでも普通にお付き合いすることができる。
その分、強烈な個性もなければインパクトもない。

以前、沢木耕太郎氏が山田洋次監督の作品について書いていた。
「個性がないのが個性」
ある意味、僕もそれに近い。
そうはいってもお互い合わない人はいるので、そんな人は自然淘汰された。

自ら出向いたのは経営者関係ばかりではなく、別の方面にも頻繁に顔を出した。
2010年、2011年はtwitterやfacebookなどのSNSが一気に伸びた時期。
そんなコミュニティやイベントがあると興味本位で顔を出した。

名大社の名刺を出すと結構、驚かれた。
「えっ、そんな立派な人かこんな会に来るの?」
そんな思われ方だった。

有難いことに会社の認知度はあったため、どこかの偉い社長さんと思われていた。
「いえいえ、ただのハナタレ社長です」
と真実を伝えても、
「いやいや、また謙遜して・・・」
と相手が勝手に勘違いしていた。
世間とのギャップに苦しむこともあったが、上手く利用すればいいことだった。

2010年度はわずかな赤字だったが、そこからは景気回復も伴い順調に業績を伸ばすことができた。
11年度以降は8年間は平均118%の売上成長率を維持。
過去の大きな落ち込みも乗り越えることができた。

それは僕自身の力はほとんどなく全員の力で成し遂げたこと。
グッドサイクルが回るとはそんな状況。
目の前の行動だけでは分からないが、後から冷静に判断するとそんなことがいえる。

僕はテキトーなようにみえて意外と厳しい。
規律やルールを重んじ、それを外すと許さない面もある。
今の時代にはそぐわないが、それが一定の緊張感を生み組織も上手く機能した。
緩い時は緩いが、基本は規律を大切にした。

2012年あたりからは賞与時期や年度末には一人1時間ほど個人面談も実施。
それくらいの規模感だからこそ可能だった。

その時期に前社長からの解任要求があり、以前の役員が会社に乗り込んできたが、
その頃は自分でも自信がつき始めていた。
何事もなく終えることができた。

会社も順調に伸びてきたので、2013年には久々に社員旅行に行った。
全員で2泊3日の沖縄。
海外旅行と比較すればショボいが、全員で楽しい時間を過ごすことができたのが嬉しかった。
それ以降、1年おきに九州(大分、福岡)、九州(宮崎、鹿児島)にも出掛けた。
その間は研修旅行として近江八幡や豊橋にも出掛けた。
それも僕の知り合いに学びを提供してもらう場。
出会いは人生の宝だね。

社長就任2年目からの忘年会は社員だけでなくブレーンや媒体者を招いて開催。
年々、規模も大きくなった。
賑やかな場を作り全員で盛り上げることもできた。

そんな機会が今は全くない。
それは寂しいことだけど。

続く・・・。

食べ物のはなし 伏見シリーズ その218

この日の前日は深酒でした。
コロナ以前の飲み会は当たり前のように2軒ほど梯子していましたが、
コロナになってからは1軒で帰るケースがほとんどです。

そもそも飲みにすら行けない期間が長かったので、
体力は相当落ちているでしょう。
つい調子よく飲んでしまうのと翌日がしんどかったりもします。

そんな日には何故か麺類が食べたくなります。
担々麺とか、唐辛子たっぷりの味噌煮込みうどんとか刺激に強い麺類に惹かれます。

会社を出て長者町方面に向かいます。
そこに構える「龍美」さんに行ってきました。

店構えはこの界隈によく存在する中華料理屋さん。
大陸系の雰囲気も感じさせます。

ランチメニューを眺めると「名古屋中華お得ランチ」と表示されています。
いつの頃か台湾ラーメンは名古屋飯となり、
れっきとした名古屋中華として売り出されています。
そういえばGW中にもあるTV番組でラーメン特集があり、
そこでモーレツに注文される台湾ラーメンが紹介されていました。

その記憶が頭の隅に残っていたのでしょう。
「すいません、台湾ラーメンと炒飯とセットで・・・」
「わかりましたー」
オーダーを取ると女性スタッフはそそくさと厨房に向かいます。

さてここのウリはなんだろうな・・・とメニューをパラパラめくっていると、
「お待たせしましたー」
あっという間にセットが運ばれてきました。
先週の吉野家さんよりも早いくらい。
牛丼よりは遅いが、親子丼よりは確実に早い提供じゃないでしょうか。

麺・飯セット 800円

台湾ラーメンも炒飯もシンプル。
先日、紹介されていた某有名店の台湾ラーメンは
かなり辛くニンニクも効いていますが、こちらはそうではありません。
マスクをしていれば匂いも気になりません。

炒飯もゴロッとした焼豚は入っているものの、あとは少々の玉子とネギ。
実にシンプルです。
最近はセット物のボリュームがキツくなってきましたが、
こちらはそこまでの量ではないので程よくお腹は満たされます。
セットとしては十分でしょう。

これも名古屋飯。
仕事がなければもっと刺激の強い台湾ラーメンを食べたいですね。

ごちそうさまでした。

満足度高くてよかった。名古屋ファミリービジネス研究会 記念セミナー

先週10日は名古屋ファミリービジネス研究会の記念セミナー。
おかげさまでこの研究会も6年目を迎えた。

スピーカーは株式会社オーダースーツSADAの佐田社長。
昨年もお招きしたのだが、大変好評だったので今回も協力いただくことに。

タイトルは前回同様「迷ったら茨の道を行け」
リアルとオンラインのハイブリットでの開催。
リアル参加は満員御礼。
会場となる名大社セミナールームは賑やかな雰囲気。

冒頭はいつものように僕がアイスブレイク的にFBネタをテキトーに喋る。
ネタにしたのは映画「ハウス・オブ・グッチ」。

ここは映画コラムニストの力も発揮したわけだが、
ジェノグラムを作成しグッチ家の崩壊について語った。
10分では足りないので、続きは第6回名古屋ファミリービジネス研究会で話をすることに。
ちょっとサギっぽい(笑)。

そして、メインの佐田社長の講演。
これが熱い。

当初1時間10分の講演後、質疑応答の予定だったが、その時間はなし。
佐田社長の熱のこもった話しぶりに圧倒され、気づいた時には終了10分前になっていた。

きっとオンラインの方も感じたはず。
時間にして1時間40分。
長さを感じることはなく、あっという間の時間。

自社の事業の発展のために自ら広告塔となり、
スーツで富士山に登ったり、フルマラソンを走ったり、スキージャンプをしたり・・・。
最初は冷たかったマスコミに取り上げられるようになり、
今では数多くの番組にも出演。

派手なパフォーマンスを発揮する佐田社長の背景には家業の苦労があるからこそ。
同族企業4代目経営者として家業を立て直し、ここまで辿り着いた。
父親との葛藤は身に染みる話。
何度聞いても参考になるし、後継者として忘れてはいけない内容。

思ったことは即行動に移さなければ後で後悔する。
誰もが分かっていながらできない。
それを佐田社長は実践し続けることで実績を上げてきた。
やっぱ、唸ってしまうね。

セミナーの閉会は事務局の株式会社サンコー櫻山社長。

第6回名古屋ファミリービジネス研究会をリピーターの方にも手伝ってもらい案内。
功を奏したのか、新しい方からすぐに申し込みも頂いた。

この会はこれでは終わらない。
定番の懇親会。
なんとリアル参加者のほとんどが出席。
懇親会目的じゃないかと思ってしまうほど(笑)。

ここでは佐田社長を囲み親睦を深めた。
質疑応答がなかった分、懇親会での話も尽きることはなかった。
みんな笑顔で会社や仕事ネタで酒を酌み交わす。
深刻になることはなく明るく楽しく辛い話もする。

その雰囲気がたまらなくいい。
最後は静かに名古屋ナモ締め。
主催者の一人としてとても喜ばしい場であった。

セミナーでは7月からスタートする第6回名古屋ファミリービジネス研究会の宣伝もさせてもらった。
すでに申込み済みの方も多いが、現在受講者を募集中。
興味のある方はぜひ、こちらのページを覗いてもらいたい。

佐田社長、参加頂いたみなさま、ありがとうございました。