高橋源一郎氏って、いつぶりだろうか。
きっとこの30年は読んでいない。
最近も活躍されているんだね・・・。

高橋氏がメディアによく出ていた頃、ちょくちょく似ていると言われた。
教養の高さではなく単に顔が長いことが理由だが、
そんなに悪い気はしなかった。
だったらもっと読んでもいいのにね(笑)。

本書は中日新聞か日経新聞の書評欄に紹介されていて、何気に手に取った。
最近は意図的に普段読まないジャンルに果敢にチャレンジ。
そんな大袈裟なことではないが、自分の興味の範囲内だとどうしても視野が狭くなる。
たまにはそうじゃない書籍を選ぶわけだが、それも意外と難しい。

表紙もタイトルもライト。
それが手に取った理由だが、中身もライト。
著者はもっと固い作家だと思っていたが、エッセイだとかなり柔らかい。

しかし、眼のつけどころはシャープ。
昔、流行ったね、そんなCM。

著者は『「これは、アレだな」は世界を豊かにしてくれる、魔法の言葉なのである』と書いている。
むむむ・・。そうなのか。

僕は極力、アレという言葉を使わないようにしてる。
無理にでも意識をそちらにもっていかないと「アレって、アレだよね?」なんてつい出てしまう。
実家に帰り母親と会話をするとアレのオンパレード。
「お兄ちゃん、こないだアレだったんだわ」
「ちゃんとアレ、やっといてね」
とそんな会話が続く。

ずっと一緒にいれば理解できるかもしれないが、いくら親子でも分からない。
「アレじゃ、分からん。アレばかり使ってるとボケるぞ」
と脅すが、一向に治ることはない。

結構な危機感を持っているんだが、高橋氏は魔法の言葉だという。
使い方が異なるので、安易に受け止めることはしないが、
いい解釈をすればその使い方は悪くないということか。
あまり責めちゃいけないね。

本書のアレは母親の会話のように言葉が出てこないのではない。
ある事実や歴史上の出来事が別のケースと似通っている表現として、
「これは、アレだな」と使っている。
そこには高い視点と知識があり、著者ならではの解釈がある。

凡人だと気付かないが、言われてみるとなるほど!と思う。
常に何かを意識して行動しろという注意喚起なのか。

目にするものは誰かと誰かが大きく変わるわけではない。
同じような情報を得ている。
しかし、受け止め方や感じ方は大きく異なる。
何も考えなければ、そのままその情報は過ぎ去っていく。
いかに時間を無駄にしてしまってるかも反省。

「これは、アレだな」
は言葉を忘れて使うのではなく、鋭い視点で使いたいね。