これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

人生を面白くする本物の教養

honmono1601

著者の出口さんとは過去2回お会いし、話をさせていただいた。
1回目は約2年前の「中部経営塾」。
この時もブログに書かせてもらったが、人としての器の大きさとサービス精神には感動した。
リーダーシップの在り方も・・・。
僕の後継者の選び方の質問にも明快な回答を頂けた。

もう1回はその3ヵ月後に行われた世界史の勉強会。
その造詣の深さにも感動を覚えた。
この時のブログでも自分の知識不足を嘆いていた。

あれから1年半以上、経過し、
自分の知識不足は少しは解消したかと思いきや、全く変わらない。
本書の読んで、自分の学のなさに改めて愕然とした。
過去のブログを読み直し、自分の成長のなさに改めて辟易した。

本書の帯には
「本を読み、人に会い、旅をする。そして、自分の頭で考え抜く。」
と書かれている。
何も特別なことではない。頭では理解していること。

しかし、その文言をそのまま行動に変えられている姿を見るとひるんでしまう。
決して簡単なことではないのだ。
本を読んでいるつもりでも、人に会っているつもりでも、
教養に落とし込むまでには至っていない。
その場の満足感に浸りきっている。
それが悪いことではないだろうが、出口氏に言わせれば
「キミは何をチンタラやっているのだ!」と叱られそうだ。

「数字・ファクト・ロジック」で語ることと
イデオロギーや感情論の「国語」で語ることは大いに異なる。
それが誰に対して、どう議論するのかでも教養を問われる。
価値観が一致するとか、共感するだけでは成立しないことは多いはず。
まだまだ僕自身の経験値が足りないのも間違いないし・・・。

旅行もただポカ~ンと口を開けて、のんびりしているだけでは意味がないのだろう。
そこでも歴史を学び、町を知ることが求められる。
どうやらやることはいっぱいだし、49歳でも50歳でも関係ないようだ。

いまのままでは物足りなさすぎ。
もっともっと教養を積む努力をせねば・・・。
反省は続く・・・。うむ。

「経営の教科書」を改めて・・・。

この休暇中、新将命氏の「経営の教科書」を改めて読んだ。

keiei1612

初めて読んだのが約6年前。トップを任されて間もない頃だった。
その当時、始めたばかりのブログにも書いたのだが、今読み返してみると感じ方がかなり異なる。

曲がりなりにも6年間、会社を任されてきて自分なりに学んできたことも多かったのだと思う。
当時はどちらかと言えば気づきばかりだったが、今回は共感に変わっている点が数多く見られたからだ。
数多く見られたからといって、実行できているとは限らない。
できている点もあればそうでない点もある。

むしろまだまだ足りないのが実態。
だからこそ、改めて読んで学ぶ必要がある。
やはりここに書かれているのは原理原則。

リーマンショック後の厳しい環境下の書籍であっても本質は変わらない。
今読んでも色褪せることはないし、再度意識しなければならない点、
すっかり抜け落ちている点、多少なりとも及第点を与えられている点が再認識できた。
新氏は特別難しいことを語っているわけではない。
すべて自分で編み出したノウハウや考えではない。
松下幸之助氏やドラッカー氏の引用も多い。
経営の原理原則をすべて自分自身の考えで持って、書き上げることは難しい。

多くの方からいい影響を受け、それを実践するうちに自分のスタイルに落とし込んでいるに過ぎない。
新氏もその一人で、常に学ぶ姿勢を持ち続けているということ。
最初に読んだ時はそこまで感じなかったが、その積み重ねが一流の経営者として証明されている。
自分に驕ることのない人間性を含め、時代の変化を読みながら形作ってきた結果だと思う。
だとすれば、僕のような低いレベルは一年に1回くらいは読み返す必要がある。

事業の倫理観、自分のあるべき姿、社員への仕事の任せ方、
ロジックと感情の関係性など、改めて重要性を感じさせてもらった。
出来ている面はさらに活かし、出来ていない面は修正していく。

シンプルだけどそれを繰り返しをしていけば、会社は上手く機能するはず。
凡事徹底、当たり前のことを継続すれば、会社を存続させるのはそんなに難しいことではない。
社会に対しての目的をはっきりさせればいいこと。

大切なのは原理原則。
そこはどんなに調子がよかろうが忘れてはならない。
そんな意識を持つ一年にしていきたい。

「孤独のグルメ」を読む

会社帰りに名古屋駅のジュンク堂書店に立ち寄った。
大型店にしかないだろうという書籍を探すためにお邪魔したのだが、
目的の書籍の在庫は残念ながらなかった。
「さて、どうするかな・・・」
と各売り場を眺めていると目に飛び込んできたのがこの書籍。

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衝動的に購入してしまった。
マンガを買うなんて何時以来だろう。思い出せないくらい昔のこと。
「TVも終わってしまったし、食べ物ブログの参考書にでもするか。」
と前向きな解釈をして、早速、読むことにした。

「井之頭氏の印象はTVとはずいぶん違うなあ~。」というのが読み終えた感想。
原作には昔付き合っていた彼女も登場するし、お店で店主やお客さんとケンカもする。
このケンカは全うな理由で井之頭氏の肩を持ちたくなる。正義だ。
そして、圧倒的な強さ。こんな人物像なんだ・・・。

食べ物ブログの師匠がブログネタで、「孤独のグルメ」のアプリとやらを使いイラストが登場する。
そこには「はふ、はふ、うおォン、俺はまるで人間火力発電所だ。」
というセリフが出てくる。

あっ、そうそう。
先日、師匠と飲んだ時にこの表現に対して叱責を受けた。
「キミのブログはうおん、うおんとなっている。
正式にはうおォンだ。まるでダメじゃないか!」
確かに原作も”うおォン”という表現。
師匠、すいませんでした・・・。

話は逸れたが、人間火力発電所って、
いろんなシーンで使われているのかと思っていたが、2巻の中で一か所しか出てこない。
焼肉屋さんでの食事の場面だけだ。
なんだか師匠のブログに騙された感じで、僕のブログにも何度となく使ってしまったことは大いに反省。
これからはその表現を控えるようにしたい(笑)。
「いいぞ、いいぞ~」とか、「なんだか凄いことになっちゃったぞ。」
はあちこちに登場するので、安心して引用できそうだ。

TVシリーズはseason5しか見ていないので、
何とも言えないが原作に出てくるお店はTVには全く出ないのではないか。
そもそも原作の世界は実在するお店なのか架空のお店なのか、わからない。
すべてが美味しいお店ではなかったりするし・・・。
何も考えずに単純に楽しめばいい。

リビングで読んでいたら、息子が手に取って言った。
「マンガで920円、高っ。こんなの読んで何の意味があるの?」
「いや、それは・・・」
答えることができなかった。

何の意味があるのか。
誰か教えてほしい・・・。

追いかけるな

oi1512

このシリーズを読んでいると人として大切なことを思いださせてくれる。
僕の毎日は会社が中心に回っていて、何よりも最優先である。
それは間違っていないし、そうすべきだと思っている。
しかし、そんな毎日を過ごしていると肝心なものを失くしていくような気もしている。

決して儲けることばかり考えているわけではないが、
どうすれば会社は成長するのか、人を育てるには何をすべきか、
どんな戦略がこれからは必要になってくるのか、そんな事ばかり考えている。
それは常に何かを追いかけている状態ともいえるだろう。

本書の帯にも
”追いかけるから、苦しくなる。
追いかけるから、負ける。
追いかけるから、捨てられる。
人はすべて、一人で生まれ、一人で去っていく生き物である。
失ったものは帰ってこない。”

当たり前のことだが、言われないと忘れ去り、気づかないまま過ごす毎日となってしまう。
資本の論理からかけ外れ、自由気ままに生きているように見える著者だが、
生きる上での責任は常に持ち合わせ、周りに向き合っている。
視点もはるかに高い。
ビジネス以外の大切なものを教えてもらっているような感覚。
だからこそ体が欲して、このシリーズに手が伸びてしまうのだろう。

本書の中に
“便利なものには毒がある。手間がかかるものには良薬が隠されている。”
という一文がある。
何かと便利な生活を求める身に対してのまっとうな考えだ。
肝にも銘じなければならない。

著者とお酒を酌み交わす機会はないだろうが、
(当たり前です。あると嬉しいけど・・・)
もし、そんなシーンがあったりするときっと言われるだろう。

「男が美味いとか、なかなかやるじゃないかとか、言うんじゃない。おまえはバカか!」
ありがたく説教も受けてみたい。
「あれは役割でやっているだけなんです・・・。」
「おまえはバカか、男は言い訳しないものだ。」
と一蹴されるだろうけど・・・。

「日本を壊す政商」を読む

paso1512

日経新聞の書籍広告を見て、ミーハー的に購入してしまった。
書籍の帯には
”安倍総理の政策ブレーンにして、ASKAと愛人が出会った秘密パーティの主催者・・・。”
とやや過激に書かれている。

実際にパソナの南部さんには一度もお会いしたことなければ、雲の上の存在でしかない。
パソナグループの社長との面識はあっても、そのグループと代表とは別次元の話。
本書に書かれていることがすべて真実かどうかはわからない。
確かに国の助成金をことごとく入札で落とし、ごっそり持っていく手腕はここに描かれている背景がある
と想像できるが、まるでドラマのような世界は本当に実現するのだろうか。

それは半径10km以内で世の中を見ている僕の視野の狭さを物語っているだけかもしれないが、
実際、全く他人事の世界でしかない。
著者は南部氏をどちらかと言えば否定的に書いているが、トップ企業の座を確保しようとすれば、
少なからずこのような政治的な才能が求められるのであろう。
その時点で僕の描ける事業領域は決まってしまっているのかも・・・。
う~ん、それは仕方のないことですね、残念だけど(苦笑)。

しかし、一方でこの手の書籍を読むことで、事業を推進していくためには経営手腕だけでなく、
別の能力を求められる必要があるとも感じる。
それはここに書かれているように秘密の場所でパーティーを繰り返すとか、
落選した議員を囲って恩義を売るということではない。

人とのネットワークを大切にするにしても、もっと打算的な付き合い方をしなければならない。
お金の使い方をしなければならないということ。
その点でいえば僕は全くの未熟者で、もっと計算高くならなければならない。
実現可能性が高いかはともかく、もっといろんな橋を渡れという話ですね。
円頓寺あたりに秘密のパーティールームでも作ってみるかな。
冗談はともかく、政・官・民の間にはそんなことがうごめき合っているみたいだ。

誰しも表の顔と裏の顔を持っているのかもしれない。
自分がその存在になれないとしても、それで世の中が成り立っていることの現実を理解し、
その中で戦えるだけの人間力を養うことは必要ありそうだ。

いい意味でも悪い意味でも参考になった一冊。
勉強させてもらいました。

映画「杉原千畝 スギハラチウネ」

sugi1512

杉原千畝氏の存在を少なくとも30歳くらいまでは知らなかった。
それは知識不足もあるだろうが、
僕が日本史を学んでいた時代には登場したことはなかったはずだ。
見方を変えれば、ルールを破り自分勝手な行動をした官僚。
認められるべき存在ではないだろう。

きっと海外からの称賛の声にやむを得ず、
その実績を称えた面もあるのではないだろうか。
もう周知のことかもしれなけど・・・。
本来であれば、もっと早い段階で映画化されてもよさそうなものだが、
そんな理由もあるのかと素人ながら思ってしまう。

僕が映画を観た理由も単純。
あえて国の方針に異を唱え、
自らの考えを通した方の生き様はどんなもんだろうという興味。
その時代の日本の置かれた状況を確認する意味もあるが、それほど深い理由はなかった。
観た感想はなるほど~というもの。
観ておくべき映画だとは思う。

150分という長さは妥当だが、
すべてを描き切れたかと言えばそうではないようにも思える。
もう少し人物像を落とし込んでいけると、
よりその想いがこちらにも伝わったのではないだろうか。
そのあたりはもったいない。
せっかくなら日本人監督にこの映画を撮ってもらいたかった。
日本と関わりの深いチェリン・グラック監督の方が
客観的な視点を持ち合わせているかもしれないが・・・。

流れる音楽はどうも聞き覚えがあるように感じた。
ドラマ「ハゲタカ」の音楽に似ていたのだ。エンドロールで理由が明らかになった。
共に佐藤直紀氏が担当されている。近い音楽になることは当然こと。
これもよかった。久々に「ハゲタカ」が観たくなった。

そして、奥さん役の小雪。
役作りなのか、子供を産んだせいなのか、
以前より、ちょっとふっくらしたような・・・。
余計なお世話ですね(笑)。

まだまだ日本映画には題材にすべき実話は多い。
映画を通して、もっと勉強したいものだ。

「新しい道徳」を読む

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もしかしたら物事の本質をついているのかもしれない。
普段、何げなく生活し良し悪しを考えずに過ごすことも多い。
それはいい事、悪い事を考えないのではなく、
これまでの常識に沿った行動をしているだけで、自分なりの正解は持っている。
それは過去から植えつけられた価値観でもあるかもしれない。

自分自身でも自分の中にある価値観が古いと感じたり、他人と異なると思うことは、しばしば。
今のところ、それを押し付けるような行為はしないし、否定するような発言もしない。
厳密にいえば、酔っぱらって議論する時は引っ張られている気はする。
それで何度かケンカしたのも事実だし・・・。
やっぱ、ありますね(苦笑)。
そこも含めて道徳と言えるのかもしれない。

本書を読んで改めて思ったのは、「道徳」と「良心」はどう違うか、
「道徳」と「倫理」はどう違うかということ。
「良心」や「倫理」は道徳に当てはまるかもしれないが逆はどうだろうか。
道徳には個人差はないように思われるが、良心や倫理は個人に委ねることは大きいように思う。
だとしたら、どちらを大切にしていけばいいのだろうか。
日常ではそんなことを考える機会はまるでないが、本書のおかげでそれを意識することができた。

やはり北野武氏は天才なのか。
デジタルやインターネットに対する考え方には奥の深さを感じた。
ネットは個人を自由にするものではなく、国全体や地球規模で管理されること、
ネットで手軽に知識を得てもそれは手軽な知識でしかないということ。
ウィキペディアで簡単に調べるが、すぐに忘れてしまう僕自身もそう。
深さがない。反省である。

結局は自分自身の考え、自分自身で正しい答えを出していかないと
最後の最後に自己を確立することはできない。
本書でそんなことを教えてもらったような気がした。

No.1トヨタ7つの仕事魂

toyota15111

著者の志賀内さんはやはりトヨタの回し者ではないかと思ってしまう(笑)。
前作「レクサス星が丘の奇跡」もレクサス星が丘店のいい宣伝になっていたし・・・。
あれのせいで僕もお店の前を通る時はかなり気にしているし、
レクサスを買おうかなんて本気で考えたりした。
実際にそんな読者もいたんじゃないだろうか。

本書ではトヨタ・スピリッツともいうべき5章7つのエピソードについて書かれている。
僕らが普段の生活では知る由もない開発の裏側だったり、
新規事業への挑戦だったり、顧客満足を追求する営業手法だったりと、
トヨタの魅力あふれる苦労話があちこちに溢れている。

カーナビが1980年代後半からあったなんて全然知らなかった。
その画像は今から思えばちゃっちくて仕方ないが、
世の中に初めて何かを生み出す瞬間はきっとそんなことだろうと思わせる。

その技術があったからこそ、より便利で使いやすい製品へと進化していく。
同じようなことをドラマ「下町ロケット」で佃社長が裁判所で訴えかけていたような気がするな(笑)。
今話題になっている「MIRAI」にしても超文系人間の僕には理解しがたい面は多いが、
その情熱だけはヒシヒシと伝わってくるし、仕事への魂を感じる。
(タイトルそのまんまですね・・・笑)。

そんな中で僕が一番響いたのはレクサスNo.1セールスマンの章。
営業出身だから共感できる面も多いし、自社へオーバーラップさせることもできる。
ここに書かれてあることを早速社内にも取り入れようとも考えている。
目新しいことが書かれているわけではないが、
「当たり前」のことを徹底して行うことが顧客満足に繋がり、結果として売り上げも伸びていく。
凡事徹底なんだよね。
もっと足元を見て全員が仕事をしていかないといけないことを痛感。
僕がそれだけではダメだけどね(笑)。

僕が本書の中でもう一つ響いたこと。
三年に一度、全社員を海外旅行に連れて行ったんですが、
たまたま、その年にリーマンショックが起きてしまいました。
六割減産です。部長会で「海外旅行は取りやめにしよう」と決まって報告がありました。
でも、私は「行ってきなさい」と言いました。
すると社員は安心するんですね。みんなが不安になっている時、大きく構えること。
これも愛社精神を生むことに繋がります。

経営者は器が大きくなければならない。
いざというとき覚悟をもって、それでも余裕な顔をして臨まなければならない。
僕もそんなことを身につけなければならない。
そんなことを感じた一文。

メイダイシャ・スピリッツを持って、臨んでいこうじゃないか・・・。

鈴木さんにも分かるネットの未来

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現カドカワ株式会社の代表である川上量生氏の著書。
川上氏と言えばニコニコ動画を運営するドワンゴの創立者で、
ちょっと前まで株式会社KADOKA・DOWANGOの代表取締役会長。
この時点でかなりややこやしいし、会社が変化するのが早すぎる(笑)。
一体、今は何屋さんになるんだろうか・・・。

本書が発行されたのが今年6月でまだ4か月しか経っていないんだけど、
会社名も肩書も変わっている状態。
目まぐるしく変化する中で、この社長は毎日どんな業務をしているんだろう。
きちんと休みは取れるのだろうか。
大きなお世話ですね(笑)。

スタジオジブリの鈴木さんに向けて書かれた本書だが、鈴木さんは全く登場しない。
これも販売戦略と捉えればいいだけかもしれないが、そのあたりの視点も含め新しいのかも。
インターネットの現実と将来について分かりやすく、時に難しく書かれているが、納得できる点は多い。
プラットフォームがあってのコンテンツなのか、コンテンツあってのプラットフォームなのか、
普段僕らが何も考えずに使用するサイトやSNSも、
この点を明確に押さえたものが勝者へと向かうのは間違いなさそうだ。

先日観た「マイ・インターン」の主人公ベンは電話帳を作る会社のかつて幹部だったが、
映画の中ではもう存在しない会社になっている。
ネット社会が進化すれば、いずれ印刷物のタウンページも消滅してしまうのか。
世の中から紙媒体が無くなることはないと思うが、
その特徴を活かせなければ淘汰される時代は遅かれ早かれだ。
ネットが台頭してきた時代から、紙媒体(印刷物)の必要性については議論されてきた。
現実は減少すると言われながらも減らなかったわけだが、それもまた変わっていくだろう。

僕は相変わらず紙の本を読んでいるわけだが、著者にいわせればそれも時間の問題。
電子書籍を売るための書店の存在も遠くない将来。
TVが果たす役割も将来的には大きく変わるとも予測している。

著者は「今後のネットのコンテンツビジネスの成否は、コンテンツをプラットフォーム化するための
プラットフォームの進化にかかっているというのが僕の考えです。」という。
じっくり考えないと何が言いたいのか理解できない(汗)。

全く例えにならないが、僕のブログの1日のPVは1000~1500。
これが多いか少ないかは不明だが、スタッフブログの数倍あるのは事実。
大きな理由としては実績年数の違いとストックされている量の違い。
それだけでもPVは大きく異なる。
だからと言ってこれが成功しているとは限らない。
ブログの円頓寺シリーズのファンは多いが、円頓寺商店街の売上が上がったとは聞いたことがない。
そんなもんだ(笑)。
な~んとなく動いてるに過ぎないのだ。
しかし、その積み重ねが重要じゃないかと思う点もある。

僕らは常に「ネット」の状態を見ながら、「リアル」を考えねばならない。
ネットがあってのリアルとか、リアルがあってのネットとか、どっちが先だみたいな話はあるが、
それとは別に今、ネットで起きている事実を肯定的に捉えることが大切。
もはやネットがない生活は考えられない。
それを前提に僕たちはこれからを考えていかねばならない。

勉強になりました。
まだまだ知識は足りないけど・・・。

映画「マイ・インターン」

myintern15

かなり浮いていたんじゃないかな。
僕が映画館に入った時、お客さんのほとんどは女性。
大半は数人のグループで来ており、場内はほぼ満席。たまに見かけた男性はカップル。
男一人でこの映画を観るなんて、かなり異常に思えた。
なんとなく居心地が悪いまま、指定の席に座った。

そもそもこの映画を観た理由は中年男子のインターンシップのストーリーだったから・・・。
いわば職業病的に本作品を選んだのだ(笑)。
しかし、観客の中に僕と同じ理由の人なんて、まずいない。

宣伝文句も明らかに女性をターゲットとしている。
ましてや女性も憧れるアン・ハサウェイの存在とファッションサイトを巡る映画なので、
女性が集まることは当然。
だが、果たして本作は女性向けの映画なのだろうか。男性には不向きなのだろうか。
女性に囲まれ窮屈な思いをした映画だが(ほんとは嬉しかったりして・・・)、
映画を観終わった感想は、NO!。
これは男性が観るべき映画である。

それも僕のようにこれから老いぼれていくであろう男が観るべき。
ロバート・デ・ニーロがカッコよすぎる。
ただそれは今までのデ・ニーロ像とは180度異なる。
これまでの作品は圧倒的にハードな男を描いていたが、本作はまるで違う。
上手い俳優の役作りと言ってしまえばそれまでだが、今までのイメージは完全に崩れるだろう。
しかし、それがいい。

映画のストーリーも温かくて面白かったのだが、僕が感じたのはこうだ。
70歳を超えて、僕はこんな男になれるのだろうか、ということ。
その年齢になればきっと第一線は退いている。
何をしているかは想像できないが、こんな生き方ができればステキだと思う。
大人の振る舞い、男の嗜み、培ってきた経験をこのようにイヤミもなく愛らしく表現できたら、
どれだけ幸せだろう。
これはまさしく理想の男を追及する映画でもあると感じてしまった。

そして、僕はこんな70歳になりたいと思ってしまった。
僕はこの先、大して世の中の役に立つとは思えないが、デ・ニーロ役のベンのように生きてみたい。
女性の映画の見方とは全く異なるかもしれないが、本作を理想の70歳像として捉えた。

そこらの50歳周辺を彷徨うオッサンたち、一緒に見習おうじゃないか(笑)。