これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画はいいね。「私の履歴書」

toho1671

昨日に続き映画ネタである。
先月までの日経新聞「私の履歴書」は元東宝社長の松岡功氏。
少し前のブログにも取り上げたので、今回が2回目。
ブログネタに困っているわけではない。
興味深く読んだ一か月だったので、その内容に触れてみたくなったのだ。
松岡氏が東宝に入社したのは映画全盛期。その後、斜陽時代を乗り越え今に至っている。

日本映画は僕が大切にしたい分野であり、少なからずその動向に関心を示す。
昨日のブログでも書いたように映画館の在り方も時代と共に変化している。

今思えば不効率な象徴として、チケット販売窓口と劇場入り口のモギリの存在がある。
僕がアルバイトしていた学生時代は一つの映画館に隣接しているのが一般的。
忙しいのは映画の始まる少し前の時間帯だけで、あとは暇な時間帯だった。
上映中にお客さんの入場はあったが、映画の途中に入ってくる人はごくまれ。
今の時代なら入場できないであろう。

おおらかと言えばそれまでだが、そのためにずっと人を配置していた。
僕は忙しいわずかな時間を終えるとずっと小説を読んでいたと思う。
チケット窓口はお金を取り扱うので、正社員が配置されていたが、
仕事のボリュームは僕とさほど変わらない。
お金の計算はあるとはいえ、それほど忙しくはない。

シネコンになり人件費の圧縮をするのは当然と言えるし、
1000名を超える席数の映画館も不効率。
年に数回の満席ぐらいなら、シネコンで複数の劇場で流した方がいいだろう。

昔は(30年前の学生時代)、邦画はまず2本立てだった。
洋画もこの地区は2本立てだった。
一度映画館に入ると4時間は拘束された。
気軽の映画を観る頃ではなかったのかもしれない。

それが時代を見誤り、映画の低迷に繋がったのだとも感じる。
その後、単発放映となり、シネコンが増えたことで観客動員数が戻って来た。
そこも含め映画をどうマーケティングするかで市場そのものが変わってしまうのだろう。

現在、映画会社の中で東宝が一人勝ちしているのも、松岡氏の「私の履歴書」を読めばよく分かる。
古い価値観では乗り切るのは難しいのだ。
時には不動産業やタレント排出企業にもならなければならない。
それが結果としていい作品を残す手段となる。
必要以上に映画に拘らなかった松岡氏だからこそ、
乗る越えられる難局があったのだろう。

それにしても蛙の子は蛙である。
世の中のファミリービジネスが今でも大部分を占めるのは今回の連載だけでも十分理解できる。

いずれ松岡修造氏も東宝に入るのだろうか。
多分、それはないだろうが、彼の持つ才能は本人の努力以外にも存在する。
そのパフォーマンスを含め血もあるのだろう。

映画を振り返るにも企業経営を知るにも今回の「私の履歴書」は勉強になった。

さらば!ピカデリー

昨日6月30日を持って、名古屋駅前にあるピカデリー1.2が閉館となった。
これは中日本興業が運営する映画館。
7月15日にはミッドランドシネマ2がシンフォニー豊田ビルにオープンするので、
それほど大した問題ではない。

このオープンの内覧会の招待状がなぜか僕に届いたので顔を出すつもり。
新しい映画館が誕生するわけだから喜ばしいはずだが、
その一方でちょっと寂しかったりもする。

僕がずっとお世話になってきた映画館の名称が消えてしまうのだ。
知ってる方も多いが(そうでもないかな)、
僕は学生時代、ずっと名古屋駅前にある映画館でアルバイトをしていた。
その頃、映画館の名称は全て異なっていた。
僕の所属はロキシー劇場。
他にはグランド劇場、アスター映劇、セントラル劇場、駅前シネマ、シネラマ名古屋、ピカデリーと、
どういった理由かはわからないが、いかにも映画館という名が跋扈していた。
流す映画には明確に意味があった。
その名前を聞くだけでワクワクする時代。

一番大きい映画館は1000名を超える客席数。
それも満席にしてしまうパワー。
昨日まで掲載された松岡氏の「私の履歴書」の全盛期まではいかないが、
特別感はあったと思う。
正月にはお酒が振る舞われ、酔っ払いながらバイトした時代。
それもいい思い出だった。

昨日で閉館となったピカデリーは、そうはいっても平成9年の開業だから僕の時代とは違うが、
そのノスタルジーは変わらない。
名古屋駅前も再開発され、映画館もシネコン一色になった。
それはそれで悪くないが、懐かしさと寂しさもあり、閉館前に顔を出した。

pika1661

pika1662

映画館にはそれを記念してか、これまで上映された作品のポスターと多くのサイン色紙も飾られていた。
今でこそ再び劇場で映画を観るようになったが、
20代後半から40代にかけては映画館に出向くことは少なかった。
子供を連れていく以外は年に数本というレベルだった。
仕事が忙しく時間確保ができなかった理由もあるが、それも言い訳に過ぎない。
ビデオやDVDで済ませていた。

ここ数年は再び映画館い通うようになったわけだが、やはり映画は映画館で観るべき。
逆にDVDを借りることがすっかりなくなった。

僕の一定の価値観の形成は映画の影響によるところがあるといっていい。
生きていく上で大切な趣味でもある。
そんなこともあり、こんなブログを書いてしまった。

さらば!ピカデリー。
ありがとう!ピカデリー。

「採用学」を読む

saiyo1661

著者の服部泰宏氏の講演は何度か伺ったことがある。
また、ご本人にもどさくさに紛れて一度ご挨拶をさせて頂いたこともある。
きっと本人は記憶にないと思う。

とても真面目に書かれた本書だが、服部氏はまるでジャニーズにいそうな雰囲気を持つ。
大学の准教授とは思えないタレントっぽさを持つ顔立ちだが、
本人はそんなことを言われても嫌な気分になるだけかもしれない。
ただのやっかみですね。失礼しました。

この手の類の書籍をいわゆる学者と呼ばれる方が執筆するのは珍しいのではないだろうか。
一般的には人事コンサルや就職ジャーナリスト(そんな職種あるか?笑)が
クライアントの実態やリサーチを基に書かれるケースが多い。

だが、これはもう学問。
あとがきで著者は
「組織と人が初めて出会う『採用』という場面において、両者の良い出会いと、
お互いの発展を阻害する問題を明らかにし、その解決の方法を科学的に解き明かすこと。
そのことを通じて、『採用』という観点から、
『採用』にできる範囲の中で、より良き社会の実現に貢献すること」

と研究の目的を語っている。

一度、読んだだけでは理解できない。
じっくり考え込まないと理解できない。
僕のような大学でほとんど勉強しなかった者は付いていくのに大変。
本書の内容も同様。
それだからこそ価値があるし、学問として成立するのだろう。
主観的に捉えがちな採用論を客観的に論拠を示している点は研究者としての立場が窺える。
僕らの世界とは似て異なるものだと感じてしまった。

しかし、共感する点や学ぶべき点は多い。
まだまだ経験則や感覚で語る採用論に対して科学的な根拠に必要性を述べている。

著者の考える採用力とは
採用力=有形・無形の採用リソース(資源)の豊富さ×採用デザイン力(採用設計力・オペレーション力)

この方程式だけ見ても???が並ぶだけだろう。
本書を読めば「な~るほど!」と理解できるので、
関心のある方は是非、読んでもらいたい。

僕はこの業界に入って28年目を迎える。
その間でも採用手法やツールは大きく変化している。
本質は変わらないにしても時代の変化と共に求められるものは双方に変わってくる。
双方とは企業側も求職者側も・・・。
面倒なことにお互いに人が関与するのでロジックだけでは解決できない。
肝心要な部分で感情が表に立つ。
それはそれで悪くないと思う。
だがらいつまでたってもアナログ要素が重要だと思うし。

最近の事例で書かれていた三幸製菓やサイバーエージェントの採用手法も面白い。
通り一遍ではなく今後そんなやり方も増えていくだろう。
それによって多くの母集団の中でかき消された存在にもチャンスが広がってくるのではないかな。
僕自身ももっと学ぶ必要があるし、会社のメンバーも本書から学び取ってもらいたい。

この服部泰宏氏は7月7日に開催されるパフさん主催の
職サークルシンポジウム「真・採用論 採用力の向上は、社会を救う」にも登壇される。
今でも申し込みを受け付けているので、興味のある方は予約してはどうだろうか。

あれっ、書評のつもりがイベントの宣伝になってしまったぞ。
変なつもりはないのに・・・。
僕もこのイベントは楽しみにしているし、
今度こそ服部氏にしっかりと挨拶をして名前を憶えてもらえるようにしたい。

映画「64 ロクヨン 後編」

roku16641

観終わった後、かなりくたびれた。
それだけ映画に集中していたのと親子の絆が辛い場面でしか理解できなかったのが大きい。
この映画の評価は分かれると思う。
傑作か駄作かということではない。
ハッピーエンドの映画かそうでない映画かということ。

僕は多分圧倒的に少ないハッピーエンドに一票を投じる。
それは最後の最後に感じただけで、観る者によって感じ方は異なる。
それでいいと思う。

映画は思いもよらない展開へと進んでいく。
まだ観ていない方のためにストーリーに関しては一切触れないようにしたいが、
お互いのエゴがぶつかり合うのが前編、後編通していえること。
それが問題をややこやしくさせる。

客観的な行動を描きながらも、結局のところ主観が勝り問題を大きくする。
それは被害者も加害者も同様。
理屈では分かっていてもその通りにはならない。
それが本作品見どころともいえる。
正義だけでは問題解決は難しく、そこには倫理が伴うことが必要。
この面倒な人間関係を第三者的に捉えるとそんなふうに思ってしまう。

前編でのブログでも書いたが、僕は原作を読んでいない。
以前ドラマ化もされたようだが、それも観ていない。
比較して観ると原作者や監督、脚本家が最も言いたいことが理解できるのかもしれない。
原作を読む時間はないかもしれないけど、ドラマは一度観てみようかな。
とても興味はそそられる。

相変わらず主役の佐藤浩市氏は熱い。
論理と感情を併せ持つ。
場合によっては組織にはとても面倒な存在。
しかし、それが人間らしくていい。
また、そうじゃなきゃいけないとも思う。

一点だけ腑に落ちなかったこと。
ネタバレになるので詳細は書かないが、親子関係に対する疑問。
親が子供を想う気持ちは基本、共通だと思う。
しかし、子供を殺める犯罪者も同様なのだろうか。
そのあたりのことは僕には分からない。
他人だから関係ないとはいえないんじゃないかな。
人間性じゃないかとも思ってしまう・・・。

僕と同世代の俳優陣がどっぷりといい演技をするのは嬉しい。
日本映画を支える貴重な存在。
時代背景を見れば当然といえるが、その存在感を今後も出し続けてもらいたい。

いい意味で前編、後編に付き合わされた。
それには満足していると言っていい。

映画「海よりもまだ深く」

umi1661

「アレだったよね・・・」
こんなセリフを聞くと母親との会話を思い出す。
実家に帰省し母親と喋っていると必ずと言っていいほど出てくる言葉だ。
僕は「アレじゃあ、わからん。アレばっかり言ってるとボケるぞ。」
ときつく返すが、実際はアレとは何かは聞かなくても理解している。
きっと親子なんてそんなもんだ。

本作品でも、この「アレ」というセリフがあちこちで登場する。
日常会話の常識のようだ。
母親役の樹木希林が、息子役の阿部寛が、姉さん役の小林聡美が頻繁に使う。
これが家族の絆を証明しているかのように・・・。
それが理由ではないが、映画を観ながら母親との会話を思い出してしまった。

是枝監督の最近の作品は欠かさず観ている。
どの作品もそうだが、何となくせつなくなってしまう。
「海街diary」「そして父になる」してもそう。
「歩いても 歩いても」もかなり忘れてしまったが同じ。

そうそう、8年前の「歩いても 歩いても」も母親は樹木希林で、息子は阿部寛だった。
それも名前は「良多」で一緒。
絶対、ワザとだな・・・。
もしかして、愛知県で初めて気づいたのは僕かも(笑)。

話を戻そう。
常に家族を中心に描いているため、そんな雰囲気が漂ってしまうのかもしれない。
しかし、そのせつなさが映画を支えているのは事実だし、監督が最も表現したいことだろう。

壊れたものを修復するのは難しい。
ある程度修復したとしても完全に戻ることはない。
過去の行動を後悔し行動を改めようするが、きっと後悔を繰り返す。

主役の良多は大人になろうとし続けるだろうが、
多分、なりきれず、同じ過ちを繰り返すのではないか。
希望を抱きながらもそうなるんじゃないか。
それを母親は全てお見通し。
それがいくつになっても親から見れば子供だということ。
そんなふうに映画を観ながら、自分とだぶらせながら感じていた。

ここまで読んでもらっても、この作品がいいのかどうかさっぱりわからないと思うが、
個人的にはとても好きな映画。
こんなリズムで流れる映画が僕にとっては心地いい。
僕のような繊細な感性の持ち主は観るべきだろう(笑)。
怪しいと思われるかもしれないが・・・。

是枝作品に出演する役者も固定されてきそう。
いずれ是枝組なんて言われるのかな・・・。
それぞれが凄くはまり役だったが、僕は興信所の後輩役池松荘亮がとても良かった。
その視線の温かさがダメな先輩を救っていた。

意外と映画館が混んでいたのも嬉しかった。
若い観客が少ないのは残念だが、
こういった地味な作品が多くの方に観られるのは日本映画にとってはいい流れ。
この手の作品で外国映画に立ち向かってもらいたい。

フジテレビはなぜ凋落したのか

fuji1605

少なからず業界に関わる者として読んでおいた方がいいと思った1冊。
タイトルから推測すると著者がフジテレビを批判対象として綴ったかにみえるが、
そうではない。
元フジテレビの社員として愛着を込めて、その低迷ぶりを書いている。
そんな意味では客観的な見方というよりは
主観的な見方で書いているとも捉えられる。

フジテレビが辿ってきた70年代から今までの歴史を紐解きながら
栄枯盛衰を表現しているわけだが、それは僕がリアルに接してきた時代。
中学生時代に「8時だョ!全員集合」から「ひょうきん族」へチャンネルを変えたわけだし、
「おニャン子クラブ」も結構見ていた。
入社した頃は「東京ラブストーリー」ら月9のドラマにもはまっていた。
名古屋では東海テレビにあたるわけだが、フジ系の番組を好んで見ていた。
単純に面白かった。

それが本書で書かれているフジテレビの全盛期。
社員が大部屋で一体感を出し、
若手も中堅も自由にその権力に捉われずに番組を作っていた頃。
これはあくまでひとつのテレビ局の話だが、
すべての業界や企業にも当てはまるのではないか。

著者がいうように自分たちを一流と意識した時点で顧客視点はなくなり、
競合にも軽んじた扱いをしてしまう。
最近、報道される大手企業の不祥事も同じようなことが言えるのかもしれない。
内向きな組織になった時点で健全な競争を捨ててしまうのだろう。
誰も意識せずに・・・。

時代背景が理解できるだけに、
この凋落ぶりを他人の事として見るわけにはいかない。
いつ何時、自分たちがそんな立場にならないとも限らない。
業界トップでもないし、
世の中に話題になるような大きなことを手掛けているわけでもないので、
そんな心配はする必要がないかもしれない。
しかし、反面教師として学ぶべき点はある。

会社を一定規模に持っていくことは必要だが、
身の丈以上の規模にしてしまうと悲しい現実が待っている。
それは経営者の器によるので一概には言えないが、
会社が堕ちていく背景には組織が組織として
機能しなくなる規模的な分岐点も存在するのではないだろうか。
本書を読みながらそんな点を感じてしまった。

今後、フジテレビが復活するかはわからない。
しかし、身近なところでいえば、東海テレビでお世話になっている方も多い。
個人的な感情として、このまま停滞してもらうのは困る。

テレビをほとんど見なくなった僕が語るには説得力はないが、そんなふうに思う。
復活する日を祈りたい。

映画「64 ロクヨン 前編」

641605

これはズルい映画だ。
この前編を観たら、ほとんどの人が後編を観たくなる。
人気連続ドラマみたいにそんな風に作られている。

一般的にシリーズ物の映画でも一話だけでも満足できるケースは多い。
しかし、本作は違う。
途中で映画が終わってしまった感覚なので、このままでは消化不良だ。
つまらない映画ならともかく、
グイグイ引き寄せられる作品だったため、無視するわけにはいかない。
前編で興行収入が20億円なら、40億は稼げる映画となるだろう。
なかなかいい戦略じゃないか・・・。
どうしてもビジネスとして捉えてしまうな。
楽しみだからいいのだけれど(笑)。

本作は昭和64年に起きた誘拐事件が舞台。
昭和64年といえば僕は大学4先生で、あと数ヶ月で社会人デビューを迎える時期であった。
すぐに平成に変わり、僕は平成元年卒業、平成元年入社ととても分かりやすい年代。
この平成のスタートと共に僕の仕事人生は始まったわけだが、
昭和64年が7日間しかなかったことは記憶の中からすっかり消えていた。
とても静かな1月2月だった記憶はあるが、日数のことは頭から抜けていた。
被害者の立場に立てば、すべてそこで止まっていることにはなるが・・・。

当時の状況を思い出しながら、昭和64年のシーンを見入っていた。
「あれっ、こんな古臭かったけ?」
昭和64年=1989年である。
日本はバブルの真っただ中。
舞台が違うので、そんな華やかなシーンは必要ないと思うが、
走っている車なんかには違和感を感じた。
フェンダーミラーじゃなくてドアミラーだろ・・・。
当時のことを思い出すとそんなどうでもいいことが時代の流れの象徴のような気がして、
そんな感想を抱いてしまった。

いろんなところでこの作品の評判を聞く。
豪華俳優陣だとか、佐藤浩市が出過ぎとか、いい面もそうでない面も評価されている。
原作を読んでいる方はイメージの違いもあるだろう。
僕は原作を読んでいないので、素直に受け止めることができた。
佐藤浩市氏の暑苦しい演技も好感が持てた。
日本を代表する役者であるのは間違いないと思う。
瑛太も「ウスノロ!」というセリフもよかった。
興行収入を上げる戦略にまんまと乗ってしまうが、後編も楽しみにしたい。

本音で生きる

hone1605

書店で衝動買いした一冊。
新聞が発表している売上ランキングではいつも上位。
僕も何故か時々、購入してしまう。

ホリエモンのことをよく知っているわけではないが、
世間はまだまだ彼を誤解していると思う。
彼が出演しているTV番組を観ているわけではないので言動は不明だが、
自分勝手な人物という印象がまだ強いのではないだろうか。
ライブドア事件も引きずっていると思うし・・・。
そんな一面は常に持たれている印象じゃないのかな。

でも、それは彼が本書のタイトル通り本音で生きているに過ぎないからだろう。
それが自分勝手や身勝手と捉えられがちだが、実際は違うのではなかろうか。
相当な努力家で言い訳を許さず、中途半端なことが嫌いなだけ。
僕が読んだ少ない著書を読む限りそう感じる。
本書もそう。

ホリエモンのストレートな考えがストレートに書かれている。
僕はそれは嫌いではない。
部下としては面倒くさくて仕方ないかもしれないが、
(あり得ないからいいが・・・笑)
好感が持てる部分が多い。
優秀すぎるから嫉妬もするけど・・・。
ゴルフに対する姿勢も面白い。
バーディーの取り方には納得してしまった(笑)。

本書に書かれているホリエモンらしからぬ、ホリエモンらしいコメント。

大事なのは信用であって、お金ではないのだ。
ただ努力をすること、努力を続けること。
いかに良質な情報の比率を増やすかが問題なのであり、
情報を遮断すればよいアイデアが浮かぶものではない。
自分がやりたいことに優先順位などつけず、片っ端からやる。
大事なのは”Give,Give,Give”。つまり惜しみなく人に与えるということだ。
などなど。

僕も本音で生きているつもりだが、まだまだ周りに気を遣っているし、迎合もしている。
それが大切だと感じることも多い。
ホリエモンからすればまだまだ未熟なのかもしれない。

映画「追憶の森」

tuioku1605

最近、過酷な自然を生き抜く映画に巡り合っている。
「レヴェナント: 蘇えりし者」は復讐するために生き抜いたが、
本作は愛する人と寄り添うために生き抜く。
こんな映画ばっかり観ている(笑)。

好んで選んだわけではないが、理由はあるはず。
自分でも気づかないうちにより危機感の先にある未来を選択しようとしているのかもしれない。
(意味不明な表現だな・・・)

結局、人間なんて小さな存在は自然の中で学ぶしかない。
マシュー・マコノヒー扮する主役アーサーもそれ。
愛する奥さんを思いもよらないかたちで亡くし、
過去の自分の振る舞いに後悔の念を駆られている。

その夫婦の描き方は特別でもなく、ありふれた世界ともいえる。
多かれ少なかれ長い夫婦生活を過ごしていれば、こんなケースは訪れる。
それは我が家もでも考えられること。
些細なことで諍いも起きるだろう。
そう考えると他人事とは思えなかったり・・・。

この映画を観て、自省する男性諸君は多いのではないのかな。
こんな表現をするとチープな感じになってしまうが、そうではない。
自然と対峙しながら、これまでの人生と愛する人との時間を振り返る。
どんな生き方をしようと後悔しか生まれてこないのだろうか。
それは幸せな瞬間を重ねていてもである。
映画を観終わった後、嫁さんをもっと大切にしなければ、
感謝しなければと思ってしまった。
自分勝手な男性諸君、観るべきですよ(笑)。

登場人物はほぼ3名。
スケールも大きいとは言えない。
しかし、世界は勝手に広がっていく。
人が生きていく上で大切なことを教えてくれる。
しみじみと観るべき映画である。

本作の舞台は日本。富士山のふもとの青木ヶ原。
アーサーはアメリカから日本へ向かう。
新幹線にもタクシーにも乗る。
生活に馴染みがあると違和感を感じてしまうシーンがある。
新幹線ではお互い知らない者同士が向かい合って座ることはない。
また、タクシーも右側のドアを自分で開けることはない。
小さなことだが、気になってしまった。
こんなことも映画を観るから楽しめること。

GW休暇中の朝一の上映で観たわけだが、お客さんは僕ともう一人だけ。
二人で映画館を占有していた。
多分、興行成績は厳しいと思う。

それが理由ではないが、世の男性諸氏は観た方がいい。
配偶者を大切にした方がいいと・・・。

「理」と「情」の狭間

otuka1604

昨年、世間を騒がした大塚家具の親子喧嘩。
しかし、この親子喧嘩というのはワイドショーが面白おかしく伝えたネタで
必ずしも正しい表現とは言えない。
あの情報の流し方だと同族経営は最低だと思われてしまう。
それは残念なこと。

僕もファミリービジネスアドバイザーとして、
講演などで何度かこの大塚家具のケースは話をさせてもらった。
違う視点で話させてもらったが、
ネタという意味ではあまりワイドショーのことを悪く言えないのかもしれない。
ちょっと反省・・・。

本書を読んで、改めて大塚家具が抱えていた問題が浮き彫りとなり、
以前よりもその真相が理解できた。
著者が客観的で冷静な立場であることを前提にすれば、
大塚久美子社長の取った行動は正しい。

同族企業の2代目として、カリスマ創業者から跡を継ぐ者として、
株式公開を果たしたファミリービジネスの在り方を正面から捉えようとしている。
今はまだ騒動のさなかで、業績に対しても一喜一憂する状況かもしれないが、
場合によっては、数年後、高い評価を得られるかもしれない。
あの時の英断が日本のファミリービジネスの悪しき習慣を変えた!とか・・・。

それは言い過ぎかもしれないが、
ここには多くのファミリービジネスが抱える問題を開示し、
後継者が判断すべき事象や起こすべき行動が描かれていると思える。
あくまでも著者がより客観的で冷静な立場であればだが・・・(笑)。

中身は大きく異なるが、ドラマハゲタカの「サンデートイズ」を思い出してしまった。
「あ~、なるほど!」とうなずいた方、流石です(笑)。

正しい行動はあるにせよ、どこを味方、誰を味方につけるかも重要。
正直なだけでもダメですね・・・。
プロキシ―ファイトとか、スチュワードシップとか、
知っているようで曖昧なものも明確になったし・・・。

大塚家具のコーポレートガバナンスに言及した本書であるが、
後半になるとその範囲は国内の上場企業に広がる。
これまで優等生であった企業に対しても批判的なコメントも述べられている。
社外取締役の必要性などコーポレートガバナンスの変化や
政治的背景を基準にした企業の取り組みについてもバッサリと切られたり・・・。
ファミリービジネスに留まっていない。

言わんとしていることは理解できる。
今の法律に照らし合わせば当然のことともいえる。
しかし、判断は難しい。
上場企業でなくても許されないことはあるだろう。
日本の大半を占めるオーナー企業が読んだらどう感じるだろうか。
必ずしも共感はしないだろう。
自分がどうすべきか考えさせられてしまった・・・。

本書のタイトルは『「理」と「情」の狭間』。
これほど絶妙なタイトルはない。
その狭間に立つ者も多いだろう。

揺れ動く方には是非、読んでもらいたい。