これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「有り、触れた、未来」

本作を観た人は少ないだろう。
そもそも上映する映画館も少ないし、上映期間も短い。
残念ながら日の目を浴びる機会は少ない。

そんな日本映画って、結構多い。
ヒット作を複数の映画館で長期間上映するのは興行的にも重要だと百も承知。
しかし、こういった小さな作品が行き届くことで、
作り手の新たな可能性も広がるはず。
そんな場も大切にしていきたい。

正直、僕も素通りしかけた。
たまたまのタイミングと高い評価が気になったので、観ることができた。
小まめなチェックは欠かしちゃいけないね。

本作は東日本大震災から10年後の宮城県が舞台。
震災で亡くした家族を中心に様々な人間関係が描かれる。
それぞれが過去を背負い、それに立ち向かい葛藤しながら生きている。

悲しみは消えることもあれば、増幅することもある。
その矛先は誰にも向けることはできない。
せつないし、悲しい。

周りはそれを見て無責任に「頑張ろう!」「立ち直ろう!」と言ってしまう。
傷口を広げるだけで何の解決にもならない。
ただ悪気もなく、そんな言葉を発してしまう。
僕だって同じようなことをいう可能性は高い。
つい、口走ってしまいそう。

相手のことを思えば思うほど、安易な言葉は使えない。
誰しも当事者になることはできない。

結局は自分で未来を創るわけだが、必ずしも明るい未来である必要ない。
「ありふれた未来」で大丈夫。
それを理解しうるのが周りの役割。

何気に豪華俳優陣が脇を固める。
その中で光るのが手塚理美。
なんと中学生のおばあさん役。
「ふぞろいの林檎たち」での少しカタい看護師役が好きで憧れの存在だったが、
いつの間にか、おばあちゃんになってしまった。
チャーミングなおばあちゃんだけど・・・。

あとボクサー役の松浦慎一郎もいい。
「ケイコ 目を澄ませて」もそうだが、彼はボクサー役しかできないのかな(笑)。

演出的には自主映画っぽい香り。
だが、エンディングで流れる地域ぐるみでの映画の関わりには大いに共感。
これも地方を活かす大切な活動だよね。

映画「シン・仮面ライダー」

「シン・ゴジラ」「シン・ウルトラマン」に続いて本作。
この3部作では一番楽しみにしていたかもしれない。
予告編は一年前から観ていた。

記憶は曖昧だが、仮面ライダーをリアルで観始めたのは2号じゃないだろうか。
本郷猛の1号は再放送しか見ていない。
一番夢中になったのは仮面ライダーV3。

その後、仮面ライダーXはそこそこで、
アマゾンでちょっと離れたんじゃないかな。
再びストロンガーで戻ったと記憶している。

同じような道を辿っている50代は多いはず。
僕ら世代より少し上の60歳前後は最もハマった世代かもしれない。
本作のテイストも明らかにその世代を狙っているように思える。

最新のCGを駆使すればもっとリアリスティックな映像になるが、そこは控え目。
飛び散る血も平凡な日々を過ごす中年層への刺激。
ヒロイン役の浜辺美波もイマドキの女優だが昭和を感じさせる。

庵野監督は前2作を通して、より世代的共感を生むツボを得たのかもしれない。
それが功を奏しているのかは不明。

映画レビューを読むとかなり評価は分かれる。
絶賛の声が上がる一方で酷評も多い。
勧善懲悪なヒーローものやよりスリリングな展開を望む者は
物足りなさを感じるのかもしれない。

確かにそんな見方もあるだろう。
否定することはできない。

しかし、仮面ライダーを演じるのは池松壮亮であり、柄本佑である。
一見、ミスマッチに思えるライダー役にこそ訴えかけるものがあるのではないか。
大丈夫か?と思わせながらも戦い続ける姿に勇気をもらったのではないか。

ポスターにさりげなく掲げているコピー。
「変わるモノ。変わらないモノ」
「そして、変えたくないモノ」
時代が変化していく中で僕らが守っていきたいこともあるんだ・・・。

これから本作を観る人は少し予習をした方がいい。
それはストーリーではない。
僕はネタバレはしない。
オーグとかプラーナとか聞き慣れない言葉や
チョイ役で登場する俳優陣は確認しておいた方がいいかも。

大森南朋も松坂桃李も後で分かった。
仲村トオルは未だに分からない。
そのあたりは知っておいた方が映画を楽しめるだろう。

往年のライダーファンには懐かしい名前も出てくる。
「シン・ウルトラマン」俳優の扱いも面白い。
楽しみ方はいろいろ。

オジサンは必見かもね。

キネマ旬報95回全史 パート2

当初、パート1は1924年から1959年まで書く予定だった。
書き進めるうちに予想以上のボリュームになったため、49年までに切り替えた。
意外と書くことがあった。

今回は1950年代の映画界を紹介したい。
50年代に入ると朝鮮戦争の影響もあるが景気も良くなってきた。
従って映画業界も活況になっていく。

この10年間は日本映画界にとってかなり恵まれ潤った時。
テレビもまだ普及していないので、娯楽の王様は映画。

1955年には1年間の映画館の入場者は延べ8億9400万人。
映画館も年々増加し5,182館に達したという。
終戦後から5倍になった。

ちなみに調べてみると、2022年の映画館数(シネコンが多いのでスクリーン数)は3,634。
映画館入場者数は1億5,252万人。
1955年の人口は約9,000万人。

この比較だけで、当時の映画の力がどれほど凄いのかが理解できる。
(書籍には書いていないっす)
1950年代半ばが映画界のピークだといっても過言ではない。

日本映画の製作も年間400本を超え、質・量ともに充実した時期。
僕が敬愛する黒澤明監督も「生きる」「七人の侍」「蜘蛛巣城」
「隠し砦の三悪人」と代表作を作っている。

日本映画史上最高傑作といわれる「七人の侍」は1954年のベストテンでは3位。
1位にはなっていない。
評価は後からついてくるのか。
その年の1位は木下恵介の「二十四の瞳」。
2位も木下監督だ。

そして、この50年代に圧倒的に評価が高かったのは今井正。
53年「にごりえ」、56年「真昼の暗黒」、57年「米」、
59年「キクとイサム」と1位を4回も獲得。
なんと57年は「純愛物語」が2位となりワンツーを独占。

この時代、世界的評価は黒澤明や小津安二郎の方が高い。
今井正は地味な存在。
僕も作品は観たことがないし、そもそも機会がない。
しかし、当時の日本映画ではダントツの映画監督といっていい。

外国映画に目を移すと全般的にアメリカ映画が不振。
年よって作品の出来は異なるが、59年はベストテンに1本しか選ばれていない。
1位の「十二人の怒れる男」のみであとはフランス映画やイタリア映画が中心。

2022年はベストテンのうち5本がアメリカ映画。
それが普通に感じるが、50年代は低迷していたようだ。
見方を変えればフランス映画やイタリア映画が今、不振なのか。
今でも耳にするフェデリコ・フェリーニやルネ・クレマンが躍動していた頃だし。

ようやく僕が昔観た映画が登場するのも50年代。
「第三の男」「風と共に去りぬ」「禁じられた遊び」「ライムライト」など。
52年の興行収入は「風と共に去りぬ」が1位だが、本作はベストテンには入っていない。

これも不思議な感覚。
不朽の名作に数えられる作品でも当時はさほど評価は高くなかった。
今も昔も同じなのは評価と興行収入は比例しないということ。

50年代ヒットした映画は大した評価は得ていない。
黒澤明くらいかな。
ヒットもし、上位にランクインするのは・・・。

ざっくりと1950年代をまとめてみた。
続く・・・。

映画「Winny」

日本では珍しい近年起きた事件の映画化。
もっともっとこの類の作品が作られるべきと思うのは僕だけだろうか。
日本の暗部や闇を描き、それを後世に残る作品にすることも映画界の役割。
そんなことを考える。
本作を制作したのが30代の松本優作監督であることも大きな価値。
その踏み込む力を称えたい。

本作はファイル共有ソフト「Winny」の開発で逮捕され、
著作権法違反ほう助の罪を被った金子勇氏の一連の裁判を描いている。

当時は2002年。
インターネットがぐんぐんと普及していた時期。
僕もネット事業の責任者で大した知識がないのに、サイトの企画や運用を任されていた。
日に日に進歩する環境についていくのがやっと。
そんな時に起きた事件なので、当時のことは覚えている。

危険なソフトを開発した技術者の犯罪という認識。
自身の知識不足もあるが、マスコミの報道に翻弄されていたのだろう。
本質や実態を知ることはなかった。

「人をナイフで刺した人は逮捕されるが、ナイフを作った人は逮捕されない。」
という本作の弁護士が吐くセリフはそのもの。
ソフトを開発した金子氏に何ら罪はない。
そもそもソフト開発の目的も不正コピーを作ることではなかった。
やはり無知は罪。
当時の自分を恥じた。

金子氏、弁護士、警察、検察官が取り巻く環境を見事に描き、すべてが正義。
しかし、観る者は客観的な視点で誰が正義で誰が悪かは明確になる。
果たして日本は安全な国だろうか。

僕の大好きな「日本で一番悪い奴ら」も警察の暗部を描いていたが本作も同様。
何らかの形で大きな組織が動く実態は日本の未来を潰してしまう可能性もある。
結果的に金子氏は無罪になったが、技術者として大切な時間を失くしたのは事実。
ひとりの天才を消してしまったのは、数字に表れないものの大きな損失。
知らない世界で同じようなことは起きている可能性も高いかもね。

東出昌大演じる金子勇氏が役のままだとすればかなり変わった人。
一般常識に欠け、自分がのめり込む世界にしか興味を持たない人がきっと大きな発明を生む。

抜群に東出昌大は上手かった。
まだ3月だが「とべない風船」と本作で2023年の主演男優賞は決まりだな。
誰か賭けますか?(笑)。

助演になる三浦貴大も脇を固める俳優陣もいい。
何より実話に真摯に向き合いながらも、スリリングに仕上げた作品が素晴らしい。

2023年の観ておくべき一本だと思う。

キネマ旬報95回全史 パート1

今年は映画を観てブログを書くだけでなく、映画の歴史を学ぶ年にしたい。
それが僕自身の研究テーマかな・・・。
一体、どこに向かおうとしているのか(笑)。

そのために購入した「キネマ旬報95回全史1924~2021」。
キネマ旬報がベストテンを発表した95年を記録した書籍。

なんと872ページもあり、この分厚さ。
まるで辞書。
持ち歩くのは無理なので、時間の許す限り自宅で読みながら映画史を探っていく。

調べてみるとキネマ旬報社は今年で創立100年。
映画だけを題材にここまで生き残ってきた出版社。
業界全体をみれば決して安泰ではないはず。
その中で毎年毎年同じことを続ける力は尊敬するばかり。

読者の一人として、存在価値を世に放つお手伝いができれば・・・。
そんなことを考えてしまう。
実際、壮大な想いはないが、自分なりに学びをアップしていきたい。

一度にまとめるのは到底無理。
何度かに分けて書いていく。
そのために今回はパート1。

初回はベストテンがスタートした1924年から1949年まで。
それ以降は50年代、60年代、70年代、80年代と10年刻みで紹介する予定。
当然、今も読んでる途中。
定期的にアップできるかは不明だが、
自分のために書いているので、特に問題はない。

1924年から1942年までは記録も残っていないのか、解説はなくベストテンの紹介のみ。
最初の2年は外国映画のみで日本映画のランキングはなし。
外国映画は芸術性と娯楽性に分けられ、それぞれベストテンが挙げられる。

いわゆる「バビロン」の時代で無声映画。
写真でも「バビロン」的な華やかさが伝わってくる。
ほとんど知らない作品で、あとはタイトルを知るのみ。
観たことがあるのはチャップリンの作品くらい。

日本映画がスタートした1926年には阿部豊、衣笠貞之助、溝口健二と通好みの監督がランクイン。
このあたりの作品にも興味はあるが、死ぬほど暇じゃない限り観る機会はない。
あくまでも優先順位として・・・。

1941年、1942年は日本映画のみで海外作品はなし。
戦争を煽る作品が目立つ。
日本中がそんな状況なわけね。

戦時中は一旦休み。
雑誌の発行もなかったのかな?
1946年に復活し、この年はベスト5のみ。
映画を楽しむ余裕がないことを窺うことができる。

1947年以降は徐々に活況になる様子が作品からも理解できる。
海外でも評価の高い小津安二郎や黒澤明、木下恵介監督あたりが精力的に活動。
外国映画もヒッチコックを始め名前を知る監督も・・・。
「大いなる幻影」は学生時代に観たが、忘れてしまったな。

こんな感じでダラダラと書いていくつもり。
続く・・・。

映画「茶飲友達」

映画は渡辺哲で始まり、渡辺哲で終わる。
彼で思い出されるのは、ドラマ「ハゲタカ」。
(またか・・・)
銀行から借りた200万円を返済することができず、自ら命を絶った町工場経営者。
主役鷲津政彦の人生を変えた重要人物。
鷲津にビールを渡す時の屈託のない笑顔は人間らしさがにじみ出ていた。

人間らしさが出ていたといえば本作もそう。
希望を失くした老人が「茶飲友達」を作ることで、明日への活力が芽生える。
ラストシーンはなんともせつない。

人の幸せは一体何なのか。
その行為は本当に許されないことなのか。
そんなことを考えると苦しくなってしまった。

本作は高齢者売春クラブを描いた人間ドラマ。
2013年に摘発された事件を元に制作されたという。
日本では違法行為であるのは間違いない。
表面的に捉えれば老人を相手に巧みに売春組織を作る女性経営者の物語だが、単純ではない。

老人の性がテーマだが、そこは奥深い。
奥さんに先立たれた老人や一人暮らしの老人が寂しさを埋めるために出会いを求める。
至極真っ当な話に思える。

勇気ある老人ならゲートボールでもラジオ体操でも老人ホームでも積極的な行動に出るだろう。
果たしてそれは間違った行動か。
僕らは自分勝手に正しい年寄り像を作っているにすぎない。

それに協力する女性も同様。
その仕事が励みとなり、若返る。
少なくとも映画の中の高齢女性は輝いていた。

主役マナが唱えるこれから必要な新しい世界。
都合のいい論理であるが、生きがいの提供であったのも否定しない。
冒頭の渡辺哲の表情が全て。

本作はいずれ老人となる身として自分事と捉えた。
仮に奥さんに先立たれ、子供も縁遠くなったら、僕は一人でどうするだろう。
茶飲友達に頼らざるを得ない場面があるかもしれない。
恐ろしくはあるが、可能性がないわけではない。
最後の最後は孤独は耐えられないかも・・・。

主役マナを演じるのは岡本玲。
いろんなところで目にする女優だが、しっかり観たのは初めて。
綺麗だけではない。
せつなさも優しさも、そして裏がありそうでなさそうな笑顔。
上手く演じている。
自分の理想を作り上げようともがく姿も。

映画を観て、ハッピーになるのは難しい。
しかし、ハッピーになるためにどう生きるか、
家族はどうあるべきか、考えさせてくれる。

今月中で休館となる名演小劇場で最後に観ることができてよかった。
劇場にも作品にも感謝!
ありがとうございました。

限りある時間の使い方

本書は、
「生産性とは、罠なのだ」
「人類の歴史上、いわゆる「ワークライフバランス」を実現した人なんか誰もいない」
と正しいと思われてきたことの完全否定からスタートする。

時間の効率化を最優先に進めてきた者にはいきなりハンマーで殴られた感じ。
それは僕も同じかもしれない。
いつもボーっとしていると思われがちだが、僕は結構、時間にうるさい。
ヒマでよだれを垂らしながらも、効率を常に求めていたりする。

エスカレーターでじっと立っているのも我慢できない。
その時間が勿体なく右側を歩く。
そんな行為こそが正しいと思っていた。

しかし、それは完全な独りよがり。
名古屋市は条例でエスカレーターは立ち止まって利用することを義務付ける。
事故防止が目的だが、それも時代の流れ。
車の運転でも家人によく叱られる。
スピードを出し過ぎだと・・・。
少しでも早く到達したい気持ちがこれまでは強かった。

だが、僕自身も少しずつ変わってきていると感じる。
5年前なら本書の内容を受け入れることはできなかった。

それが今は概ね理解できるようになった。
今でも生き急ぐ面はなくはないが、時間に対しては穏やかになってきた。
歳を取ったせいもあるが、立場がそうさせたともいえる。
いくらもがいたところで自分の思うようにいかないことがほとんど。

本書はこれまで抱えていた価値観に対して、グイグイと迫る。
それは脅迫ではなく寛容が迫ってくるイメージ。
僕と同じ感覚に包まれているビジネスマンは多いんじゃないかな。

仕事だけでなく休みも充実させなきゃと貧乏性の僕は自分に言い聞かせてきた。
いかに無駄な時間を作らないか・・・。

しかし、著者は180度異なることをいう。
余暇を「無駄に」過ごすことこそ、余暇を無駄に過ごさない唯一の方法。
何の役にも立たないことに時間を使い、その体験を純粋に楽しむこと。
将来に備えて自分を高めるのではなく、ただ何もしないで休むこと。

そんなことを強調している。
頭では理解出来ても、体がついていかない面はあるが、徐々にそうしていくのも間違いではない。
自分の中では、これまで結構なスピードで走ってきたので、
(えっ、全然、遅い?)
そんな時間もいいのかなと思ってしまう。

自分を許してあげることも必要かもね。
本書を読むことで時間に対する考え方が徐々に変化するが分かってきた。
まだ古い価値観に囚われる自分はいるんだけど・・・。

映画「ワース 命の値段」

今でもその映像を鮮明に記憶している。
2001 年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ。
誰しも同じ感想だと思うが、映画のワンシーンだと錯覚。

ビルに突っ込む旅客機と崩れ落ちるビル。
そして逃げ惑う人、人、人。
リアルな世界で起きた事実を受け止めるには時間を要した。
中東で起きる戦闘や事件はどうしても他人事と捉えがち。
ビジネスで見たことのある風景が目の前に迫ると急に現実的になる。

人間は自分勝手。
自分のいいようにしか解釈しない。

同時進行の事実が映画化される。
少し前まではそんなことはなかった。
実話を描いても僕の認識が遥か遠い作品がほとんど。
昔を描く作品だった。

今の20歳からすれば本作も同様だが、今や自分が見たこと、聞いたことが映画化される。
現実がより迫ってくる。
そして僕らはその現実が一部分でしかないこを後で思い知らされる。

この事件では7000名の方が被害者。
それぞれに背景があり、何事にも代えがたい辛い事実。
僕らは知る由もない。

本作のテーマである補償基金プログラムもそう。
実態に目を向けることはない。
映画はそれを教えてくれる。

個々の補償額の違いを主観的に受け入れるのは難しい。
客観的な視点で算出方法を導き出し、値段をつける。
仕事としては間違いではない。
倫理的に捉えればそうなるのはやむを得ない。
しかし・・・。

映画は特別管理人を任された弁護士を通して、人間の価値を探っていく。
将来有望と勝手に高く算出された人もパートタイマーで低く見積もられた人も同じ人間。
差をつけることがどうしてできようか。

家族を養わなきゃいけない人、
これからパートナーと新たな生活を始める人にどう向き合うか。
特別管財人は逃げることはできない。

ここに存在するのは全て被害者。
辛さ以外に何もない。
希望を見出すとすれば、人の尊厳、価値を明確にすることだけ。
事実は悲劇を生み出すが、逃げ出さないことで悲劇は最小限に収まる。
そんなことかもしれない。

主役ファインバーグ弁護士を演じるのはマイケルキートン。
「バットマン」も「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」も張りがあり溌溂していた。
本作はとても疲れている。
もう70歳過ぎだし仕方ない。
むしろ役を完璧にこなしている証。
その表情がこの事件の悲惨さを物語ってた。

仮に自分がこの立場だとしたら、この仕事はやりたくない。
しかし、彼はこの後もそんな仕事ばかり引き受ける。
自分の使命かのように。

きっとこんな仕事ない方がいいと願いながら・・・。
それは僕の想像に過ぎないけどね。

映画評論仲間との課題作でした。

映画「湯道」

「ゆどう」をPCで入力しても「湯道」とは変換されない。
華道、茶道とは明らかに異なる。
しかし、映画の中では湯の道は存在し、確固たる考えがある。
その考えも時代と共にも変化していくが・・・。

とマジメに語ること自体、あまり意味がない。
むしろ変換されない「湯道」がいずれ変換されるよう定着し安心材料になればいいこと。
近い将来じゃないのかな。
そうなると原作者小山薫堂氏も力を入れた甲斐もあるわけね。

僕は風呂好きだが、そこまででもない。
温泉も人並み。
サウナーでもない。
銭湯へは昨年4月にぎふ清流マラソン後に行ったくらい。
スーパー銭湯は行っても街の銭湯は行く機会もない。

本作は当初、僕の映画鑑賞リストには入っていなかった。
しかし、本作をモーレツに勧める経営者仲間がいて、文庫本とチラシと特製手拭いをくれた。

津市にあるおぼろタオルさんね。
ここのタオルは本当にいい。
ぜひ、使ってもらいたい。

それはさておきそこまでプッシュされて観ないわけにはいかない。
人のおススメは素直に従った方がいい。

とても心温まる映画。
きっとキネマ旬報の年間ベストテンには入らない。
興行収入もそこそこだろう。
超優秀作でもなければ超話題作でもない。

それでもこんな作品が日本映画には必要。
いつ時代にもその時々に大切な作品がある。
「湯道」がまさにそう。

物語は単純。
亡き父親が遺した銭湯を畳むか営業を続けるか、そんな話。
そこに銭湯に通う多くのお客さんが絡み合う。
お客さんにも小さなドラマがあり、銭湯の存在がカギとなる。
その中でもお風呂で歌う「上を向いて歩こう」には、ついホロっときてしまった。
いいね、あんな感じの人間ドラマも・・・。

銭湯を舞台にしているだけ裸のシーンが多い。
さすがに女優陣のシーンはないが、男優陣はまあまあ露出される。
総じて美しい。
見事な体格をしている。
主役である生田斗真や濱田岳は想像できるが、厚切りジェイソンがあんな筋肉質とは・・・。
どうでもいいところで感動してしまった。

本作を観るとなぜか銭湯に行きたくなる。
ビール派の僕でもコーヒー牛乳が飲みたくなる。

たまには人の温かさを描くほのぼのとした映画もいい。
おススメ、ありがとうございました。

映画「シャイロックの子供たち」

池井戸作品の映画化はほとんど観ている。
これまでは半沢直樹的よりも社会性の強い作品が多かったので興味をそそられた。
ドラマ半沢直樹も欠かさず観ていたが、映画までは・・・というのが正直な想い。

そんな意味では娯楽性の高い本作は迷っていた。
しかし、映画評論仲間の推しもあり、映画館に足を運んだ。
やはり人気があるのか、結構混んでいた。

予告編も上手く作ってあったし、
阿部サダヲは宣伝も達者なので、
いい効果が表れていると思う。
本作もロングランになるのか・・・。

ひと言でいえば阿部サダヲは阿部サダヲ。
キムタクはどんな作品でもキムタクだと言われるが、阿部サダヲも同じ。
どんな役柄でも彼の軽快な魅力が発揮される。

キムタクと違う点はその役柄の人格が阿部サダヲになる。
この意味、通じるかな?(笑)。
セリフではセリフではなく、彼の発する言葉。
そんなふうに感じてしまう。

映画の舞台は池井戸作品のド定番の銀行。
必ず悪役が登場する。
それを倒す正義が現れる。

それもド定番。
誰が正義で誰が悪役かは映画を観てもらえば分かるので割愛。
大体、想像はつくかな・・・。

映画を観ながら思ったこと。
未だに銀行の職場環境はあんな昭和チックなんだろうか。
営業会議での詰め方もその対処法も旧態依然。

実際、今もこんな感じなら銀行はかなり古い体質。
失礼な言い方になるが、今も古い体質だとは思う。
ただ未だにこれはないだろうと思ってしまう。

就活生が見たら、銀行を志望するのは止める。
イメージは悪い。
杉本哲太扮する副支店長なんて最悪な存在。
ああいった人が出世する時代はとうに終わったと思うけどね(笑)。

当たり前のように使用するATMがあんな仕組みとは知らなかった。
それはいい勉強。

肝心な映画だが、誰もが楽しめるような作品に仕上げている。
それをどう評価するか。
大喜びする人もいるだろうし、
その展開に疑問を感じる人もいる。

要は観る人次第。
それでいい。
描かれる人についても同じ。

些細な気の迷いを認める人もいれば、許せない人もいる。
倫理観もまちまち。
結局、どう自分に向き合えるかが重要。

何があっても職場である銀行にしがみつく時代は終わったと思う。
銀行に限らず全ての業界、企業にいえること。
自分を失くしてまで、そこで働く意味はない。
少しズレるがキャリアの授業にもマッチするかもね。

タイトルでもある「シャイロックの子供たち」。
映画を観る前までサッパリだったが、なるほど、そういうことね。

いい気づきを頂きました。