これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

ヒノマルソウル 〜舞台裏の英雄たち〜

一年に何度かはこういった素直に感動できる映画を観たほうがいい。
社会派の重いテーマの作品や生や死を自らに問う作品もいいが、
人間って、やっぱりいいねと思わせる作品は心身ともに健康になる。

2021年でいえば本作がそれにあたるだろう。
こんな感動的な実話ならもっと早い段階で制作されてもよさそうなもんだが、
東京オリンピックに合わせてきたのかな。
自国開催を盛り上げるためのキッカケにもなり得たが、コロナが全てを壊してしまった。
ある種、商業的な意味合いも含めて・・・。

実話を基に作られた作品だが、かなりデフォルメした状態であるのも容易に想像できる。
もし、それがゼロだとしたら奇跡としかいいようがない。
それでいい。
これはドキュメンタリーではなく映画なのだから。

僕も何度も深みにはまり泣きそうになったことか。
まんまと監督が持ち込みたい方向に乗せられてしまった。
主人公である西方仁也さんの心の葛藤は多分、本当。
ライバルであり仲間でもある原田雅彦に対しての気持ちのぶつけ方も正直じゃなかろうか。
人の不幸を願ってしまう愚かさを自ら感じ、
それでも抜け出せない自分の弱さを嘆いたり・・・。

どんなアスリートでも強靭な精神力と人間性を持ち合わせるのは難しい。
変に神格化しないのもいい。
結局、競技する者もサポートする者も人なのだ。
華やかな舞台に立つのか地味に徹するかの違いはあっても、大きな問題ではない。
人生の勝ち負けでもない。
本作を通して感じられたのは最大の収穫といっていい。
2時間があっという間に感じられたし。

主役西方仁也演じる田中圭も好演だが、
奥さん役の土屋太鳳と原田雅彦役の濱津隆之の存在が映画を引っ張った。
太鳳ちゃんはこんな奥さんならサイコーと素直に思わせてくれた。
濱津隆之は風貌も原田雅彦に通じる面があり、
その表情やセリフがリアルな世界へと導く。

今から13年前の劇的な勝利を思い出させてくれた。
歴史や事実は僕らに多くのことを教えてくれる。
それが今に繋がっていることも。

東京オリンピックまであと19日。
素直に感動したいですね。

映画「のさりの島」

本作を観たのが名演小劇場。
名古屋を代表するミニシアターだが、かれこれ何年ぶりだろうか。
少なくとも12年継続するブログには登場しない。
13~14年ぶりにお邪魔したことになる。

HPもスマホ対応はしていない。
Webでの予約もできない。
座席は自由席。
今どきこんな映画館もないとは思うが、それが意外と心地いい。
スタッフも最小限だが、なぜか人間味を感じる。

入口前にこんな飾り物が置いてあるのも理由かもしれない。
昭和を感じさせる館内に気持ちも安らぐ。

そして、本作。
この映画館で上映するために制作された作品と錯覚に陥る。
なんだろう、この感覚は・・・。

全編通してその感覚が抜けきらないまま映画を観終えた。
もしかしたら山本起也監督の策にハマっただけかもしれない。
申し訳ないが大ヒットはしない。
全国のメジャーな映画館で公開されることはない。
一部のファンに愛される作品に留まるだろう。

だが、それが本作の最大の魅力。
そう捉えられてもおかしくはない。

それはタイトルにある「のさり」の意味。
演技なのか実際なのか分からないお婆ちゃんの存在。
廃れいく商店街の風景。
全てが繋がっているように感じさせる。

人は誰しも善人であり悪人。
環境が善人も悪人も作っていく。
時代と共に変化するものと変化しないもの。
一見、変化しないことが正解かと思わせるがそうではない。
変化を感じさせない変化が正解を生む。
そのことに誰も気づかないんだろうが・・・。

ここまで書いたところで映画の内容は何一つ分からないと思う。
ただぼんやりとした表情や風景を眺めるだけで、自分への向き合い方が分かる気がする。

山本起也監督に4年前に会社までお越しいただいた。
社員研修で映像について学んだ。
確かビジネスチックなことだった。

本作とは真逆とも捉えられるが、本質は同じかもしれない。
懇親会もご一緒して映画について語ったが、
その場が激しすぎて何一つ覚えていない。

結局、人なんてそんなこと。
大切なことは十分理解していても、いつかは忘れる。
ふとした瞬間に思い出すけど・・・。

フィクションの世界をノンフィクションのように描く。
たまには映像がセリフを繋ぐ映画を観るのもいい。

何気ないシーンが頭の片隅に残り続ける。
きっと時々、思い起こすことになる。
それは忘れてはならない街の風景と共に。

貴重な体験をさせてもらった気がした。

ロケ地ツアーに行ってきた

映画コラムニストを名乗ってかれこれ8年。
それくらいかな?
映画を観て、評論をブログに書くだけでは片手落ち。

もう少し活動の幅を広げないと先々の活躍が危ぶまれる。
よしっ、幅は広げよう。
そんなわけで今回参加したのが映画のロケ地ツアー。

それも地元名古屋で撮影が行われ、
愛知県では大ヒットロングラン上映中の「名も無い日」
これは大袈裟ではなく名古屋市内の映画館は満員御礼も多いという。
嬉しい事実。

一つは日比監督の地道な販促活動とそれを支える仲間の存在。
もう一つが作品の出来栄え。
いくら宣伝が上手くでも駄作は結局見抜かれる。
この作品が継続して観客を呼ぶのは作品のクオリティーがイコールである証拠。

僕もこんなブログを書いた
ブログの影響もあるよね。

今日のブログは本作のロケ地ツアーの紹介。
僕はこの企画「未来チケット」に昨年11月に申し込んでいた。
その時は作品の知名度も名古屋での展開も確かなものではなかった。
先見の明があったわけね。

ロケ地ツアーは日比監督と一緒に回り、直接その背景を語る。
6月某日、そのロケ地ツアーに参加した。
僕が参加した回はこれまでの最少人数の6名。
しかし、わざわざ九州・熊本県から参加された方も一緒だった。

名鉄神宮駅前に集合し、まずは近くの飲食街。

今はコロナの影響もあり、そうでなくても静かな存在だが、
映画を観た方なら主役の同級生が切り盛りする居酒屋は印象的なシーンなはず。
あの親子関係もジワッとくるよね。

完全に見落としているがこの看板と今井美樹の関係性も。

この映画の撮影は約1ヶ月。
監督曰く、撮影が1日に延びれば300万ほどコストが増えるという。
そこをしっかり計算するのも監督の仕事。
拘り尽くす黒澤明監督の時代とは異なる。

神宮駅前の商店街を散策し、バスで移動。
これは流石に驚いた。

映画で使用された兄弟の家は日比監督の自宅。
映画はフィクションの要素はあるものの、ほぼ事実。
それも忠実に自宅を撮影場所として使用している。

さすがにショックを受けた。

しかし、ここも日比監督のこだわり。
ここでは語らないが一つ一つにシーンに大きな意味が込められている。
いくつかの話は伺ったが、その繋がりは一度観ただけは分からない。
いくら原体験といえ、自宅を撮影場所に使うとは・・・。

そして、ラストシーンや兄弟のやりとりとして重要なシーンを描いた七里の渡し付近。
ここでも監督の想いを聞くことができた。
この作品を熱田区で撮ろうとした監督の気持ちは手に取るように理解できた。
最後に参加者で記念撮影をしたがアップは止めておこう。

これがロケ地ツアーのお土産。

まあまあ名古屋らしい。
お茶やシュークリームを見てね。

撮影の苦労話や周りの方の協力も知ることができた。
これも貴重な体験。
しかし、いいツアーでした!と終わるわけにはいかなさそう。
もう一度、映画を観て、その意味を追求しないと・・・。

いい機会をありがとうございました。

映画「るろうに剣心 最終章 The Beginning」

とてもズルい作品である。

今でも上映上映されている
「るろうに剣心 最終章 The Final」

これを観た大半の方が今回の本作が気になって気になって劇場に足を運ぶだろう。
まるで続編を観るような感覚で・・・。
そして本作を観た方は2012年に公開された第一作「るろうに剣心」を改めて観ることになるだろう。
そのループは続き、第2作第3作へと繋がる。

実に巧みな集客方法。
DVDやAmazonプライムでつい観てしまう。
僕も今、そんな衝動に駆られつつある。

それだけではない。
大友監督はNHK出身。
大河ドラマ「龍馬伝」も撮ってきた。
音楽は映画と同じ佐藤直紀氏。

偶然かもしれないが、現在の大河ドラマ「青天を衝け」も佐藤氏が担当。
音楽家の特徴はどの作品にも反映される。
映画のラストシーンに近い音楽は「龍馬伝」のオープニングに似ていた。

そして、もっと大事なのが時代背景。
本作でも「禁門の変」のシーンがあったが、「青天を衝け」でも先日、描かれていた。
違うのは幕府側からの視点か、半幕府側からの視点か。

僕は歴史に詳しくはないが、通はその点の描き方も見逃してはいない。
同じタイミングで放映する練り込まれた仕掛け。
同じ新選組を登場させるもドラマは土方歳三を、映画は沖田総司をクローズアップ。
ドラマでは沖田総司の存在感なんて全くない。
う~ん、ここまで凝るとは・・・。

それがズルい作品と思う理由。
考えすぎ?(笑)

本作はこれまでのシリーズと比べると殺陣のシーンは少ない。
恋愛ドラマ的な要素が強い。
佐藤健と有村架純とのラブシーンに心躍らされるファンもいるだろうが、
滅多切りの場面を期待するファンも多いはず。
どちらが好まれるのか。

偶然だが6年前の映画「何者」では、この2人が大学生として微妙な関係を演じている。
微妙な関係がいいコンビなのかな。

映画とは関係ないことばかり書いたが、これだけ話題性のある作品。
敢えて多くを語らなくてもいい。

きっと興行成績も、その後のループも期待できるから。
うん、ズルい作品だね。

十分楽しめました。

新L型経済

このおっかない2人の対談(笑)。
現場の編集者はピリピリした雰囲気の中で対応するのは苦労するんじゃないのかな。
意外と和気あいあいと進んでいたりして。

最近、書籍はAmazonばっかり、それもkindle比率が高い中で、
久々にジュンク堂書店で購入。
たまには書店でフラフラと眺めながら、ふと手にした書籍を買うのもいい。
そんな感覚も大事にしたい。

表紙だけ見るとこの2人が対等に対談しているように思えるが、
どちらかといえば田原氏はインタビュアーに近い。
圧倒的に冨山氏が語っている。

僕の偏った見方だが、田原氏は冨山氏からこれからの経済を学んでいるようにも感じる。
やはり現場の実践者でないと語れないことが多い。
そんな意味では田原氏は政治面での特徴を本書では語る。

互いの持ち味を発揮していることになるのだろう。
先日のブログでも大学の授業について書いた。
答えのないことに向き合うのが重要と伝えていくのだが、
それに合致するような対談もあった。

日本の政治家は答えが出ない場面が苦手だと。
G7のような会議での議題は正解のないものばかりだが、
そんな場で日本の政治家は発言しないという。

そんな教育を受けていないので、できないのが理由。
だからコロナのような正解のない問いには答えられない。
なるほど・・・。

ビジネスの世界も正解がないことばかりだが、
そこでは無理やりにでも正解をださなきゃいけない。
ここで試験優等生タイプの難しさがでるようだ。
僕の授業は間違ってないね(笑)。

話は逸れたが、これから企業が生き抜くためには、
自分を鍛え答えを導く能力を身につける必要がある。
それができれば、むしろローカル経済圏の方が豊かになる。

本書ではGAFAの弊害も含め、地方経済の可能性を示す。
名古屋がどちらに属するかはともかく、
名大社はローカル経済圏で生きると認識したほうがいい。
その中でやれることは多い。

冨山氏はいつも経営者に対しての指摘は厳しい。
そのほとんどがダメ出し。
「ゾンビ企業」には完全撤退を誘う。
一方でローカルな企業へはエールを送ると共にチャンスであるとも訴える。

どう捉えるか。
東京都の経済成長率の低さ(全国47都道府県中38位)と先進国ほどローカル経済が伸びている事実。
僕らにとっては勇気づけられるデータになるのかも・・・。

エッセンシャルワーカーが地方での中産階級となり経済を牽引する。
その可能性が高いとすれば、まだまだ自分たちにとってもチャンスは広がる。

元気づけられる1冊となった。

コロナ倒産の真相 帝国データバンク 情報部

特に難しいことが書かれているわけではない。
日々、新聞やTVの報道で観る中身。
それが具体例を持ち、また変な感情論を省いて書かれている。

この第三者的な立場の冷酷さが今の日本の現状であり、
更に近い将来予測されることとなるのだろう。

コロナによる打撃は名大社の事業においてもかつてない大きさ。
リーマンショック時も酷かったが、今回も負けず劣らず。
そんなことを威張っても悲しいだけだが、それが現実。

違いといえばリーマン時は仕掛けることができたがコロナ禍ではそれができない。
制約の中で事業を行わなければならない辛さがあった。
新たな事業を生み出せばいいのだが、それが簡単にできれば苦労はない。
指をくわえて見ているわけではないが、
部外者からすればそう捉えられるのかもしれない。

新年度に入り、少しずつだが回復傾向があるのは救い。
ひとりひとりの地道な努力が実を結んでいることが大きい。
それには感謝せねばならない。

本書には「コロナ関連倒産」の定義からその傾向が書かれている。
アパレル、娯楽、観光、飲食、製造業、その他の業界の実態を描いている。
確かにその通り。

今日現在の飲食業のように手の施しようのない業界もある。
我慢に我慢を重ねる。
僕の知り合いにも悲痛の叫びをぐっと堪えて耐える方もいる。
他人に気を配る余裕はないが、その影響度は自分たちの比ではない。

一方で本書で取り上げられる多くの企業はコロナは結果でしかない。
コロナが決定打にはなったが、原因とは言い難い。
コロナ前からの事業低迷、長年にわたる不正、隠蔽、社内での不祥事。

それがコロナにより露わとなり、救いの手を閉ざられたといっていい。
本書を読んで改めて思ったことは普段が大事。
景気のいい時も驕らず、私利私欲にまみれず、
信頼できる関係性を維持し続けることが重要。

経営戦略以前の話で会社は揺れ動く。
実際はそんなバカげたケースばかりではないが、いかにそれが多いか、
結果的に誰も助けてくれない状況に陥るのか、そんなことがいえる。

読んでいて楽しくもないし、大した勉強にもならないが、
反面教師的に捉えるために時々この類を読む必要はある。

巻末に老舗企業の強さについて書かれている。
現在、業歴が100年をこえる老舗企業は全国に約34,000社。
そのうち約8割が年商10億未満の企業。

そんな企業は「戦争」さえも乗り越えている。
どう乗り越えてきたか。
いくつかの理由はあるが、結局のところ「変化」。
そして「信頼の維持・向上」。

どんな時代でも肝心なところは変わらない。
そこだけは見誤らないようにしないとね。

映画「いのちの停車場」

日本映画界は吉永小百合が生存する限り、
彼女をアイドルとして作品を作り続けなければならない。
そう感じた作品。

いくつになっても吉永小百合は純粋で可憐なアイドルであり、その輝きは衰えることはない。
何故か、ここ最近、僕は彼女の作品を鑑賞している。

2014年 ふしぎな岬の物語
2016年 母と暮せば
2019年 最高の人生の見つけ方

特別なファンではないが、鑑賞券を頂いたりとご縁がある。
自分の母親とさほど変わらない年齢だし、サユリストなんてタモリの発言で知っただけ。

しかし、何とも可愛らしい。
永遠のアイドルといってもいい。
どの作品もそんな印象。

現在76歳だが、本作では50代後半くらいの設定だろうか。
彼女の父親役の田中泯も実年齢76歳。
二人を調べてみると誕生日は3日しか違わない。
同じ3月生まれで・・・。

それが映画では父親と娘。
果たして田中泯は光栄と感じているのだろうか。
とストーリーとは全く異なる世界の話になってしまった。
すみません。
いかん、そのアイドル性をどうしても語りたくなってしまった。

舞台は彼女が診療所の医師として働く在宅医療の現場。
余命短い父親と暮らしながら、いろんな立場や環境の患者と向き合っていく。
人は老いて亡くなるだけでない。
寿命を全うするわけでもない。
悔いなく死を迎えることもあれば、悔いしか残らないこともある。

本作は人との触れ合いの中で観る者に「いのち」の尊さを考えさせる。
それは僕も感じたこと。
これまで死について考えたことはほとんどない。
あまり長生きしてもしょうがない。
いずれは死ぬ。
その程度に捉えていた。

しかし、こんな作品を見せつけられるとそうはいかない。
自分の死について考えざるを得ない。
特に同世代に近いギバちゃんが亡くなるシーンは身につまされた。

本作のメッセージはそれだけではないはず。
そう思うが、感じ方はそれぞれでいい。
そんな作品。

広瀬すずも松坂桃李も爽やかな演技。
暗い話だが重くならないのもいい。
ラストシーンの捉え方は千差万別だが・・・。

こういったアイドル映画を日本映画は作り続ける必要もあるだろう。

「三代目」スタディーズ

いつかは忘れたが日本経済新聞の書籍紹介の記事を読み、何も考えず購入。
何も考えずではなく、その「三代目」という響きからファミリービジネスの勉強になるのでは
と勝手に解釈しただけのこと。

確かに勉強になった点はあるが、僕の想像とは異なる視点。
こんなふうに「三代目」を捉えるんだと・・・。

通常、「三代目」といえば僕に近い観点が働くと思う。
「売家と唐様で書く三代目」とか「ボンクラ」とか・・・。
それは日本に留まらず英語圏でも同様の見方はあるようだ。

Father buys,the son bigs,the grandchild sells,and his thigs.
直訳すれば、「親は買い、子は建て、孫は売り、その子は乞う」。
四代目は乞食にまで落ちぶれること。
同じような捉え方は海外でもあるようだ。

一般的に三代目というと企業経営者の三代目を指すことが多い。
本書にも紹介されている松下、トヨタの三代目。
トヨタの創業家三代目といえば現社長の豊田章男氏。
誰もが知るところ。
松下電器(現パナソニック)の三代目は松下正幸氏。

ここでは述べないが豊田章男氏とは対照的。
企業としての扱い方も対照的。
個人を奉るのか、企業を奉るのか。
パナソニックの資料館や博物館は松下幸之助を、トヨタの博物館はあくまでもトヨタを中心に置く。
そのあたりも「らしさ」が反映されている。

その点でも三代目の視点が違う。
著者の視点はさらに先を行く。
天皇家にも足を踏みいれる。

昭和天皇は124代天皇。
初代神武天皇から数えればそうなる。
僕もすぐ忘れちゃうんだけど(汗)。
日本国を支える天皇家ということ。

それを冒涜するわけではないが、著者は昭和天皇を三代目としても捉える。
近代国家的な見方からすると明治天皇から三代目にあたると・・・。

これは大げさな例かもしれないが、そもそも何をもって三代目にあたるのか。
豊田章男氏もトヨタ自動車の創業家三代目にはなるが、
豊田家としてはもっと歴史はあるはず。

どこをスタート地点とすればいいのだろう。
単純に疑問がわく。
それは多くのことにいえるだろう。

今、お笑い界は「お笑い第七世代」が活躍している。
では、第三世代は誰か?
明確に答えられる人っているのかな?

僕は分からないが本書によれば、とんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウン。
となると第一世代は誰が決めた?
そう考えると世代論はかなり難しい。
あくまでも恣意的なんだろう。

著者は「三代目」というタグを通して、近代日本の歴史意識の解明に向けた概念化を試みたという。
この辺りは社会学者らしく、僕の頭の構造とは大きく違う。

当初の想定とは異なったが、そんな視点が学べたのは価値がある。
僕も脱皮する山田家の三代目かな(笑)。

映画「茜色に焼かれる」

今、まさにこの瞬間を描いている作品。
舞台はコロナ禍でギリギリの生活を強いられる家族。
現実的にはあり得ないと思いつつ、きっとどこかで起きている。

実際にニュースで見たようなシーンの連続。
パッチワークのように紡いでいるようだが、それがリアルへと近づける。

この1年、僕自身も希望を見失う時間を過ごしたが、
尾野真千子扮する良子はその比ではない。
辛い環境下でも生き抜く力を見せている。
それは圧倒的はポジティブさを持っているわけでも、
類まれな能力や体力で乗り越えるのでもない。

気持ちは大いに揺らぐし、どうしようもなく他者を責めたくなることもある。
とても人間らしい。
普通の人間らしい。
しかし、普通の人間では耐えきれない精神力を持っている。

その精神力は何を持って生まれてくるのか。
本人も明確な回答はない。
自分が正しいと思う道を曲げずに進むしかない。
不幸なストーリーで観る側も落ち込むが、同時に勇気を与えられる。

石井裕也という監督は今の時代を描く最も上手い監督ではないか。
映画コラムニストでありキャリアカウンセラーの立場としては、
(エラそうにいってます・・・)
本作をキャリア論的に観ることも可能。

以前の「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」
「川の底からこんにちは」
女性のキャリアを別視点で描いている。
石井監督は女性の働き方を軸に時代を描く稀有な存在なのかもしれない。
僕の好きな白石監督とは対極的だが、令和を作っていく監督の一人。

それにしても本作は全面的に尾野真千子。
彼女の絶妙な感情表現が全てといっても大袈裟ではない。
多くのレビューで語られているとおり、
素晴らしい演技で暗いだけの作品に明かりを燈す。
その耐える姿や演技に演技を重ねるシーンには感動。
元舞台女優という設定だしね。

鑑賞前は「R15にすべき作品なのか?」と思っていた。
なるほど、そういう理由か・・・。
時代を描くにはR15が正しい。

そして風俗嬢の同僚であるケイ役の片山友希の存在感が際立つ。
笑顔、不満顔、怒り顔、泣き顔、同じ人物とは思えない豊かな表情。
その表情から窺わせる彼女の半生。

生きるのは辛い。
しかし、生き抜くことで次が見えてくる。
それがラストに表れているように思う。

こんな時期だからこそ、より大切にしたい作品。
コロナ禍が生み出す価値もある。

旅のつばくろ

沢木耕太郎氏がこんな書籍を出しているとは知らなかった。
少し前の週刊文春で東京オリンピックについて寄稿したという広告を見て、
どんな記事かを調べていたら本書にたどり着いた。

オリンピックの記事は楽天マガジンでもカットされていたし、ネットで調べても有料版しか出てこない。
ちゃんと金を払って読め!ということだが、どんな記事なのか教えて欲しい。
一切の取材依頼は断っているらしいが・・・。
商業主義のオリンピックには興味をなくしているのかな。

そんなわけで本書である。
沢木氏といえば全世界を旅するイメージが強いが、本書は国内の旅行を描いている。
基本は一人旅で、それもふらっと自由気ままに全国を回る。
有名な観光地はほぼゼロで、読み方さえ分からないような僻地も多い。

そこに向かう理由も様々だが、いかにも沢木氏らしい。
一般人なら考えにくい理由だが、沢木氏が語ると納得感が高くなる。
それはある作家との忘れ去られてしまいそうな思い出だったり・・・。
不思議だ。
読む者にとっては羨ましく感じる。

大した目的もない。
ルートも宿泊先も決まっていない。
しかし、偶然の出会いに思いがけない感動が生まれる。
そんな旅が多い。

こんな書籍を読んでしまうから、一人旅に憧れるのだろう。
それも誰にも邪魔されず、気の向くまま嗅覚だけを頼って・・・。
絶対、家人は怪しむだろうが、そんな時間を過ごしてみたい。
海外は難しいので、せめて1~2週間、国内を回る旅くらい許してもらいたい。

来年あたり行きたいなあ~。
古びたの居酒屋に入り、その土地の3番手の名物を頂きながら、しっぽりと地元の日本酒を飲む。
いい感じに酔っ払い旅館に戻り、ボーッと温泉に浸かる。
飲みたいだけで、沢木氏と全然違うじゃないかと思われるが、
そんな日があってもいい。

沢木氏は無類の酒好きと思っていたが、そうでもなかった。
最近までシャンパンとブランデーと日本酒は美味しいと思わず、自分から飲むことはなかったようだ。
旅先で出された名前も知らない日本酒を飲み、美味しいと思ったという。

ということは、こうか。
僕は普段でも日本酒は美味しいと思うが、旅先では更に美味しいということか。
それは、いいじゃないか・・・。

と辿り着く先はいつも同じような気もするが、
本書に感化され、ますます一人旅に出たくなった。
どうしてくれるんだ。

やっぱり固いビジネス書を読んでる方が健全なのかな。