これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」

公開は知っていたが、気に留めることなく素通りしていた。
僕の目の中には入ってこなかった作品。
子供向けのアニメと思っていたからだ。

ある飲み会で、本作をモーレツに薦める仲間がいた。
スルーしようとした自分を完全否定し、
観なきゃ映画コラムニストを語るには失格だと言わんばかり。

そこまでいわれると観に行かざるを得ない。
また、レビューを読むと絶賛の声も多い。
他にも観たい映画があったが、ここは推薦の言葉に従った。

僕が抱いていた「ゲゲゲの鬼太郎」とは180度、異なった。
そもそも「ゲゲゲの鬼太郎」は小学校の頃、再放送を見ていた程度。
ハマったわけでもない。

記憶に残っているのは「ゲッ ゲッ ゲゲゲのゲ」から始まる主題歌。
内容はほぼ覚えていない。
原作者水木しげる氏が言わんとしていることは1%も理解していない。
夜に墓場で運動会をやってるくらいしか知らない。

そんな状況の中で観た本作。
軽いショックを受けた。
斬新な映像もインパクトだったが、そのストーリーには驚かされた。
予告や題名を知らずに観たら、最後の最後までゲゲゲの鬼太郎とは分からない。
いや、ねずみ小僧で分かるか(笑)。
でも、そんな世界だった。

それも複雑な日本の戦後を描く世界。
戦争で傷ついた人たちが這い上がる姿を辛辣な見せ方で表現している。
主人公となる水木氏はきっと原作者本人。
鬼太郎の父は目玉おやじになる前の姿。

どう鬼太郎が生まれたかが明らかになるが、
アニメ作品を忘れているので、繋がりは分からない。
その点でいえば、鬼太郎ファンにとっては愛しい作品になるだろう。
僕は「へ~」と冷静に感心しただけだけど。

飲み会でおススメされなかったら100%観なかった。
おススメに従ってよかった。
そう考えるとやはり先入観で作品を決めつけてはいけないし、
人の意見は素直に参考にすべき。
知っているようで知らない世界は多い。

それは水木しげる氏の訴えたい世界も同じ。
主題歌しか歌えない僕は何も分かっていない。
それを理解し、作品の社会性を体感できただけでもよかった。

タイトルだけで判断するのは止めよう。
いい勉強になりました。

映画「ぼくは君たちを憎まないことにした」

またまたフランス映画。
正確にはドイツ・フランス・ベルギー合作だが、
舞台がパリなのでフランス映画の立ち位置で問題ないだろう。

原題は「Vous n’aurez pas ma haine」。
フランス語はメルシーしか分からないが、忠実な日本語訳のタイトル。
「愛と青春の旅立ち」とは違うわけね。

本作は2015年のパリ同時多発テロ事件で最愛の妻を失ったジャーナリストの
事件発生から2週間を描いている。
ほぼ実話だという。
僕は知らなかったが、世界的なベストセラー。

この手の事件は世界中で起きているが、本当に胸が苦しくなる。
明らかにフィクションであれば冷静にみられるが、
実話となると自分をダブらせてみてしまう。

僕が同じ立場だったら、どうなるだろう。
幼い子供の残し、予定外に最愛の相手を失ったら、
自分自身が持ち堪えられるだろうか。
感情を抑え、周りと接せることができるだろうか。
何より母親を求める子供にどう向き合えばいいだろうか。
そんなことを考えてしまう。

本作はタイトル通りの内容。
妻を亡くした主役が犯人であるテロリストを憎まない姿が描かれる。
しかし、それは本心であって本心ではない。
あえてその方向に自分を向かせることで、
怒りや悲しみを抑えようしているに過ぎない。

実際に頭で理解できても、感情や気持ちのコントロールはできない。
きっと僕も同じ。
一人きりは耐え切れない。
アルコール依存症になる可能性もある。
多分、ギリギリそこまではならないと思うけど、分からない。

今、世界で起きている事件や紛争には同じような被害者がいる。
僕らは表面的なニュースでしか事実を知ることができない。
一人一人の置かれた状況はほぼ知らない。

その方が気持ちは楽だが、そのままでは一向に事件や紛争は終わらない。
残された子供の顔を想像して爆弾を落とすことができるか。
違う角度の想像力をもっと働かせてほしい。

子役のゾーエ・イオリオはまだ2歳くらい。
どこまでが演技か分からないくらい素晴らしい。
その分、悲しさは倍増する。

そして、主役のピエール・ドゥラドンシャン。
どっかで見たことのある俳優と思い調べたら、
「私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?」に出演していた。
やっぱりフランス映画って出てる俳優は限定的?
そんなことも思ってしまった(笑)。

どんな辛いことが起きても僕らは前を向いて歩かなきゃいけない。
それも教えてくれる作品だった。

日本の歪み

ふと手に取った本書。
たまには知識人の考え方を聞いておくことも必要。
解剖学者、脳科学者、批評家の共通点は3人とも東京大学卒業ということ。
それが理由で対談が行われたわけではないと思うが、
普段の生活では出会うことのない方の話は貴重。
僕にも東大卒の知り合いはいるが、ほとんどがビジネスマンだし・・・。

本書は日本社会の歪みを様々な視点で論じている。
歴史、戦争、憲法、天皇、税金、地震などテーマは様々だが、
たまたまテーマが複数に及んでいるだけで内容的には一貫している。

ここで感じるのはやはり教養の必要性。
教養がなければ深く考えることもできないし、日常に疑問を抱くこともない。
僕は残念ながら普段、どうでもいいことばかりに頭を悩ませ、大局的に物事を捉えることは少ない。
時々、ハッとさせられる難題を振られ、ドキマギしながらあぶり出すのがやっと。

自分の中での倫理観に基づき行動しているに過ぎない。
もしかしたらそれがあるだけまだマシなのかもしれない。
自分の判断軸を持たないと世の中に流され、なんとなく嫌だと感じることを受け入れてしまう。
それが本書でいう居心地の悪さに繋がっているのではないか。

この社会で生きていくには一定のルールに従う必要がある。
それは納得するかしないか関係なくルールはルール。
ルールは破るためにあるというバカもいるがルールは守るもの。
それがおかしいと思えばルールを変えるだけのこと。
もしくは表面的に従うだけのこと。

必要以上に縛られると苦しくなる。
だから僕はできるだけ自分を解放し、さらけ出す。
そうすることで縛られることは減り楽になる。
他人の目も気にしなくなる。
完璧じゃないけど・・・。
そんな点でいえば、僕はさほど社会に居心地の悪さを感じない。

しかし、それは昔からそうだったわけではない。
中学、高校の頃は結構、抑えつけられたと感じるし、
本当に解き放たれたのはこの10年くらいじゃないか。
開き直って生きられるようになってからだと思う。
この先、舞い戻る可能性もあるが、意外とそれって難しいのかも。
他人に思いやりを持ちながらも、もっと自由になれたらいいね。

本書には日本語の難しさについても論じられている。
「私」から「俺」へ変わるタイミングとか。
僕はブログでは「私」でもなく「俺」でもなく、
もちろん「オイラ」や「ワシ」でもなく「僕」で通している。

それが一番自然に感じるから。
講演なんかは使い分けるけど。
それもちょっとしたこだわりかもね。

本書は何かを解決してくれるわけではない。
疑問を投げかけるだけ。
ただそれをキッカケに高い視点を持つことはできる。
誰もが生きやすい世になってほしいだろうし。

映画「首」

カンヌ映画祭で絶賛されたというが、絶賛のポイントはどこか?
映像美なのか、
斬新なタイトルクレジットか、
いとも簡単に首がポンポンと飛ぶところか、
歴史の解釈を大きく変えたところか、
それとも北野武監督だからか・・・。

独特な演出の北野作品は好んで観ている。
本作も公開3日目に鑑賞。
何度も観た予告編でも体が震え、自ずと期待感が増していった。

その期待に応えたかは大きく意見が分かれるだろう。
評価は分かれる作品じゃないかな。
ぜひ、自分の目で確かめてほしい。

構想30年の集大成は僕らの常識を大きく変える。
こんな世界があったのかと驚かされる。

戦国時代の武将が映画やドラマで描かれるここと多い。
織田信長だけでも視点を変えれば全く異なる人物像。
「どうする家康」の岡田准一や「レジェンド&バタフライ」のキムタクはまっとうな信長。
「麒麟がくる」の染谷将太は狂気じみていたが、本作は軽くそれを超える。

ここまで狂気じみた信長を初めて見た。
加瀬亮って凄い俳優なんだと初めて理解できた。
あの佇まいやセリフのぶっ飛び方は半端ない。
あんな岐阜弁の使い方もあるんだ・・・。
それだけでも一見の価値があったりして。

一方で秀吉は一切、名古屋弁が出ない。
ムロツヨシはあれだけミャーミャー、ギャーギャー言っていたが、本作ではゼロ。
信長とのコントラストが際立つ。
明智光秀なんて美しすぎる日本語じゃないか。
カンヌで本作を観た外国人は絶対に分からないと思うんだけど・・・。

家康も大河ドラマと比較すると結構面白い。
「本能寺の変」の後の行動は見物。
信頼できる家臣の存在か、何人も登場する影武者の存在か、
歴史は解釈の上で成り立ち、作り手によって歴史は変えられる。

本作が描く世界は事実からかけ離れているが、
それは僕が勝手にそう思っているだけ。
本当はこっちの世界が正しかったりして・・・。

ポスターのキャッチコピー「狂ってやがる。」
まさにそう。
北野武監督の狂人性はまだ衰えないのかもしれない。

映画「PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ」

ここまで日本人を悪く描くと韓国人はスッキリするかもしれない。
一方でこれが本当の姿として捉えられると日本と韓国の距離感は一向に縮まらない。
あくまでも娯楽作品として観るべきだが、勘違いする人が増えてもおかしくはない。
被害者と加害者の関係はどれだけ時代が進んでも平行線なのかな・・・。
これが事実かもしれないけどね。

本作は1933年、日本統治下のソウル(京城)で起きた朝鮮総督暗殺事件が舞台。
抗日組織「黒色団」のスパイ「ユリョン」が事件を起こす。
フィクションだがこれに近い出来事は起きていそうな匂いも。
日本の警備隊が朝鮮人の容疑者を監禁し、そこで繰り広げられる攻防が描かれる。

シンプルで面白く観れるのは間違いない。
韓国作品らしいエンターテイメント性も感じる。
これが海外で上映されるのなら、それなりにウケるだろう。

しかし、日本人としてどうしても違和感を感じてしまった。
登場する人物はすべて韓国人俳優。
セリフの半分以上は日本語で役どころも日本人役が主役級。
懸命に日本語を扱う姿はそれなりに映る。
やはり何かが違う。
言い回しもイントネーションも微妙だったり・・・。

せっかくなら日韓合作にして、日本人役は日本の俳優を、
朝鮮人役は韓国の俳優を使えば、映画のクオリティはさらにアップしたはず。
そう思うとちょっと残念。
これだけ日本が悪者だと協力体制は難しいかもね(笑)。

僕が引っ掛かっているのは言葉の問題。
そんなことをいえば、映画「キングダム」で日本語を喋っているのは変だし、
まもなく公開される「ナポレオン」も英語なのは変。
言い出したらキリがない。
自国を中心に製作される以上、当然のこと。

今年は韓国映画を7本鑑賞。
見逃した作品も多いが、昨年と比較すると僕の全体的な評価は落ちる。
アイデアや視点はいいが、昨年の方が抜群に面白かった。

日本映画は引き離されたと思ったが、そんなことはない。
やっぱり素晴らしいし、まだまだこれから。
そんなことをここで呟いても仕方ないが、そんなことを感じた。

本作も面白いんだけどね。

映画「正欲」

「正欲」というワードは普通に変換しても出てこない。
性欲、制欲と表示されるくらい。
「正しい欲」ならありそうなワードだが、実際には存在しないようだ。

言い換えれば「常識」というワードになるだろう。
この「常識」というワードも厄介だ。

僕は自分を常識人だと思っている。
誤った道は歩まない。
人を傷つける行動はしない。
犯罪を犯したことはない。
家庭を大切にしている。
結婚だって1回・・・。

しかし、これは僕が勝手に思っている「常識」に過ぎないのではないか。
自分の中の「正欲」じゃないか。
本当にその「常識」や「正欲」は正しいのか。

本作鑑賞後、ジレンマに陥った。
もしかしたら僕は誤った道を歩いているのかもしれない。
実際は人を傷つけているのかもしれない。
自分勝手にそう思っていないだけ。
そう思った方がよさそうだ。

LGBTQもようやく当たり前のこととして認識しているだけ。
中学、高校時代ならそんな認識は持ち合わせなかった。
今の子供たちに比べ遅れている言わざるを得ない。
男性至上主義の老人を非難するのは簡単だが、そんな権利は僕にあるのだろうか。
自分の中の「常識」で正義感を振りかざしているだけ。

「常識」を疑え!
本作は僕に突き刺さしてきた。
それは主役の吾郎ちゃんと同じ状況。
最後のセリフがすべてを物語っているのかもしれない。

ここまで書いたところで映画の内容は全く分からないと思う。
まあ、いつものことか・・・。

少しだけ解説すれば、それぞれ悩みを抱える稲垣吾郎、新垣結衣、磯村勇斗、
佐藤寛太らが一つの事件を基に絡み合い、自身の存在をあからさまにしていく。
ちょっとまとめすぎか。
これでも全然分からないね。

朝井リョウの原作は未読なので、映画がどこまで忠実かは分からないが、
本作から性的指向の多様性を知るのも悪くはない。
受け止め方も人によって異なる。
自分の常識から、あり得ん!と断罪する人がいてもおかしくはない。
そんな人を僕は非難できない・・・。

それにしてもこれだけ可愛くない新垣結衣は初めて。
後半はイキイキとしてくるが、
前半は映画評論仲間Bushさんがいうように完全に目が死んでいた。
それは生き辛さの証。
抜群の演技ともいえるけど。

できれば毎日明るい表情で生きていたい。
そのためには「正欲」を捨てること。
そんなふうに思わせてくれる作品だった。

映画「私がやりました」

昨年は韓国映画が面白いといい、かなりの本数を鑑賞。
今年はフランス映画か。
年に1本観るか観ないか程度だったが、今年はこれで4本目。
いずれも面白い作品ばかり。

これまで機会を捉えてなかっただけか、
それとも急激にフランス映画自体が盛り上がっているのか。
実態は調べないと不明だが、肌感覚として発信力が増しているように思う。
先日の「私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?」もそうだが、
実社会にメスを入れる堂々とした作品が目立つ。

本作はジャンルとしてはコメディ。
ユーモアたっぷりに描いたクライムミステリーと紹介されているが、僕はコメディと認識。
違うのかな?

本作はやたらめったら喋りまくる。
フランス語の分からない僕は字幕を追い続ける。
もし、フランス語が理解できたのなら、
そのニュアンスや微妙な言い回しでコメディかミステリーか判断できるのだろう。
国特有の文化もあるだろうし・・・。

舞台は1930年代のパリ。
当時のフランスは女性に地位が低く、何かと軽んじられる。
その中で這い上がる三流女優と貧乏弁護士、
そして、かつての大女優が自己主張バリバリに展開していく。

計算高い女性が世の中を上手く渡っていく一方で、男どもは何とも情けない。
皮肉が込められているかどうかはともかく、体裁や恰好を気にする男と
欲望をむき出しで戦いを挑んでいく女性陣のコントラストが面白い。
どんな時代も女性の方がしたたかで優秀なんだろうね。

本作は3人の女優が主役張りの活躍。
弁護士役のレベッカ・マルデールは「シモーヌ フランスに最も愛された政治家」で若い頃のシモーヌを演じていた。
大女優役のイザベル・ユペールは「私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?」の主役。

いずれも今年の作品で役どころは異なる。
見方を変えるとフランス映画は特定の女優に頼った作品ばかりか。
4本鑑賞のうち3本が同じ女優。
もう一本はソフィーマルソーだし・・・。
他にも活躍するステキな女優はたくさんいるよね?

ただ僕はレベッカ・マルデールに惹かれる。
日本だと小雪に似た雰囲気を持つが、
堅い役も柔らかい役も柔軟にこなせるのが素晴らしい。
これから好んで観てしまうかも。

ストーリーはあらぬ方向に行ったり来たりするが、
最終的な結末は、なるほどね・・・という感じ。
やはりシアワセになることが大切。

もっと多くの国の映画を観ることが必要だと改めて実感。
次回鑑賞するフランス作品も楽しみにしたいね。

映画「ナックルガール」

Amazonプライムで配信された作品。
何かのタイミングで予告編を見て、早々に鑑賞。
TVCMだったかな?
個人的には面白かったが、レビューを読むと酷評が続く。

簡単に解説すれば、妹が裏社会の組織に監禁され、
プロボクサーの姉が救出するためにその世界に戦いを挑むストーリー。
確かに詰めが甘いというか、矛盾も多い。
映画館で集中力が途切れずに観たのなら、粗が目立ったのかもしれない。

しかし、ここは大目にみよう。
(無料で観ているわけだし・・・)
僕は何気に三吉彩花は気になる女優の一人。
特徴のある顔立ちではないので街で会っても気づかないかもしれない。
スタイルは抜群だが女優の力量としては未知の存在。

だが、なんとなく気になっている。
「ダンスウィズミー」「Daughters(ドーターズ)」も秀作とは言い難いが、
彼女の動きには目を見張るものがあった。

そして、本作。
三吉彩花のアクションを観るだけでも一見の価値はある。
アクションが上手い女優は綾瀬はるかや長澤まさみが挙げられるが、その比ではない。
彼女はその路線だけでも活躍できるのではないだろうか。

どこまで合成やスタントマンが使われているか分からないが、
本作を観る限りほぼすべて自分で演じていると思う。
トレーニングシーンが本物だとすれば相当な体力の持ち主であり、
その鍛え方には感動する。

ボクシングシーンも格闘するシーンも実にサマになっている。
現役のプロボクサーといわれても誰も疑わない。
そんなふうに思ったり・・・。

原作は韓国の人気ウェブコミックとのこと。
韓国映画ならリアリティを感じたかもしれないが、
(そうでもないか)
日本ではあり得ない世界。

現実からは遥か遠い世界を描いているが、設定は目の前の日本。
そのあたりが酷評の理由かもしれない。
何も考えず観ることをおススメしたい。
秋の夜長にはいいと思うし、伊藤英明や窪塚洋介も真剣に演じている。

映画館でないので本作は対象外になるが、
今年は80本を超える作品を観ることができるだろうか。
残り1ヶ月半。
こんな作品で体を慣らし、スパートを駆けていきたい。

映画「SISU シス 不死身の男」

描かれているのは第二次世界大戦末期の1944年。
「ゴジラ−1.0」に近い(笑)。
これが実話なら凄すぎる世界だが、さすがにあり得ない。
主人公がターミネーターかダイハード並に強すぎる。
いや、もしかしたらこの2人よりも強いかも・・・。
映画を観て、そんなことを感じた。

アクション映画はハリウッドが主役だが、最近は韓国やインドの台頭が目立つ。
それだけじゃない。
もしかしたらフィンランドもその国の一つかもしれない。

そもそもフィンランド映画って観る機会がない。
今年観た「コンパートメント No.6」が初めて。
僕の勝手な印象だが、タイトルの置き方や表現は時代を感じる。
途上国の雰囲気が残ると思うのは単に思い過ごしか・・・。

戦争映画は自国が舞台だと相手国との関係性がよく理解できる。
日本やドイツやアメリカが舞台ならものすごく分かりやすい。
ではフィンランドはどんな立場か。

無知な僕はフィンランドがどっち側なのかも、どう巻き込まれているかも知らない。
映画を通して国の立場を理解することになる。

本作は完全無敵の爺さんがナチス軍をメタメタにする物語だが、
ドイツの描かれ方をみればフィンランドが抱く感情は少なからず分かる。
どうみても悪い連中でろくでもない軍隊。
本作を観てすっきりしたフィンランド人は多かったりして・・・。

それにしても主人公の老兵コルビはタイトルにあるように不死身。
普通の人間ならとっくの昔に死んでいるがその度に復活。
それはヒーロー物の超人ではなく、あくまでも人間。

体はボロボロで傷だらけ。
自分で治療する姿は目も当てられない。
かなり残酷。
ほぼセリフはなく、感情と行動だけで観る者を引っ張る。

たまにはこんなストレートな映画を観るのもいい。。
タイトルにある“SISU(シス)”。
フィンランドの言葉で正確には翻訳不能。
すべての希望が失われたときに現れるという、不屈の精神を意味している。
解説のまま引用(笑)。

映画の中でもそんなセリフがあるが、日本でいえば大和魂的な言葉か。
映画を通して国を学ぶことは多い。

バイオレンスアクションでもそれは同じだった。
やはり多くの国の映画を観ないとね。

映画「ゴジラ−1.0」

本作はゴジラの生誕70周年記念作品。
日本で製作された実写版映画としては30作目。
なんと公開日も第1作目の1954年の「ゴジラ」と同じ11月3日。

その初日に本作を鑑賞。
特にモーレツなゴジラファンでもない。
たまたま日程があっただけ。
最近観たゴジラといえば「シン・ゴジラ」「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」
といっても7年前だから随分と昔。

小学生の頃は公民館で上映会があり、ゴジラシリーズが流れていた。
「ゴジラ対ヘドラ」とか「ゴジラ対メカゴジラ」とか。
どちらかといえば正義の味方で、子供向けの作品になっていた。

平成になってシリーズ化されたが全く観ていない。
それについては特に問題はない。
問題なのは第1作目を観ていないということ。

どんな結末か知らない。
本作と比較するにはそれが重要な気がしてならない。
観終えたあとにそんなことを感じた。

舞台は第二次世界大戦の終戦前と終戦後。
戦争に敗れボロボロになった日本をゴジラが襲う。
その設定は果たして正解なのか。
ー1.0というから正解だと思うが、誕生の理由は分からない。
まあ、細かいところは省くとしよう。

個人的には「シン・ゴジラ」の方がリアリティがあり好きだが、娯楽作品としては抜群に面白い。
老若男女楽しめる映画。
僕が観た回はどちらかといえば年配の方が多かった。
「シン・ゴジラ」ではノスタルジックにはなれないし。
そんな面もあるのかな・・・。

山崎貴監督の技術はふんだんに映像に取り込まれ描き方はさすが。
同時に先が読めるストーリーも監督らしいというべきか。
思っていた通りの展開(笑)。

僕は前回のNHK連ドラは観ていないが、主役の2人はそのままという。
浜辺美波は「シン・仮面ライダー」もヒロイン役を演じており、往年のアイドル路線を歩む。
虜になっているオジサンも近くにいるし(笑)。
シン・シリーズには重宝する女優になりそう。

主役の神木隆之介は決して嫌いな役者ではない。
若手俳優では上手いと思う。
本作でも好演していた。
それは間違いではない。
しかし、僕は申し訳ないが迫力不足を感じた。
頼りなさを演出していたのかもしれないが、少し違うような気がして・・・。
この辺りは他の方の感想を聞いてみたい。

ここからまたゴジラシリーズが始まるのだろうか。
ゴジラ2.0とかゴジラ3.0とか・・・。
パワーアップしたゴジラの動きや破壊される街並みは楽しみにしておきたい。