これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「コットンテール」

夫婦役はリリーフランキーと木村多江。
どこかで見た風景だと映画を観ながら思い出した。
2008年に公開された「ぐるりのひと」。

映画コラムニストを語る前なのでブログは書いていないが、当時、DVDで鑑賞。
壊れゆく夫婦の再生を2人が演じたステキな作品。
誰も気づかないことを思い出すなんて、さすが映画コラムニスト!と自画自賛していたら、
映画サイトにインタビュー記事が当たり前のように掲載されていた。
みんな分かってたのね(汗)

ちょっとだらしない役を演じさせたら天才的なリリーフランキーと
神経質な役は抜群の木村多江とのコンビは本作でも魅力を発揮。
こんな姿が本当にありそうに気がしてならない。

タイトルの「コットンテール」とは野兎のこと。
本作でもウサギがカギになるが、あくまでもラビット。
ラの発音に注意しなければならない。
ラビットが若かりし二人を近づけ大切な存在になっていく。

シンプルに説明すれば、明子(木村多江)に先立たれた兼三郎(リリーフランキー)が
遺言状に従ってイギリスのウィンダミア湖に遺灰を撒くまでの話。
それ以外は何もない。
家族との関係性が描かれるだけ。

兼三郎はわがままで情けない。
傍からみれば叱り飛ばしたくなる。
でも、きっと叱れない。
せつなく、悲しく、寂しい表情に気持ちを持っていかれる。
世代が近いせいもあるが、自分と重ねてしまう。

実際、同じ状況なら僕はどうするだろうか。
わがままで情けない兼三郎と変わらないんじゃないか。
イギリスの広大な自然がより気持ちを駆り立てる。

順風満帆な夫婦関係ではないだろう。
ちょっとしたトラブルも絶えなかっただろう。
そんなことをイメージさせる。

でも、お互いに想う気持ちは出会った時と同じ。
一番大切な存在には変わらない。
親子のわだかまりも時間や環境が解決してくれる。
どこまでいっても家族は家族。
何かを失うことでそのありがたみや大切さを理解する。

わざとらしいセリフはない。
感動させようとするシーンもない。
きわめて普通であり日常。
舞台がイギリスなだけ。
そこがいい。
愛しさが伝わってくる。

「落下の解剖学」は夫婦で観ない方がいいと書いたが、本作は一緒に観た方がいい。
僕は恥ずかしいから行かないけど。

やっぱり自分が先に逝きたいと感じた作品だった。

映画「落下の解剖学」

原題はAnatomie d’une chute。
そのまま翻訳したタイトルが「落下の解剖学」。
あまりヒットしそうにない。
玄人好みの映画のように思えてしまう。

しかし、どうだろう。
カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したせいか、映画館は結構賑わっていた。
むしろ正々堂々と勝負した方がいいということか。
そして、映画を観終わってから、本タイトルの正しさを理解。
なるほど、解剖したわけですな・・・。

本作も最近、よく観るフランス映画。
やはり今年も注目すべきか。
素晴らしい作品を連発しそうな予感。
国としての施策もあるのだろうか。

正直なところ前半は眠かった。
高評価の作品なのに眠くなるとはどういうことか。
自分の目が節穴なのか、よほど疲れていたのか。

ちょっとまずいなと思ったあたりから、グイグイと引き込まれていった。
眠気は吹っ飛び、繰り広げられる舌戦に巻き込まれていった。
法廷劇をメインとしたヒューマンサスペンスだが、こういった作品は緊張感が全て。
裁判所のピリピリとした空気感がこちらまで伝わってくる。

スキャンダラスな事件を知りたいだけの野次馬的な傍聴者も激しいやり取りに表情が変わる。
そして、追及により明かされる知られざる真実。
夫婦のいざこざをできれば子供には見せたくはない。
仮に見せるなら当事者の口から知らせるのが本来の姿だろう。

それが検察官の追及や調査から丸裸にされたなら、その場に立ち会う子供はどれだけ辛いか。
容赦ない言動に苛立ちながらも、それが正義なら正しい行動として受け入れるしかない。
そのシーンが英語とフランス語で展開される。
もし、僕が両方とも理解できたら、もっと映画を楽しめた。
よりリアルなシーンとして感じることができた。

外国語がまるで分からない自分の無能力さを痛感。
映画を観ながら後悔もしてしまった。
一体、フランスで英語を話せる人はどれだけいるのか?
そんなことも思ってしまった。

間もなくアカデミー賞も発表される。
本作が作品賞を受賞したら、さらに注目もされる。
ただ夫婦で観るのはおススメしない。

夫婦喧嘩はしない方がいいが、仮に喧嘩しても録音はしてはいけない。
その場ですべて終わらせよう。
そんなことも教えてくれた作品。

いい勉強になりました。
違うか(笑)。

映画「コヴェナント 約束の救出」

解説には、「アフガニスタン問題とアフガン人通訳についての
ドキュメンタリーに着想を得て撮りあげた社会派ドラマ」と書かれてあった。
紛争が続く今の時代に批判的な社会性の強い映画と勝手に思い込んでいた。

いい意味で裏切られた。
そんな意味合いもあるが、むしろ男同士の友情を描いた作品で、
エンターテイメント性に富んだアクション映画。
余計な感情は持たずに観た方がいい。

舞台は2018年のアフガニスタン。
米軍とタリバンとの紛争を描いている。
その内容は過度な演出はあるとはいえ、実話に近いという。

アフガニスタン紛争なんて随分前の出来事と思っていたが、米軍が撤退したのは2021年。
まだ最近のこと。
ロシアによるウクライナ侵攻はすでに始まっていたし、
本作で描かれる同様の物語があちこちで存在する。
僕らが知るニュースは表面的に過ぎず、
戦争に駆り出された一人一人の生きざまを捉えれば、それだけでも映画になり得る。

描く側次第で正義でも悪にもなるが、人を殺す行為が人を傷つけることには変わりない。
本作ではタリバンが悪の象徴のように描かれるが、タリバンが描けば米軍が同じ存在。
結局はどこまでいっても自分たちを正当化する。
反省したり、過ちを認めるには相当な時間が必要なんだろう。

それはさておき前述のとおり、本作は男同士の友情作品。
米軍の曹長とその通訳のアフガニスタン人が銃撃戦に巻き込まれながらも、
逃げ切る姿をヒリヒリするような緊張感で描く。
それはそれで十分楽しめる。

ただ、それだけであれば単なるアクション映画。
そこにそれぞれの国の事情が入り現実味を帯びる。
自国を非難する者、裏切った者は許さない。
どこかと同じ。

そんなことを考えると今、公開する意味もあるわけだ。
一応はハッピーエンドだが、その後を考えればそんな単純ではない。
より複雑なような気もする。

本作は米軍側を中心に描いているが、制作はイギリス・スペインの合作。
アメリカはあまり作りたくないのかな・・・。
そんなことも思ってしまった。

それでも観る価値は大いにあると思う。

共感革命 社交する人類の進化と未来

友人の読書のプロが絶賛していたので、予備知識もなく手に取った一冊。
普段の生活ではこのジャンルをまず読むことはない。
基本的には自分の興味関心がある書籍を読む。

それだけではダメだということが本書を読んでつくづく理解。
偶然の出会いは大切だというが、書籍も同じ。
この偶然が僕に新たな気づきを与えてくれた。

本書には全然知らなかった人類の歴史が書かれている。
それも霊長類学者の視点で・・・。
今まで考えもしなかったことや未知の領域が、
次から次へと著されているので驚きの連続。

改めて自分の無知に嫌気がさした(汗)。
そして思った。
今日、明日、来年、再来年のことを気にしている自分がいかに小さいか。
何百万年の歴史からすれば、埃にもならない。

この100年の歴史は人類史の中でも変革の時代とは思うが、
人類史を俯瞰すれば大したことはない。
歴史は繰り返すというし、前の時代に戻っただけなのかもしれない。

ジャングルは「コモンズ」で、誰もが平等に利用できる資産。
多種多様な生物が共存し、調和関係を保って生きてきた。
その生態系を忘れてかけているのが現代人という。

人間社会は3つの自由で作られている。
動く自由、集まる自由、対話する自由。
そこが猿や類人類とは異なり、人間は生きる喜びを得てきた。
それだけであれば幸せなんだろうが、そうわけでもない。

暴力や戦争は人間の本性ではないという。
言葉によって作り上げてしまった虚構。
何かにつけて「言葉」は大切だと言われてきたし、
僕もそう発してきたが、必ずしもそれだけではない。

「言葉」があるから戦争が起き、醜い争いは絶えない。
少なからず宗教もそれに繋がるのだろう。
そんなことは一度も考えたことはなかった。

それだけでも本書の価値はあるが、ちょっとした雑学も身に付いた。
チンパンジーやゴリラの性に関しても初めて知った。
交尾とか射精とか中学生が喜びそうなそんな事実があったとは・・・。
かなり大胆。
人間にもチンパンジーのようなヤツはいるけど(笑)。

それはともかく人が格差もなく平和に暮らしていくには人類史から学ぶ必要はある。
同じところに留まっててはいけない。
それを理解できただけでもいい学び。

感謝!

映画「渇水」

昨年6月に公開された作品だが、見逃したためAmazonプライムで鑑賞。
この類の作品も観るといつも辛くなる。
育った環境がどこまでも影響し、不幸は不幸を招いてしまう。

親が暴力をふるえば子も暴力をふるう。
親が子供に冷たければ、その子供は親になっても冷たくしかできない。
何度もそんな場面は見てきた。

幸い身近にはいないので、こういった映画やニュースでしか知らないが・・・。
反面教師的に立て直すのは少ない例なんだろう。
つくづく親の責任を感じさせる。

もうネタバレでも構わないと思うが、
本作は水道局員の岩切(生田斗真)が停水を執行された家庭との交流を描く。
原作は1990年に発表されたのでバブル崩壊前。
原作者の河林満氏はすでに亡くなっている。

どこまで原作に忠実か分からないが、当時より今は深刻な問題だと思う。
不変なのはいつの時代も家庭や子供を放り出す親がいるということ。
見捨てられた子供がいるということ。
悲しいかな、それは昭和でも平成でも令和でも変わらない。
連絡手段がスマホになっているだけ。

誰かを救えとか、みんなのために動け、と言っているわけじゃない。
自分の周りだけ何とかしなさいと言っても、どの時代もそうはならない。
心の渇きを水に例えているのは絶妙だが、結局、のどが渇いた状態が続けば心も渇いていく。
繋がっているんだ・・・。

映画は絶望で終わることなく希望が見えてくるのが救いだが、根本的な解決にはなっていない。
母親(門脇麦)の気持ちは分からなくはないが、最終的な行為は許せない。
匂いなんて関係ない。

そう思う僕は間違っているのか?
彼女の実際の気持ちなんて本当は分かっていない。
そんな環境とは無縁なので無責任に正論をかざしているだけ。
だから根本的解決は程遠い。
途中で出てくるお節介なおばさん(柴田理恵)とあまり変わらなかったりして・・・。

それにしてもここにも登場するのが磯村勇斗。
昨年は大車輪の活躍。
案の定、キネマ旬報ベストテンでも助演男優賞を受賞した。
ドラマ「不適切にもほどがある」でも好演。

そして、注目すべきが姉役の山崎七海。
彼女の冷めた表情や優しい表情が映画の重さを担っている。

親から誘うのではなく、子供から誘ってくる環境が健全なんだろうね。
そう思うとエラそうに書いている僕もまだまだみたい。
頑張らねば・・・。

僕の周りでは評価の高い作品だった。

映画「夜明けのすべて」

これが日常。
坦々と日常を描いた作品だが、胸に押し迫るものがあった。
素直に感動した。
そして、平凡に生きることがいかにありがたく幸せかとも思わせてくれた。

三宅監督は一昨年末に「ケイコ目を澄まして」という愛しい作品を与えてくれたが、今回は年明け。
どちらも16mmmフィルムで撮影された映像が瞼に焼き付く。
セピアっぽい少しざらついた感じが温かさを感じる。
鮮明でない映像の方が人を美しく表現するのか。
そんなことも思わせてくれた。

ネタバレなしに本作を説明するのは難しいので、少しだけ。
PMS(月経前症候群)の藤沢さん(上白石萌音)と
パニック障害を患う会社の同僚の山添くん(松村北斗)との日常を描く。
藤沢さんのPMSは以前から発症していたが、
山添くんは2年前にラーメン屋でいきなりパニック障害になった。
なんの予兆もなかった。

素人からみれば同じような病(病気ではないか・・・)でも症状は異なり、
それは本人しか分からない。
本人もなぜそんな症状に陥るのかは理解できず、人知れず落ち込む。
そんな2人が次第に助け合っていく。
分かりやすく言えば、ただそれだけ。

恋愛関係に発展することも、大げさな事件が起きることもない。
当たり前の日常が過ぎていく。
それがなぜか愛おしい。

お互いを思いやることで他人にも優しくなり、職場での人間関係もよくなる。
周りも過度に気を遣わず自然体に近い。
どこにもありふれた風景。
少なからず辛い過去を背負っているが、後ろ向きにはならない。
前を向く。
それが生きる勇気と感じさせてくれる。

普通であることが普通とはいえない。
普通でないことが普通なのかもしれない。
電車でパニックになる人、
急に怒り出す人を冷静に受け止めれるか。
鈍感な僕はそんな姿をみてようやく理解し、普通でない日常に感謝する。

誰しも真っすぐ生きている。
夜が来れば朝が来る。
星座が美しい夜中に落ち着く人がいれば、夜明けの光に希望を見出す人もいる。
すべてが正しい。

本作を観て、少し優しくなれる気がした。

男子系企業の失敗

中身を確認せず、タイトルだけで購入。
「男性中心企業の終焉」に近い経験に基づく内容かと想像したが全然違った。
データに紐づいているとはいえ、主観的な捉え方が強いというのが僕の印象。

それはいい面でもあり、悪い面でもあり。
少し上から目線を感じたが、ちょっと前の企業はそんな見方なんだろうね(笑)。
今はかなり変化があると思うが、そうでもないのか・・・。
まだまだ旧態依然した大企業が多いということか。

「昭和おじさんの暗黙知」を理解できないわけじゃないが、
アフターファイブの飲み会で全て決まるといわれると違和感を感じる。
昭和の時代が男性中心なのは間違いない。
その価値観が残っていることも否定しない。

ただ価値観が残っている人たちも、
自ら奮い立ち変化しようとする側が多いのではないか。
最近の政治報道にその要素が強いため偏った見方になるのではないか。

本書では男性経営陣の特徴と女性経営陣の特徴を各々取り上げている。
日本ばかりがその傾向が強く報じられるが、そうでもない。
著者曰くリーマンショックはリーマンブラザースだけでなく、
シスターズだったら起きなかったのではという。

リスク回避、不確実性への対応、倫理や道徳的態度は男女の違いがあると・・・。
多様性の方がイノベーションを起こしやすい分、男性中心だと同質性が高くなる。
そのため変化対応に遅れ弊害をもたらす。
確かにそんな面はあるのかもしれない。

いい例が東芝。
名誉欲が強く保守的であったため、変えることができなかった。
本書では男性社会に対して批判しているが、
女性を全面的に推しているわけではない。

女性の方が自分に自信を持てない割合が高い。
いい意味でビジョンや目標を共有できるが、大きな決断は難しかったり・・・。
そんなことが書かれている。

要はどっちかではダメで、男性も女性も特徴を理解した上での多様化が大切。
確かにそんな面はあるだろうが、決めつけてしまうのも違うとは思うけど・・・。
ひとつの研究内容を理解することが重要だし学びにもなる。
その中で自分としてどう判断していくかがより大切なんだろうね。

映画「梟 フクロウ」

本作も韓国映画らしい。
二転三転、いや四転五転といってもいいかもしれない。
終わりそうで終わらない。
解決しそうで解決しない。

韓国映画を観る人は自ずとそれを期待して、
二転三転程度だと不感症になってしまうんじゃないか。
そんなどうでもいいことを心配したり・・・。

原題は「The Night Owl」。
日本のタイトルは「Owl」のみということか。
ただ梟というタイトルがしっくりくる。
やはり夜更かしをする人じゃ変だし。
タイトルひとつで興行的にも大きく影響を与える。

舞台は1645年の朝鮮王朝。
清へ移る時代。
江戸時代はようやく安泰な頃を迎えるのか。
歴史には詳しくないが、中国でも朝鮮でも日本でも時代を映す背景はさほど変わらない。
文化は違えども、文明的な要素は同じように感じる。
身内を裏切るとか殺してしまうのは鎌倉でも安土桃山でも起きていたこと。
自らの保身や国を守るためには可愛い息子でも関係ない。

本作が記録物「仁祖実録」に基づいているのなら、日本人の方が相当まとも。
正義感は少なからず残っている。
ここにはその正義感も倫理観のかけらも感じない。
誰もこの国の王に付いていくことはない。
だからエンターテインメント作品としてハラハラドキドキと楽しめる。

ストーリーは盲目の天才鍼医が秘密を抱えながら宮廷で働き、
事件に巻き込まれていく姿を描く。
ほぼ夜の世界。

当たり前だが暗くて分かりずらい。
蠟燭の光でようやく周りが見えるくらい。
その暗闇が緊張感を醸し出し、事件の全容をあぶり出す。
目を凝らすわけではないが観る者は吸い込まれ、その世界へ入り込む。
上等なサスペンスに仕上がる。

僕は韓流ドラマを見ないので時代劇の知識はゼロだが、
こんな舞台の作品は多いのかもしれない。
ドラマとしても衣装としても重さも軽さも感じさせてもらった。
ふむ。

本作は2023年の大鐘賞映画祭はじめ韓国の映画祭で
(いくつあるかは知らんけど)
最多受賞を記録したという。

一番ヒットした映画だという。
だとしたら、日本でもっと多くの劇場で公開されてもいいと思う・・・。
何かしがらみがあるのかな。

韓国は日本をターゲットにするのではなく世界に向いているのも原因?
そんな戦略も理解できるけど・・・。

今年も韓国映画はそれなりに観ちゃうかもね。

映画「コット、はじまりの夏」

なんとなく懐かしさを感じた映画。
こんな作品を昔観た錯覚に陥る。
それはどうだろう。
もう30年も40年も前の作品。

実際はあり得ないが、小さな子供が親の愛情を感じる作品はどんな時代でも公開される。
不変的なテーマであるのは間違いない。

舞台は1980年代初頭のアイルランド。
9歳の少女コットの取り巻く環境を描く。
80年代のアイルランドが経済的にどんな国だったかは分からないが、
田舎町は裕福ではないのは容易に想像できる。

大家族ともなれば生活していくのがやっと。
そして、多くの場合、一家の主はろくでなし。
コットの父親もあまり仕事をしない飲んだくれのギャンブル好き。
いつも子供にはきつくあたる。

その時点でコットは大人に対して不信感を抱く。
同時に親の愛情を欲する。
純粋がゆえに、上手く表現することができない。

つくづく感じる。
どんな親かによって子供は健康的にすくすく育つのか、屈折していくのかが決まる。
子供のせいではなく親のせい。
それは万国共通。

ここまでだと不幸を描く重い作品になるが、そうではない。
夏休みに親戚夫婦の預けられたことでいい変化が生まれる。
必要なのは愛情。
言葉も感情表現も上手い叔母と言葉も少なく感情表現も下手な叔父。
それでも伝わるものは伝わる。

夏休みの何気ない日常が一人の少女を変えていく。
少しずつ会話が生まれ、表情が明るくなり、行動が活発になる。
得意なことにも積極的に取り組む。
観ているこちらが嬉しくなる。

夏休みが終わり、親元に帰った時にどうなるか。
想像はたやすい。
よくあるパターン。

しかし、ここを見逃してはならない。
その行動に、その言葉に僕らの涙腺は・・・。
あの言葉は誰に発しているのだろう。

大人と子供の関係は不変。
どんな時代でも変わらない。
本作はベルリン国際映画祭で子どもが主役の映画を対象にした部門でグランプリを受賞。
また、第95回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートもされた。

9歳のコットを演じたキャサリン・クリンチがメチャ可愛い。
表情もとても繊細。
ぐっと引き寄せられる。

子供を使って泣かせる作品はインチキだと思うが、そんなインチキを僕は許す。
いつどんな時でもたっぷりの愛情で子供には接したいね。

職業としてはまだまだだな

自称映画コラムニストを語って随分と経つ。
いつから語っているかはテキトーなので覚えていない。
ただ昨年は本格稼働で映画館で81本、オンラインで12本、計93本を鑑賞。
自他共に認める鑑賞数といってもいいだろう。

とはいえ肝心なのは本数よりも中身。
コラムニストとしての表現力と作品の良否を見抜く力量。
そのバロメーターになるのがキネマ旬報ベストテン。

ここでの評価と自分の評価と照らし合わせ、納得したり異論を唱えたり。
ちなみに僕の2023年の評価はこちら
昨年末のブログに書いた。

ここでキネマ旬報のベストテンを公表しておこう。
営業妨害になっていたら、すみません。

<日本映画>
1位.せかいのおきく
2位.PERFECT DAYS
3位.ほかげ
4位.福田村事件
5位.
6位.花腐し
7位.怪物
8位.ゴジラー1.0
9位.君たちはどう生きるか
10位.春画先生

<外国映画>
1位.TAR/ター
2位.キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン
3位.枯れ葉
4位.EO イーオー
5位.フェイブルマンズ
6位.イニシェリン島の精霊
7位.別れる決心
8位.エンパイア・オブ・ライト
9位.エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス
10位.ウーマン・トーキング 私たちの選択

こんな結果。
リンクが貼ってあるのはブログに書いた作品。
「TAR/ター」と「別れる決心」はオンラインで鑑賞したがブログには書いていない。
やはり映画館とは感動が違う。
正直ここまでの評価ではなかった。

昨年93本の映画を観たとはいえ、日本映画で該当したのが6本、外国映画は5本。
感覚的には優秀作品はほとんど観たつもりだったが、全然だった。

僕のベストテンと被ったのは日本映画は3本、外国映画はなんとゼロ。
僕の評価が評論家とズレている。
僕の感性に映画評論家はついてこれないのかな(笑)。

読者選出でも大差ない。
被ったのは日本映画で4本、外国映画はこちらもゼロ。
う~ん、一般読者とも合わない(汗)。
僕の高評価が認められていない。

えっ!と思うのが正直だが、コラムニストとしてまだまだということか。
もっと修業が必要かも。

それにしても不思議なのが、日本映画読者選出1位の「Gメン」は本編では1点も入っていない。
131位にも入らずのランク外。
こんなに差が出るか・・・。
まあ、映画は自分で楽しめればいいんだろうね。

毎年購入するキネマ旬報ベストテン。
心配なのは年々、薄くなること。
記事も減った。
バロメーターとしてはいつまでも続いて欲しい。