映画を観ながら、いつの時代を描いているんだろうとずっと考えていた。
(解説にはしっかり説明されているが・・・)
今から50年以上前の世界かと思っていたら、統計調査の車が現れ、
そのアナウンスから2010年ということが判明した。

つい最近じゃないか・・・。
時代錯誤も甚だしいと感じたのは僕が時代を読み違えたというよりも、
映画の本質を見落としていたということ。
自給自足で生活する村が文明的な進歩もなく旧態依然とした世界は演出。

ネタバレしない程度に説明するとキリスト教が色が強い架空の村が舞台。
そこに住む若い女性たちはレイプされるが、
それは「悪魔の仕業」として押さえつけられ事実は隠されている。
男どもの勝手な論理がまかり通っていた。
しかし、それが犯罪として認識され、そこから女性が立ち上がっていくストーリー。

ここに描かれるのは実話がベース。
2005年から2009年にかけて南米ボリビアで起きた事件だという。
身勝手な犯罪を許さないのは当たり前だろというのは共通の視点。

作品はそれを強調したいわけではない。
弱い者が強い者に対してどう立ち向かうか、
非人道的な行為に何をすべきか、
それを間接的に訴えているともいえる。
昨今、世界を取り巻く環境も該当するし、国内で起きる些細な事件も同じ。
自分たちの生き方が問われている。

赦すのか、戦うのか、去るのか、
被害にあった女性たちは納屋に集まり激論を広げながら、自らの道を選択する。
そこに未来はあるのか、
神は見捨てないのか、
むしろ不幸への道に陥らないか、
時に感情を露わにし、時に感情を抑え、
年配者は年配者の経験で、少女は少女の価値観で物事を語る。

それが正しい行為。
自分たちが知らないだけで、まだまだ虐げられた世界は存在する。
そこから僕らは目を背けてはいけない。

何人もの女性陣が会話を広げるが、僕は女性の見分けが付かず、ごっちゃになってしまった。
その中でひと際目立ったのがルーニー・マーラ。
どこで観たんだっけ?と思っていたら、そう「キャロル」だった。
彼女は可憐で透き通るような透明感。
グラつくてしまう。

先程まで重めの内容だったのに、急に軽くなってしまった。
まあ、そんなもん。

本作は第95回アカデミー賞で脚色賞を受賞。
どんな脚色が評価されたのは観てもらいたい。