これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「違う惑星の変な恋人」

今年に入って日本映画は3本目。
例年より少ないし地味な作品ばかり。
スケジュールもあるが、話題作よりもこちらの方に惹かれているのも事実。

本作もそんな感じ。
自称社会派映画コラムニストとしては痛烈に世間に問題意識を起こす作品や
時代を批判した重い作品を語りたいところだが、その要素はない。

はっきりいって本作を観ても学ぶべき点はない。
4人の男女がちょっとめんどくさい恋愛劇を繰り広げるだけ。
今の時代を表す社会性はあるが、それは小さな世界。
まあ、どうでもいいこと。

そんな表現をすると本作を否定しているようだが、そうじゃない。
かなり面白い。
とても新鮮でセンスを感じた作品だった。
何気ない小道具や衣装もそれを反映している。

男女の四角関係自体はさほど新鮮でもない。
ただ登場人物の描き方や現在と過去の展開はとても巧み。
僕は世代ではないが、イマドキの若者の恋愛事情って、こんな感じじゃないかと思わせてくれる。
そこには泣いたり叫んだり、怒鳴ったり怒りまくったり、
男女のゴタゴタを期待させるシーンは一切ない。
感情的ではあるが冷静。
4人が少しずつ価値観も言動も少しずつズレていて、妙に笑えてくる。

映画を観るまでタイトルの意味が分からなかったが、観終わると腹落ちする。
みんな違う惑星に住んでいるんだ・・・。
でも、こんなヤツ、周りにいるぞ、って。
喋り方含め、うちの会社にもいそうなごく普通の感じ。

それは作品では最年長役のベンジーこと中島歩も。
設定としては30歳前後だが、ちょっとモテる男って、こんな会話をするだろう。
女性を甘い言葉で口説くのではなく、のらりくらりとかわす会話が日常的。

男女2人のシーンがワンカットでずっと映し出されているのもリアル。
解説では木村聡志監督を今泉力哉監督以降の新世代恋愛群像の旗手と紹介。
それも頷ける。
僕は本作で木村監督を初めて知ったが、まだ30代。
これからの活躍が楽しみ。

大ヒットはしないと思うが、こんな作品が楽しめるのもいいね。

映画「哀れなるものたち」

最近では一番予告編を観た作品。
正直、あまり魅力に感じなかった。
予告編以上の情報が僕の耳に入ってこなければ、観ることはなかった。

しかし、どうだろう。
作品が公開される前後から多くのざわつきが耳に届いた。
ベネチア国際映画祭の金獅子賞の受賞だったり、
アカデミー賞の11部門へのノミネートだったり。

それだけであれば海外の評価として留めておいたかもしれない。
だが、映画仲間を含めた周りがかなりの衝撃を伝えてきた。
気持ちは揺らぎ、結局、映画館へ足を運んだ。

一般的に予告編は映画の魅力を伝えるものだが、本作に限っては真逆。
魅力的なシーンは危険すぎて見せられない。
中途半端な映像と表現に収めるしかなかったと勝手に解釈。

映画は自分の目で確かめるまで分からない。
世の中には予告編が全ての駄作もあるが、
本作のように予告編とのギャップが大きい作品も存在する。
R18+作品のため、当然だが魅力的なシーンは予告編で流せない。

今年に入って「ラ・メゾン 小説家と娼婦」に次ぐR18+作品。
本作の方が衝撃が強く、健全と不健全の合間でフラフラになってしまうところだった。

ここは何といっても主役ベラを演じるエマ・ストーン。
彼女の大胆かつ素晴らしい演技がヤバいくらいにこちら側を刺激する。
大人の体を持ちながら新生児のような表情や体の動きもさることながら、
徐々に精神的にも大人になっていく変化にも魅了される。

ベラに男どもが翻弄されるわけだが、ベラにとっては自然な振舞い。
騙そうとも誘惑しようとも思っていない。
自分に正直に生きているだけ。
本当はその方が人間としては正しくそして美しいのかもしれない。

僕らは知識や道徳を身につけるだけでなく、
エゴや支配欲も吸い込んでろくでもない方向に向かってしまう。
誤った理性を持ち合わせるのなら、本能のまま生きる方がいい
と教えてくれたような気がしてならない。

原題は「Poor Things」。
単純に訳すと”かわいそうなもの”。
「哀れなるものたち」というタイトルが相応しい。
どんな時代もどんな国でも男は哀れなる者。

哀れな男どもは当然だが、哀れな男を作り出す女性にも観てほしい。

エマ・ストーンに大拍手ですね。

映画「カラオケ行こ!」

誤解を恐れずにいえば、歴史に残る作品ではない。
芸術的要素も文化的要素も少ない。
20年後、話題になることもない。
名作に例えられる作品にはならないだろう。

しかし、である。
そんな作品こそ価値がある。
今の時代だから生きる映画もある。
そんな作品って意外と多いし、大切にしたい。
本作もそれ。

変声期に悩む中学生と歌がうまくなりたいヤクザの交流を描いただけの作品。
ヤクザを描くことが今を反映しているのかと疑問視するかもしれないが反映している。
中学生もヤクザも観る側にとっては小さな悩み。
ただ本人にとっては大きな悩み。

カラオケを通し心を通わせお互いにとって大切な存在になる。
これも青春。
正直、バカバカしく思えることもある。
もっとやることもあるでしょと言いたくもなる。

いやいや、それが青春なんだ。
青春なんてほとんどくだらないことばかりなんだ。
だから素直に感動し、素直に喜べる。

誰しもが忘れてならない昔の1ページとダブらせる。
2人のやり取りでダブらせることはないか(笑)。
X JAPANの「紅」を自然と歌えるのもそんな時間を表現している。

最近、重い映画の割合が高かったので、時には軽快な作品もいい。
すべてが軽快でコミカル。
ヤクザ狂児役の綾野剛は音痴役で登場すると思ったがそうじゃなかった。
「へ~」っと感心してしまった。
中学生聡実役の齋藤潤は演技と歌の上手さで選ばれたのだろう。
納得。

脇を固める役者陣もいい。
音楽教師役の芳根京子も軽快。
ピアノが弾けるんだね。
最近彼女を見ると最近よく絡む某社会労務士を思い起こす。
それは僕だけのことか(笑)。

母親役の坂井真紀も軽快。
彼女をみるとどこかの誰かをイメージさせる。
それは坂井真紀に失礼ですね・・・。

監督は山下敦弘氏。
改めて調べてみると愛知県出身。
知らんかった。
過去観た映画は「マイ・バック・ページ」「苦役列車」のみ。
やはり青春モノ、いや、葛藤する若者を描くのが得意なんだ。
10年以上ぶり。
この間に制作された作品も観てみるか・・・。

やはりみんながハッピーになれる映画はいい。
僕に合いそうなカラオケソングも聡実クンが教えてくれたような気もするし。
今度、歌ってみるかな。

映画「燈火(ネオン)は消えず」

香港映画なんていつ振りだろうか。
10年以上、観ていないと思う。

そもそもここ最近は日本で上映される作品があるのか。
気になってググってみると、
1997年の中国返還以降、検閲が厳しくなり作品数が減った。
以前のような自由度の高い作品は制作できないらしい。
環境が変わると一気に産業構造も変わるし衰退してしまう。

そんな中で観た本作。
昔、ジャッキーチェンや「香港ノワール」作品に親しんだ者として、
広東語(多分)が懐かしく感じた。
セリフのイントネーションが香港映画を感じさせる。

映画は今の香港を象徴するようなストーリー。
建築法等の改正で2020年までに9割のネオンサインが姿を消したといわれる。
僕の香港のイメージは煌びやかなネオンだったが、今はほとんどないみたい。
(一度もお邪魔したことがないけど・・・)

そんな香港でネオン職人だった亡くなった旦那と奥さんの今までとこれからを描いたヒューマンドラマ。
純粋な夫婦愛を描く作品と観るか、
衰退する香港映画の現状とダブらせて観るかは観客次第。
悲観的になるのか、感傷的になるのか、それも人次第。
僕は映画を通して香港の寂しさを感じてしまったけど・・・。

政治的な背景は一切ない。
あれば検閲は通らないだろう。
僕の予測でしかないが、本作も偉い方の中では議論があったのではないか。
受け止め方によっては中国批判と捉えられる。

ただ作品は現実を淡々と描き、美しい人間愛に満ちた映画に仕上げている。
巧みな演出なのか。

これまで香港映画は度肝を抜くようなアクション映画か、
ウォン・カーウァイ監督のスタイリッシュな作品のイメージだったが、それは過去。
現実は本作の世界。
今後、どうなっていくんだろう。

今年が始まってまだ1ヶ月ちょいだが、観た映画はフランス、日本、韓国、
オーストラリア、米国、フィンランド、香港と全て異なる。
それぞれお国事情が存在する。
これも勉強になる。

本作のタイトルは「消えゆく燈火」から「燈火(ネオン)は消えず」と変更された。
そのあたりもメッセージだったりして。

映画「枯れ葉」

巷の評価が高いので予定外だったが公開終了間近で鑑賞。
ブログを読んで観たくなっても既に終わっている可能性は高い。
ご了承を・・・。

本作はフィンランドとドイツの合作。
知らなかったがフィンランドでは名匠と言われるアキ・カウリスマキ監督作品。
日本でもファンが多いようだ。

手掛けられた作品は観る機会が少ないため、かなりマニアックな方々だろう。
本作でファンになったわけではないが、過去の作品は気になる。
僕自身ももっと幅を広げなきゃいけないし。

本作は現代を描く。
しかし、映画を観ていると昔の作品のように思えてならない。
70年代が舞台のような・・・。

ラジオから流れるロシアのウクライナ侵攻のニュースで現在と知らされる。
昔のように感じてしまうのは主役2人の生活が理由。
アル中のろくでなしの男性と中年の失業した女性を描くからか。
スマホもパソコンも登場しない。
(パソコンはネットカフェで一度だけ)

普段の生活は現代社会から乖離していると思われる。
生活も質素で天候はいつも薄暗い。
労働環境も厳しい。

フィンランドって貧しい国だっけ?と思ってしまう。
しかし、フィンランドは幸福度ランキング1位の国。
一方で日本は47位。
僕は断然、どんな立場であろうと日本の方が高いように思える。

それは表面的にしか見ていないからか。
便利なツールが揃っているだけで精神的には満たされていないからか。
確かにろくでなし男も失業女もさほど悲壮感はない。
お金はなくても何とかやりくりはしている。
ポジティブさはないが、飄々と日々過ごしている。
愛を求めているのはヒシヒシと感じるが・・・。

ネタバレしない程度に解説すると、
名も知らない男女が惹かれ合うが、すれ違ってばかりのストーリー。
簡単にいえばフィンランド版「アナログ」逆バージョン。
「アナログ」が分からない人は調べてください(笑)。

映画は淡々と進み、涙や笑いでジーンとさせるわけでもない。
でも、つい見入ってしまう。
こんな世界も悪くないと思わせる。
それはぬくもりを感じるからかもしれない。
置かれた環境が悲惨であっても。

隣国で起きている紛争に繋がっているとも、
いつも巻き込まれるフィンランドの状況を表しているとも思える。

本作は昨年のカンヌ国際映画祭審査員賞受賞作。
「怪物」も受賞を逃した。

機会があればご覧いただきたい。

作家の贅沢すぎる時間

伊集院静氏が亡くなったのが昨年11月。
この時期に多くの著名人が亡くなられたが、個人的には一番ショックが大きかった。
膜下出血で倒れられた後も復帰され、まだ活躍されると思っていたので。

伊集院氏の作品を読むのは随分と久しぶり。
これからはちょくちょくと向き合っていきたい。

訪れた飲食店を紹介するような著書は珍しい。
どんなお店に通っていたかは気になるし、
人気食べ物ブロガーといわれる身としては読んでおくも必要。
今後のブログのためにも・・・。

結論からいえばブログの参考には全くならない。
食の解説とか味の評価は一切書いていない。
具体的にどんな味付けで何が美味しいかはさっぱり分からない。

その点でブログの参考にはならないが、
ある意味、僕のブログもよく分からないので同じようなもの。
それは著者に対して失礼か(笑)。

ただ伊集院氏が出会ったお店やそこでの会話、やりとりを羨ましく思いながら読んだ。
このような時間を過ごせるのならどれだけ幸せか。
旅先で気に入れば毎日のように顔を出すし、挙句の果てにお金まで借りてしまう。

お客がお店のファンになることは多いが、
お店がお客のファンになってしまうのは、
やはり伊集院氏に魅力に惹かれるからだろう。
そのあたりは人気食べ物ブロガーと大きく異なる。

本書は二部構成で第一章が出会ったお店を紹介。
全国津々浦々の70数店を紹介しているが、残念ながら名古屋はなかった。
あまり魅力がなかったのだろうか。
そもそもあまり訪れる機会もなかったのだろうか。
好みもあるとは思うが・・・。

取り上げられているお店で行ったことがあるのは一店のみ。
横浜の「スカンディヤ」は、一昨年に偉い方に連れてってもらった。
あとはなし。

銀座あたり敷居が高いお店は今後行く機会もないだろう。
一方で浅草や上野の庶民的なお店も紹介されている。
そのあたりであれば僕の力でも何とかなる。
グルメサイトをチェックするとすこぶる評価が高いので、
それはそれで入るのは難しいが機会を見つけて行ってみたい。

京都だけでも16店紹介されている。
祇園あたりの高級店なので誰かに頼るしかない。
お金持ちの優しい方はいないだろうか・・・。

自分で行けるのは「まつお」「おめん」「やきにく なり田屋 」くらい(笑)。
どこかのタイミングで行ってみたいナ。
同じカウンターやテーブルに座っただけでも幸せを感じるだろうナ。
(伊集院風文体で・・・)

取り留めないブログになってしまったが、やはり亡くなったのは惜しい。
あんな生き方はできないが憧れる面も多いし。
せめて同じお店にお邪魔することで生き方を真似てみたい。

松下幸之助直伝 社長の心得

著者の江口先生に頂いた本書。
僕のような能力のない者は定期的に読まないとすぐに忘れてしまう。
江口先生の著書は結構読ませて頂くが、定期的に機会を持つことが大切。

異なる書籍でも松下幸之助翁の言葉や行動を具体的に提示頂けるのがほとんど。
新たな発見があったり、以前頭に入っていたことが抜け落ちたり、
とその都度、学びになる。

中でも本書は松下氏の言葉や行動を現代社会に置き換え、
その必要性を分かりやすく解説されているので納得感も高い。
50年前の言葉であろうが、原理原則は変わることなく、
真摯に受け止めなければならない。

僕は社長を退いた身だが、経営者の端くれであることは事実だし、
またどこかで社長を務める可能性もなくはない。
そのためにも「社長の心得」は常にインプットが必要。
頭や体の中に染み込ませ、当たり前に行動できるのが理想。
道のりは果てしなく遠く辿り着けることはないが・・・。

松下氏らしい言葉も所々に紹介されている。
土光敏夫氏の有名な言葉
「まず知恵を出せ、知恵なき者は汗を出せ、それができない者は去れ」
に対して、松下氏は
「まず汗を出せ、汗の中から知恵を出せ、それができない者は去れ」
といわれる。
より実践に基づいた言葉だ。

また、「おまえはひよこ」と言われないように心掛けろともいわれる。
「愚かな人、間抜けな人、エゴの人、恥ずかしい人、卑怯な人、幼稚な人、滑稽な人」
の頭文字がそれ。
特に若い人は気をつけた方がいい。
いや、愚か者のオマエだと指されるかもね(汗)。

先日の勉強会でも話されていたが、
「鳴かぬなら、それもまたよし、ホトトギス」もそう。
信長でも秀吉でも家康でもない。
この言葉はまさに今、この社会にとっても必要なのかもしれない。
そんなことも感じた。

AIだのDXだのどんなに時代が進化しようとも
経営にとって大切なことは大きくは変わらない。
古典からの学びも同様。

改めていい気づきとなりました。
江口先生、ありがとうございました。

映画「コンクリート・ユートピア」

タイトルが秀逸。
そんな言葉も名称も映画には出てこない。
しかし、誰もがそれがどこなのか容易に想像できる。
唯一残されたアパート(韓国ではマンションをアパートと呼ぶの?)がコンクリート・ユートピア。

能登半島地震直後に公開された大災害に関係する作品なので、観ることを憚れた。
ただここは割り切りも必要。
本作の大災害はきっかけに過ぎず、人間のエゴや環境によって変化する人格を描くのがメイン。
今回の地震とは似ても似つかないことは予め理解した方がいい。

ネタバレしない程度に説明すると、廃墟となったソウルで崩落しなかった唯一のマンションに
多くの人が押し寄せ、不法侵入をしたため、それを住民が排除し守っていく。
それが住民に安心を与えユートピア化していくストーリー。

それだけでも日本映画にするのは難しい。
さらに難しいのは描かれる人間模様。
人はいざという時にどんな行動を起こすかは分からない。
自分の生活を維持するのが精一杯なのに他人を救えるか。

極端に言えば自分や家族を守るために、人殺しができるか。
そんなことを問われる。
映画を観る限り、日本より韓国の方が過激。
あえて過剰な演出をしているかもしれないが、日本ならこうはならない。
(と思いたい・・・)

非常事態に陥った時に冷静な判断ができるか、
誤った行動があたかも正しい行動として受け止めることはないか。
それは今、世界中で起きている戦争に近い。

自己防衛のためなら相手を傷つけてもいいという愚かな行動に対して、
全く違う切り口で批判しているのではないか。
ラストシーンから愚かな国や人たちへのメッセージとして僕は受け止めた。

そんな意味では強烈な社会派映画にもなるが、
別の見方をすればホラー映画としても成立する。
ゾンビになっていないだけで、実際はゾンビと同じ。
姿かたちは人間だが、やっていることはゾンビ。
そんなふうにも見えてしまう。

そんな両極端な作品を思わせる韓国映画はやはり面白い。
こんな作品を日本では作ってほしくはないけど(笑)。

主演はイ・ビョンホン。
いつもはクールな二枚目が多いように思う。
本作はとても醜くカッコ悪い。
それだけ光っていたということか。

年明け早々、インパクトの強い映画を見せてもらった。

小説「トヨトミの世襲」

前作「トヨトミの逆襲」を読んだ時に次作は「トヨトミの帰還」か「トヨトミの覚醒」と書いた。
全く違ったが、「トヨトミの帰還」はやや近いか(笑)。
「トヨトミの野望」から続いたシリーズの完結編。

ここまできたら読まざるを得ない。
地元で事業を行う身としては、どんな展開になるのか気になるのは当然。
描かれている世界はまさに今。
本書の単行本の帯には「99%実話の噂」と書かれている。
さすがにそれはないと思うが、T会長の顔をイメージしながら読み進めてしまうのは著者の思う壺。

本書にはうちの会社がオフィスを構える「伏見」も頻繁に登場する。
その度にどのあたりか?どこの店か?なんて考えてしまう。
また、ディーラーも実在するあそこの社長と弟?と思ってしまう。
確か奥さんって・・・。
知った名称はより現実に近づけるので、少々、恐ろしかったり。

今回、新たに登場するのが「織田電子」。
あきらかにニデック(旧日本電産)を指している。
それは僕が語らなくても読者の99%が「織田会長は永守会長ね」と頭に浮かべるだろう。
確かに噂に聞く面と同じ点があったりと、内容も事実と思わせる。

ご子息のこともネットで調べてしまった。
フィクションであるのは間違いないが、社長室に飾ってある絵は本当かもと思ってしまった。
そのあたりはとても巧妙な展開で想像力を働かせる。

本書はタイトルにあるようトヨトミ家の世襲問題がメイン。
ファミリービジネスを学ぶ者としては否定的に表現される世襲はいかがか?と思ってしまう。
その点に関しては正直な感想だが、世間一般的には共感されるのだろう。
それだけ世襲に対してマイナスイメージを与えるニュースが多いし・・・。

中身については触れないが、前2作と比べるとプライベートが描かれる面が多い。
それもスキャンダラスな場面が多いので、ビジネス小説の枠を超えた印象も。
それは僕だけが感じているかもしれないので、読んだ方の感想を伺いたい。

どちらにしても目まぐるしい展開は読み物としては面白い。
解説には「その“衝撃のラスト”を見逃すな!」と書かれているが、
これが事実だとしたらほんと衝撃。

楽しめたエンターテイメント小説だが、EV市場の動向も学びことができた。
完結篇といっているが、5年後、続編が出たりしてね。

映画「ブルーバック あの海を見ていた」

いい映画だ。
素直な気持ちになれるいい映画だ。
それは映し出される広大で美しい海であり、
海底を自由に泳ぐ魚群であり、それを見守る人たちのこと。
そこに懸ける想いがヒシヒシと伝わってきた。

自然と共生する大切さを改めて教えてもらったような気がしてならない。
過度な環境保護を訴えるわけではない。
環境問題に痛切なメッセージを発しているわけではない。
ごく自然に自分たちが大切にすべきことを当然と捉え動くだけ。

より快適で楽な生活ばかりを求める自分がちっぽけで情けない人間に思える。
真っすぐ生きるとはこういったことなんだろう。
もっと大切なことは何か。
映画に感動しながら、こっそりと反省をしてしまった。

本作の舞台は西オーストラリアの海辺。
父を海の事故で亡くした母と娘が海と共存した生活を送る。
環境活動家の母はアワビも獲るが、あくまでも最小限。
生態系は傷つけない。

娘は海で鍛えられ、海の奥深くまで潜っていくこともできる。
そこで出会ったブルーバックと名付けられた巨大な青い魚と心を通わせる。
そのシーンは果てしなく美しい。
そして感動的。

誰しもがそんな海を荒らしたくないと思う。
それは無責任に映画を楽しんでいるからか・・・。

ここにビジネスチャンスがあるなら、どうだろうか。
浅はかな僕は揺らぐ。
本当の姿を見ることはせず、表面的な姿だけ捉えようとするだろう。
きっと世界中でこの手の問題は起きているはず。

本作は現在と過去を織り交ぜながら、何が大切なのかを教えてくれる。
そこに説教臭さも、必要以上の演出もない。
自然体に近い。
ドキュメンタリーを見ている錯覚にも陥る。

主演の娘アビーは幼少期、青年期から大人へと描かれる。
母親ドラは晩年期まで。
2人の役柄を5人の役者が演じる。
違和感はなく、むしろ心地いい。

オーストラリア映画って、なかなかいいじゃないか。
マイナー作品だが、素直な気持ちでおススメしたい。

そして、もう一度、オーストラリアにも行ってみたくなった。
1回しか行ったことはないけど・・・。