これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「正欲」

「正欲」というワードは普通に変換しても出てこない。
性欲、制欲と表示されるくらい。
「正しい欲」ならありそうなワードだが、実際には存在しないようだ。

言い換えれば「常識」というワードになるだろう。
この「常識」というワードも厄介だ。

僕は自分を常識人だと思っている。
誤った道は歩まない。
人を傷つける行動はしない。
犯罪を犯したことはない。
家庭を大切にしている。
結婚だって1回・・・。

しかし、これは僕が勝手に思っている「常識」に過ぎないのではないか。
自分の中の「正欲」じゃないか。
本当にその「常識」や「正欲」は正しいのか。

本作鑑賞後、ジレンマに陥った。
もしかしたら僕は誤った道を歩いているのかもしれない。
実際は人を傷つけているのかもしれない。
自分勝手にそう思っていないだけ。
そう思った方がよさそうだ。

LGBTQもようやく当たり前のこととして認識しているだけ。
中学、高校時代ならそんな認識は持ち合わせなかった。
今の子供たちに比べ遅れている言わざるを得ない。
男性至上主義の老人を非難するのは簡単だが、そんな権利は僕にあるのだろうか。
自分の中の「常識」で正義感を振りかざしているだけ。

「常識」を疑え!
本作は僕に突き刺さしてきた。
それは主役の吾郎ちゃんと同じ状況。
最後のセリフがすべてを物語っているのかもしれない。

ここまで書いたところで映画の内容は全く分からないと思う。
まあ、いつものことか・・・。

少しだけ解説すれば、それぞれ悩みを抱える稲垣吾郎、新垣結衣、磯村勇斗、
佐藤寛太らが一つの事件を基に絡み合い、自身の存在をあからさまにしていく。
ちょっとまとめすぎか。
これでも全然分からないね。

朝井リョウの原作は未読なので、映画がどこまで忠実かは分からないが、
本作から性的指向の多様性を知るのも悪くはない。
受け止め方も人によって異なる。
自分の常識から、あり得ん!と断罪する人がいてもおかしくはない。
そんな人を僕は非難できない・・・。

それにしてもこれだけ可愛くない新垣結衣は初めて。
後半はイキイキとしてくるが、
前半は映画評論仲間Bushさんがいうように完全に目が死んでいた。
それは生き辛さの証。
抜群の演技ともいえるけど。

できれば毎日明るい表情で生きていたい。
そのためには「正欲」を捨てること。
そんなふうに思わせてくれる作品だった。

映画「私がやりました」

昨年は韓国映画が面白いといい、かなりの本数を鑑賞。
今年はフランス映画か。
年に1本観るか観ないか程度だったが、今年はこれで4本目。
いずれも面白い作品ばかり。

これまで機会を捉えてなかっただけか、
それとも急激にフランス映画自体が盛り上がっているのか。
実態は調べないと不明だが、肌感覚として発信力が増しているように思う。
先日の「私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?」もそうだが、
実社会にメスを入れる堂々とした作品が目立つ。

本作はジャンルとしてはコメディ。
ユーモアたっぷりに描いたクライムミステリーと紹介されているが、僕はコメディと認識。
違うのかな?

本作はやたらめったら喋りまくる。
フランス語の分からない僕は字幕を追い続ける。
もし、フランス語が理解できたのなら、
そのニュアンスや微妙な言い回しでコメディかミステリーか判断できるのだろう。
国特有の文化もあるだろうし・・・。

舞台は1930年代のパリ。
当時のフランスは女性に地位が低く、何かと軽んじられる。
その中で這い上がる三流女優と貧乏弁護士、
そして、かつての大女優が自己主張バリバリに展開していく。

計算高い女性が世の中を上手く渡っていく一方で、男どもは何とも情けない。
皮肉が込められているかどうかはともかく、体裁や恰好を気にする男と
欲望をむき出しで戦いを挑んでいく女性陣のコントラストが面白い。
どんな時代も女性の方がしたたかで優秀なんだろうね。

本作は3人の女優が主役張りの活躍。
弁護士役のレベッカ・マルデールは「シモーヌ フランスに最も愛された政治家」で若い頃のシモーヌを演じていた。
大女優役のイザベル・ユペールは「私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?」の主役。

いずれも今年の作品で役どころは異なる。
見方を変えるとフランス映画は特定の女優に頼った作品ばかりか。
4本鑑賞のうち3本が同じ女優。
もう一本はソフィーマルソーだし・・・。
他にも活躍するステキな女優はたくさんいるよね?

ただ僕はレベッカ・マルデールに惹かれる。
日本だと小雪に似た雰囲気を持つが、
堅い役も柔らかい役も柔軟にこなせるのが素晴らしい。
これから好んで観てしまうかも。

ストーリーはあらぬ方向に行ったり来たりするが、
最終的な結末は、なるほどね・・・という感じ。
やはりシアワセになることが大切。

もっと多くの国の映画を観ることが必要だと改めて実感。
次回鑑賞するフランス作品も楽しみにしたいね。

映画「ナックルガール」

Amazonプライムで配信された作品。
何かのタイミングで予告編を見て、早々に鑑賞。
TVCMだったかな?
個人的には面白かったが、レビューを読むと酷評が続く。

簡単に解説すれば、妹が裏社会の組織に監禁され、
プロボクサーの姉が救出するためにその世界に戦いを挑むストーリー。
確かに詰めが甘いというか、矛盾も多い。
映画館で集中力が途切れずに観たのなら、粗が目立ったのかもしれない。

しかし、ここは大目にみよう。
(無料で観ているわけだし・・・)
僕は何気に三吉彩花は気になる女優の一人。
特徴のある顔立ちではないので街で会っても気づかないかもしれない。
スタイルは抜群だが女優の力量としては未知の存在。

だが、なんとなく気になっている。
「ダンスウィズミー」「Daughters(ドーターズ)」も秀作とは言い難いが、
彼女の動きには目を見張るものがあった。

そして、本作。
三吉彩花のアクションを観るだけでも一見の価値はある。
アクションが上手い女優は綾瀬はるかや長澤まさみが挙げられるが、その比ではない。
彼女はその路線だけでも活躍できるのではないだろうか。

どこまで合成やスタントマンが使われているか分からないが、
本作を観る限りほぼすべて自分で演じていると思う。
トレーニングシーンが本物だとすれば相当な体力の持ち主であり、
その鍛え方には感動する。

ボクシングシーンも格闘するシーンも実にサマになっている。
現役のプロボクサーといわれても誰も疑わない。
そんなふうに思ったり・・・。

原作は韓国の人気ウェブコミックとのこと。
韓国映画ならリアリティを感じたかもしれないが、
(そうでもないか)
日本ではあり得ない世界。

現実からは遥か遠い世界を描いているが、設定は目の前の日本。
そのあたりが酷評の理由かもしれない。
何も考えず観ることをおススメしたい。
秋の夜長にはいいと思うし、伊藤英明や窪塚洋介も真剣に演じている。

映画館でないので本作は対象外になるが、
今年は80本を超える作品を観ることができるだろうか。
残り1ヶ月半。
こんな作品で体を慣らし、スパートを駆けていきたい。

映画「SISU シス 不死身の男」

描かれているのは第二次世界大戦末期の1944年。
「ゴジラ−1.0」に近い(笑)。
これが実話なら凄すぎる世界だが、さすがにあり得ない。
主人公がターミネーターかダイハード並に強すぎる。
いや、もしかしたらこの2人よりも強いかも・・・。
映画を観て、そんなことを感じた。

アクション映画はハリウッドが主役だが、最近は韓国やインドの台頭が目立つ。
それだけじゃない。
もしかしたらフィンランドもその国の一つかもしれない。

そもそもフィンランド映画って観る機会がない。
今年観た「コンパートメント No.6」が初めて。
僕の勝手な印象だが、タイトルの置き方や表現は時代を感じる。
途上国の雰囲気が残ると思うのは単に思い過ごしか・・・。

戦争映画は自国が舞台だと相手国との関係性がよく理解できる。
日本やドイツやアメリカが舞台ならものすごく分かりやすい。
ではフィンランドはどんな立場か。

無知な僕はフィンランドがどっち側なのかも、どう巻き込まれているかも知らない。
映画を通して国の立場を理解することになる。

本作は完全無敵の爺さんがナチス軍をメタメタにする物語だが、
ドイツの描かれ方をみればフィンランドが抱く感情は少なからず分かる。
どうみても悪い連中でろくでもない軍隊。
本作を観てすっきりしたフィンランド人は多かったりして・・・。

それにしても主人公の老兵コルビはタイトルにあるように不死身。
普通の人間ならとっくの昔に死んでいるがその度に復活。
それはヒーロー物の超人ではなく、あくまでも人間。

体はボロボロで傷だらけ。
自分で治療する姿は目も当てられない。
かなり残酷。
ほぼセリフはなく、感情と行動だけで観る者を引っ張る。

たまにはこんなストレートな映画を観るのもいい。。
タイトルにある“SISU(シス)”。
フィンランドの言葉で正確には翻訳不能。
すべての希望が失われたときに現れるという、不屈の精神を意味している。
解説のまま引用(笑)。

映画の中でもそんなセリフがあるが、日本でいえば大和魂的な言葉か。
映画を通して国を学ぶことは多い。

バイオレンスアクションでもそれは同じだった。
やはり多くの国の映画を観ないとね。

映画「ゴジラ−1.0」

本作はゴジラの生誕70周年記念作品。
日本で製作された実写版映画としては30作目。
なんと公開日も第1作目の1954年の「ゴジラ」と同じ11月3日。

その初日に本作を鑑賞。
特にモーレツなゴジラファンでもない。
たまたま日程があっただけ。
最近観たゴジラといえば「シン・ゴジラ」「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」
といっても7年前だから随分と昔。

小学生の頃は公民館で上映会があり、ゴジラシリーズが流れていた。
「ゴジラ対ヘドラ」とか「ゴジラ対メカゴジラ」とか。
どちらかといえば正義の味方で、子供向けの作品になっていた。

平成になってシリーズ化されたが全く観ていない。
それについては特に問題はない。
問題なのは第1作目を観ていないということ。

どんな結末か知らない。
本作と比較するにはそれが重要な気がしてならない。
観終えたあとにそんなことを感じた。

舞台は第二次世界大戦の終戦前と終戦後。
戦争に敗れボロボロになった日本をゴジラが襲う。
その設定は果たして正解なのか。
ー1.0というから正解だと思うが、誕生の理由は分からない。
まあ、細かいところは省くとしよう。

個人的には「シン・ゴジラ」の方がリアリティがあり好きだが、娯楽作品としては抜群に面白い。
老若男女楽しめる映画。
僕が観た回はどちらかといえば年配の方が多かった。
「シン・ゴジラ」ではノスタルジックにはなれないし。
そんな面もあるのかな・・・。

山崎貴監督の技術はふんだんに映像に取り込まれ描き方はさすが。
同時に先が読めるストーリーも監督らしいというべきか。
思っていた通りの展開(笑)。

僕は前回のNHK連ドラは観ていないが、主役の2人はそのままという。
浜辺美波は「シン・仮面ライダー」もヒロイン役を演じており、往年のアイドル路線を歩む。
虜になっているオジサンも近くにいるし(笑)。
シン・シリーズには重宝する女優になりそう。

主役の神木隆之介は決して嫌いな役者ではない。
若手俳優では上手いと思う。
本作でも好演していた。
それは間違いではない。
しかし、僕は申し訳ないが迫力不足を感じた。
頼りなさを演出していたのかもしれないが、少し違うような気がして・・・。
この辺りは他の方の感想を聞いてみたい。

ここからまたゴジラシリーズが始まるのだろうか。
ゴジラ2.0とかゴジラ3.0とか・・・。
パワーアップしたゴジラの動きや破壊される街並みは楽しみにしておきたい。

「放送禁止歌」を読む

映画「福田村事件」を観て、SNS上で仲間と語り合った。
2023年のトップクラスに入る作品であるのは間違いない。
葬り去りたい過去の事件を正面からえぐった森達也監督には賞賛を送りたい。

語り合っていた時に紹介されたのが森監督の著書「放送禁止歌」。
書籍の発行は2000年7月。
文庫本は2003年6月の出版。
僕はその存在すら知らなかった。

森監督は元はテレビディレクター。
それもドキュメンタリー番組を制作してきた。
映画もドキュメンタリー中心で、先に取り上げた「福田村事件」は初めての劇映画。
これも成し遂げたかった仕事の一つのはず。
本書を読むと森監督のやりたいことが何となくみえてくる。

ここではテレビで放送禁止になった曲を取り上げ、
その背景をディレクターらしく取材を積み重ねあからさまにしている。
ある意味、自分が所属するテレビ局の批判とも受け取れる。

僕も何となくだが放送禁止になった曲名については知っている。
岡林信康の多くの作品や「竹田の子守歌」「イムジン河」など。
部落問題や隣国との緊張関係を伝え聞いた感じで・・・。

しかし、そこに明確な根拠があったとは言い難い。
日本人らしい空気を読む姿勢がそっち方向に進んだといっても間違いではない。
本来あるべき姿をうやむやにしてしまった存在であると自戒を込めて語られている。

今から20年以上前の作品だが、基本は今も大きくは変わっていない。
そんなふうに思えてならない。

ジャンルは異なるが一連のジャニーズ問題でも以前は全く触れなかったことに対し、
今は必要以上に叩いていると感じる。
パレスチナ問題がクローズアップされたら、ウクライナのニュースは見なくなった。
それは僕だけ?

真面目に働いている人は多いし、少なからず関係もあるので否定するつもりはない。
しかし、無自覚な思考停止に陥っているのかも。
それは僕にも言えることだけど・・・。
すべてを反面教師的に捉えなきゃいけない。
「福田村事件」もね。

たまには精神的に追い込む書籍を読まないとバカになる。
薦めてくれた仲間に感謝。

それにしてもつボイノリオの「金太の冒険」は要注意歌謡曲は理解できるが、
ピンクレディの「S・O・S」もその対象とは・・・。
歌詞を読み返してみるかな。

映画「フィリピンパブ嬢の社会学」

名古屋の映画コラムニストとして試写会にご招待いただいた作品。
今週10日より愛知県で先行公開される。

なぜか。
作品の舞台は愛知県。
だからこの地区に詳しい映画コラムニストに案内も舞い込んでくる。
あんまし関係ないか・・・。

怪しげなタイトルだが、本作は実話を基に作られた映画。
原作の中島弘象氏の大学院時代が舞台。
その出身大学中部大学もそのまま、
その周辺の春日井市内もそのまま、
フィリピンパブのある栄の女子大小路もそのまま撮影されている。

映画を観ながら「あ~、あのあたりか」なんて心の中に呟いたり・・・。
そんな意味では身近に感じる作品。
有名俳優が出演しているわけでもなく、
莫大な予算が投じられているわけでもない。
地域の協力があってこそ完成した映画。

この手の作品はあまり面白くなかったりするが、本作はそうではない。
正直なところ、観る前まではあまり期待していなかった。
しかし、どうだろう。
どんどん映画に惹きこまれ、最終的には幸せな気持ちで映画を観終えた。

エンディングロールの後もなかなか憎い演出。
温かい気持ちにもなれる。

簡単にいえば、貧乏大学院生と事情を抱えたフィリピンパブ嬢とのラブストーリー。
そこで予測しない出来事が起きるわけだが、そこは実話がベース。
人を殺したり、アンダーグランドのディープな世界が描かれるわけではない。

あくまでも一般人が経験するギリギリのところ。
そのギリギリ感が人間らしい。
些細なことで悩みながらも大きな決断をしていく。

物語は面白おかしく進んでいくが、
僕らが知らない外国人労働者の現実や文化の違いを見せつけられる。
よりリアルに感じ、時折、ドキュメンタリーを見ている錯覚に陥る。
偏見は当然ながら、世間を取り巻く厳しさを痛切に感じる。
そこも含め楽しめる一本じゃないだろうか。

白羽監督は原作を読んで映画化を熱望し、原作者にSNSで繋がり名古屋まで来たという。
こんなふうにしても映画は創られるんだ。

本作が国内のどこまで公開されるかは分からない。
もし、そんな機会があればぜひ、観てほしい。

愛知県のローカルも理解できるしね。

映画「唄う六人の女」

「えっ、ホラー映画?」
映画を観始めて20~30分くらいの頃、そんな思いが頭をよぎった。
僕はホラー映画はほぼ観ない。
そのジャンルにそもそも関心がないし、
何の得もしないという気持ちが強く観ることはまずない。

本作は予告編を数回観ただけの知識。
怪しげな作品という認識はあったが、まさかホラー映画とは思わなかった。
30分ほど経った時に「途中で外に出ようかな・・・」と思ったのも事実。

しかし、そう思い始めたころから流れが変わっていった。
結果的には納得感が体を包んだ。
途中退出しなくてよかった。

ただとても不思議な作品。
現実と非現実がシンクロし、謎めいた森の世界で物語が繰り広げられる。
予告編では水川あさみはじめ艶めかしい女性陣が登場するので、
エロティックな要素が溢れるのかと思いきや、冒頭のホラー映画に近い状態。

艶めかしい女性陣は刺す女、濡れる女、撒き散らす女、
牙を剥く女、見つめる女とそれぞれ役割が決まっている。
その女性陣に監禁されるのが、フォトグラファーの竹野内豊と開発業者の山田孝之。

普通に考えればありえない世界だが、ここには深い理由がある。
観客の全てが竹野内豊になり、彼と共に段々と理由が解明されていく。
そこで物語が終われば、ハッピーエンドだが本作はそんな単純じゃない。

厄介者がいろんなものをぶち壊していく。
その厄介者が山田孝之でサイテーな人物。
だが、僕はそのサイテーな人物は立派だと思う。

それは役柄ではなく山田孝之。
本作では共同プロデューサーを務め、その作品で自ら汚れ役を演じる。
「どうする家康」の服部半蔵役もいいキャラだが、何かにおいてチャレンジングな役者。
そんな意味で好感を持つ。

女性陣も魅力的。
水川あさみ以外は知らないが、その魔力に惹きつけられてしまう。
誰も一言も喋らないし・・・。

評価はとても難しい。
面白いだけでは終えるにはテーマが深いし、
テーマを追求するには描き方は微妙。
人により解釈が大きく分かれるだろう。

改めて思うのは人間は自分勝手だということ。
それは戒めとして捉えなきゃいけない。
自分が巻き込まれるのは嫌だが、いい経験にもなるんだろうね。

映画「私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?」

ビックリするくらい話題になっていない作品。
「映画.com」のようなサイトは新作が公開されると必ずビューがアップされる。
迷っている作品はビューの内容や評価点を確認して観るかどうか決める。

本作は僕が通う「ミリオン座」での上映が決まっていたので気になっていた。
公開日の翌週に別の作品かどちらかに行こうと予定していた。
しかし、公開されてもビューは全くアップされない。
上映されて1週間経過した26日現在で1件のみ。

なぜ、こんなにも話題にならないのか・・・。
解説には
「フランスの原子力会社の労働組合代表が国家的スキャンダルに巻き込まれていく姿を、
実話を基に描いた社会派サスペンス。」
と書かれている。
これに興味を示す人も多いはず。

実際に僕は重厚な社会派ドラマだと感じた。
より多くの人が観るべきとも思った。

調べてみると上映館が少ない。
「ミリオン座」は1日3回ほど上映するので、
その力の入れ具合が分かるが全国的にはそうではない。

なにか不都合があるのだろうか。
映画の中にもフクシマという言葉は登場する。
東日本大震災の翌年からのフランス原子力会社を描いているため過度に反応しているのか。
でも、それは日本にはあまり関係ないことじゃないか・・・。

本作では目に見えない圧力や影の力を感じることになる。
主人公モーリーン・カーニーはそれに立ち向かう。
その正義は日本ではあまりウケないと思われているのか・・・。
そんなことも感じてしまった。

今年観たフランス映画は本作を含め3本。
「すべてうまくいきますように」
「シモーヌ フランスに最も愛された政治家」
これまでフランス映画にさほど注目してなかったが、今年は素晴らしい作品が並ぶ。
あまり表沙汰にしたくない世界を堂々と描く。

「シモーヌ」もフランスでは大ヒットしたし、本作も同様。
大ヒットしたようだ。
国のマイナス面を露わにしているといえなくもない。
本作の事件はまだ未解決だというし。
その姿勢に拍手を送りたい。

日本でもこの類の作品が堂々と制作され公開されることを願う。
まずは本作がもっと話題となり、上映されることだろうけどね。

映画「アナログ」

本来、僕の鑑賞リストには入っていなかった。
この年齢になるとラブストーリーにはさほど興味を示さない。

しかし、周りのざわつきが僕を映画館に向かわせた。
一つは映画情報サイトの評価の高さ。
ただ、それだけでは動じない。

決定的になったのは映画評論仲間の声。
50代後半のオッサン達が胸ときめかせ絶賛していた。
もう、これは自分の眼で確かめるしかない。
この年齢で「胸キュン」なんていう現実があるのかと・・・。

やられてしまった。
映画評論仲間のオッサン同様、胸ときめかせてしまった。
このピュアなラブストーリーに汚れたオッサンが見事にハマってしまった。

なんかいい。
自分にもまだ純粋な心が残っていたことに少しホッとした。
いつまでもこんな気持ちを持ち続けたい。

原作はビートたけし。
やはり彼は天才なのかも。
次作「首」も観ないとね。

といってもストーリーに複雑さはなく、真っすぐに進んでいく。
今どき、携帯電話を持っていないこともあり得ないが、
持っていなければ自宅に電話すればいいと思うが、それもしない。

ただそれに違和感を感じない。
毎週木曜日に同じ場所で会う約束しかない。
かつてそんな時代もあったかと思わせてくれる。

その展開にときめきを覚える。
キスもしない、
その先も当然ない。
手をつなぐのがせいぜい。

それが美しい。
中学生でなく、いい大人だから美しい。

ヒロインは波瑠。
彼女の凛とした美しさと謎めいた雰囲気に惹かれる。
本作は彼女以外は考えられない。

好きな女優はたくさんいるが、僕がいざ付き合うとなれば、きっと彼女。
あり得ない話だが、そんな気がしてならない。
すいません・・・。

主役の二宮和也は泣いてばっかりだが、
同じように泣いていたオッサンも多いと思う。
こんなラブストーリーもたまには観た方がいい。

そして、ここにも登場するのがリリーフランキー。
「アンダーカレント」では饒舌だったが、本作では寡黙。
黙々とコーヒーを淹れ、笑顔で接するだけ。
舞台となる珈琲店「ピアノ」に絶妙なバランス。
助演男優賞かな・・・。

せつないし、悲しいし、嬉しい。
こんな映画も大切にしたい。
そう感じた一本。
スルーしなくてよかった。