
今年はドキュメンタリー作品を観る機会が多い。
「ビヨンド・ユートピア 脱北」
「劇場版 再会長江」
「Ryuichi Sakamoto | Opus」
珍しく音楽関係が続いた。
特に詳しいわけでも、好きなジャンルというわけでもない。
たまたまタイミングがあったのが正直なところ。
本作も観なきゃ知らないまま終わっていた。
加藤和彦という稀有なミュージシャンを理解できたのは観たからこそ。
僕が知っているのは「帰ってきたヨッパライ」と「あの素晴らしい愛をもう一度」くらい。
映画「パッチギ」にも取り上げられていたことも。
最低レベルの知識。
あとは紳士服のトリイのCMに出演されていたことを何故か印象強く覚えている。
トリイは2003年にAOKIと資本提携し、その後合併した名古屋の紳士服量販店。
僕が新卒事業の責任者をやっていた頃、リクルートスーツの販促でお世話になっていた。
コラボで関わっていたこともあり印象に残っていた。
本作とは関係ないが、その程度の知識だった。
こんなに才能溢れる音楽家ということを作品を通して初めて知った。
日本の音楽界に与えた影響は大きい。
ただそれを理解しているのは一部の方だけではないか。
吉田拓郎や坂本龍一、高橋幸宏を知っていても加藤和彦を知らない人は少なくない。
僕自身も知っているとはいえ、映画化されるほどではないと思っていた。
反省・・・。
そして恥ずかしくも思った。
新しい分野を切り開き、多くのミュージシャンも育ててきた。
思い切りリーダーシップを発揮し引っ張ったのではなく、気の向くままさりげなく巻き込んでいく。
演出かもしれないが、感化され見事に巻き込まれいく。
取材を受ける豪華なアーティストや業界関係者をみれば一目瞭然。
その重ねられたインタビューから加藤和彦そのものが映し出されていく。
ハナリー島の大統領らしき人がラストは感動してしばらく席を立てなかったと言っていたが頷ける。
さほど思い入れのない僕でさえ涙がこぼれそうになった。
残念ながら62歳で自殺してしまったが、その想いは今も語り継がれているのだろう。
多くの方がその死を防げなかったのを悔やんでいた。
映画館の観客は多分、僕が最年少。
ほとんどは同世代を生きてきた方。
喜びも悲しみも抱えて観ていただろう。
今年はドキュメンタリーをもっと観ようと思う。
そして、カラオケで「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌おうと思う。
そんな作品だった。

正直、面白いとは言い難い。
映画にハラハラドキドキや痛烈なメッセージを期待する人は止めた方がいい。
今の若者ならオープニングの数分も耐えられないかもしれない。
きっと早送りしたくなる。
逆をいえばそれを気にせず、映画に向き合える方なら楽しめるのかもしれない。
いや、楽しめるという表現は間違っている。
本作を楽しむことはできない。
恐怖を感じることしかできない。
ホラー映画ファンなら恐怖は快感に変わる。
しかし、本作は快感には程遠い。
鈍感で無関心な人が何も感じない程度。
実は何も感じないのが一番恐ろしかったりする。
毎日報道される紛争のニュースも慣れてくると不感症になる。
自分とは関係ない遠い世界の出来事と思えてくる。
常に当事者意識と緊張感を持たないと物事に鈍くなる。
大切なのは半径10メートルの世界。
そこにしか関心が向かなくなる。
それっておかしくない?
ということを本作は何も発せず教えてくれる。
人が殺される残虐なシーンは一切ない。
人を傷つける言葉もない。
静かに平和な暮らしを描いているだけ。
余計な雑音さえ消してしまえばシアワセそのもの。
どアップの無音の映像だけなら気づかないはず。
チャップリンは
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」
といったが、そうではない。
クローズアップは幸せで、ロングショットは不幸。
遠くを見れば現実が目に入ってくる。
耳を澄ませば本当の音が聞こえてくる。
それを感じさせてくれた辛い作品。
今年は後味の悪い作品を結構観ているが、その中でもバツグンかもしれない。
まあ、これも映画の味わい方ということで・・・。
特に説明する必要もないが本作はカンヌ映画祭グランプリ作品。
アカデミー賞でも国際長編映画賞を受賞。
数々の賞を受賞しているが、面白いとは言い難い。
アメリカ・イギリス・ポーランド合作ではあるが、舞台のドイツは関わっていない。
何か大きな理由でもあるのだろうか。
捉え方は様々だが、観るべき1本であるのは間違いない。

できれば観たくなかった。
でも、観ようとする自分を抑えきれなかった。
案の定、落ち込んだ。
救いようのない気分になった。
予告編を観た段階で、相当辛い作品であることは理解できた。
観たいけど、観たくない。
そんな気持ちだったが、同時に観なきゃいけないという妙な使命感に駆られた。
本作は実話をベースに制作。
それもコロナ禍を描いた最近の出来事。
コロナは多くの方に被害をもたらし不幸へ陥れていた。
主役杏もその一人。
しかし、ここで描かれるコロナはひとつのキッカケに過ぎない。
コロナが原因とは言い難い。
その背景にある取り巻く環境がすべて。
幸せは連鎖する。
同時に不幸も連鎖する。
ひとつ歯車が狂い始めると全てが狂う。
それに翻弄されるのはいつも弱い者。
河合優実演じる杏は12歳の時から売春をし、16歳から麻薬に手を出す。
無責任にいえばとんでもないヤツとなるが、そうではない。
完全な被害者。
毒親の下、そうせざるを得ない生活。
ほんと毒親だ。
観ている最中も腹が立って仕方なかった。
演じる河井青葉の上手さもあるが、憤りを通り越す。
しかし、冷静に考えるとこの毒親も被害者なのかもしれない。
一見、大人しい年中、服装の変わらない祖母の存在がそうさせているのかもしれない。
あくまでも想像の範囲内。
この類の作品を観るといかに健やかな家庭が大切かを痛感する。
本人には何の責任もない。
だらしのない周りによって別のカタチにさせられてしまう。
本作も救いの手が伸びる。
刑事役の佐藤二朗であり、ジャーナリストの稲垣吾郎であり。
それが上手くかみ合い、少しずつ成長していく姿で終わればハッピーエンド。
杏の未来にエールを送ることができる。
なぜ、そうしない。
なぜ、そこで映画を終わらせない。
それでいいじゃないかと思ってしまう。
現実は悲しい。
それが実話であるともっと悲しい。
実話をベースにした作品は一方で感動を呼び込むが、一方で僕を奈落の底に落とす。
とても辛い作品だった。
ただ目を背けず、多くの方に観てほしいとも思う。
この感情を大切にし、自分の周りだけでも不幸を出さない行動に繋げたい。
主役杏は「不適切にもほどがある!」で話題となった河合優実。
「サマーフィルムにのって」も「由宇子の天秤」も好演したが、そこまでの印象ではなかった。
本作はヤバい。
恐ろしいほど感情を持っていかれる。
今年の主演女優賞は杉咲花か石原さとみかと言っていたが、彼女がくるかも・・・。
重い作品を避けたいなら、彼女の演技だけを目的に観るのもいい。
ついでに重さを味わえばいい。
実話ではなくフィクションであって欲しいと痛切に願う作品だった。

吉田恵輔監督は時代に翻弄される人を上手く描く監督。
それも今この時代を鋭く切り取る。
「空白」ではマスコミの偏った報道で勘違いされる人を、
「神は見返りを求める」ではSNSに極度にハマっていく人を描いた。
本作はその両方。
よほどマスコミに恨みを持ち、SNSを懐疑的な存在と認識しているのではないか。
過去、酷い目に合っているのかな(笑)。
しかし、ここはリアル。
中身はともかく実際に被害に遭っている人は多い。
正義感を振りかざす無責任な存在が人を陥れていく。
その餌食になった人が壊れていく。
石原さとみ演じる沙織里は娘が失踪したばかりの時はまっとうだったはず。
感情的だが、当初は青木崇高演じる夫・豊よりも冷静だったかもしれない。
豊は時間と共に冷静さを取り戻したように思えるが、沙織里はエスカレートしていく。
本作はそんなところから始める。
それはあくまでも僕の想像。
マスコミとSNSの反応で徐々に感情むき出しになり、もう誰にも止められない。
傍からみれば異常と受け取れる。
実際、自分や身内が同じ立場になったらどうか。
冷静のままでいられるか。
SNSの書き込みなんて見なきゃいいというのも正論で僕も同じことを言う。
しかし、本当にそれを我慢できるか。
多くの人は弱く、他人の言動が気になり、それにより精神がやられていく。
映画では過激な沙織里が加害者に見える時もあるが、一番弱い被害者ということ。
真摯に向き合う豊の存在がなければ、人が壊れるだけでなく家族も崩壊した。
きっと知らないだけで現実問題として起きているのではないか。
そんな意味でも現代社会を失踪事件に絡め上手く表している。
吉田監督はこれからの作品も期待したい。
今までは暗い作品が多かった。
先に紹介した2作もそうだし、
(「神は見返りを求める」はコメディ要素はあるが)
好きな「BLUE/ブルー」も暗い。
次回は明るく前向きな世界を描いて欲しい。
それにしても本作は石原さとみに尽きるかな。
あんな美しくない彼女も初めて。
街ですれ違っても振り返ることはない。
女優魂も立派と感じた作品だった。

いい意味で白石監督らしくない作品。
僕は大好きだが白石作品はハードなイメージが付きまとう。
「日本で一番悪い奴ら」にしても「孤狼の血」にしても、
その続編も「凪待ち」も「ひとよ」も「死刑にいたる病」もそう。
ほぼ作品は観ているが、大体は登場人物が壊れている。
まともな主役は少ない。
それを得意とする監督と期待していたし、そんな作品が好きだった。
そんな作品に惹かれることは全うじゃない(笑)。
しかし、本作の登場人物は壊れていない。
破綻していない主役は初めて。
部分的に切り取れば全うじゃない面はみられるが、あくまでも感情的な一部。
20年ほど前の山田洋次が描く歴史ものに似ている。
それがいい意味で白石監督らしくない。
これが悪い意味でらしくなかったら、厳しい。
平凡な時代劇になってしまった。
白石監督は次のステージに向かっているのかな。
囲碁を中心に殺陣を描く。
静かに打つ碁がアクション映画。
囲碁を知らないのを後悔した。
何度も誘われたが、やらず仕舞い。
少しでも理解していたら、もっと楽しめた。
戦国時代のドラマでは武将が囲碁を打つシーンをよく目にする。
武士が戦略を描く上で重要。
そんな存在と思っていた。
ところが江戸時代はあちこちに囲碁場があり、武士も商人も娯楽として楽しむ。
娯楽のたまり場とは知らなかった。
映画では大きな意味を持つ。
浪人役の草彅剛が囲碁を通して実直な人格をみせ、
また武士としてのプライドを保つ。
囲碁に向き合う緊張感が心地いい。
白石作品であれば血みどろの格闘を期待するが、そんな場面はない。
いくら許せない人物が登場しても不用意に刀を振り回すことはない。
いい意味で裏切る。
白石ファンの評価は分かれるだろう。
物足りなさを感じるかもしれない。
そんな作品だ。
僕はそれでいいと思う。
派手な血闘シーンがなくても十分に映画を楽しむことができた。
草彅剛のちょんまげ姿は徳川慶喜をイメージさせるが悪くはない。
立ち振舞いはストイックに映る。
「青春18×2 君へと続く道」に続く清原果耶も魅力的。
彼女はこんな役が似合うね。
キョンキョンは年齢を重ねたが、いい味を出す。
恐れることなく映画に向き合ってほしい作品ですね。

学級崩壊や先生の過酷な労働環境など教育現場が話題になることは多い。
それは日本特有の問題だと思っていた。
実際は日本に限ったことではなく、全世界共通の問題。
本作を観て、そう感じた。
舞台はドイツの中学校。
仕事熱心で正義感の強い若手教師の行動が引き金になり、大きな問題へと発展。
その流れていく状況がとても恐ろしい。
社会派人間ドラマだがサスペンススリラーというジャンルも間違いではない。
むしろそう捉える方が正解なのかもしれない。
原題は「Das Lehrerzimmer」。
大学時代、ドイツ語の授業は受けていたが、「グーテンターク」しか覚えていない。
調べてみると「職員室」という日本語訳。
邦題は「ありふれた教室」。
このかけ離れたタイトルは何なのか。
映画を観ると違和感はなくなる。
いや、若干、違和感は残る。
本当にありふれているのかと・・・。
原題も英語でのタイトルもストレート。
まさにそこで起きた出来事。
何が正しく、何が間違っているのか、考えさせられる。
誰の行動も間違ってはいない。
理屈で考えれば常識的。
しかし、感情が入るとそれは一気に乱れる。
正しさが悪意と受け取られる。
それがとても恐ろしい。
本作を観て、昨年公開された「怪物」を思い出した。
小学校内の事件を取り上げているが、立場により受け止め方は異なる。
それに近い面はあるが、本作の場合、若手教師ばかりが追い込まれる。
いやいや、そもそも校長や先輩教師の対応が悪いでしょ…
と客観的に判断するが、実際はそうではない。
世の中はきっとそう。
教育現場だけでなく、企業でも地域コミュニティでも起きうる話。
日本だろうとドイツだろうと関係ない。
そして、映画は答えを出してくれない。
ラストシーンの受け止め方は人によって大きく変わる。
カギとなるルービックキューブの存在も・・・。
本作でドイツの学校の在り方も理解できたのはよかった。
先生同士の議論に生徒が加わるとか、
あくまでも答えは自分で出させるとか、
多くの人種が通う多様性とか、学ぶ点も多かった。
しかし、どんな国でも学校の先生は大変。
そして真面目すぎる性格は損をする。
ある程度、テキトーな方が問題は起きない。
真面目すぎる性格を直したいと今更ながら思った。
な~んて・・・。
後味はいいとはいえないが、作品は素晴らしい。
落ち込むことを覚悟して、是非、観てほしい。

これは映画か、ドキュメンタリーか。
観ながら迷う。
これは演出なのか、リアルを描いているのか。
観ながら悩む。
実際に起きている問題を真正面から捉えているのはよく分かる。
そして胸が締め付けられる。
「マリウポリの20日間」も気になったが、今回は本作を選択。
描かれる世界は近しい。
「マリウポリの20日間」はロシアによるウクライナ侵攻から
マリウポリ壊滅までの20日間を記録したドキュメンタリー。
知っておくべき事実だが、日々の報道で近い状況は把握できる。
しかし、本作は知らない世界。
ウクライナの隣国のベラルーシとポーランドが舞台。
このあたりの国同士の関係はややこしい。
世界情勢に疎い僕は映画を観て、その辛い事実を知ることとなる。
シリアやアフガンからの難民は
「ベラルーシを経由してポーランドの国境を渡れば、安全にヨーロッパに入ることができる」
という情報が流れているという。
しかし、実際は・・・。
亡命を求めて国を出た家族は想像を絶する世界へ引き込まれる。
亡命なんてしない方がいいのか、
それでも亡命をした方がいいのか。
平和ボケした僕には分からない。
分かることといえば、島国日本がいかに平和かということ。
「退職代行サービス」を使って退職なんて、安定した国だからできる。
明日の生活も予測できない。
生きているのかも分からない。
ベラルーシを追い出されポーランドに送り込まれる。
ポーランドから追い返されベラルーシに戻る。
その繰り返し。
国のトップが現れることはない。
前線に立つ国境警備隊を感情的に黙々と仕事をする。
人への優しさは無用。
自分たちに不利が起きない行動をするだけ。
観ていて辛い。
子供や妊婦にも容赦しない。
それを正そうとする支援活動家。
その力は小さく、権力に押し潰される。
これが国の実情なのか・・・。
こんな作品を観て、いつも感じる。
被害に遭うのは普通の人たち。
幸せを求めるだけで危害を加えることはない。
僕らは日々、いろんなニュースを目にするが、こんな事実は知らない。
どこかの国の大統領だか首相だかの正論を聞かされるだけ。
この作品を観ろよ!と思ってしまう。
何も感じないか(汗)。
今年は愚かな人間の行動を描く辛い作品が多い。
そんな作品から目を背けてはいけない。
それくらいしかできない。
多くの方に観てほしいと思う。

TVではなく映画館で上映する意味はなんだろう?
と思いながら劇場に足を運んだ。
事前情報を入れずに映画を観たが、映画館での上映の意味が徐々に分かってきた。
僕は坂本龍一氏の最後のコンサートを追ったドキュメンタリーと思い込んでいた。
完全な勘違い。
映画館はイオンシネマ。
普段は80席程度の小さなシアターが多いが、本作は400名弱の席数。
そのシネコンでは一番大きなシアターだった。
それも「ULTIRA(ウルティラ)」という迫力のある鮮明映像と立体音響。
Dolby Atmosのため全方位から音楽が流れてくる。
そんな大きなシアターに10人ほどの観客。
かなり贅沢な空間だった。
本作はドキュメンタリーではなくコンサート。
坂本龍一のソロコンサートを映画館で堪能したのだ。
映画コラムニストとして書くような評論はない。
演出や出演者、ストーリーを語ることもない。
ただ坂本龍一氏のピアノを感じるだけ。
その世界にのめり込んでいくだけ。
映像は静かに流れる。
30分程、経った時に初めて坂本氏が言葉を吐く。
「もう一度やる?」
その他にどれだけ発した言葉があっただろうか。
数える程度。
95%はピアノに向き合い演奏する映像。
あとは沈黙する表情。
それは苦しそうにも楽しそうにも思える。
何か思い悩みながら演奏しているとも受け取れる。
真摯に向かう姿がヒシヒシと伝わる。
「戦場のメリークリスマス」や「ラスト・エンペラー」のような
代表的な曲は分かるが、知らない曲も多い。
曲の細部や難易度は僕には分からない。
それでもその空間に導かれていった。
きっとピアノの前なら何日でも座っていられるのだろう。
余計なものをすべてそぎ落としたコンサート。
モノクロの映像とマッチし、白髪の坂本氏を浮き上がらせる。
それがTVではなく映画館で上映する意味なんだ・・・。
本作が映画ではなくコンサートなら上映する劇場を選ぶ。
偶然にもそんな時間に遭遇できてよかった。
最後のコンサートを体感させてもらった。

初めて中国に行きたいと思った。
広大な中国の風景を眺め、そんなことを感じた。
ただ風景を眺めるだけなら、行きたいと思う気持ちは生まれなかったと思う。
上海から長江の最初の一滴を辿るルートで出会う人とのふれあいを見て、
素直に行きたいという感情が生まれた。
本作を知ったのは偶然。
頻繁に通うミリオン座で長い期間、上映されている。
それも一日1回の上映。
評価の詳細は読んでいないが、星の数は多い。
なんだか気になり、映画館に足を運んだ。
本当に観てよかった。
素直に感動。
お世辞抜きにそう思った。
本作はドキュメンタリーで2021年から2年をかけて長江6300キロをたどる旅を描く。
竹内亮監督が自ら出演し、その旅で出会う人とのふれあいも重要な要素。
世界史で長江の大きさは学んだ。
アジア最長の川で日本の本州よりも長い。
川幅だけみてもとても川とは思えない。
その源流を求め、5300キロを上っていく。
竹内監督は10年前に同様のドキュメンタリーを制作し、辿りつけず終わった。
今回はリベンジだが、それだけではなく10年前に出会った人との再会も求めた。
むしろこれが本当のテーマじゃないか。
僕たちの10年前と中国の地方の10年前は時代が異なる。
30、40年前と錯覚する。
町や家、学校は消える。
同じ中国でも文化や民族意識も異なり、現代社会とは隔世の感を覚える。
一般的に僕らが思う中国人のイメージは決していいとはいえない。
インバウンドやニュースの影響が強いかもしれない。
しかし、本作で登場する中国人はとてもピュア。
印象が大きく変わった。
偶然の要素が強いが10年前に出会った人と再会し、今と昔を語る。
そのストーリーに感動する。
監督はじめスタッフも再会した人も感動する。
それが泣ける。
当初、このドキュメンタリーは重いと思っていた。
そうではなく、面白おかしく旅を伝える。
その中でふれあいの大切さを教えてくれる。
いやあ~、参ったな。
それもあるが、何よりも大自然。
広大な壮大な風景がこちらに押し迫る。
ドローンを使った撮影が功を奏す。
海のような長江、シャングリラの風景、永遠に広がるチベット高原・・・。
引きの映像も素晴らしい。
いい意味で中国のイメージを裏切ってくれた。
画一的な物事の見方は危険。
素晴らしいドキュメンタリーを観させてもらった。
一度、中国に行ってみたい。

単純な映画ほど深いメッセージがあるのかもしれない。
そう考えると純粋に映画を楽しむことが難しくなる。
真意を確かめるのも大切だが、そんなことはどうでもよく、
もっとお気楽な時間を過ごすだけでもいいのではないか。
時々、何も考えずに向き合いたい。
特に本作はそれでもいいと思ってしまう。
僕の中でマーゴット・ロビーは海外の女優では抜群の存在。
「バビロン」を観て大きな刺激をもらったが、とても魅力的な女優。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」もそう。
本作ではまさにバービーそのもの。
煌びやかな衣装の立ち振る舞いを観るだけでも十分に満足。
しかし、それではただのスケベオヤジにしか写らないのが現代。
そんな眼差しで映画を観ることは許されない。
完璧なマーゴットロビーを楽しみながらも、深いテーマうを語り合わなきゃいけない。
映画は時々面倒くさい。
本作を娯楽作と受け取るのは短絡的。
場合によっては批判を浴び、上映禁止まで発展する。
好き勝手に映画を撮る時代は終わり、多方面への意識を要求される。
見方を変えれば本作はあえて挑戦し、様々な解釈を生み出そうとしているのではないか。
「バービーランド」は誰にとっての理想なのか。
夢のような世界で過ごすことは毎日が楽しく何の不自由もない。
争いごともおきない。
それぞれが自分の立場に疑問を持たず暮らす。
バービー人形で遊ぶ子供たちはそんな世界に憧れているが、
それが本当の幸せなのかと成長の過程で知ることになる。
本来の人間の姿を見て、バービーもケンも気づくわけだが、それは本当の人間の姿なのか。
正しさといえるのか。
それこそエゴではないのか。
単純な映画を単純に楽しめば何も悩むことはない。
視野を広げ視点を高めるのは重要だが、それが人を不幸にする。
単純に楽しむことができなくなるのだ。
マーゴットロビーを堪能したい。
右脳感覚だけで映画を観たい。
あまり面倒くさいことは語りたくはない。
そんな作品。
何を書いているのか意味不明と捉えられるかもしれないが、
マーゴットロビーに魅力を感じる人は理解してくれるはず。
最終的な選択も応援するけどね。