これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「人について考える」の記事一覧:

中国の就職事情から感じたこと

本日の日本経済新聞に中国の新卒採用環境の記事が掲載されていた。中国の就職環境の厳しさは、各方面の情報により知っていたが、この記事はより具体性を持って書かれていたように思う。
と同時に、その内容から日本の就職環境と相通じる面も多いのではないかと感じた。
今現在、中国の大学卒業予定者数は660万人という。10年前と比較すると6倍に増えている。人口増加や経済の急速な発展により、学生数の増加は当然とも言えるが、この伸び率が妥当かどうかは疑問だ。
日本の大学生の就職環境の悪さクローズアップされている昨今であるが、その原因が進学率の大幅なアップにより、20年前より学生数が倍に増えたことも大きな要因のひとつと言える。
それは同様に中国にも当てはまるのではないだろうか。大学に進学すれば、ホワイトカラー職として働けるという幻想が同じように起こっているのは、僕の勝手な推測だけではないと思う。
日本と比べ圧倒的に勤勉で向上心があり、世界を変えていこうという気概がある中国人学生は多いと思う。しかし、その一方で、より高い条件だけを求め、前向きな姿勢やコミュニケーション能力が足りない学生も多いようだ。
まさに日本の学生と同じ現象が起きている。
また、一人っ子政策の影響により、子供の就職に親が関与するケースも増えていると指摘されている。それも、日本と同じだ。
自分自身が目にして実感した事象ではないので、確かな事は言い切れないが、好景気不景気に関係なく抱える問題の共通点は多い。
昨年の中国の就職率は72.2%で、175万人が就職が決まらないまま、卒業したとのこと。そう思うと、先ごろ発表された国内の2011年卒の就職率はまだまだ健闘しているではないか。
(就職率と内定率の解釈はともかくとして・・・)
欧米をはじめ諸外国の就職環境と比較しても、日本の就職率はまだまだ高い。考え方を変えれば、恵まれているのだ。求人倍率だって1倍は超えている。
もう間もなく5月も終了。
現役4年生の就職活動は、大手企業が選考時期をずらした事もあり、長期化すると思われる。既に疲れてしまった学生もいるかもしれない。
しかし、目の前の就職環境の厳しさに落胆せず、チャンスはこれからと信じ、行動してもらいたい。

高校生にキャリア教育を行った日

昨日は、三重県の高校にキャリア支援の目的でお邪魔した。
先日のブログでも書いた高校1年生へのキャリア教育である。
当日は大講堂で行われる7限目の授業に、450名近い高校1年生が待ち構えていた。
会場内が騒がしいのではないかと想像したが、この高校ではそんな要素は全く感じさせず、学生は真面目に私語もなく、こちらに視線を送ってくれていた。自ずとこちらもヤル気モードに入る。
タイトルは「うれしい将来のために考えること」という何とも要領を得ないものだが、いずれ訪れる就職活動時に慌てないために、高校時代からやっておいた方がいい事を僕なりの解釈で熱く伝えたつもり。
まず一つは、どんどん失敗をしようという話。
主体性やコミュニケーション能力や実行力など、企業の求める人材像を恋愛に例えながら、その中で起きる失恋=失敗がいかに貴重かという話をした。恋愛だけでなく他のことも含め、より多くの失敗を経験することを勧めたのだ。
そして、次は「嵐」。
スクリーンに映し出された画像と話し始めた瞬間は、会場内からどよめきが起きた。やはり「嵐」は響くのだ。
「嵐」のメンバーの特徴をいろんな職種に結び付け、ひとつの組織として構成し、その組織を会社の存在価値として示した。それぞれに大きな役割はあると・・・。
どんな人にも適性があり、その適性がどんな方向なのか、この高校時代に感じ取る経験をして欲しいと語ったのだ。
(この表現では難しい内容に思えるかもしれないが、逆に簡単すぎて、却って心配な面もある・・・)
450名の学生の表情を把握することは距離感もあり難しかったが、真剣な表情で話を聞く視線は感じることができた。どこまで学生の気づきを与えたかは、授業後のアンケートでしか知る由がないが(ちょっと怖い)、初めての高校生へのキャリア支援は、僕にとってもいい勉強であり、有意義な時間であった。
今後、そのような場が再び訪れるかはわからないが、機会があれば高校生に対しても、こちらの想いを伝えていきたいと思う。
まずは、このような場を提供いただいた高校の先生と名大社の社員に感謝!
おまけ。これが、その講演風景。
高田高校1
高田高校2

来週は高校へ、いざ出陣!

来週は、何と高校生にキャリア教育を行う。
三重県の進学校に対して。それも1年生全生徒が対象だ。名大社に勤める女子社員の出身校であり、三重県では名門中の名門の学校である。
とても名誉な話なので、全く未知の分野ではあったが有り難く引き受けた。
この依頼自体は昨年末に頂いたのだが、先週あたりになってようやく真剣にその内容について考え始めた。
これまで偉そうに、いろんな場で「キャリア教育は高校から行うべきだ!」とほざいていたが、いざその立場になると「さて何をするかな?」と考え込んでしまう。
どんな話をすれば、想いが伝わるか中々イメージできない。情けない話だ。
サラリーマンの実態を見せようとか、働くことの意味を教えようとか、考えてみたが今一つピンとこない。
既に高校でキャリア教育を実践している知り合いに尋ねると、社会人の成功体験や失敗談の話をしても伝わらないという。本人たちが関心があったり身近に感じないと聞く耳持たないというのだ。
全部が全部本当ではないにしても、困った話である。当初の案も廃案、練り直しだ。とはいえ、高校生に迎合するようでは意味を待たないし、気づきを与えられない。
グルグルと頭を悩ませながら、どんな事に興味を持つのか改めて考えてみた。
高校生の興味なんて、いつの時代も変わらないのではないか・・・。
そうなると恋愛である。そして、間違いなくアイドルにも興味があるはずだ。アイドル、アイドル・・・。
しかし、「AKB48」はさっぱり自分が分からない。
だとすれば「嵐」だ。
嵐であれば中学生の娘が好きだし、その流れで「嵐にしやがれ」や「ひみつの嵐ちゃん」の録画をついつい観てしまうことも多い。
少しは理解しているぞ。ある程度は語れるぞ。
キャラもそれぞれ異なっており、いろんな人物像が描けるではないか。そこから急いでパワーポイントをまとめた。あとはストーリーを調整して上手く話せるようにするだけである。
不安な面も多いが、楽しみでもある。
さあ、結果はどうなるか。
来週の水曜日に報告したいと思う。木曜日かもしれないが・・・。

新卒一括採用について考える 2

結局、昨日はタイトルにある「新卒一括採用について」は一切触れる事がなかった。
本日のブログで、この件に関して簡単にまとめていきたい。
新卒一括採用の議論内容は主に3つ。
・日本貿易協会、経団連か発表した就職活動時期の見直し
・日本の雇用慣行、アメリカの雇用慣行
・大学卒業後3年を新卒扱いとする
この3つの議論は、それぞれを分けて考えるよりもトータルで考えた方が、現状の問題点を正確に伝える事できるのではないだろうか。
それは全てが繋がっており、大局的に捉えていかないと根本的に問題解決に結びつかないと思うからだ。
しかし、そんなことをこの小さな組織で議論して最適な方向へ持っていたとしても、解決する事はできない。我々の範疇を超えているのは誰もが理解しているところ。
ただ、あるべき姿を全体で議論し、お互いの考えをぶつけ合うのは、決して無駄ではないと思う。この議論も十分意味のあることなのだ。
例えば、新卒採用時期を遅らせた場合、学生は学業に専念でき、就職活動期間も短縮する事ができるメリットはある。だが、それはあくまでも全業界がルールを遵守し、スタート時期を一緒にした場合にのみ言えることであり、現実問題を考えれば、全業界にそれを規制するのは無理な話だろう。
言い方は良くないが、これ幸いに早期に動き出す企業は出てくる。
また、企業の採用活動時期が短期間に集中し、学生の選択の幅がより限定される可能性が高い。その場合、今以上に大手企業に学生が集中して、そこから溢れる学生が増え、その後の受け皿となる企業との接触時間が減少し、内定率が下がる恐れもある。
それぞれの団体の言い分もよく理解できるが、中小企業まで含めた全体のことを考えているかどうかは難しい判断となる。
卒業後3年を新卒扱いにする件は、個人的には決して悪くない政策だとも考える。機会が増えることにより、目的意識の高い学生のチャンスが広がるという点においては、メリットがある。それを受け入れる企業も社内的な調整は必要だろうが、より求める人材を確保することが可能になる。
しかし、これはあくまでも目的意識が高く、自分の将来に何らかのビジョンを持っている学生に限られるのではないだろうか。果たしてその学生の割合はどれくらいいるだろうと考えてしまう事もある。
日本の新卒一括採用は、世界から見れば特殊であるという事実は間違いないが、今の日本の雇用システム(年功序列、終身雇用を基本)を中心に考えれば、当然ともいえる。
(日本型雇用システムは既に崩壊しているとも言えなくもないが・・・)
若者の就職率が悪いといっても、アメリカやヨーロッパ諸国、中国あたりと比較すると格段にいいのもデータ上の事実である。そのデータを基準に考えれば、新卒一括採用も日本にあったいいシステムと判断できる。だから、一括採用は間違っていないという意見にもうなずける。
そのような議論をキャリアカウンセラーの有志で短い時間の中で行ったのだ。
メンバーの中には博識者も多く、フィンランドの政策を例に挙げながら、これからの中高年と若手の雇用システムの構築を提案する場面もあった。お互いの意見を尊重しながらも、論理的思考も感情的思考も含め、熱い議論がギリギリまで続いた。
勉強会終了後も、懇親会の席で、酒を酌み交わしながら、話題は尽きることはなかった。
僕自身もここに書いたような普段思っていることを話し、全体でお互いの考えを共有した。
結果として、これが正解という案がでたわけではない。
(それは現実、不可能だ。)
根本の問題はもっと深いものであると考える。しかし、そこには我々大人の責任も含まれているのだ。今後も自己の責任と捉え、相手任せにするだけでなく、考えていく必要性があるだろう。

新卒一括採用について考える 1

本日は、キャリアカウンセラーの集まりであるCDAプラザの勉強会。
いつもの勉強会であれば、テーマ別講演の後、ロープレを行うのが基本だが、今回は新卒採用の現状について共有した。
第一部としては、自動車部品メーカーの人事に勤めるA氏が、自社の会社説明会をユーストリーム上で配信した内容を実際の動画を見せながら報告した。
この説明会はユーストリームで配信するだけのただの説明会ではない。
キャリアカウンセラーの担当者が企画する事もあるだろうが、「就職活動応援セミナー」と題し、現状の自己分析中心型の疑問を見出し、新たな就職活動を提案したのだ。それは企業の現状の立場を考え、そこから業界を考え、自らを考え、各企業の考えへと論理的な思考に結びつけるもの。
自動車業界は今後の展開を考えれば、グローバル化か必然で、ということは当たり前のように海外を視野に入れなければならない。
そんな業界の常識がある中、志望する学生には、海外には興味がなく国内で働きたいと、全く業界を理解しない発言をすることも多いようだ。
そもそもの矛盾を解消するために、学生に求めることを親切に解説した説明会を実施したのだ。この企画を発案したA氏とは、かれこれ15年近い付き合いで、ずっと懇意の仲だ。
彼の学生に対する熱い思いにはいつも脱帽させられるが、今回のあまり自社のメリットにならない説明会の内容をユーストリーム上で見て、改めて学生にしなければならない我々の課題を痛感した。
A氏の説明の後、参加したキャリアカウンセラーのメンバーと共に、学生のあるべき方向性と大学の役割、企業の選考方法について議論を重ねた。
学生の質的低下を非難する事は簡単である。
しかし、それでは何の問題解決にはならない。回りがどう関わっていくかが重要である。そんなことをお互い話し合いながら、議論のテーマは「新卒一括採用」に進んでいった。
本日のところは、ここまで・・・。
(飲んでいるし、結構疲れた。すいません。)
「新卒一括採用について」は明日のブログでその議論内容を報告したいと思う。

求める人材像

先週より名大社の2012年卒採用の会社説明会がスタートした。
先日のブログでも紹介している通り、説明会自体は若手社員に任せているのだが、その中で僕は10分だけもらって、名大社の歴史、これからの名大社、求める人材像の3点について話している。
10分ではかなり厳しいので相当巻き気味なのだが、少しでも学生に理解をしてもらおうとポイントはついているつもりだ。
今回は、その中の一つ、「求める人材像」について書きたいと思う。
そんな風に表現するとかなり理想が高く壮大な人材像に思われるかもしれないが、至ってシンプルであり特別な要素は全くない。
まず、話すこととしては、僕が好きになる人がその条件、すなわち、「一緒に働きたいと思える人」かどうかということ。
そして、その後に話していることといえば、
素直であること、
正直であること、
真面目であること、この3つである。
当たり前の事しか言っていないのだ。だが、求めている素直や正直や真面目は、普段の生活の中で心構えが出来ていないと通用しない事でもある。
人に見られている時でなく、見られていない時、全く知人や友人がいない時に示せる態度の事である。
また、その事に加えて話すのが、失敗を恐れない、果敢にチャレンジすることだ。
誰でも失敗は付き物。失敗がないことの方がおかしいと言っていいと思う。そんな環境の中でも保守的なのか、経験が少ないのか失敗経験がない人が多いようだ。修羅場を潜った経験がある人の方が伸びしろがあるだろうが、今の学生にそれを求めるのも酷だとも思う。
だからこそ、その態度を要求するのである。予め責任はこちらにあると言いながら・・・。
事実はそうが、本音は微妙に違う。
責任はこちらで取るといいながら、本当は自分で責任を取れる人材を求めている。実際に責任を取らせるようなことはしない。だが、その姿勢は問いたいと思うのだ。
先週の田原総一朗氏のユーストリームではないが、企業が求める人材とは「失敗しても他人のせいにしない人」と明言していた。納得した視聴者は多いと思う。
僕もコメントには大いに共感した。また、その前のコメントにも「一緒に働きたいかどうか」と言われていた。(自分と一緒だ。)田原氏は人事経験があるわけでもなく、今の就職環境に詳しいわけでもないだろうが、世代的なギャップを感じることなく企業側の本質を伝えていた。
まさに、そうである。
少し話はずれてしまったが、名大社がというより僕が求める人材像は、ここに書いたように「失敗を恐れない。失敗しても他人のせいにしない。」も重要な要素なのだ。
そんな学生に来てもらいたいし、全ての学生にもそのような気持ちを持って活動してもらいたい。
今週も学生さんと接する場を用意している。こちらの抱いている想いを感じて欲しい。

新卒採用の在り方について考える。

一昨日から東京に入り、夜は大切な方との食事会。すっかりいい気持に酔っ払って宿泊。
翌日も前日同様、HRプロのセミナーに参加した。この日のテーマは「採用」で、それも新卒採用にフォーカスしての3つの講演が行われた。
1回目の基調講演は、リクルートワークス研究所所長 大久保幸夫氏によるテーマ「これからの日本を創る新卒採用の視点」。
まずは新卒採用の現状を大学生の増加、一般入試の減少、求人倍率の推移、学生の志向等、データを活用し、なぜ就職できない学生が増えているのかを報告された。そして、主題となる大卒新卒採用の変化を予言するとして、これからの就職活動の方向性と課題、企業と学生のあるべき姿を説明された。
外部環境は好景気・不景気だけでなく、企業のグローバル化、若者の思考性を含め、従来とは大きく変化しているのが実態だ。となると、これまで当たり前としてきた面接重視の採用手法も変わり、外国人も含めた求める人材像も異なってくるようだ。
今、巷を賑わしている卒業後3年も新卒扱いとする考え方も、今後の就職戦線に与える影響は大きい。
採用基準も、リーダーシップ、学習能力・思考力、モチベーション、ストレス耐性と変化対応力が重要になってくるようだ。それを見極めるには面接では限界があり、長期のインターンシップの活用など別の方法も企業側では実施する必要とのこと。
今すぐではなかろうが、そんな時代が目の前に来てるのかもしれない。
セミナー終了後に行われた講演者との交流会で、大久保氏に挨拶。名大社の存在を知ってもらっていたことは喜ばしかった。以前、名古屋で求人誌の編集長を担われていたのが理由。その当時、僕自身もリクルートの雑誌を営業として販売していたので、間接的ながら接点があったのかもしれない。
う~ん、世間は狭い。
第2講演は、パフの代表 釘崎清秀氏によるテーマ「採用担当者への提言『今こそ“顔の見える採用”を」である。
自己紹介の段階で、歌を唄い出したことには驚いたが、普段から懇意にさせて頂いている関係から、釘崎氏の伝えたいことは十分理解でき、熱いものを感じた。若者の現状に対しては、やはり大人である我々に責任があり、伝え育てなければならない。
その取組みに共鳴した人事担当者は多いのではないだろうか。少しでも共感者が増え、協賛企業が増えることを期待したい。
そして第3講演は、HRプロ代表の寺澤康介氏の「ここでしか聞けない 2012年度新卒採用 前半戦総括」であった。
どこの就職情報サービス会社にも属さない中立的な立場での報告は、その客観的な視点からとても説得力のある内容であった。東海地区と異なるのは、2012年卒採用は、前年と比較すると既に上向いているようだ。
東海地区ではまだその実感はないため、景気の回復具合も首都圏に比べるとまだまだなのであろう。その報告内容から、学生に対しての寺澤氏の持論を解釈すると、僕が普段から学生に抱く考えと近いことが良く理解できた。
それは最近、大学で講演をさせてもらい場合、よく学生に伝える内容でもある。そして、選考時期を遅らせる行為は、内定率を低下させると危惧されていた。学生の活動状況から、確かにそう思うことも多い。
三者三様、講演内容は異なり、学ばせてもらった点は多いが、三者とも共通した面も多かったように思う。
それは、これから未来を担う学生を育て支援しなければならないということ。その中で採用する企業も従前の方法ではなく、新たな考えでチェンジしなければならないということ。
採用の現場からそれを発信していくことが大切なのだ。
その中で、我々は何で持って貢献できるのだろうか。取り組むべきことはどれだけでもありそうだ。

人材育成について考える

昨日、HRプロ主催のセミナーに参加した。
以前にも拝聴した高橋俊介氏の講演である。著書をブログでも紹介したこともあるが、僕はこの高橋氏のキャリアの考え方に共感している。
今回のセミナーも非常に興味深い内容であった。
従来、日本の教育システムはOJTが中心で、欧米はOffJTが中心と言う。これまではその手法で、どちらもまずまずの成果を上げてきたわけだが、今後のビジネスのあり方を考えると従来の教育方法は限界があるようだ。
日本はOJTに頼りすぎた分、現実の環境では上司が人の面倒を十分に見られないし、欧米型のOffJでは長期的な観点で劣化してしまうという。
今後は、日本でも欧米でもなく、どうやって人が育つ環境を作っていくかが重要であるようだ。人が無理やり教育して育てるのではなく、仕事や人の付き合いを通して育つ環境にするかが今後の人材育成のテーマのようだ。
特にITが進んだ現状では、回りの社員(上司や先輩)の仕事の方法が分かりにくくなり、背中を見て感じることがなくなっている。
そりゃ一日中パソコンの前で座って仕事をしていれば、どんな仕事をしているかはイメージできないし、そこで何かを学ぶことは難しい。そもそも本当に仕事をしているかも怪しい。
人材育成の観点に立てば、ITの進歩は人と人の繋がりを少なくし、緊張感を無くしてしまわせてる点も多い。全てがメールで片づけられたり、会話がなくなり、ハードな交渉事も必然と少なくなる。本当はそんなことはないのだろうが・・・。
世の中が便利になることで失くしてしまうのも多い。この日も東京の大手町の会場に足を運んだのだが、携帯で交通アクセスを調べれば一発だ。どんな方法で行けばいいのかなんて、思考を巡らすことはないといっていい。それでは地図を読む行為がないため、全体像をイメージすることが欠けてしまう。
そんなことが人との結びつきでも言えるのだろう。
人の成長に資するコミュニケーションは業務的支援、内省的支援、精神的支援の3タイプがあるという。
業務的支援は同僚が関わり、仕事の具体的な中味について支援すること。内省的支援は先輩が仕事を府に落とす支援をすること、精神的支援は上司が失敗しても大丈夫だと励まし支えになることになる。
こんな表現では分かりずらいかもしれないが、その縦と横のコミュニケーションで仕事での成長を見出していくのだ。
これまでも自分のリーダーシップを含め、どう若手人材を育てけばいいのかを頭を悩ませてきた。それは今も変わらず続いており、人が成長する職場をどう構築していこうとずっと考えている。
きっと正解なんてないと思う。
しかし、今回のセミナーを拝聴し、沢山のヒントを頂けたと同時に腹落ちした面も多かった。頭に描いていることをより具体的な行動に起こす。まずはそこからなのかもしれない。

ザックジャパンを喜ぶ。

オーストラリア代表を延長戦で制し、日本代表がアジアカップで優勝した。
本当に喜ばしい。昨晩のtwitterのツイートの数を見るだけで、あの時間帯に声援を送っていた人の多さを物語っている。
本日のニュースも日本代表一色で、ザッケローニ監督の采配やチームの一体感、長友、川島の活躍を絶賛する報道が繰り返されていた。
全く異論はなく、ワールドカップからアジアカップに至る選手とチームの成長はまさにニュースで報じられている通りだと思う。
また、監督の試合終了後のコメントを読むと、何故、ザッケローニが代表監督として選ばれたかが理解できる。
監督就任当初は思い出す限り、不安視する要素も多かったように思う。イタリアでは既に終わった人であるとか、欧州人が日本の文化に合うのかなど、否定的な見方もあった。
しかし、結果だけ見れば、ザッケローニ監督ほど日本人の特性や強みを理解し、生かしてきた監督は歴代監督を見てもいないのではないだろうか。
オシム監督よりも岡田監督よりも、選手の能力の引き出し方が上手いように思える。
(あくまでも素人の考えであることをお許しいただきたい。)
川島、長友、本田、香川あたりが目立ったとはいえ、個で戦うのではなく組織で戦うチームである事は変わりなく、そのチームの一体感の醸成こそが日本の強みである事をザッケローニ監督は短い経験の中で掴んできたのだろう。
マスコミへの対応方法の指導があったかどうかは知らないが、それぞれの選手のコメントもチームを想い、他の選手を想う内容ばかりであった。
そう思うと試合の素晴らしさだけでなく、選手の人間性の素晴らしさを感じることのできた大会であった。
おかげさまで寝不足で、今日はランニングもできなかったがどうでもいい。朝から何度も李のボレーシュートを見ながら、感動の余韻に浸っていた。
これから益々、日本代表への期待感も高まるだろう。その分、プレッシャーも増えるだろう。
仕事の進め方、人の使い方にも大いに参考になる。
それも含めて、これからが楽しみである

クリスマスの思い出

未だに小学校3年生の息子は、サンタクロースの存在を信じている。
本日もサンタクロースが本当に希望するプレゼントを贈ってくれるかを心配していた。かわいいものである。
しかし、本物のサンタが存在するとして、どんな状況でどのようにプレゼントを枕元に置くかは、全く気にしていないようだ。
そこが男の子と女の子との違いかもしれない。
中学生になる娘は、今でこそより現実的なプレゼントを求め、その金額まで計算するのようになったのだが、2~3年前までは本当にサンタの存在を信じていた。
それも、サンタへの疑問や気遣い、感謝の気持ちを毎年手紙に綴っていた。
「どうしてサンタさんは欲しいものが分かるのですか?」
「家には煙突がないのですが、どうやって入ってくるのですか?」
「毎年ありがとうございます。体に気をつけて頑張ってください。」
 etc・・・。
時には、サンタへのちょっとしたプレゼントが用意されていたこともあった。
バカな父親としては、娘から送られる質問に答えるために東急ハンズでクリスマスカードを買い、深夜にそのカードに答えを書き込み、プレゼントと一緒に枕元に置いていた。
翌朝、娘は手紙を読み、うれしそうな顔をして、その内容を嫁さんに伝え、はしゃいでいた。僕はその様子を見ながらほくそ笑んでいたのだ。
結果的には、サンタクロースの文字と僕の文字とがあまりにも似ている(というよりも一緒)のが原因で、サンタの存在がバレてしまったのだが、それ程遠くない美しい思い出である。
クリスマスは子供にとって特別な日であると同時に、親にとっても意外とうれしい日なのかもしれない。
サンタの存在を知った娘は、それでも弟にサンタの存在を教える事はなく、何も知らない顔をしている。
きっと平気な顔をして、何事もなかったようにプレゼントを開けるのだろう。
クリスマス。いろんな思い出が詰まっているのだ。