新卒ナビ「名大社DeSu」は無事にオープンしたものの、
後発でもあり社内的なリテラシー不足もあり、販売は伸び悩んでいた。
「東海地区No.1サイト」と自らうたっていたものの、
東海地区でサイトを運営していたのは名大社だけだから当たり前。

リクナビ、マイナビとは大きな差があり、
クライアントにも学生にも情報量不足と捉えられていた。
大学のキャリアセンターにアピールし、
応援してくれるものの「せめて200社は掲載してください」
と企業数の少なさは指摘された。

ナビは誰でも全てが見えるので比較が簡単。
営業もそれを言い訳にして契約できない。
僕は「ふざけるな。最初はゼロからスタートだろ。」と憤っていた。
「自分と同じ営業が10人いたら、トップの掲載数になるじゃないか。」
と真剣に思っていた。
驕った表現と誤解されるかもしれないが・・・。

お付き合い頂いたクライアントも中小企業が中心。
社内インフラが整っていない企業も多かった。
エントリー学生のリストを紙で持参するという今では考えられないサービスもあった。
学生も電話回線でネットが繋がっていた時代だしね。
何とかネット事業の売上をアップさせようと懸命だった。

営業、マネージャー、ネット事業責任者として激務が続いた。
それが21世紀を迎えた年。
そんな日々だったので、嫁さんは不満が溜まっていた。
第二子を妊娠したこともあり、家庭内は常にイライラした状態。

それでも11月に無事に息子が誕生。
本当にスミマセン。
反省しています。

部下の件では叩かれていたものの、個人的な信頼は回復。
女性の部下は結局、退職し責任も感じたが・・・。
社長が懇意にする企業の営業も任されたり、外交も知らず知らずのうちに増えてきた。

2001年3月に来訪があった。
仙台、新潟、金沢、広島の人材情報会社の社長がいきなり訪ねてきたのだ。
社長と面談を目的としていたようだが、僕がその対応をさせられた。

立場的には失礼にあたるが、当時、名大社は同業者には閉鎖的な会社。
協業や提携を求められることもあったが、全て断っていた。
今回の訪問も一緒に地域を盛り上げようという主旨。
僕は大いに興味を持ったが、社長も常務も何ら関心を示さなかった。

その後、広島の有名人とは何故かお付き合いさせてもらったが、その他の方とはそれっきり。
しかし、この時の出会いが社長になってから生きてくる。
9年後、ふるさと就職応援ネットワークに入会するが、来社された方が中心メンバー。

そのあたりのことは改めて・・・。
世の中はそんな偶然でできている。

この頃からプレゼンする場が増えパワポを使うようになった。
社内でのキックオフや大学での講演、クライアントへの提案書作成。
らしい企画書を作るためにマーケティングやロジカルシンキングを勉強し始めた時期。

少し前に仲のいい採用担当に言われたこともあった。
僕は提案力や企画力に自信を持っていたのだが、その担当はあっけなく言った。
「山田さんの営業力は人間性だけだね・・・」
「いやいや、違うでしょ?」
「それしかないと思うよ。」

そうなのか・・・。
褒められたようで、けなされたようで何ともいえない気持ち。
いずれにせよ、もっと能力を高めなければならない。
35歳になり気づくのは遅すぎるが、そんな時期でもあった。

続く・・・。