僕が名大社に入社した1989年はバブル絶頂期。
世の中が浮ついていた時期で、少なからず僕も恩恵を受けていた。

この数年前から名大社も業績が向上し、入社時はイケイケ感が漂っていた。
入社の段階で社長から会社の好調さを伺っていたので、
バラ色の社会人生活を勝手にイメージしていた。
浅はかな若者だった。

僕の同期は3名。男子2人、女子1名。
女子は半年くらいで消えていたかな・・・。

当時、名大社の主な業務は新聞の求人広告。
それも案内広告と呼ばれる行数物の広告。
業界内では三行広告と呼ばれていた。
天地15文字の広告を3行から出せるという意味合いだろう。

今も存在するが、名大社でもほとんど対応していない。
原稿を書ける営業もほとんどいない。

バブル期は超売り手市場で、新卒採用も中途採用も企業側は苦戦していた。
名大社はのちに看板商品となる企業展(合同企業説明会)を展開していたが、
当時のシェアは小さかった。
圧倒的に新聞広告の売上構成が高く、また雑誌広告にも力を入れていた。

僕が入社した年に発行されたのが今は無き学生援護会のDODA。
DODAといえばパーソルキャリアの人材サービスだが、もとは求人雑誌。
当時のCMを覚えている方はいるだろうか。
「タンタカンタン、タタタッ、デューダ、デューダ」
という大地康雄さんのCMを。
学生援護会が先行するリクルートのBingに仕掛けてきたのだ。

そのDODAを名大社として積極的に販売する政策だった。
僕が配属された営業推進課は
「新聞はやらなくていいから、営業広告と新しいものをやれ!」
と言われ、メインの新聞広告ではなく、そちらをせっせと売り歩いていた。

僕のキャリアのスタートとしてはラッキーだった。
元々、新聞広告には興味はなく、できるだけ新しいことをやりたいと思っていた。
そもそも広告代理店を志望したのもTVCMのプロデュースやイベントをやりたかったから。
求人広告にはさほど興味を持っていなかった。

いかん、こんなペースで書いていくと2年くらい掛かってしまう。
すいません。
もうちょっと端折って書いていきます。

続く・・・。