本来、ブログタイトルは映画「「桐島です」」としなきゃいけない。
本作はタイトルに「」がついている。
なんとなくまとまりが悪いのでブログのカギカッコはは外した。
桐島ですという言葉が象徴的に使われ、タイトルにはしっくりくる。

本作は実話をベースに製作。
1970年代に起きた連続企業爆破事件の指名手配犯の逃亡劇を描く。
逃亡犯桐島聡は2024年1月に末期がんで死去。
入院時に本命を明かし、数日後に亡くなったというニュースは記憶にある。

僕の世代にとっては学生運動はニュースで見るもので、
自分ごととしてと捉えることはない。
その動きが下火になったとはいえ事件が起きたのは1975年。
僕の大学入学は1985年なので10年しか変わらない。

しかし、遠い過去の出来事としか認識できない。
その10年で若者の価値観は大きく変わった。
1975年でも時代遅れなんだろうが・・・。
頻繁に流れる河島英五の「時代遅れ」は桐島聡そのものと受け止められる。

僕は勝手に桐島聡の逃亡劇を描くスリリングなドラマと想像していた。
昨年の「正体」的な要素があるかと思ったが1ミリもない。
日々は坦々と過ぎていく。

本作のモデルとなった桐島聡は亡くなっており、
彼の辿った人生を語れる人はまずいない。
平穏無事なのか、常に何かに追われていたのかを証明する人はいない。
特にプライベートに関してはベールに包まれたまま。

そこを高橋伴明監督は巧みに演出。
事件を起こしてからの50年を時代ごとに追うが、監督の眼は優しい。
その時代を同じ想いで生きているからだろうか、
爆破犯という卑劣なイメージはなく、桐島聡は親切で礼儀正しく繊細。
偽名ウチダヒロシと付き合う周りは心優しい人物としか思わないだろう。

50年近く平凡な日々を過ごすので映画に必要なドラマチックなシーンはない。
桐島聡が一人で生きる孤独感はあるが、日々の暮らしは普通。
葛藤する本人を知られることもなければ、その葛藤が本当かどうかも不明。
監督の優しい思いが存在するだけ。

きっとそれでいい。
監督が思う桐島像を作ればいい。
映画として盛り上がる要素が少ないため評価は分かれるが、僕はそれでいいと思う。
そんな生き方もきっとありだ。

ただ1点だけ。
奥さんの出演の必要はあったのかな。
僕はあのシーンがなくでも映画として十分成り立ったと思うけど。