これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ

本作は2017年キネマ旬報日本映画ベストテンの第1位。
公開当時はそんな話題になっていないと思うけど、
じわりじわりと評価が上がっていったのだろうか?

この作品のタイトルは面白い。
「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」
これが正式なタイトル。
タイトル名に映画と入っている。

同じ作品でドラマはないはずだから、入れる意味は何なのか?
僕には分からないが、何かを主張しているようでならない。

そして、本作は全編通して何かを主張している。
しかし、それは見過ごしてしまいそうな主張でしかない。
ボーッとこの映画を観るとちょっと頼りない若者の恋愛映画で思ってしまう。
実際はそんな恋愛なんてどうでもよく、その奥にある葛藤や
孤独や欲望や絶望感がグルグルと一人の人間を渦巻いているように思える。

現代社会というか2017年あたりの時代をリアルに映し出し、
目に見えない共感を生み出しているのかもしれない。
そんな意味では時代を大きく反映した作品で、
瞬間的に観る者の心を捉えるのだろう。

70年代の若者像に僕ら世代が違和感を感じるように
20年後この作品を観ると強烈な違和感を感じるのかもしれない。
ただ共通するのは若者はいつの時代も不安を抱えているということ。
スマホで簡単にメールでやりとりできても、その不安は解消されない。

時に饒舌で時に無口で時に感情的で時に無反応なのも今の時代だからか?
そんなことを感じながら本作を観た。

万人受けはしないと思うが日本映画通のうるさ型は
ちょっとしたウンチクを語りたくなるんじゃないかな?。
空の色と衣装の色の関係性とか・・・(笑)。

ヒロインは石橋静河さん。
正直、そんなに可愛いわけではないが、独特の雰囲気を持つ女優。
映画を観終わった後、調べてみたら石橋凌さんと原田美枝子さんの娘さん。
いい意味で親の七光りを感じさせない(笑)。
映画界に華やかさばかりは必要ない。
そうじゃない存在感も必要。
そんなことを思わせてくれた。

ここまで書いたところで、どんなストーリーかさっぱり分からないと思うし、
僕の主張もとても曖昧。
しかし、今はとても曖昧な時代。
だからこそこんな映評が重要なのだ。

と自分を正当化させてブログを終えたい。
大切なのは夜空を見続ける勇気なのだ。

映画「心と体と」

ハンガリー映画なんて初めて観たんじゃないかな?
あえて選んだというよりは、
上映時間のタイミングがたまたま良かっただけのこと。
それが大きな理由。

最近は洋画ばかり観ている。
このGWはできれば邦画を観たかったが、
気持ちが揺れ動く作品がない。
う~む、なんてこった・・・。

本作は2017年ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作品。
すなわち最優秀作品賞。
僕は単純にこれに気持ちが揺れ動いたのかもしれない(笑)。

さぞかし難解で社会性の高いドラマかと期待するだろう。
しかし、そうではない。
チープな表現をすれば、奥手の若く美しい女性と片腕の悪いオッサンとの恋愛物語。
なんてことはないストーリー。
単にそれだけの物語であれば、僕でも撮れる(笑)。

若い女性とオッサンとのラブストーリーだが、
そこには神秘的であり幻想的であり、心が揺れ動かされる展開がある。
今回は揺れ動くことが多い・・・。

それは夢の中に登場する鹿であり、現実の世界で見せつけられる牛の加工処理。
そして、人間と牛の血。
血って、こんなに美しい色をしていたかと少し幻想的になる。

この現実はいつの時代だろうかと映画を観ながら、僕自身が彷徨う。
オフィスや街の風景は少し古い。
だが、登場人物は当たり前のようにスマホを使う。
それはブタペスト郊外がそんな雰囲気を出しているだけで、あきらかに現代。

そして、ここに住む人は孤独だ。
この後、ブログに書く「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」もテーマは孤独。
孤独は万国共通のテーマなのか。
どこの国でも生きづらさはあるということか。
その中でもお互い理解し合おうとする姿勢が必要なんだね。

本作はなんといっても主役マーリアを演じるアレクサンドラ・ボルベーイ。
当たり前だが全く知らない。
彼女の透き通るような美しさと
その性格を表す無表情さと真っ直ぐ見つめる視線が印象的。

あのような女性をハンガリー美人というのだろうか。
そんなことはどうでもいい(笑)。

2人が惹かれ合うまでは少々眠かったりするが、
そこからはどんどん映画に引き込まれていく。
そして、突拍子もない行動がそれに拍車をかける。
どうなるかは映画を観てもらえばいいのだろうけど、
この作品を観ることはきっと簡単じゃないはず。
上映期間も劇場も限られている。

だから、はっきり言っておこう。
ハッピーエンドでステキな感じ。
こんな映画もたまにはいいんじゃないかな。

邦画もガキっぽい恋愛ものばかりじゃなく、
大人が楽しめる恋愛ものを作って欲しい。

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

先月の中部経営塾で講師の鬼澤さんがおススメされていた一冊。
遅ればせながら読み終えた。
こういうのは電子書籍でね(笑)。

今、AIという言葉を聞かない日はない。
先週、社内研修でPEST分析を各自行ったわけだが、
technologyでは必ずといっていいほど、AIの影響力は挙げられていた。
実際、僕もアップしていたけど(笑)。

AIで一定の職業がなくなるとか、
多くの仕事が消滅するなど、
まるで脅しのように表現されることもあり、
機会を活かすより脅威の存在になることの方が多いのではないだろうか。

著者はある意味そんな点を認めながらも、
そこまで恐れることはないと強く言われる。
やはり人間は人間で、
人間しかできないことが沢山あるというのがその主張。
しかし、その人間がすべきこと、
学ぶべきことを放棄してしまったら、
AIに代替されるのは間違いないようだ。

それが「教科書を読めない子どもたち」にあたる。
本書では何よりも読解力が必要という。
ごくごく簡単なことでいえば、
「岡山と広島に行く」と「岡田と広島に行く」の違い。
AIに認識させるには一定の時間が必要のよう。

そして、著者は
「一に読解、二に読解、三、四は遊びで、五に算数」と言われる。
「遊びも手先や身体を動かす、モノに頼らない遊び」という。
スマホの使用時間と勉強ができるできないの因果関係はないとのことだが、
スマホばっかりやっていてはやはりダメだということ。

すぐグーグル先生に頼るのもダメなのだろう。
頼ってもいいだろうが、基礎を叩き込み、
考える能力を積み上げてから使用すべきなんだろう。

そして、最悪なシナリオとしてこんなことを書かれていた。
いずれ「AI不況」とも呼ぶべき、
世界的な大不況がやってくるのではないかと・・・。
AIにはできない仕事は人材不足、
AIで仕事を失った人は誰にでもできる低賃金の仕事しかないと・・・。

まるで「モダンタイムス」の世界かな?
そんなことも含め歴史は一定のタームで繰り返されるのか。
かすかな期待感と大きな不安を抱え本書を読み終えた。

やはり常に頭はフル回転させ鍛えないといけないわけですね。
感性も・・・。

映画「あなたの旅立ち、綴ります」

今月は映画観賞強化月間といってもいい。
時間の調整が上手くいき、既に今月は4本目。
来週にはGWに入ることもあり、あと1本くらい観れるかもしれない。
映画コラムニストとして生きていくためにはもっと観なければならない。
あまりこんなことばかり書いていると
仕事をせずに遊んでばかりいると思われるのでほどほどにはするけど・・・。

ちなみに本作品は銀座で観た。

シネスイッチ銀座という昭和の香りのする映画館。

こんなイラストが飾ってあり、ほんわかした気分になる。
システマティックなシネコンもいいが、たまにはレトロ感漂う映画館もいい。
写真もそんな加工をしてみた。

と、ブログタイトルとは違う方向に向かっているが、本作はこんな映画館が良く似合う。
観終わった後、ほのぼのと幸せになれる感覚。
人間って素敵だな・・・と思える映画だった。

これは名古屋で上映されるのかな?
どっかのミニシアターで予告編を観た気もするが、まだ上映はされていないみたい。

多分、大ヒットはしないだろうし、若いカップルは観ないと思う。
実際にこの映画館には熟年夫婦が多かったように思う。
と、またまた映画とは関係ない方向に行ってしまった。

いつも映画のことが分からない映評ブログを書いているが、それが更に進行した感じ。
この路線もまあまあ受けるんじゃないかな。
そうでもないか・・・(笑)。

主役は大女優シャーリー・マクレーン。
嫌味な元経営者を巧みに演じている。
ある種の軽やかさとそのノリとおとぼけな感じがいい。

その相手役はアマンダ・セイフライドという女優さん。
最近、外国人女優はさっぱり分からないが、この方も初めて知った。
若い頃のミシェル・ファイファーに似ていると思ったが、あんなに艶っぽくはない。
学生時代はあんな色気のある女性に憧れ、色仕掛けにあいたいと思ったものだ(笑)。
そこと比較してはいけないが、ストレートさが伝わる爽やかな女優さん。

この2人に絡むちょっと生意気な子役。
この3人がそれぞれ抱える悩みを明かしながら繰り広げられるストーリーがなんとも心地いい。

やはり映画は人をシアワセにしなければならないと改めて痛感。
わざわざ東京で観たことを後悔させない。
わざわざではないが、その日一日を健やかに過ごすことができた。

名古屋で上映されていない以上、誰に勧めていいかはわからない。
でも、機会があれば観てもらいたい。
そんな映画だった。

たまにはマンガでも・・・

僕は普段マンガは読まない。
たまに読むにしても三国志や古事記など結構固めで教養のあるマンガ(笑)。
ましてや電車で読むことなんてない。

偏見だが、いい大人が電車で読んでいる姿はカッコ悪いと思っている。
それはスマホでマンガを読んでいるのも同様。
あくまでも偏見です。
マンガ好きのみなさん、すみません。

と、気取ってる僕ではあるが、エラそうなことは言えなくなってきた。
少し前にタブレットで「君たちはどう生きるか」を読んだことを書いたが、
最近はかなりやわらかめのマンガを読むようになってしまった。

「BARレモンハート」である。

今から30年以上前に出版された古谷三敏氏のお酒を題材にしたマンガ。
先ほどウィキで調べて知っただけだが(笑)、今も連載が続いている。

最近はどんな展開になっているのだろう。
ちょっと楽しみ。
というのも僕はまだ4巻を読み終えただけ。

時代は昭和。
携帯電話も出てこないし、たまに登場するオフィスにはパソコンすらない。
あるのはせいぜいFAXぐらい。
時代を感じながら読んでいる。

最初は興味本位で1巻をダウンロードしたわけだが、
ついのめり込んでしまい定期的にダウンロード。
このまま進むと今の時代に追いついていくだろう。

物語は一話完結の単発物。
「BARレモンハート」を中心に繰り広げられる様々な人間模様がお酒を通し語られていく。
そして、お酒を通し、優しくまとまっていく。
その流れがいい。

サービス精神が高いといえないマスターが
そのお客に適したお酒を提供することでストーリーは温かい方向に向かう。
お酒はウイスキーをベースにワイン、ジン、ラム、ビールと様々な種類。
今の段階だけでも僕の知らないお酒が多い。

この「BARレモンハート」にはありとあらゆるお酒が置いてあり、
マスターはどんなお酒についてもウンチクを語る。
お酒と人生は結びついている。
ほっこりとした気持ちになると共につい一杯飲みたくなってしまう。

このマンガを読んでよりお酒に詳しくなりたいが、一度だけでは覚えられない。
その背景も知っておくと飲み屋さんでもモテるようになるのにね。

先週も出張のお供。
読書が進まない時や眠くなった時にも最適。

たまにはマンガを読むのもいい。
それもタブレットで難しい顔をして読むのがいい。
迂闊な自分がバレないようにね・・・(笑)。

映画「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」

映画を観終わった後、チャーチルがどんな人者かをググってみた。
写真だけ見れば驚き。
ゲイリー・オールドマンが演じた主役にそっくり。
アカデミー賞を辻一弘氏が受賞したのも頷ける。
無知の状態であればチャーチル首相が
ゲイリー・オールドマンであることは誰も気づかないだろう。

本作はこの特殊メイクが話題になっているが、映画も骨太の優秀作。
いつもイギリスはどんより暗く、
(「英国王のスピーチ」もそうだが、ほんと晴れたシーンがない)
常に曇っている。

そして、重厚な部屋で喋るシーンが多い。
華やかな場は一切ない。
これを疲れた状態で観ると眠気が襲ってしまうかもしれない。

しかし、どんどん映画に吸い込まれていく。
相当のヘビースモーカーで半分アル中のような首相も段々魅力的になってくる。
よくもまあ、あれだけウイスキーのストレートを飲んでいるな(笑)。

それに繋げて言えば、チャーチル首相が地下鉄に乗るシーンがある。
映画にとって最重要で感動的な場面なのだが、
ここでも当たり前のように葉巻を吸っている。
それも赤ちゃんを抱いた母親に語り掛ける。
今の時代に照らし合わせば考えられない。
おおらかな時代だったのだ・・・。

歴史的英断をしたチャーチル首相だが、
強烈なリーダーシップを発揮しているかといえばそうではない。
迷い迷い、悩み悩み、結論を導いている。
人間的な弱さもにじみ出している。

そこがいい。
そして、奥さんが感動的なセリフを言う。
もちろんこのブログではそれを明かすような愚かなことはしないが、
僕はここが一番感動し涙した。

多分、感動のしどころは人によって異なるが、
僕はそこに一番響いたし、自分のあるべき姿を再認識させてもらった。
ちょっと映画とはズレてますね(笑)。

何を守り、何を捨て、どこに誇りを持ち、
一番大切にすべきものは何なのか。
それを考えさせられた。

そんな意味では、本作は世界にメッセージを発しているし、
日本人に対してもメッセージを発しているように思える。

僕はまだまだ歴史を知らない。
点で理解しているだけでは何の意味もない。
それだけを知れただけでも収穫。
感動と共にいい勉強になりました。

映画「クソ野郎と美しき世界」

映画館に入るといつもと雰囲気が違う。
圧倒的な女性客。
それも20代の女性から40代あたりの女性が多い。
普段は同世代の観客も多いのだが、あまり見当たらない。
明らかに浮いている感じがする。
映画の選択を間違えたか・・・。

僕は本作の監督が園子温氏、爆笑問題の太田光氏で、
映画はオムニバス形式で進むという理由で選んだだけ。
しかし、それは少数派、というよりもかなりレア。

多くは元SMAPの3名が解散後初めて出演した映画というのが大きな理由だろう。
極端な言い方をすれば、話題のアイドルのコンサートに
50歳過ぎのオッサンが一人紛れて込んでいる感じ(笑)。

本作は第一話が吾郎ちゃん、第二話が香取くん、
第三話がクサナギくんと独立したストーリーで映画が進行する。

第一話は園子温監督。
好きな監督の一人だが、途中までは全く付いていけないというか、
この映画を選んだことを後悔した。
「これが作りたい映画なのか?遊んでいるだけじゃないか?」
これが素直な感想。

あまり解せないまま次から次へとストーリーは別展開していく。
所々、面白いシーンはあるもののそれほど共感できないまま第三話へ。
第三話の監督は太田氏。
彼はやはり才能豊かな人なんだと感じさせた。

そして、第四話。
別々に展開していたストーリーがここで繋がる。
僕はようやくこのシナリオを描いた園監督のやりたいことが見えてきた。
最初後悔したことを少し後悔。
それほど悪くなない。

この第四話はミュージカル風だがあきらかに
「グレイテスト・ショーマン」のパクリと思わせる(笑)。
僕の勝手な思い込みかもしれないが、
(スイマセン)
これはわざとパクったなと・・・と思わせた。

それにしても浅野忠信にしても、尾野真千子にしても、
満島真之介にしてもぶっ飛んでいる。
映画を楽しんでいるように思えた。

そんないいお互いの関係性の中で出来上がった映画なんだろう。

映画「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」

原題は「The Post」。
この原題の方がいいと映画を観終わった後、素直に感じた。
邦題の方が刺激的だし、観客動員には貢献するとは思うが、
ここに登場する人物を思うと原題の方が似合っている。

これはあくまでも僕の感想。
邦題を考えた人を非難しているのではない。

これも映画を観終わって気づいたのだが、
監督はスティーブン・スピルバーグ、音楽はジョン・ウィリアムズ。
(最初からそれくらい知っとけ・・・笑)
なになに、このコンビ。
そして、主役の二人。
メリル・ストリープとトム・ハンクス。
1980年代の代表選手じゃないか・・・。

もちろん今も現役で第一線を走るスタッフとキャストだが、
このメンバーがこの作品を作ることに大きな意味があると思う。
これもあくまでも自分勝手な見方。

この作品は実話で米国の闇を描いている。
それは自分たちがその闇を表現しなければならないという使命感。
その使命感は当時を物語るだけでなく、今の時代にも繋がる使命感。
ここに彼らのメッセージがあるのではないかという、
あくまでも僕の勝手な想像力。

映画はひたすら硬派。
1970年代の姿を巧みな時代考証(多分・・・)であぶり出していく。
どんどん引き込まれ、まるで自分も当事者になってしまったかのよう。

新聞社の社主であるメリル・ストリープと編集主幹のトム・ハンクスは対照的な人物。
ここで役名にすると混乱するので俳優名(笑)。
どちらの考え方も理解できる。

真のジャーナリズムは何なのかを問うている。
社主を囲む幹部は保身に走る。
一見、会社を守るようにも思えるが保身とも受け取れる。
本作では究極の選択を迫られるシーン。

果たしてこんな時はどんな決断をすべきか。
環境は全く違えども僕も責任者の立場としてはどんな決断をするか、
映画と同時進行で考えた。

判断を誤れば会社を潰し、社員を路頭に迷わせることにもなる。
これは難しい。
経営幹部はケーススタディとして観るといい(笑)。

ここまで書いたところで、映画の中身はさっぱり分からない。
社会派ドラマくらいの認識しかならないだろう。
それでいい。
中身は映画を観て理解すればいい。

では、この作品は観るべきかどうか。
観たほうがいい。

特に何が正義か、
何を信じて自分は判断すればいいのか、
一番大切にするのは何か、
今はそんなことを考えることが難しくなっている時代。
だからこそ必要な気がする。

それにしてもトム・ハンクスは映画出過ぎじゃないか(笑)。

最近、本来観るべき日本映画の数が減り、
洋画ばっかり観ている映画コラムニストのブログでした。

映画「15時17分、パリ行き」

クリント・イーストウッドは常にチャレンジしている。
そして、いつも我々に問うている。
本作もそんな作品。

87歳になられる現在も製作者としての貪欲さは忘れていない。
勝手な見方でしかないが、それはご自身の挑戦であり、
映画界への問題提起でもあるように感じる。

この作品の評論をしようと思うとどうしてもネタバレになってしまう。
どこまで表現していいか、僕の映画コラムニストとしてのスキルが問われるが、
まあ、そんなことはどうでもいい(笑)。

僕の本作に関しての事前知識はほとんどなし。
たまたま時間的な都合が良かったのと
監督がクリント・イーストウッド氏ということだけで観ることにした。
偶然が重なった。

観ながら感じた。
これはドキュメンタリー映画かと・・・。
それはある意味正解。ある意味不正解。
しかし、観客の多くは僕と同じで巧みに騙されていく。

それは決して気分が悪いものではない。
主役の3名の生き方に吸い込まれていくように、時に共感し、時に反発する。
普通というよりもちょっと問題児であった3人が少しずつ大人になり、
自分たちの生きていく世界を求めていく。

本作は実話を忠実に描いている。
これは映画を観終わった後に分かったことだが、主役の3名はその実在の人物。
すなわち本人。
ここでもクリント・イーストウッドは実験的だ。
映画の新しい可能性にチャレンジしている。

なぜフランスの大統領が映画に出演しているのか不思議に思ったが、
なるほどそういうことか・・・。
このあたりはネタバレになるので、書くのを止めておく。

表現として正しいかはともかく、
主人公の3名はクランボルツの言うところの「プランドハプンスタンスセオリー」。
偶発的な出来事が運命であり、それは本人にとっていい人生になるということ。
それを証明した映画であり、主役3人の人生でもある。

クリントイーストウッドは我々に問う。
偶然を受け入れているか。
諦めない毎日を過ごしているかと・・・。

この先も彼の作品は観ていきたい。

映画「グレイテスト・ショーマン」

映画は人を幸せにする。
音楽は人を楽しくさせる。
ダンスは人を興奮させる。
まさにそんな作品だった。

僕はミュージカル映画はあまり観ない。
昨年話題になった「ラ・ラ・ランド」も観ていない。
「レ・ミゼラブル」以来だ。
観ない理由は特にないのだが、物語が進行している最中にいきなり歌が飛び出したりすると
どうしても感じてしまう違和感。
しいて言えばそれが理由かもしれない。

しかし、本作に関しては、その違和感は全く感じることなく、
むしろワクワク感に変わっていった。

これだけ最初から最後まで気持ちよく観れた映画は久しぶり。
どんな優れた映画や評価の高い映画でも全編通して楽しい映画なんて、まず存在しない。
壮絶なシーンがあり、のちに感動を呼び込む。
息苦しいシーンはついて回る。
それが映画の盛り上がりに繋がるのだが、本作はそうではない。
もちろんハードなシーンはなくはないが、最初から最後まで楽しい。

メインとなるサーカスのシーンだけでももっと観ていたい。
舞台となるのは19世紀だが、サーカスの中で繰り広げられるパフォーマンスはまさに現代的。
最先端のエンターテイメントショーを見せてくれる。

そして、お決まりのハッピーエンドでの終わり方。
なかなか、やるじゃないか(笑)。

主役のヒュー・ジャックマンも「レ・ミゼラブル」以来だが、
なんてステキな俳優なんだと思ってしまう。
歌も上手ければ踊りも上手い。
男としては許せないくらいズルい(笑)。
そして、2人の娘も可愛かった。

ちょっと落ち込んだ時、
気分を盛り上げたい時、
仕事で疲れた時、
何も考えたくない時、
そんな時に観てもいいのかもしれない。
若いカップルも、バリバリ仕事してそうな女性も、
僕のようなオジサンも楽しそうに映画を観ていた。

そう、映画は人を幸せにするのだ。