コミックシリーズの「バットマン」がこんな社会派映画なんだ。
と感じたのが最初に観た時の感想。

その昔、ジャックニコルソンがジョーカーを演じた「バットマン」も面白かったが、
こんなに病んではいなかった。
ましてや「スパイダーマン」なんて単純に痛快に楽しめる作品。
子供が小さい時は喜んで観ていた。

本作「ダークナイト」は子供とは観ていないが、
仮に一緒だったら怖くて逃げ出したんじゃないかな・・・。
しかし、このシリーズの中で僕は「ダークナイト」が一番好き。
「ダークナイトライジング」も良かったが、
こちらの方が惹かれる要素が多かった。

先日、「ジョーカー」を観て、もう1回観たい気持ちが沸々と湧いてきた。
「ジョーカー」から一週間も経たないうちにAmazonプライムで観てしまった。
こんな時のAmazonプライムは都合がいい。
「ダークナイト」は「ジョーカー」から20年後といったところか。
ゴッサムシティも高層ビルが立ち並び、ブルース・ウェインもすっかり大人。
会長だしね・・・。

20年の間にジョーカーはどんな人生を歩んできたのだろうか。
アンダーグラウンドな世界で非人道的な生き方をするうちに完全なジョーカーへ姿を変えてしまった。
以前は強者に対して、むしろ権力に対して卑劣な行動を起こしてきたが、
ダークナイトではもはやそれはどうでもいいこと。

相手を苛立たせ、怒りの矛先をこちらに向けさせるだけで快感を得る。
それがジョーカーの最大の喜び。
幼少時の体験からは反比例。

それはジョーカーに限ったことではなく、
世の中で何度も繰り返される無差別殺人も同様といえるだろう。
壊れていくジョーカーから壊れ切ったジョーカーへ。
それは至極まっとうなことなのかもしれない。
映画を思い返しながら恐怖を感じてしまった。

そんな中でのバットマン。
ここも自らとの闘い。
ジャーカーとは真逆に自己否定しながら生きなければならない。
そんなふうに映画を観るとヒーローものとかアクションものとかジャンルに置くことはできない。

だからダークナイトなんだけど・・・。
正義であろうと悪であろうとすべてに嫌われるし、すべてに愛される。
さほど差はない。

この2本の映画を観て、そんなことを感じてしまった。