対外的にだが今月末で会社を任され4年目を迎えることになる。実際は3年と半年近くになるわけだが、株主総会の決議上なら本日ということ。
あっという間の3年間だった。会社を復活させたとか、よく耐え抜いたとかのお言葉を頂くが、僕が優秀なわけでも何でもない。素晴らしい仲間の懸命な努力によって、今のポジションがあるだけ。
振り返ってみるとかなり激動の年月過ごしてきたことになる。少し落ち着いてきた時期でもあるため、僕自身の事についても少し振り返ってみたいと思う。5年前には、今のような状況になるとは全く予想はしていなかったし、できなかったし・・・。
今から5年前、僕は失意のどん底にいた。40歳の時に役員に昇格したものの、1年半後にはその資格に相応しくないと烙印を押され降格。当時、率いていた部門の責任者も部下も外された。社長直轄の一人の営業として、事実上、上司も部下もいない状態になった。
そうなった理由はいくつもある。簡単に言ってしまえば、自分の能力不足の一言だが、行うこと全てが悪循環に陥っていた。完全にトップの信頼を失い、やることなすこと非難された。
今でもよく思い出すことがある。僕がそのジャッジを下された時を・・・。
社長の自宅に呼び出され、業務上の重要報告をすることになっていた。既に覚悟は出来ていたが、一人で社長宅に伺い、面と向かって話をすることは辛かった。
業務の話を終えると話題は僕の進退に移っていった。いかに会社にとって存在価値がないか、幹部として能力不足かを切々と説かれた。そして言われた。「お前を役員にしたことを後悔している」と。
身にこたえる言葉だった。その後、追い出されるようにして社長宅を出たが、会社に戻る気も自宅へ帰る気もしなかった。一人で居酒屋に入り飲んでいた。多分、泣いていたと思う。
「もう俺は終わってしまったのか・・・」と自問自答していた。20年間勤め、自分では精一杯やったつもりだったが、結果はこんなもんかと情けない気持ちでいっぱいだった。
そこからは厳しい日々だった。上司も部下もいない状態は寂しいもの。朝出勤し、すぐに営業に出て、営業から戻り、原稿作成や書類の整理をし、そそくさと退社する日が続いた。会社の雰囲気からも社内で会話することをはばかられた。若い社員との会話は皆無。つまらない毎日を送っていた。
唯一の救いは取引先の存在だった。役員の頃も営業は兼務していたが、他の業務が多忙で、自分の担当を別の営業に任せていた。それをまた全て自分でやることなり、取引先に顔出すようになった。お客さんは僕の事を歓迎してくれた。取引が遠のいていたお客さんの仕事も戻ってきた。おかげで営業数字だけは維持することができた。
それでも時間に余裕があるので、せっせと飛び込み営業もした。だが、会社に対するロイヤリティは完全に失くしていたので、会社を辞めようとも真剣に考えていた。しかし、辞めることができなかった。
そうこうしているうちにリーマンショックが起き、それどころではなくなった。それが今から5年前の話。随分昔のようで、最近の話である。
ごく一部の方にはそんな話をすることもあったが、こうしてブログに書くのは初めて。そろそろそんなことを明かしてもいい時期。そんな時期があったから、今の僕がある。
その後の更に激動の日々はまた別の機会に書きたいと思う。
本日は第44期定期株主総会。そして、夜にはジオコス伊藤社長のラジオ番組に出演。4年目も頑張らなくてはならない。
株主総会が無事に終わることが前提だけど・・・(笑)。