これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「会社を想う 仕事を思う」の記事一覧:

今年もありがとうございました。

2022年も明日で終了。
一年の経過は早い。
年を取れば取るほどそれは余計に感じること。
そうやって一生を終えていくのかな。

まずは無事に一年を過ごせたことに感謝。
みなさんのおかげで幸せに終えることができました。
ありがとうございました。

今年は記念すべき年であったのは間違いない。
5月末に社長を退任し、6月に会長に就任。
12年5ヶ月の在任期間はとても充実した毎日を送ることができた。
大変なこともあったが、楽しく嬉しいことの方が圧倒的に多かった。

社長はストレスが続くという。
どこかの社長のようにストレスゼロとはいかないが、それほど気にするほどでもなかった。
いいプレッシャーとして捉えられただけのこと。

それから解放されたのは事実。
いろんな方から「肩の荷が下りたでしょ」と声を掛けてもらった。
確かに肩の荷は下りて楽になったが、それがいいとは限らない。
結構、寂しい部分もある。
まあ、それも本音だったり。

しかし、そこも含めて役割は役割。
やらないことを決めるのも大切な決断。
おかげで時間的な余裕もできた。
であれば新しいことにチャレンジすればいいのだが・・・。
少しはゆっくりと構える時間も必要としよう。

この10年の目標として
・責任を果たす、責任を取る
・何かしらの影響を与える
・自らへの投資、学び(学習機会)の継続

こんなことを掲げているが、まだまだだといえる。
特に自らへの投資、学びの継続は物足りない。
参加する経営者の会で「論語」も学び始めたが、何も語れることはない。
全てはこれからなのかな。

責任は果たしたが、そうすると新たな責任が舞い込んでくる。
これもグルグル回る。
会長という肩書も多い。
避けることはできなさそう。

影響については自ら語るものではないだろう。
どうなんだろうね(笑)。
と10年目標は終わることがなさそうなので、続けることに・・・。

それとは別に毎年のルーティン。
読書は年間58冊。
中にはkindleで入手したマンガもかなり含まれているので相当ショボい。

月間100kmのランニングは年明けのブログで発表。
映画は78本(映画館57本、オンライン配信21本)なので上出来。
このブログも会長ブログになり投稿数を減らそうと思ったが、案外頑張っている。
日々の日記もすでに36年目だしね。

ただ個人としては物足りなさを感じた一年。
特に後半は・・・。
そのあたりが来年の大きな課題。
もっと能動的にならないと。

最後の最後に今年観た日本映画のベスト5をチョイス。
そんな要望も頂いた。

・神は見返りを求める
・サバカン SABAKAN
・LOVE LIFE
・ある男
・ケイコ 目を澄ませて

かなり偏りがあるし、結構難しい。
「ヘルドックス」「窓辺にて」も好きだけどね。
今泉監督と並び今後の期待は石川慶監督と吉田恵輔監督かな。

こんなノリで今年は終わり。
来年もどうぞよろしくお願いします。

今年も感謝!第6回名古屋ファミリービジネス研究会終了

先週17日(木)で第6回名古屋ファミリービジネス研究会の全会が終了。

昨年は病気や急用が入った方もあったが、今年は全員が出席。
最終日を全員で迎えられるのは嬉しいこと。

Day5はこれまでの課題をプレゼンする成果発表会。
3サークルモデルから始まり、ジェノグラム(家系図)、ブランドサマリー、
ファミリーとビジネスの境界・対話、事業承継計画、自社の●年後を考えるを発表してもらう。

内容的には一人30分程必要だが、それでは終了が夜中になるので、一人15分。
それでも単純計算で15分×13名=195分。
3時間15分。

4時間の講座で残された時間は45分。
その中にアイスブレイク、グループ共有、修了証授与、
アンケート記入、休憩を盛り込まなければならない。
いつもなら30分程度の僕の持ち枠も当然のように削り10分。
他もやりくりし、何とか終了時間で終えることができた。

僕は発表のファシリも務めていたが、熱いプレゼンに集中したため、
終わる頃にはヘロヘロ。
相当、疲れてしまった。
これは心地よい疲れ。

できれば一人ひとりの発表内容を披露したいが、守秘義務のため内緒。
参加者だけの特典としたい。
他者の発表が一番の学びになることは参加者全員が理解している。
多くの気づきもあり、経営者の覚悟は大きな刺激となった。
改めてこんな時間に感謝。

修了証授与は代表して塚本さん。

彼女自身この4カ月の間に大きく成長したんじゃないかな・・・。
研究会は終了し、望年会会場の名古屋観光ホテルへ。

司会は事務局の一人櫻山さん。
軽快なトークで懇親会がスタート。

ここでも大いに盛り上がる。
途中に修了証の授与の続きを行い、一人ひとりに感想をもらう。
男性は硬めに、女性は柔らかめに撮影。

みなさん、芸達者。
面白おかしくこの4か月間を語ってもらった。

事務局も総評。
鶴田さん、丸山さん、櫻山さんと語ってもらった。
(すいません、櫻山さんの写真がない・・・)
講師が参加者と交わるのが好評のようだ。

受講者も事務局も異口同音に語るのはこの会の大切さ。
お互いの信頼関係を含め、全員が前向きになることでグッドサイクルが回る。
主催者冥利に尽きる時間だった。

最年少の瀬古さんに締めの挨拶をしてもらう。

ここでもグッときてしまった。
最後は全員で記念撮影。
最後だから披露は許されるだろう。

みなさん、いい笑顔。

こんな会を継続できるのも有難い限り。
何年やれるかは分からないが、できるだけ長く続けたい。

有難いことに来期も参加したいというリピーターも新たに参加したいという方もいらっしゃる。
事務局メンバーで更にブラッシュアップしていかないと・・・。

第6回名古屋ファミリービジネス研究会も無事終了。
本当にありがとうございました。

伝統を守りながら変わり続けることの重要性

先週木曜日は第6回名古屋ファミリービジネス研究会Day4。
早いもので4回目の開催。
開始前からセミナールームは賑やかな会話が飛び交う。
グランドルールである安全・安心、活発な場がまさに提供されている雰囲気。
自画自賛じゃないか(笑)。

Day4はゲストの講演がメインだが、第一部はこれまでの振り返り。
いつものように僕が場を温める意味でテキトーな話。

今回は最近起きた事件・事例を基に「ファミリービジネスの脆さ」について。
ここ1、2か月でもいろんな問題が起きている。
問題は起きない方がいいが、起きた時にどう対応するか。
やはりスピード感が大切。
そうすることで最小限のダメージに収まることも・・・。

その後はDay1からDay3までの課題について一人ずつ披露頂く。

これがとても勉強になる。
最終回に向けて大いに参考になったことだろう。

そして、今回のメイン。
特別ゲストとして株式会社エスワイフード 代表取締役山本久美氏を招いた。
「世界の山ちゃん」といえばこの地区で知らない人は誰もいない。
行ったことのない人も誰もいない。
それくらいの知名度と利用度。

今回は山本代表から多くの気づきと学びを頂いた。
タイトルは「伝統を守りながら変わり続けることの重要性~立ち止まらない私流の経営手法~」

細かい内容はすいません。
ヒミツ・・・。
ここでしか話せない内容を提供頂いたので、ブログでも紹介はできない。

ザクッと全体像は、山本代表の生い立ちから前山本会長が急逝され、社長を継ぐ覚悟。
そして、承継後の取り組み、その中での自分の役割。
最高益で迎えた直後のコロナ禍の対応、山本代表の考える事業承継まで。

みっちり90分。
参加者は身を乗り出して話を伺っていた。
休憩を挟んで質疑応答の時間を30分持ったが、終わりそうにないので強制終了。
濃密な時間を過ごすことができた。

それだけで終わるのは勿体ない。
山本代表にもご参加頂き、ワンランク上の世界の山ちゃん「山 伏見店」で懇親会を開催。

この場でも話は尽きることはない。
山本代表の計らいで懇親会も3時間とたっぷり。
ざっと6時間もお付き合い頂いた。

参加者には一人ずつ感想を述べてもらった。
涙を浮かべながら話す方もあり、会場内が感動で包まれていた。
今回は受講者の奥さんにも参加頂き女性比率が高く、
女性ならではの感想は事務局側も大変参考になった。

最後はなぜか名古屋ナモ締めと記念撮影。
主催者冥利に尽きる会となった。

唯一、残念なのは事務局兼講師の櫻山さんが濃厚接触者扱いで欠席だったこと。
このDay4を楽しみにしていただけに悔やまれた。
まあ、こればかりはしゃあないね・・・。

山本代表、ありがとうございました。
本当に素晴らしい場が提供できました。

西川塾特別例会で主役を張った日

先週26日(月)は西川塾二期生会特別例会。
年に1度開催される西川塾のビッグイベント。

西川塾が何なのか知りたい方はこちらを参考に
もしくはブログ検索すると67件ヒットします(笑)。

由緒正しき特別例会の講演者は何と僕。
塾生にも関わらず講演させてもらうことになった。
ありがたき幸せ。
塾生の頑張りもあり、定員のMAX80名の経営者に参加頂いた。
ありがたき幸せ。

会場は塾生仲間の堀場社長が経営する名古屋クラウンホテル。
今年改装の宴会場も華やか。

開演前から参加者同士で挨拶され和やかな雰囲気。

そして石黒事務局長の挨拶からスタート。

彼の挨拶も年々上達しているね。

司会は名大社を3か月でクビになったと噂される某人材派遣会社経営者。

言わなくても分かりますね(笑)。

今回は西川塾主の奥様もご出席頂き、ご挨拶も頂いた。
塾主との思い出話も・・・。

そこから僕の講演が始まった。
軽いノリでスタートするつもりが、奥様の挨拶があまりにジーンとくるので、
入り方は難しかったが、ここは百戦錬磨の腕前(?)でうまく乗り切った。
多分・・・。

「成り上がり社長の顛末」というふざけたタイトルだが、中身は至って真面目。
そうじゃないかもしれないが、熱く熱く話させてもらった。

90分のうち最後15分は質疑応答の予定だったが、話し終えた時は既に90分が経過。
僕にとってはよくある話(汗)。

前半は「私の履歴書」的な内容。
後半は「中継ぎ経営者、事業承継」だったが、前半が全体の9割を占めてしまった。
どこでタイムマネジメントを間違えたのだろうか・・・。
話すべき内容をすっ飛ばした割には時間はオーバー。
どうでもいいことも喋っていたのかな?

それでも皆さん真剣に聞いて頂き、本当に感謝!。
最後部の塾生仲間が「珍しく寝てた人は誰もいなかった」という言葉が最大の誉め言葉かも・・・。

講演終了後は懇親会。
まずは静かに食事をしてからの懇親。

僕もあちこちのテーブルを回り、懇意にする方から初対面の方まで挨拶。

嬉しいコメントも多く頂いた。
講演者を前にボロクソな感想は難しいと思うしね。

西川塾主の奥様とツーショット。

僕と息子さんは同い年とのこと。
それだけでも喜ばしい。

特別例会の締めは遠藤さん。

2年前に失明し、それでも広告会社を引っ張る社長。
彼の挨拶も素晴らしかった。
スライドは見えないので、声だけを頼りに聞かれていたが、その感性に改めて感動。
来年は遠藤さんの講演かな。

西川塾の最後の締めは名古屋ナモ締め。
これも遠藤さんの担当だったが、いきなりこっちに飛んできた。
おいおい・・・。
80名の名古屋ナモ締めはとても気持ちよかった。

改めて今回貴重な場を頂いた。
特別例会というプレッシャーもあり、かなり準備にも費やした。
その割には台本もなく想いを伝えただけだが、出せる力は出し切った。
みなさんからの感想でホッとし、充実した時間となった。

ご参加頂いたみなさん、ありがとうございました。
そして、大切な塾生仲間、お疲れさまでした。

西川塾特別例会で喋ります

毎年9月26日に開催される西川塾二期生会特別例会。
ユニー創業者の故西川俊男氏に学んだ塾生が開催する講演会。

西川塾主が逝去されてからコロナの影響で休んだ年もあったが、
基本的に毎年開催している。
地元で活躍され、西川塾主に関わりのある方を中心に招いてきた。

2016年 塾主と親交が深かった大垣共立銀行 前頭取 故土屋嶢氏
2017年 今や国会議員としても活躍する元F1ドライバー 山本左近氏
2018年 ブラックサンダーでお馴染みの有楽製菓株式会社 代表取締役会長 河合伴治氏
2019年 「車検のコバック」で有名な株式会社コバック 代表取締役社長 小林憲司氏
2021年 先日もお祝いしてくれた我らが共同ピーアール株式会社 代表取締役社長 谷鉄也氏

もの凄い顔ぶれ。
2019年はどうしても都合がつかず欠席したが、それ以外は裏方としても貢献。
特別例会を盛り上げることができた。
と同時に僕自身の学びにもなった。

そして、2022年は・・・。
なんとこの舞台に僕が立つことになった。

「ハハッ~ン、そんな目立ちたいのか」
「身内で固めるとは安直だな」
「伝統の西川塾も落ちぶれたか・・・」
そんな風に思う方もいるだろう。

ここであえて言わせてもらおう。
自分で手を挙げたわけでもなく、安直な選出でもなく、
落ちぶれた(それはわからん)わけでもない。
塾生が議論して決めたこと。
安易な決め方と思われるので僕も一旦は断ったが、それは塾生全体の意志だという。

これまでいろんな場で講演もしているが、自分が学ぶ経営塾となると訳が違う。
恥ずかしい面もあるが、これでいいのか?と考えてしまったり・・・。
過去の方のように自慢できる経験も実績もない。
果たして満足いただける話ができるのか。

まあ、ここは自分をさらけ出し、感じる方は感じるし、
くだらんと思う方はそうだろうし、真摯に向き合い披露するしかない。
そんなわけで今年の西川特別例会は僕が喋ることとなった。

聞いてやろうと思う奇特な経営者は直接僕まで連絡をください。
講演はどうでもいいけど、懇親会は参加したいという方も一応、歓迎します(笑)。

<西川塾二期生会 講演会&懇親会>
成り上がり社長の顛末~これからの事業承継を考える~
日時:2022年9月26日(月)18:00~21:00
会場:名古屋クラウンホテル
料金:8000円(講演会及び懇親会)

タイトルはふざけているが、内容は至ってマジメ。
いや、どんな内容かはこれから考える。

塾の名に恥じないようにはガンバリマス。

無事終了! FBAAフェスタ2022開催

それは7月30日のこと。
僕が加盟するFBAA(日本ファミリービジネスアドバイザー協会)主催でイベントが開催された。
それがFBAAフェスタ2022。

ファミリービジネスアドバイザーが自分たちの手によって作られたイベント。
今や認定講座は10期まで至り、各界にその有資格者を送り込んでいる。
名古屋ファミリービジネス研究会も活動の一つといえ、
アドバイザーがそれぞれの専門性を生かし各方面で活躍している。

しかし、お互いを知る機会は限定され、また、コロナにより活動もオンラインが中心。
当事者同士は寂しい思いをしていたり・・・。
それだけが理由ではないが半年前に実行委員会が立ち上がり、交流の場を作ることとなった。
時節柄、リアル、オンラインのハイブリットでの開催。

会場は渋谷スクランブルスクエア44階。
いやいや、この会場がまず凄い。
会員の方が勤める会社のセミナールームをお借りした。

東京中が見渡せる。
奥に見えるのは東京スカイツリー。
もちろん国立競技場も東京タワーも明治神宮も間近に見ることができた。
もう、それだけで満足・・・。

僕も実行委員会の一人。
どういういきさつかは忘れたが、オープニングセッションで司会を務めることになっていた。
開始前、委員会メンバーによるMTGが行われ、「一緒に作ろう!つながろう!」と気合を投入。
お祭りらしく、運営スタッフには祭りの手拭いが配られた。

この日は全国から60名のアドバイザーがリアルとオンラインで集合。
僕も初めてお会いする方も多い。
あちこちで挨拶するうちに開催時間に。

リハーサルでは問題なかったもの、開始と同時にPCがフリーズ。
スライドが映せないハプニングが勃発。

瞬間的に慌てるが、いつもの通りテキトーに臨機応援に進めるしかない。
理想には程遠いが、結果的に何とかスタートすることができた。
ハイブリットはこんな想定しないトラブルはつきものだね(汗)。

今回のメインは9つの講演。
3つのRoomに分かれて専門性の高い話をしてもらった。
テーマも様々。

事業承継問題から家系図のあり方、人生理念の見つけ方、
番頭の役割、経営者の妻の役割と課題、等々。
他にも紹介したいが、それはアドバイザーの特権。
僕も全てのセッションを拝聴したかったが、それは無理な話。
頂いた資料から想像したい。

僕は司会に続いてRoomAの担当だったので、他のRoomを見れなかったが、どこも盛況。
各講演終了後は全員が集まり、クロージングセッション。
ここでもいくつかの情報を共有。

西川理事長の挨拶の後は実行委員長のアネゴこと上田さんの挨拶。

このフェスタの成功は上田さんによるリーダーシップが大きい。
準備は相当大変だったと思うが、みんなを引っ張てもらいいいイベントを提供できた。
改めて感謝!

そして最後は全員で記念撮影。
小林プレジデントの力も大きい。

こんな写真は役得ですね・・・。
肝心な講演内容には一切触れていないが、僕自身もかなり勉強になった。
家系図も拘って作ってみたいし、番頭会にも入会したい(笑)。
お祭り要素の強いイベントだったが、新しい仲間もでき視野も広がった。
とても有意義な時間だった。
気がつけばFBAAの会員も300名となりネットワークは順調に広がっている。

そうそう、ちょっとだけ宣伝すると現在、11期の基礎講座の募集をおこなっている。
ファミリービジネスアドバイザーという資格に興味のある方は一度、こちらを覗いてもらいたい。
8月23日(火)にはオンライン説明会も開催される。

とてもいい学びの場となりました。
来年も楽しみにしています。

ありがとうございました。

「第6回名古屋ファミリービジネス研究会」スタート!

先週木曜日は「第6回名古屋ファミリービジネス研究会」(略称NFB)

6年目となる今年も無事にスタートすることができた。
コロナ感染者が再び増えてはいるが、感染対策を十分行った上での開催。
今年も新規の方とリピーターの方がうまく融合し、
和やかな雰囲気の中、進めることができた。

そうはいっても初回は緊張感が漂う。
開始前はシーンと静まり返った状態。
この緊張感がよかったり・・・。

そしてその緊張感を崩すのは僕の役割。
このNFBでは最初にまず僕が全体概要を説明。
できるだけシナリオは作らず、その時に感じたことは話していく。
それが理由で毎年持ち時間をオーバーし、講師に迷惑を掛けるが、
周知の事実として伝わっているので問題はない。
そんなことはないか・・・。

いつも通りファミリービジネスの定義や特徴、みなさんの自己紹介、
ジェノグラム(家系図)について説明し、小ネタは「映画で学ぶファミリービジネス」。
「ハウス・オブ・グッチ」のジェノグラムを作成し、家族崩壊の流れを話させてもらった。
前週には2度目の鑑賞もして当日に臨んだ。
やるね!
ちょっと慌てた説明になってしまったけど・・・。

例年はここで時間オーバーするが、今年はわけあって時間通り終了。
アンケートにも「山田さんが概ね時間通りだった」と書かれていた。
ベテランさんはさすが、見抜いてますね(笑)。

そしてDay1の講師はこちらも定番。
株式会社サンコー櫻山社長の「中小企業(ファミリービジネス)のブランディング」
毎年分かりやすく説明頂く。

内容もブラッシュアップし、今年はインターナルブランディングを中心に解説してもらった。
ワークもみなさん熱心で盛り上がったようだ。

ただ残念なことに僕はその場を見ていない。
自分のパートの終了と共に会場を抜け出し、大学の授業へ向かった。
肝心なところでダブルブッキングをしてしまい、申し訳ありません。
それが理由で時間オーバーしなかったという話も・・・。

いずれにせよ100%満足の研究会となった。
気を遣いながらの恒例の懇親会。
こちらも会場の配慮もあり、スムーズに進行。
お互いに親睦を深めることができた。

最後には全員で記念写真。
アップは止めておこう・・・。

受講者は経営者、後継者などそれぞれの立場で課題や問題を抱えている。
それをネガティブにならず前向きに捉えていく。

初回からそんなことを感じることとなった。
これから5ヶ月間、よろしくお願いします。

名大社半生を振り返る 最終回

2016年11月に丸の内から現在の伏見にオフィスを移転した。
前回の移転は後ろ向きの移転だったが、この時は前向き。
オフィスが手狭になったこととよりアクセスのいい環境を求めての移転。
広さは倍近くになった。
家賃は倍以上になった(汗)。

この前後は会社としても好調。
2年後にはオフィススペースが手狭になり、レイアウトを変更しデスクも増やした。
40名収容できるセミナールームも作ったので、ここでセミナーを開催したり、
社内の勉強会、時にはブルーシートを敷いて飲み会も行った。

丸の内時代には円頓寺に通っていたが、伏見に移ってからはこの界隈を荒らしまくった。
(悪さをしたのではありません・・・)
どちらも大好きな街。
それだけで働く喜びが生まれた。

2019年11月に会社は設立50周年を迎えた。
会社の寿命が30年といわれる中、この地区で50年事業を継続させることができた。
親会社の倒産を経験する稀有な存在である名大社。

オーナー家でもない僕が50年の節目に立てたのは感謝すべきだが、不思議な感覚もあった。
多分、これは僕しか分からない感覚。
OBの嬉しそうな顔や参加者同士の楽しそうな会話をみながら、
責任を果たした気持ちにもなった。

自分でなければ会社はもっと成長したかもしれない。
逆に会社の存在すらなかったかもしれない。
それは誰にも分からない。

2018年度までは毎年順調に業績を伸ばしてきたが、翌年は前年割れとなった。
一つは僕が掲げた新たな営業体制が機能しなかったのが原因。
ソリューション強化は僕の独りよがりの考えだった。

そして、2020年年明けから国内に広がった新型コロナウイルス感染拡大。
この影響で大幅に業績を落とした。
非常事態宣言が発令された3月はイベント中止。
大掛かりな企画を組んでいた5月も全て中止。
売上がほぼなくなった。

6月以降、イベントは再開できたものの規模は縮小。
赤字が続いた。
採用市場も冷え込んだ。

名大社は基本的に営業会社。
人が動いて売上を形成する。
雇用調整助成金の活用も限定的。
仕事がないから休ませる、というわけにはいかなかった。
業界全体の落ち込みに比べ、イベント比率の高い名大社は半端ない落ち込み。
これまでの方針が裏目に出た。

全ては社長の責任。
当然のことだった。
新しい手は大きな力にはならず、守ることが中心だった。

2020年10月末、ホテルに一人で籠り考える時間を作った。
メンバーに対し申し訳ない決断をした。
自分自身の進退も決めた。

「中継ぎ」があまり長いのもよくない。
中継ぎ投手は打たれたら交代するのはプロの世界。
それは経営の世界でも同じ。
そんな判断をした。
それから徐々に権限を委譲し今に至る。

名大社では明日、株主総会。
その後の取締役会で正式に社長退任と新社長就任が決まり、6月1日からは新体制。
僕の12年5か月の在任期間も明日で終了。

従って、この半生ブログも社長ブログも今日が最終回。
反省は山ほどしているが悔いはない。
寂しい気持ちはあるが判断は間違っていない。
社長として幸せな時間を過ごさせてもらった。

一度きりの人生なら1回くらい社長を経験したほうがいい。
今、改めてそう思うし、若手やこれからの人に大きな声でいいたい。

社員、クライアント、経営者仲間、ブレーン、全ての方に感謝。
もちろんブログを読んでくださったみなさんも。
ありがとうございました。
そして、これからの名大社にも期待して欲しい。

 

終わり。

 

会長ブログはあるのかな・・・。

名大社半生を振り返る その25

肝心なのは事業で売上を上げ利益を出すこと。
そして社員の生活を豊かにし、働きやすい環境を作ること。
それを心掛けてこの12年は仕事をしてきた。

一定年数は理想に近い環境を作ることができた。
しかし、直近の数年を見ると理想とはかけ離れた実績しか上げていない。
紛れもない事実。
決して驕ったわけでもなく自信過剰になったわけでもない。
会社は生き物。
上手くいったことが永遠に続くことはない。

名大社は採用支援、就職支援がコア事業。
それをより明確にし同業大手他社との差別化を図るためジモト色を強調。
「企業展」と慣れ親しんだ新卒イベントの名称も「ジモト就職フェア」に変えた。

それは象徴的なメッセージだが、この12年で様々なイベントを送り出した。
前社長時代は閉鎖的で他社と組むことはあり得なかった。
ノウハウが流出するリスクと捉えていた。
それは間違いなくあるだろう。
考え方として間違ってはいない。

しかし、僕は逆転の発想でそのリスクも踏まえ、積極的にアライアンスを組んだ。
スタートは名古屋商工会議所との小さな企画だったが、その後、いろんな団体と組むようになった。
名古屋証券取引所や名古屋中小企業投資育成など。

呼び捨てですみません・・・。
この後も呼び捨てで(笑)。

同業他社とコラボ企画も取り組んだ。
楽天、アスリートプランニング、デアイバ・・・。
お互いの強みを発揮することでイベントとしての成果を上げた。
特定の分野に強い同業他社と東海地区に強い名大社。
その掛け算でインパクトある仕掛けができた。

2014年のディスコとのコラボイベントを僕が社内で提案した時はさすがに反発を食らった。
地元でもガチンコで競合する同業。
そこは目的を明確にして理解を求めた。
結果としては上手くハマり実績を上げることができた。

集大成は2016年から始まった中日新聞社との共同開催。
全国有数のブロック紙であり地元を代表する企業。
新聞社として新卒事業を自社で展開していた。
営業時代はよくバッティングした。
嫁さんとの出会いもそんな縁だった(笑)。

元々、名大社は中日新聞社の広告代理店。
主従の関係でいえば明確。
そこを対等な関係でアライアンスを組んだ。

就職活動が解禁する時期にリクルート、マイナビ等大手は大掛かりなイベントを運営。
名古屋でも300社規模のイベントを開催し、ナショナルクライアントも引き連れていた。
地域特化の名大社では叶わない時期が続いた。
それが中日新聞社と組んだことにより2018年2月には225社のイベントを提供することができた。
コラボ事業が功を奏したカタチとなった。

中途事業では転職フェアに留まっていたが、
社内の勉強会から2012年にエンジニアフェアが誕生した。
今も継続するイベント。

人材紹介事業は2011年よりスタート。
言い出しっぺとして最初は僕がキャリアコンサルタントとしてキャンディデイトと面談。
企業と人のマッチングを行った。
当時は社長の肩書を隠して対応していた。
最初は見よう見まね。
今では僕よりも遥かに高いレベルで面談が行われている。

継続する事業もあれば撤退した事業もある。
前にも書いた障がい者採用向けイベントは5年で撤退。
その他にも「転職ナビ」をリニューアルし、
2011年に「転職ナビFREE」としてスタートさせたが浸透しなかった。
その後、「つなご~や」という成果報酬型サービスに切り替えたが長くは続かなかった。

細かいものを含めると他にもあるだろうが・・・。
トライ&エラーを繰り返してきたが、
結局、僕はイベントに続く柱を作れなかった。
これが後に大きなマイナスとして響くことになる。

続く・・・。

名大社半生を振り返る その24

昨日は56歳の誕生日。
多くの方にお祝いのメッセージを頂いた。
気づけばこんな年か・・・。

温かいお言葉、ありがとうございます。

社長になるまでの振り返りは時系列で書いていたが、
社長時代はあちこちに飛んでこちらも変則的。
日々の変化はブログにアップしてるので、ヒマな方が読んで頂ければ・・・。
この半生ブログも変則になったので、変則のまま続けます。

年々、組織もまとまりメンバーも成長してきた。
僕が何も言わなくても主体的に動いてくれるし、
僕の指示よりも的確なので、現場のことはできるだけ現場に任せることにした。

特にNEXT4と呼ばれる4名が大きく成長し活躍してくれた。
高井は「テツさんの唯一の実績はNEXT4を育てたことですね(笑)」と言っていた。
まあ、そうかもね。
口出ししないのもある意味、自分の仕事として捉えた。
物は言いようだけど。

ネットワークを広げていくと面倒なことも多いが、そこから得られる仕事も多かった。
ちょくちょくメディアで紹介されることも影響してか講演の仕事が増えた。
ラジオ番組を持ち、ここでも喋った。
(これはスポンサーとしてだけどね・・・)
大学のキャリアセンターとの信頼関係もあり、大学でのガイダンス、講演、臨時講師の依頼も増えた。

がっつり授業を行う非常勤講師も今年で5年目。
どこかの党から立候補しても経歴詐称にはならない(笑)。
自分が学生に何かを教えるなんて、昔はこれっぽちも考えなかったが、
いざ登壇すると遣り甲斐も出たり・・・。

自治体や金融機関からも依頼があり、ピーク時は年40本ほど講演した。
多い時は1000名規模、遠い場所は四国・愛媛での講演も頂けた。
テキトーなことをテキトーに話すのが得意なので、
聴く方によっては「ふざけるな!」と思われるかもしれないが、
今のところ、クレームは届いていない。

自分が何屋さんか分からなくなる時もあったが、広告塔の役割として有難く依頼を受けた。
たまに専門外の依頼もあったが、基本お断りすることはなかった。
テキトーな話でも会社の信用は失くさないように努めた。
そんな形で会社に貢献したつもりだが、自分で勝手に思っているだけかもしれない。

社内環境も以前に比べれば大きく変わった。
とはいえ、ようやく一般企業に追いついただけだろう。
就業規則から始まり、新たな経営理念を掲げ、クレドの作成も全員で行った。
賃金体系や人事評価制度も見直した。

CRMも導入し営業管理の見える化も行った。
当初はセールスフォースを言われるがまま使用していたが、
徐々に社内でも運用できるようになり、今は別のCRMをクラウド上で管理。
若手にとっては当たり前の業務フローだが、10年前と比較すると雲泥の差。
それも内務の神谷はじめ優秀なメンバーがPDCAを回し続けてくれたおかげ。

僕は所詮営業マン。
外部に対して仕掛けや交渉はするが、内部の細かいことは得意ではない。
思い切って任せた方がいいし、知ったかぶりをしたところでボロが出るだけ。
そうした積み重ねで社内体制が出来上がり、今も常に見直しが行われている。

社内体制で忘れてならないことをもう一つ。
2014年9月よりスタッフブログを始めた。
大半のメンバーは嫌がり、スタート時は反発を食らった。

一人ひとりの顔を見せること、
世の中に関心を持ち表現力を身に付けること、
社内のコミュニケーションを活発にすることを目的としたが、
最初はあまり理解されなかった。
僕の趣味の範疇と捉えていた者が多かった。

月に1番”いいね!”を獲得したメンバーにブログ賞として朝礼で表彰。
ヤル気を喚起した。
クライアントからの反響もあり評価も高かった。
力を入れる者とそうでない者が明確になるのもこのブログ。
それも面白かった。

ただ同じことを繰り返すだけではマンネリ化するし惰性にもなる。
次のアクションのために今年3月でスタッフブログは休止。
今後の展開は僕自身が楽しみにしておきたい。

さて、次回は本業の振り返りかな。
だんだん締め方が難しくなってきた(笑)。

続く・・・。