僕には三人の父親がいる。
一人は今も健在の実父。もう一人は5年前に亡くなった義父。そして、3人目は昨年逝去した前社長。いずれも僕の父親だ。
昨日は前社長の一周忌。和やかな雰囲気の中で行われた。
お経を読む前に和尚が話をされた。「”忌”という文字はどちらかと言えばいい意味では捉えられない。しかし、この文字は己の心と書く。辛いお経の時間を偉人との関わりを思い出しながら過ごしてもらいたい。」と。
45分間の正座は確かに辛かったが(笑)、僕は前社長にお世話になった20年間を思い出していた。
ほとんど叱責されっぱなしの20年間だった。一番厳しかった時は前のブログにも書いた通りだが、それ以前もずっと叱られ罵倒されていた。
「お前は会社に必要ない。明日、辞表を持ってこい。」と言われたこともあるし、上司失格の烙印も何度も押された。社長室に呼ばれる時、自宅に呼ばれる時は間違いなく叱られた。それも半端なく叱られた。
会社の目指す方向の考えは一致していても、組織や人材育成の在り方はそもそも考え方が違っていたのだろう。その点で言えば、考え方を修正させる意味合いと気に入らない面とが同居し、無数の叱責に繋がったのだと思う。
それでも最終的に会社を任されたのは、名古屋の七不思議の一つだが(笑)、今、振り返ればその叱責が信頼の証だったのかもしれない。
何度も言われた「叱る」と「怒る」の違いなのかもしれない。その当時はあまり理解していなかったが・・・。
僕が社会人になり一番影響を受けたのは間違いなく前社長。実の父親よりも叱られた数は多いだろうし、語られた数多くの言葉は僕の胸に焼きついている。目の前の経営者として存在は大きかった。最終的にいい関係で終われなかったが、尊敬の念はずっと抱いている。
今、名大社がこの名古屋で事業を展開できているのも前社長の功績であるし、僕はその功績にあぐらをかいているに過ぎない。その存在がなければ、今の会社も僕も存在はない。
そんなことを思いながら、昨日の一周忌を過ごさせてもらった。
三人の父親。このことに関してはまだまだたくさん書くことが多い。自分自身が忘れてはならないこととして、文字に残さねばならない。