現在、名大社は設立47年。
あと3年で50周年。僕が不祥事を起こしたり、更迭されなければ、
その50周年は僕の時代に迎えることになる。
(あくまでも順調に推移すればですが・・・)
これまでの歴史や実績を残す意味を含め、50周年には社史を発行したいと考えている。
しばらく先の話だが、そろそろ準備も始めなければならない。

僕が入社したのが1989年なので、設立20年の時期。
それ以降はずっとこの会社で仕事をし、時代と共にその変遷を経験しているので、
一定レベルのことは話ができる。
当然幹部ではないので、経営的な観点は難しいのだけれど。

僕が入社する以前の話はまた聞きで知っているだけ。
実際、どんな20年を過ごしてきたかはあまり知らない。
由緒正しい同族企業であれば、その文化や理念が脈々と引き継がれ記録も残っているだろうが、
名大社はそれがない。
売上や従業員数の推移はもちろん残されているが、どんな社風でどんな人物が活躍し、
何が強みでどんな点がダメダメだったのかは、ほとんど記録がない。
そのまま記録が残っていないのは、とても危うい。

会社の歴史を残していくことは後世にとっても必要なこと。
「古事記」があるから、日本の誕生や天皇の存在が明確になっているのと同じことだ。

先日、社史編纂にあたり、事前取材を古参の方にお願いした。
もうほとんど存在しない設立時の名大社を語れる方にヒアリングを実施したのだ。
詳しくは社史完成段階で披露したいが、
僕が知らない事実があちこちと焙り出され、驚きの連続。
サラリーマンから社長になった者の悲しい性かな・・・(笑)。

ご存知のように名大社の大元は大阪にある今は無き大有社。
設立当初、幹部は大阪から送り込まれ、プロパー社員は女性ばかりだったという。
今から50年近く前に女性ばかりの組織というのは先進的と言えなくもないが、
そんな単純な話ではない。
あちこちでトラブルもあったようだ。
次第に男性社員も増えていったようだが、大阪本社との溝は埋めがたく、
かなりの不満が鬱積していたという。
自分たちでやりたいことがほとんどできず、本社の言われるがまま。
送り込まれた経営陣も本社の顔色を窺うことが中心で活気ある組織とは無縁だったらしい。
その辺りは業績と連動しており、給与も待遇もパッとせず、離職者も多い職場だった。

僕の前任の社長が就任した時に大きな舵を切り、会社は変化し始めた。
今と比べると社名が同じなだけで、中身は全く違う会社だったわけだ。
僕と前任社長とは性格も考え方も全く違うので、ここにも大きな変化がある。
それはまた改めるとして、創業時の事業や組織を継続していたなら、
とっくの昔に名大社はなくなっていた。
時代と共に変化してきたから、なんとか生き残っている。
そう思うと僕も頑張っているね(笑)。

歴史を振り返ることで見えてくることがある。
それは成功も失敗も含め、いえること。
僕が驚いている状態なら、若手はどれだけ驚けばいいのだろう。
きっと卒倒するな(笑)。
それも名大社なんだけどね。

僕自身も当時を深堀する必要がある。
それによって目に見えず大切にしている文化もあるはず。
OBの方が元気なうちに歴史を伺う場を持っていかねばならない。