これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

最後の弟子が松下幸之助から学んだ経営の鉄則

著者である江口先生から頂いた書籍。
GW中にありがたく拝読。
僕の感覚に過ぎないが、本書は江口先生のエッセイともいえるのではないだろうか。

これまでの著書に比べ、より平易な文章でより直接的な言葉を投げかけている。
さほど著書を読んでおらず、エラそうなことは言えないがそう感じた。

理由としては出版のために書かれた文章ではなく、facebookの投稿をまとめたものだから。
普段着姿の江口先生が語られている感覚。
たまには遠い存在の先生を身近に感じるもいい。

しかし、内容はいつも通りずしっと重い。
経営者として大切なことが並べられている。
どんな時代になろうと原理原則は変わらない。

中心になるのは松下幸之助翁の言葉だがそこには留まらない。
石田梅岩であり、渋沢栄一であり、安岡正篤である。
安岡氏の「六中観」は忙中閑あり、苦中楽あり、死中活あり、壺中天あり、意中人あり、腹中書あり。

この一文を腹落ちさせるのも相当な時間は必要。
そこに向き合う質の違いか。
僕の中では単発の文章でしか理解はできないが、江口先生にしてみれば全て繋がっているのだろう。

いくらその時に響いた言葉であっても、それが自分の中に落とし込まなければ意味はない。
そして、実践しなければこれもまた無意味。
学んだつもりになっているに過ぎない。

先日の「壺中の会」もうそうだった。
いつも実体験を話されるのもそこに価値があるからこそ。
評論家であってはいけない。
常に実務者でなければならない。

果たしてそんな行動ができているのか。
耳障りのいい名言を知っていても、江口先生のような説得力は持たない。
やってできてこそ初めて説得力を持つ。
そして、言葉の真の意味も理解できる。

読んで勉強になったにも関わらず反省しきりのブログになってしまった。
いかん、もっとできていることを書かねば・・・。

「心を許して遊ぶ者は、経営者たる資格はない」
この言葉に関しては僕は会社を任されてから心掛けていること。
厳密にいえばベロベロになった時は記憶を失くしているが、その時でさえ会社のことを考えている。
説得力がないのは百も承知だが・・・。

社長の立場になった限り「人生ー経営=ゼロ」も納得できること。
その覚悟を持ってやってきた。
常に結果が出ればその言葉も重みが増すが、残念ながらそうではない。
できた時もあればそうでないときもある。

そこも含めて覚悟なんだろうね。
改めてそんなことを感じたり。

それにしても名経営者の子孫も簡単ではない。
以前読んだ「創業家一族」でも感じたが名経営者の子供が名経営者になれるわけではない。
本書には松下幸之助さんのお孫さんのことも書かれていたが少々辛かった。

とりとめなく終わるが、本書を読めば「経営の鉄則」は理解できる。
しかし、理解するだけでは意味がない。
再度、認識させられた。

ありがとうございました。

映画「戦場のメリークリスマス 4K修復版」

初めて観たのが確か高校2年生の頃。
岐阜・柳ヶ瀬にある自由劇場か衆楽70mm劇場じゃなかっただろうか。
当時かなり話題で勢いだけで鑑賞。

初めて大島渚監督作品を体験し、難解さだけが印象に残ったとかすかな記憶。
一緒に観た友人は分かったふりだけしていたんだと思う。

それから5年後、僕が所属する映画研究会のイベントで大島監督をゲストとして招いた。
僕は渉外役として名古屋駅まで監督を出迎えに行った。
監督のカバンを持とうとして断固拒否された覚えがある。
なぜかそれだけは今でも鮮明に記憶している。

小難しい方だとは思うが、お忙しい中、参加頂けたことは今改めても感謝。
なぜ、あのイベントに来てくれたんだろう?
普通に考えればあり得ない話だと思うが・・・。

日本映画史の残る監督の一人だが、さほど作品は多くない。
それもヒット作は少ない。
「戦場のメリークリスマス」が一番のヒット作じゃないだろうか。

実際僕は大島監督の作品はほとんど観ていない。
全盛期は60年代、70年代なのでリアルな世代ではない。
過去の作品を調べてみても社会性が強く重厚な作品ばかり。
よほど体調を整えて臨まないと集中力も持たない。

そんな大島作品が今回、会社近くのミリオン座で公開された。
一本は本作。もう一本は「愛のコリーダ」。
「愛のコリーダ」も鑑賞済みなので、こちらも改めてブログで書きたい。

肝心な「戦場のメリークリスマス」とは関係のない話ばかり書いてしまった。
38年前の作品を記憶している方が稀。
自分の中で紐を繋ぐような感覚で2時間を費やした。

「4K修復版」のため画像は鮮明。
デビットボウイの美しさが際立つ。
坂本龍一が卒倒してしまうのもやむを得ない。

愛なのか友情なのか、極限状態の精神性なのか。
今でも僕の中でははっきりしない。
同性愛的な表現で片づけることは簡単だが、その表現は適切ではない。
戦闘シーンは一つもなく、いつも空は晴れている。

戦場として相応しくない。
それでも捕虜や日本兵の姿から戦争の悲惨さはイメージできる。
その中で坂本龍一とデビットボウイだけが異彩を放つ。
凛とした佇まいと華やかさが観る側の気持ちを揺らがせる。
日本よりも海外で評価が高いのはそんな点があるかもしれない。

作品の感想になっていない気もするが、まあ、リバイバル上映なのでこの程度でいい。
大島作品の評論は難しい。

次は「愛のコリーダ」。
こちらはもっと難しいかもね。

企業のためのインターンシップ実施マニュアル

インターシップを企画する人事担当者、採用担当者は常に手元に置いておくべき一冊。
それはインターンシップに慣れた企業もこれから検討する企業も同様。
書籍の帯に書かれている様に、プログラムの基本と運用の実際がわかる。
(そのまんまじゃないか・・・笑)

今後、インターンシップはどの企業においても当たり前な取り組み。
最近は採用目的が主流だが、本書に書かれているCSV的価値としても必要になるだろう。
現在の名大社のケースが理想的とは言わないが、
うちで実施するインターンシップは本書に書かれているモデルに近い。

採用ありきではなく学生を育てる、企業を知ることを目的に置いている。
それが重要だと考えている。
だからといって今が完璧かといえばそうではない。
また、細かな見直しも発生するだろう。

そんな時に本書を体系立てて活用することで
双方にとってよりメリットのあるインターンシップを実施できる。
それは名大社に限らず、これから真摯に向き合うすべての企業にいえること。
本書はプログラム作成シートや学生向けのワークシートも掲載されているので活用法も広がる。

採用目的のインターンシップを行う企業もまずは基本を押さえることは重要。
そのための教科書的存在ともいえるだろう。

就職情報会社の営業はインターンシップを勧めるが、本書に書かれているような提案はしない。
(多分ね・・・)
あくまでも手っ取り早い方法を推す。
(多分ね・・・)
ポジションとしては仕方ないが、それでは片手落ち。

うちの営業も両面から捉えられるといい。
企業と学生を振り子として例えた説明も参考にしながら・・・。

著者の一人である今永典秀さんは彼が学生時代、名大社のイベントを手伝ってくれた。
社会人になってからも接点があったが、気がつけば大学の准教授。
その活躍ぶりは目覚ましい。
昔は僕が偉そうにしていたが、これからは頭を下げ教えを乞わなければならない。
よろしくお願いします。

今永さんが多分、書いた「人生100年時代のインターンシップ」というコラム。
「インターンシップは学生のものという固定概念を壊して、
いくつになっても、どんな立場になっても、学び続けること」

確かにおしゃる通り。
僕も継続的な学びのためにインターシップに参加すべき。

とても参考になりました。
ありがとうございました。

映画「るろうに剣心 最終章 The Final」

簡単に言えば、バカな弟が復讐のために町や人をメチャクチャにしてしまう物語。

そんなことでブログをまとめてしまうと「るろうに剣心」ファンから袋叩きに合いそうなので、
映画の魅力をきちんと伝えておこう。
138分という長さを感じさせないスピード感と迫力だったし・・・。

第1作の公開は2012年。
すでに8年の時間が経過しているが、見事なほど出演者は変わっていない。
役どころもそうだが見た目や雰囲気も。
それだけでもこの作品に対する強い拘りを感じる。

僕が劇場で観たのは2014年公開の前作、前々作。
当時のブログ(るろうに剣心伝説の最期編)にも書いたが、あれが最終作と思っていた。
まんまと騙されたというか、僕の知識がなかっただけだが、
こんなスケールで本当の最終作が訪れるとは・・・。

本当の本当は6月公開の作品だが。
結構、ファンを引っ張りますね。
興行的にはいい作戦だと思うけど(笑)。

ストーリーとしては単純明快なので語る必要もない。
その分、子供から大人まで楽しめる。
特に殺陣のシーンというかアクションシーンはほれぼれする。
どうすればあんな巧みな殺陣を演出できるか不思議でならない。
カメラワーク、カット割り、編集はお見事というしかない。
ジャパニーズアクションで勝負するならこの手しかないと思わせるほど。

演じる役者もいい。
それは緋村剣心役の佐藤健は当然ながら、江口洋介や伊勢谷友介の殺陣も素晴らしい。
土屋太鳳ちゃんはもっとこんな役をやった方がいい。
刀裁きよりもむしろ立ち姿だけでオーラを感じさせる。
役者陣のこだわりが作品の魅力を後押しするしているのも間違いない。

それにしても剣心もバカな弟の雪代縁も強すぎる。
ゾンビのように現れる連中を全て倒してしまう。
どうVFX技術を駆使しているのか確認しようと探していたら、彼らのトレーニング映像が出てきた。
それにも驚かされる。

やはり映画は生身の人間がぶつかり合うから感動を呼ぶ。
単純明快な作品ほどそれを徹底しなければならない。
分かりやすさゆえの難しさを感じた。

う~ん、このシリーズはここで見納めかと思っていたが、
6月公開の「るろうに剣心 最終章 The Beginning」も観なきゃいけないじゃないか。
まんまと作戦に乗せられているようだ。

「BARレモンハート」に追いついた

僕が漫画「BARレモンハート」を読み始めたのが2018年1月。
なにがキッカケかは忘れたが、盟友サンコー櫻山社長からのおススメがあったから。

古谷三敏氏の人気シリーズのスタートは1985年。
35年前。
最新作が35巻なので、一年に一巻ずつ発行されたことになる。

僕は多い時は月に4巻ほど、
少ない時は2か月くらい空いた状態でダラダラと読み進めていた。
そして、ようやく先月末に最新刊35巻を読み終え、追いつくことができた。

酒好きの読者が多いのは頷けるし、ここでお酒の知識を得る人も沢山いるはず。
僕はほとんど忘れてしまっているけど(笑)。
このシリーズで描かれる人間関係もいい。
時にホロッし、時に笑いに包まれる。
あまり漫画を読まなかったオジサンが50代になり夢中になったレアなシリーズ。

登場するのはレモンハートのマスターとフリーライターの松ちゃん、
年中、トレンチコートにサングラスのメガネさんの3人。

この3人を中心に物語は進む。
レモンハートは基本的に現代を描いている。
読み始めた時は35年前の世界をエラク懐かしく感じていた。
当時は昭和だった。
平成に入り、次第に携帯電話が登場し、もちろんガラケーで、
それがいつの間にがスマホに移っていった。

変わらないのは3人の年齢。
いや、変わっているのか?
いや、変わっていないな・・・。
いつまでも松ちゃんは独身だし、
35年経過していれば仕事もリタイアしていてもおかしくはない。

身近に未だに女性を追いかける60歳過ぎの先輩Tさんの存在もあるが、
(すいません)
松ちゃんは年齢を重ねているとは思えない。

登場人物の年齢や背景は変わることなく、時代だけが変わっていく。
それがいい。
僕は連載中の雑誌を読んでいないが、今はマスクをしているのかな?

35巻には「土田酒造」という群馬の酒蔵を見学する場面がある。
ここに登場する星野元希さんという杜氏は実在する人物。
実際にかなり活躍されている方。

この漫画で描かれる世界はノンフィクション。
それを最新刊で初めて知った。
だからマスターのウンチクも説得力があるのか。

調べてみると古谷氏は御年84歳。
かなりのご高齢。
僕が小学生時代から知る漫画家だから当然年も取られる。

この「BARレモンハート」はいつまで連載されるのか。
最後はどんな終わり方なのか。
それも含め楽しみにしておきたい。

自由になるための技術 リベラルアーツ

なぜか山口周比率が高い。
このブログだけでも、

ビジネスの未来
仮想空間シフト
ニュータイプの時代
世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?
劣化するオッサン社会の処方箋
を取り上げている。

オンラインの講演にも参加し、その考えにも刺激を受けた。
この分野では一番影響を受けている存在かもしれない。

本書は7名の見識者との対談本。
教養のない僕は出口治明氏と橋爪大三郎氏しか知らない。
映画「テルマエ・ロマエ」は観たけどね(汗)。

そんな人物がリベラルアーツとは何かを語るなんて、そもそも間違っている。
それを百も承知の上で本書を語るとしよう。
それはブログ読者のためというより自分のため。
「”自由”になるための”手段”」がリベラルアーツであることをより落とし込むために。

7人の見識者は国際政治学者、大学学長、社会学者、住職、経営学者、科学者、漫画家・文筆家。
ほとんどは大学で教鞭をとる先生。
ある意味、僕と同じではあるが、それは教鞭をとるという表面的な行為だけで根本的に何もかも違う。

何もかもって、なんだといわれれば、それはリベラルアーツ。
自由になるための技術を持ち合わせている。
それは専門分野に長けたオタクとは違う。
その専門分野から世界を見渡せるチカラと自分なりの解釈を持っておられる。
知識があるだけでは意味がないといわれているようなものだ。

その方々に対して山口氏は本質を突く質問や受け答えをする。
陳腐な対談にならないのは当然のこと。
一冊の教養本として出版されるのも当然のこと。
こういった類の書籍を読むたびに恐れおののいてしまうのだが、ここで立ち止まってはいけない。
そこに向かう姿勢も必要なのだ。
手遅れな面はなくはないが、今からでも教養を身に付けるべき努力をするだけ。

クリティカルシンキングを学ぶと「常識を疑う」態度を求められる。
考えを深める行為としてその必要性は感じるが、本書ではその先を行く。
「見送っていい常識」と「疑うべき常識」を見極める選球眼を持つべきだという。
その選球眼を与えてくれるのがリベラルアーツだと・・・。

う~ん、なるほどね。
生きているうちにその選球眼を身に付けることはできるだろうか。
そのためには少しでも旅に出て、「一次情報に触れる」機会を持たねば・・・。
出口氏はここでも「人・本・旅」と言ってるし。

「一次情報に触れるために1ヶ月ほど旅に出ます!」
と嫁さんに言ったらどんな反応をするだろうか。
軽蔑の眼差ししか返ってこないのかも・・・。

そこへの理解を促すためにもリベラルアーツは必要。
う~ん、どっちが先なんだ。
自由になるための手段はかなりハードルが高い。

それを心掛ける努力は怠らないようにしたい。
この休暇中も少しでもリベラルアーツを身に付けていきたい。
1ヶ月一人旅するためにも。

映画「喜劇 愛妻物語」

昨年見逃した本作をAmazonプライムで鑑賞。
それも有料で。
いい作品は見放題でなく、しっかりとお金を払わないとね。
偉そうに言うほどでもないが(笑)。

本作の主役は濱田岳というより水川あさみ。
この作品でキネマ旬報主演女優賞を獲得。
雑誌のインタビュー記事ではとてもチャーミングに写っているが、
映画の中の彼女はすさまじい。

「ミッドナイトスワン」のダメな母親役も良かったが、やはり本作はそれを上回る。
旦那役である濱田岳を罵倒し続ける姿は恐ろしくもあるが、可愛らしさもあり憎めない。
すっかり色気を失ったオバさんの香りもするが、
時折見せる愛くるしい表情にはドキッとさせられる。
これが映画の大きな魅力ともいえよう。

それにしても売れない脚本家、濱田岳のダメっぷりにはほとほと呆れるが、どうも憎めない。
娘に対してのモノで釣るとか、噓を言わせるとか、父親としての行動も最低。
見ていて腹も立つ。
しかし、なぜかほのぼのしてしまうし、許してしまう。

それはなぜか。
娘役の新津ちさの演技によるところが多い。
本当にこの夫婦の子供のような無邪気で自然体な演技。
演技ではなくそのまんまじゃなかと思わせる。
天才子役じゃないか。

彼女の母親、父親に対して気を遣う表情。
子供らしいワガママな態度。
そして親への感情。
いやいや、素晴らしい。

軽蔑なまなざしを送る母親、スケベさと情けなさを交互に見せる父親、そして娘。
この3人がロケハンがてらの旅行で家族の崩壊と絆をシンクロさせていく。
状況次第では暗くなりがちな物語だが、本作はタイトル通り喜劇。
ゲラゲラではないが、ほんわか笑ってしまう。

この作品は足立紳監督の自伝小説の映画化だが、よほどだらしない人だっだわけね。
成功したから自伝も作品となる。
やはり男はいい女性に恵まれないと一人前になれない。

水川あさみは屁の一発さえも男を幸せにする。
僕も缶チューハイをストローで飲んでも許すだろう。
いい女性の普段の行いが男を創る。

楽しめる一本でした。

ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる

たまたまNewsPicksのホリエモンの番組を観ていたら対談されていたのが東浩紀氏。
哲学の分野では有名な方だが、
僕は名前を聞いた程度でどんな活躍をされているのか知らなかった。

この番組でも本書を宣伝しながら、ホリエモンに対してズバズバと直球を投げられていた。
どうやらホリエモンとの相性はいいみたい。
たまには哲学書でも読んでみようと何も考えずポチっと購入。

現在の資本主義やネット社会の未来について思想を述べられているかと思ったが、全然違った。
「ゲンロン戦記」とは東氏が2010年に創業した株式会社ゲンロンのこれまで。
経営者としての苦悩を描いたビジネス書。

予測していた内容と180度異なったが、いい意味で裏切られた。
面白おかしく悪戦苦闘の物語を読ませてもらった。

世の中には立派な評論家、エコノミスト、コンサルタント、哲学者はごまんと存在する。
僕もそんな方と話をすれば自らの経営をケチョンケチョンに非難されるだろう。
それはある意味、仕事としての役割を追及されるので当然。
やむを得ない。

では、そんな方が自分で企業経営をされたら絶対上手くいくのか。
それは分からない。
経営者として実績を残しその立場になられたのであれば説得力もある。
しかし、そうではないとすれば・・・。

東氏はそうではない事実を自らの言葉で、またその間違いを辛辣に語っている。
それはとても潔い。
言い訳することなく経営の難しさを自らを客観的な視点に立たせているのだ。
確かにここで書かれていることは経営者の資質を欠く面も多い。
(失礼な発言をすいません、コンサルでもないのに・・・)

自らの思いだけではマネジメントはできないという証明。
どんな大きな会社であれ、どんな有能な経営者であれ、働く社員がいて成立する。
誰でも分かることだが、どこかで見誤る。

それを東氏は哲学チックに語っている。

「やっていけそうだ」と思うことと、現実に実現することは全く違う。
やるべきことを発見するというのは、ほかの選択肢を積極的に切り捨てることでもある。

言葉と現実はつねにズレている。

「ほどほどに傷つけあうことができる」コミュニケーションの環境が切磋琢磨には絶対必要。

ゲンロンを強くするためには「ぼくみたいなやつ」を集めなければならないと考えていた。
その欲望自体が最大の弱点だったのです。

等々。
印象に残った箇所をピックアップしてみたが、やはり表現力も重要。

企業の成功物語も学びだが、こうした記録も知っておくのも損はない。
まだまだ知らない世界ばかり。
もっと知を高めないとね。

映画「BLUE ブルー」

ボクシングが人気が高いスポーツかといえば必ずしもそうではない。
他に人気の高いスポーツは多い。
しかし、なぜかボクシングを題材とした映画は多い。

代表作「あしたのジョー」は除くが、
(山Pじゃなくてね)
日本映画でも「どついたるねん」「ウェルター」「キッズリターン」「百円の恋」あゝ、荒野」、
最近でいえば「アンダードック」と優秀作が並ぶ。
「アンダードック」はまだ観ていないけど・・・。
どれも暗くてちょっと重い。

「ロッキー」のようなアメリカンドリームを描くサクセスストーリーは皆無。
それはハングリーさを追求するボクシングを象徴しているし、
プロでも食べていけない世界では耐える生活もクローズアップされる。

僕はそれが嫌いではない。
ボクシングは話題の世界戦くらいしか見ないが、映画はなぜか惹かれる。
主人公はほとんどやつれているが、それが人間らしくて惹かれるのかもしれない。

本作もそう。
必ずしもハッピーな世界ではなく、ひねくれた面も多い。
その方がリアル・・・。

松山ケンイチ演じる瓜田は全然勝てないボクサー。
誰よりも練習熱心で分析力もあり、ボクシング愛もある。
しかし、弱い。
生意気な若手の後輩に罵られても飄々とした態度で接する。
自然体にも思えるし、思い切り感情を押し殺しているとも受け取れる。
それは相手に対しての態度というより、努力が報われない自分自身に向く。

ボクシングに限らず、他のスポーツでも仕事でも勉強でも同じではないか。
努力を積み重ねても一つの才能には木っ端微塵。
池江璃花子は「努力は裏切らない」と言ったが、
残念ながら裏切る努力もある。
とても儚い。
だが、とても愛おしい。

松山ケンイチに自分をダブらせる人は多いんじゃないのかな。
僕もどちらかといえば松山ケンイチ同様、青コーナーに属する。
このあたりが映画のタイトルになっているわけね。

好きになるもならないもふとしたキッカケから。
それはキャリアの世界も同じ。
忘れてしまうようなキッカケであっても本人にとってはかけがえのない存在になる。

辞めようと思っても、捨てようと思ってもできない。
何がそうさせるのだろう。
ラストシーンから人間の愚かさとひたむきさに喜びを感じた。

前に進むことも止めてはいけない。
これも大切な道なんだ。

ボクシング映画は面白い。
早く「アンダードッグ」も観たい。

映画「騙し絵の牙」

本作か「ゾッキ」か迷ったが、こちらを選んでしまった。
愛知県民なのに裏切者。
蒲郡のみなさん、申し訳ありません。
大きな理由はなく直感でしかありません・・・。

人を騙して騙されてどんでん返しの繰り返しの映画かと思ったが僕は別の捉え方。
正しい表現かは置いておいて、池井戸作品の出版業界編。
そんな印象の作品。

池井戸作品は主に金融業界を舞台に人をぶった切っていくが、本作は出版業界でそれを描く。
あくまでもビジネス視点は外さない。
映画評論仲間のヤブさんが「ビジネススクール頭」で本作を語っていたが、なるほど、頷ける。
僕もビジネスの立ち位置で自然と観てしまった。

業界の再編、リストラ、マーケットの縮小、大いなる遺産の功罪、伝統の死守と大胆な改革・・・。
企業の発展と生き残りを賭けて戦う姿はビジネスそのもの。
一般的にはエンターテインメント作品だが社会派ドラマといっても大袈裟ではないだろう。

最終的に勝負の分かれ道もビジネスにおける先読みの力。
商品の差別化には大胆な戦略は必要。
それを教えてくれた作品でもあった。

では、本作が硬派で重い作品か?
いやいや誰もが楽しめる娯楽作。

俳優陣も裏切らない。
やっぱりの大泉洋、やっぱりの佐藤浩市、やっぱりの佐野史郎、
やっぱりのリリーフランキー、やっぱりの斎藤工、やっぱりの小林聡美。
見事にマッチしている。

最近、バラエティ色が濃くなった木村佳乃もいい雰囲気だし、
個人的には一押しの松岡茉優もさすが。
役者の特徴をうまく捉え、それが功を奏す出来になっている。

池井戸作品なら最後は大泉洋が佐藤浩市をコテンパンにするんだろうがそうはならない。
いや違うな、松岡茉優が大泉洋をコテンパンにするのか。
そうもならないが、見どころは多い。

アイデアは簡単には生まれない。
基本はパクリに何かを加えることで新たなアイデアに繋がる。
そこに真摯な行動や傾ける情熱が重なる。
きっと観た人は理解してくれるだろう。

当初の想像とは違ったが、楽しめた一本だった。