これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「会社を想う 仕事を思う」の記事一覧:

長く続く企業とは・・・

今週は時間的余裕もできたことから2つのセミナーに参加した。
一つは株式会社マルワさん主催の
「創業130年!5代目継承社長が語る『長く続く経営継続、会社存続の極意とは?』」
もう一つがトーマツイノベーションさんの
「100年続く企業を目指して、中小企業のための長続きする会社の理念と戦略」

二つともタイトルが長い(笑)。
お気づきの方もあるいかもしれないが、先週、うちの会社が主催したセミナーにテーマが近い。
いや、ほとんど同じといってもいいかもしれない。
違うとすればファミリービジネスに限定しているかどうかくらい。
名大社の場合、それを前面に押し出していることが特徴にもなるわけだ。
今回の二つのセミナーはファミリー(創業家)やオーナー(株主)に関しては
ほとんど触れられないまま終了した。あまり関心ないのかな(笑)。

同じようなテーマでも主催者の考え方で打ち出すメッセージは大きく変わる。
どっちが正しいと言えることではない。
ただこの二つのセミナーは細かな内容は違えども、共通するテーマは同じ。
会社の理念(考え)と戦略がテーマの中心だった。
簡単に言ってしまえば、会社の文化や伝統、理念は変えるべきではない。
(厳密にいえば維持かな・・・)
顧客や商品、サービスは時代によって変えていくべき。
変えないものと変えるものをキチンと両立させることが企業を存続する上で大切になる。

愛知県唯一のファミリービジネスアドバイザーとしてはガッテン承知の話だが(笑)、
いろんなケースもあり、表現するテクニックも異なるため、学べる場は学ばなければならない。
当然のことだが、100年前と同じことをやっていたら会社なんて存続するわけがない。
これは誰にも理解できること。

では、5年、10年はどうだろうか。
10年はともかく5年の間にはほとんどサービスが変わらないことも多い。
名大社の場合もそう。少しずつ変化はしているが大きくは変わっていない。
この少しずつの変化が20年経過すると全く違うものになっていることは考えられるが、
それは意識しないとできない。
常に変化を意識する必要があるわけだ。

老舗の虎屋さんにしても両口屋是清さんにしても同じ和菓子でも発売当初とは全然違うはずだ。
(あくまでも推測ですが・・・)。
顧客の視点に常に合わせているはず。
そうでなければ何百年も続くはずもないない。

僕がファミリービジネスアドバイザーとして相談に乗る場合も同じことを言うだろうし・・・。
基本は一緒。

そこを確認することができただけでもセミナーに参加したことは価値があるのかもしれない。
自社の繁栄のためにも、または顧客のサポートのためにも学ぶことはまだまだ多い。
やるべきことをやっていくしかないですね。

今週の仕事は今日で終わり。
さて、どうしていくかな・・・。

経営者の責任

普段、平日はほとんどテレビを観ない。
家にいないのが大きな理由だが(笑)、これを観たいという欲求がないのも事実。
そんな中、一昨日、放送された「ガイアの夜明け」は興味をそそられ観ることにした。

gaia1571

「プロ経営者は会社を変えるか?」というタイトルで、
玩具メーカー”タカラトミー”と地方の中小企業”天竜精機”を取り上げていた。
共に後継者問題に悩む企業が外部から人材を招へいし経営を任せるというもの。
各々環境や立場は異なるが、プロ経営者として手腕を発揮していくストーリー。

なんとなく欧米のドラスティックな経営手法を取り入れるイメージもあるがそんなことはなく、
日本従来の従業員や組織を大切にし会社を前進させていく。
当初、疑心暗示に感じる面もあったが、
社内でのコミュニケーションの場を見ていくうちに納得感の強いものへと変わっていった。

同族企業であれば創業家の後継者、
非同族企業であれば生え抜きの社員が経営を任されるのが理想だと思う。
それが会社の理念や文化を継続する大切な要素。
しかし、それはあくまでも理想。理想と現実は異なる。

現実的には外部からプロ経営者を招くことも必要だし、
今後はその数は間違いなく増えていくだろう。
僕個人としては、社内で育成していく考えは変わらない。
僕のレベルの問題もあるが、後継者を育てられるかが大きな仕事になる。
できてもできなくても経営者の責任であるのは間違いない。
仮に外部のプロに経営を任せるような場合、
オーナー、トップとして一抹の寂しさもあるだろうがその現実を受け止めねばならない。
と思うと社内体制を整え、育成を強化しなきゃいけない。

社内でプロパー社員を育成することは重要だが、それはいいことばかりではない。
内向きの組織になってしまうととんでもない方向にいってしまう。
毎日のように新聞を賑やかす東芝の不正問題。
完全に内向きで自己保身にしか走っていないように感じる。
利益を上げることを追求したと言えばカッコいいが、それは自分をよく見せたいだけ。
自分が経営を任される2期4年かどうかは知らないが、そこしか見えてないように写る。
会社の評価よりも自分の評価しか気にしていないように思われる。

利益を上げられないのも経営者の責任。
そこを素直に認められないのは、そもそもヒューマンスキルに欠けるのではないか。
東芝のような超大手企業で、優秀な人材の集まりなはずなのにこんなことになってしまうとは・・・。
エリートだからプライドが高すぎるのか。
だったら、エリートである必要はないな。
プライドはもっと別の場所にあるはずだし・・・。
と思ってしまう。

経営者の責任って、なんだ?
責任を取って辞任することは最終手段だが、そんなことだけではないはず。

常に経営者の責任を考えながら、日々過ごさねばならない。
番組やニュースを見ながら、ふとそんなことを考えてしまった。

京都の熱い一日

10日(金)は第8期ふるさと就職応援ネットワーク(Fネット)定期総会が京都で開催された。
気がつけばFネットも第8期。うちは第4期目からの加盟になるのでこれでようやく5年となる。
今や加盟会社は20社まで増え、全国から就職情報を提供する同業が集まり情報交換を行う。

入会当初は僕も緊張感たっぷりでおとなしくしていたと思うが(?)、
最近はすっかり馴染んでしまい好き勝手なことを言っているような気がする。
もし、ご迷惑をおかけしているようであれば、この場で謝っておこう。
スイマセン(笑)。

僕は2か月に1度開催される例会を楽しみにしている。
一つは各社の取り組みを聞くことで、自社へのサービスの参考とさせてもらえること。
ここからコラボの企画も生まれている。
もう一つは世代の近い経営者が集まり、お互いに腹を割り本音で会話をする。
硬い話も柔らかい話もである。
この関係性がたまらなく好きだ。大切な仲間である。

年に数回は地方に出向き、その土地を楽しみながら例会を開催。
今回は京都のOVOさんになったわけだ。
7月は年度代わりで平成26年度の総会も行われたため、
ほんのわずかな時間だが議事に則った固い話からスタート。
これも大切な内容だが、今回の議題の中心は共同事業について。

fnet1572

いよいよ来年1月にそれが実現する。
2016年1月に「ふるさとキャリアミーティング」というUターン学生向けの合同説明会を
Fネット主催で開催する。
今回はその運用ルールや販売体制を確認するとともに全体の方向性をまとめ上げた。
各加盟会社の意気込みが十分伝わってきた。
いずれこのブログでも詳しく紹介することにはなるが楽しみな企画である。
瞬間的にライバル関係になるが、お互いに競い合いいいイベントにしたい。

例会は夕方まで。
全国から各地域の美味しいお土産も持参されるので、テーブルはこの通り。

fnet1575

今回、僕はバタバタしていてすっかり忘れてしまった。
例会終了後は懇親会。これも大きな楽しみ。

今回は豚しゃぶ。食べきれないくらいボリュームがあった。

fnet1574

だんだんみんなのペースも上がってくる。
漫才をやっているわけではありません(笑)。

fnet1573

この日は祇園祭前日ということもあり大半のメンバーは宿泊。
僕は金曜・土曜とイベントであったため、最終の新幹線で帰る予定であった。

2次会は高瀬川沿いにある町家「京都鴨川倶楽部」。

fnet1578

fnet1577

居心地がよく、いい気持ちで飲んでいるうちにすっかり時間が・・・。

fnet1571

この後のことは多くは語れない。
素晴らしい京都の夜を堪能した。
熱くて暑い一日。
素敵な仲間と素敵な場所で素敵な時間を過ごす。

これを自社のサービスに活かすことが重要だが、こんな時間を共有できるのも感謝すべきこと。
次回の地方大会は福岡だろうか・・・。
まずは来年のイベントの成功に向け、名大社としても精力的に動いていきたい。

広告戦争

僕が名大社に入社して初めて受注した仕事はTVCM。
今から26年前に岐阜のゴルフ場から頂いたTVCMの仕事が社会人としてのデビュー。
何を言いたいのか。
ご存知のない方もあると思うので言い訳がましく言っておくが、名大社は一応、広告代理店。
一応という表現がその積極性のなさを表しているが、現在もわずかだがその仕事をしている。

既存のクライアントの継続的な仕事がほとんどのため、
新規の取り組みはしていないが、今もその役割もしっかりと担っている。
ただポジション的にいえば広告代理店というよりはクライアントの立場が強い。
広告展開の予算も僕が管理している。
その時々の状況を読みながら、媒体を選択し予算を割り振っている。

今回の週刊ダイヤモンドの特集は「広告戦争」。

koukoku1572

どちらかと言えばクライアント側としてこの特集を読ませてもらった。
これまでの広告の常識が通用しないのも事実。

名大社が提供する中途向けの「転職フェア」と新卒向け「企業展」。
同じ合同説明会であるが、その広告手法は全く異なる。
今でも「”企業展なら名大社”ってCM、よく見ますよ。」とたまに言われたりするが、
そんなCMはもう何年もやっていない。
人の印象は怖い。そのイメージがずっとついてるんですね(笑)。

転職フェアのCMは今週もかなりの量を流しているが、現在、学生向けはゼロ。
理由は明快。学生にTVCMが響かないからだ。
提供するコンテンツはさておき、以前に比べTVCMの広告効果は低いと言わざるを得ない。

今回の特集を読んでも、10~20代はテレビよりネットの接触時間の方が多い。
うちの高校生の娘もほとんどテレビは見ない。
学生に対してどうリーチするかは常に悩ましい問題なのだ。
我々同業者に限らず、10~20代をターゲットとしたクライアントは
効果的な広告メディアを探し続けることになるだろう。

そして、辿り着くのがネット。
そのネットも多種多様で、ほとんどテクノロジーの世界なので、
僕が1回読んだくらいでは理解できない(笑)。
真剣に向き合わないといけないけど・・・。
デジタル広告用語も覚えなきゃいけないし・・・。

koukoku1571

特集の中のヤフー友澤氏とグーグル小林氏のコメントは参考になった。
そうか、「テレビ7対デジタル3」が黄金比率なんだ。なるほどね。

名大社は小さい会社だが、事業を軌道に乗せるには一定の知名度、認知度が必要。
広告もターゲットを絞り込んでそこだけに集中させればいいわけではない。
広く認識してもらい、親しみを持ってもらうことも大切。
カッコよすぎてもダメなんだ(笑)。

これからの広告展開をどうしていくのか。
デジタル空間で大きな争いが起きる中、僕らもそれに向き合っていかねばならない。

まだまだ学ぶことは多い。

金曜の午後から昨日いっぱいまで東京出張。
facebookでこんな写真とか、

fbaa1562

こんな写真をアップしていると
(アップしたのは僕ではないですよ・・・笑)、

fbaa1571

遊んでいるだけのように思われるかもしれない。
ランニングシューズを持参したにも関わらず、
ずっと雨で走る機会を失くしたことを振り返ると目的も見えずらくなる。
できれば皇居を走りたかったけど(笑)。

目的は明確である。ファミリービジネス(同族経営)の学びだ。

金曜日はファミリーセラピーの第一人者富士見ユキオ氏と岸原千雅子氏によるセミナー。
詳細をここで書こうと思ってもそれは難しい。
僕の文章力と理解力では分かりやすく説明することができない。
人の深層心理に入り込んでいく分野でもあり、安易な表現もできない。

分かりやすい例でいえば、大塚家具の親子問題。
ここには2人の生い立ちの違いや互いに持つコンプレックスや葛藤が微妙に絡み合っている。
単に親子の醜いケンカとか戦略の違いだけでは解決できない
ファミリービジネス特有の問題が隠されている。
ちょっと苦手な分野ではあるが標準的な知識だけはつけておかねばならない。

土曜日はAFBAフェロー会。
ファミリービジネスアドバイサーの資格者保持者が集まり、各々の取り組みを発表し共有する。
これもかなり勉強になる。
経営コンサルの立場からひとつの企業に深く入り込み、計画面、戦略面、
財務面から現状の同族経営の問題に関わっていく。
その企業との関わり方も論理的な観点もあれば、感情的な観点もあれば、その立場によって異なる。
自分の役割を徹することでクライアントの問題を解決する目的な同じなのだが、
手法や考え方はさまざま。

実際のファミリービジネスオーナーによる発表も参考になる点は多い。
僕のような非ファミリーの経営者では絶対に遭遇しないような問題を抱えている。
これも知っておくべき要素。
と同時に自分の立場としての意見やアイデアも持ち合わせねばならない。
僕は7月17日に実施するセミナーを中心に、今後の取り組みについて発表させてもらった。
(こちらはあと少しだけ受け付けています。よろしく!とちょっと宣伝)。

夜はどうしても上の方にある写真のような状態になってしまうのだが、
こんなネットワークを築けるのもありがたい。
(ちなみに最初の写真はただの愚か者です・・・笑)

そして、昨日の日曜日は第3回FBアドバイザー認定講座の最終日に参加させてもらった。
いやいや、かなり抜けてますね・・・。復習しないといけませんね(苦笑)。
夜は3期の方と一緒に懇親会(打ち上げ?)。
昨日まで学んだ方と情報交換をさせてもらった。
優秀な方が多い。
僕なんかがメンターなんてできるのだろうか・・・。

こうして週末の3日間は終了。
ちょっと疲れも残ってはいるが、今日は早朝幹部会議からスタート。
気合を入れていかないといけない。
疲れの原因はお酒だと思うのだけれど。
なんと先週から今週は9連投となるし・・・。

カラダは大丈夫かな。
昼間寝てても、怒らないでくださいね(笑)。

社長になってからのこと 4

ただこのタイミングで社内の制度を大幅に変えた。
子会社であった株式会社名大社火曜日を清算し、名大社に吸収。
委託契約の社員さんが活動する会社であったが、その体制を見直した。
正直なところ、ここはお互いの考え方が合わず、うまく機能させることができなかった。

名大社本体は部署名も一新、組織も新しくした。
社内インフラも見直し、携帯電話の支給(これは遅すぎ・・・笑)、Gメールの活用、
日報のWeb管理とデジタルの活用を推進した。
HPもリニューアルし、「人と企業が出会う場所。」という
自分たちが大切にしていることを前面に押し出した。
そして、対外的にもその役割を公開した6月から「第三創業期」と位置づけた。

一人ひとりの主体性を重視する政策に変え、ボトムアップ型組織に切り替えた。
倫理観を大事にし、自分が理想とする組織つくりを行った。
いくつかのプロジェクトチームを作り、若手にその業務を任せていった。
会社の雰囲気は大幅に変化していった。
毎月開催されるマーケティング講座で学ぶと共に
積極的に自分のアイデアや意見を発言する場を作っていった。
感覚的でしかないが何でも言い合える雰囲気が醸成されていったのだろう。

営業面でいえば、新たな企画として障がい者採用向けのイベントを立ち上げた。
これまで行政と仕事を組むことはなかったが、
初めて名古屋市、名古屋商工会議所と企画を立てイベントも実施した。
また、業界に先駆けインターネット就職サイトの基本掲載を無料とした。
「新卒ナビFREE」として他社サイトと差別化し、
新卒採用に予算をかけることが難しい中小企業を中心に新たなサポート体制を作っていった。
人材紹介業の準備もスタートさせた。

まだまだ厳しい状態は続いていたが、可能性を感じる毎日であった。
11月の転職フェアでは前年同月比の200%の数字を達成することができ、
営業面でも自信を取り戻すことができた。
これは本当に一人ひとりのメンバーの頑張りのおかげ。

夏の賞与はゼロ。
秋にようやくワークシェアリングは終了したが、納得できる待遇ではなかった。
前年にはなかった冬の賞与は支給したが満足できる金額は程遠い。
それでも誰も文句ひとつ言わず、懸命に目の前の仕事に取り組んでくれた。
この一年、社員は一人も辞めることはなかった。
「全員参加」という言葉を事あるごとに使っていたが、
それが表面的ではなく日々の業務が証明していた。

それが名大社の強さ。
今こうして順調に会社が成長しているのも、全員が高い意識で仕事を続けてきた証。
一人でも欠けていたら、今とは違う状態になっていたのかもしれない。

一人ひとりの力は小さい。
抜群に能力の高いメンバーがいるわけではない。
しかし、この一体感が生み出すとてつもないパワーが会社を動かす原動力になっている。
その存在が僕には誇らしい。
そんな風にして一年が過ぎていった。
未熟な社長を支えるメンバーが会社を支えていった。

これが会社の代表になって過ごした一年。
書き足りない点はいくつかあるとは思うが、大切なことは披露させてもらった。
こんなことをオープンにすることが正しいかどうかはわからない。
人によっては恥を晒すなと非難されるかもしれない。
しかし、そこも含め、これが僕たちの会社。
いいじゃないか。その姿勢で・・・。

最初の一年の話はこれで終了。
最後の方はちょっとカッコつけすぎかもしれない。
二年目以降のことはいつ書くかは未定だが、時間を見ながら書き起こしていきたい。
もう興味を持ってもらえないかもしれないけど・・・(笑)。

社長になってからのこと 3

自分で道を広げるしかなかったのは、逆にありがたかったのかもしれない。
年明けからいろんな人に会いに行った。
今、懇意にしている当時就職エージェント社長で現キーカンパニー社長の下薗氏や
ディスコ取締役の坂戸氏もこの時に何年振りかで再会した。

それがご縁でふるさと就職応援ネットワークにも加盟し、
各地域の就職情報会社の社長とも親しくなった。
今でこそ、愚か者名誉本部長なんて絡んでいるパフ釘崎社長もこの時に初めて出会った。
当時は口を聞いてもらうのも失礼にあたるくらい雲の上の存在だった。
同世代の地域の就職情報会社の社長は大いに刺激を与えてくれた。

そして、以前ビジネススクールに通っていた時のマーケティングのP講師にも救いを求めた。
僕が尊敬する大好きな講師で、数多くのことを学んだこともあり、
会社に新しい知識や考えを吹き込みたい想いでダメもとで協力を依頼した。
涙が出るくらい嬉しい言葉をかけてくれた。

出会ったすべての方が温かく僕を迎えてくれた。
(そうでもないかもしれないがそう感じている・・・笑)
先の見えない新米経営者に温かい声を掛けてくれた。
力になってくれた。素直に嬉しかった。
こうした人との出会いが僕に更なる勇気をもたらせてくれたのだろう。
今でもこのスタート時の出会いが僕の財産にもなっている。

だからといって業務が全て順調に進むわけではない。
年度末には新聞社による代理店解除の申し入れもあり、試練に耐える時だった。
結果的には事なきを得たが、多くの対策を求められた。

新オフィスに移転したタイミングで新卒ナビのサーバー環境を変えた。
万全のはずだった。
しかし、サーバーが支障をきたし、新卒ナビがストップした。
クライアントにとっては採用活動における重要な時期。
そんな時期に大迷惑を掛けてしまった。

1~2日程度の障害だが致命的だった。
新年度の最初の仕事はクライアントに謝罪に出向くことだった。
理解を示してくれたクライアントもあったが、そこで少なからず信頼を失ったのも事実。

辛い4月のスタートだった。
お詫びに伺うことが僕の大きな仕事だった。

(続く・・・)

社長になってからのこと 2

期待だけ持たせて何も書かなかった1回目(笑)。
過去を振り返り、それを文章化するのは面倒な作業。
それも低迷が続いていた1年目の事を書くのは結構恥ずかしい。

会社の財務体質は大幅に改善したとはいえ、
一年目の決算は赤字だったので、褒められるようなことは何もない。
それでもここに証を残しておこうと思う。

2009年12月21日に社長に就任した。
しかし、いきなり任され準備期間は全くなかった。
対外的には公開せず社内の人事として発表され、全責任が僕の下に降りてきた。
それはいい。全ては覚悟の上。
自分が責任を取ると決めた以上、後悔はなく前に進むことしか考えていなかった。
いきなり実印、代表者印、銀行印の管理から全ての契約書の管理まで僕の手元にきた。
会社のお金がどこにどれだけ預けてあり、
新聞社への保証金はいくらでどんな扱いなのかも全くといっていいほど知らなかった。

経理面、財務面に関しては無知だった。
初めて見せられる資料に「ほ~」とか「はあ~」とかうなずくことしかできなかった。
今思えば、あんな知識のない者がよく社長を引き受けたと感心する。
無知は時に強い。勢いをつけるものだ。

そんなことより営業面、組織面の方が僕にとっては不安材料であった。
どん底の業績をどう復活させるか、赤字垂れ流しの状態をどう食い止めるかが大きなテーマだった。
だが次長以上が月半分休みのワークシェアリングはいかにも不憫だった。
月半分休みということは、交代交代で休むようなものなので、
同じ会社でも顔を合わすことがほとんどない状態をさす。
それはさすがにまずかった。意志の疎通が全く計れない。
古い付き合いでも統率は取りにくい。

そのため、年明けからは次長以上は7割の出勤として、助成金制度も申請をした。
同時に進めなければならないのは最大の固定費だった家賃の圧縮。
ビルを移転することで家賃負担が1/3の計算。
当時はリーマンショックの影響で名古屋の地価も下落。
現在、オフィスを構える丸の内周辺は家賃の交渉がしやすかった。

まだ建築中だった現在のビルとの交渉がうまく進み3月下旬に移転をすることが決まった。
新築ビルがオープンすると共に移転できるのは新しい門出としてはうってつけ。
メンバーのモチベーションも上げることができた。

その一方でビル移転に絡む原状回復が思った以上に費用がかさんだ。
長年過ごし改装しまくった中日ビルの原状回復費用は半端ない。
指定業者しか使用を許されず、交渉は難航。
かなり粘り、当初の金額よりも下がったもののその出費は大きかった。
だが、それ以上に新しいオフィスへの期待は大きく、僕も何度も視察にお邪魔した。

そして肝心な営業面。
僕自身、大した戦略を持っていなかったし、何から手を付けていいのか正直分からなかった。
とにかく多くの人に会い、多くの情報を集め、今後、会社にとって有益な方法を探るしかなかった。
それまでの名大社はいい面も悪い面も閉鎖的な会社だった。
新聞社、TV局とは友好的な関係を築いていたが(そうでもないか・・・苦笑)、
クライアント以外の企業とは付き合いが皆無だった。

独自路線を走っていたと言えばそれまでだが、同業他社との付き合いは途絶えていた。
それがより会社のベールを包む状態であり、
「山田なんて聞いたこともないわけ分からんヤツが責任者」程度に思われていたと思う。
(今もあまり変わらないか・・・笑)

前社長から引き継いだパイプはない。
自分で道を広げるしかなかった。

(続く・・・)

社長になってからのこと 1

今日は名大社の株主総会。

kabu1551

毎年5月の最終火曜日に開催している。
とんでもない株主が乗り込んできて「誇りで業績が上がりますか?」と
株主提案がない限り、平穏に終えれるだろうと予測する。
(いきなりはあり得ないんだけど、大丈夫かな・・・笑)
今のところ、後ろ指を指されることはないはず。

この株主総会が何かと節目にあたるので、昨年の同時期にこのようなブログを書いた。

社長になるまでのこと 1
社長になるまでのこと 2
社長になるまでのこと 3
社長になるまでのこと 4

僕が社長に就任するまでの1年間の行動を書いたのだが、予想以上の反響を頂いた。
会社の恥部を晒すような内容だったが、
なかなか見ることのできないレアなケースのため、驚嘆の声が多かった。
社長になる1年前まで飛び込み営業していたわけだから、不思議ではないか・・・

ただ、僕にとっては嬉しく励まされ、自信になるコメントがほとんどだった。
「本を出版したら」なんていう有難いコメントももらった。

中には「社長になってからの事を書きなさい!」という声もあった。
この5年間、世の中が驚くような取り組みなんて何もしていないので、
書くべきではないと思っていた。

しかし、何もないと言っても日々変化はしており、会社も大きく変わった。
社名も変わらず、提供しているサービスも基本は同じ。
だが、社風や組織を含め、以前とは全く違った会社になったのは事実。
それが正しいかどうかは僕には判断できない。

ただ、これも会社の歴史としてその足跡も残しておくべきだとも最近は考えるようになった。
僕が引退してからも会社が継続していくようであれば(それが当たり前)、
僕が取り組んできたことも残しておく必要はある。
それは成功したことも失敗したことも含め、会社の歴史として刻みこんでおかねばならない。
となると「社長になってからの事を書きなさい!」というのは天使のささやき。
僕自身の拙い経験を文字として残さなければならない。

別にブログに書く必要はないかもしれないが(笑)、分かる場所に記録、保存しておくことも大事。
まずは社長に就任してから1年の行動を書いていきたい。

というものの今日はここまで。

お叱りの声が上がるかもしれないが、ちゃんと確認しないと不明な点もあるので・・・。
タイトルはインチキかもしれませんね(笑)。

この週末あたりに、しっかりと書きます。
つまらないとは思いますが、ご期待ください(笑)。

ただの愚か者ではないぞ!

今日で49歳。
東京のホテルで一人寂しく朝を迎えることとなった。
この歳になると特に何かが変わるわけではない。
しかし、40代もあと1年かと思うと急に自分の中で危機感が芽生えたりする。
果たして相応しい年齢を積み重ねているのか、その行動は正しいのか。
朝になると昨晩の愚かな行動を思い出したり・・・(笑)。

出張した初日も

orok15053

2日目も

oroka15055

3日目も・・・。

oroka15051

飲むために出張しに来てるのかと誤解されてもおかしくはない。
否定はしないが、それがメインではない。

皇居を走るために上京してきているわけでもない。

oroka15052

既に言い訳モードに入りつつあるが、今週の4日間は「学び」に来ているのである。

あくまでもメインはこれ。
日本の人事部主催の「HRカンファレンス」。

oroka15054

インプットもアウトプットも重要。
今後の事業を考えていくとインプットに集中し、これから自分たちに何ができるのか、
僕の経営者としてのやり方に間違いはないのか等、多くの方の話を伺いながら考える必要はある。
そんな意味では充実した4日間であり、東京には多くの情報が集中していることを改めて実感した。

詳細はここでは語れないが、今後の新卒採用のあり方、若手人材を育成するために重要な要素、
経営と人事の関わり、変革の時代に求められるリーダーシップなど。
そんな話を吸収し、今、僕が置かれている状況の中で正しいことと
変えていかなければならないことを学んだのだ。

昨日のLIXILグループ副社長八木洋介氏やカルビー代表取締役会長の松本晃氏のセッションは
特に大きな学びだった。

「正しいことを正しくやる。そうすれば勝てる」。
単純に言ってしまえばそんな事にはなるのだが、それを直接伺えたことの説得力と納得感は大きい。
これからの自分に落とし込んで活かさなければならない。
聞いているだけでは意味がないのだから・・・。

とりとめのない話になってしまいそうだが、
今日、僕の言いたいのは「ただの愚か者ではないぞ!」ということ。
毎日、愚かな行動を取っているのも事実ではあるが(笑)、ただの愚か者ではない。
前向きであり、現在と未来を考える愚か者、
正しいことを正しく実践する愚か者でなければならない。

残された40代、最後の一年、真の愚か者として悔いのないような行動をとっていきたい。

訳の分からないブログになってしまった・・・。
この一年もご支援のほど、よろしくお願いします。