つい最近、リバイバル上映で鑑賞。
(といっても1ヶ月前)
「午前十時の映画祭」で伊丹作品が特集されていた。
普段であれば素通りしそうだが、
「キネマ旬報95回全史 パート6」で伊丹十三監督にも触れた。

これも何かのご縁。
そう思い、ミッドランドスクエアシネマにわざわざ観に行った。
というのも伊丹作品はアマゾンプライムビデオやNetflixでは観ることができない。
有料版でも観れないため、この上映は数少ない貴重な機会。

僕が最初に観たのは多分、大学生の頃。
どこで観たのかさえはっきりと覚えていない。
封切り時は受験生。
観る余裕はなかったと思う。

多分、伊丹特集か何かでその時もリバイバル上映じゃないかな。
もう30年以上前のこと。
オープニングシーンもエンディングシーンも忘れていた。

ある強烈なシーンのみ頭の中に刻み込まれていた。
刺激的だった。
全体像は覚えているものの細かなシーンはほぼ記憶にないのが、正直なところ。

初めて観た時、宮本信子はただのオバサンにしか思わなかったが、
今見るとチャーミングな女性に見える。
これも僕が年齢を重ねた証拠。
山崎努もまだ40代。
今の僕よりも若いが、それもなぜか違和感に感じてしまう。

本作が各映画賞を総なめにして、伊丹監督はヒットメーカーになっていく。
当時ではリスキーなタイトルや独特のカメラワークは冒険的。
結果的にプラスの評価をされ、
その後、大きな影響を与えている。

しかし、万が一、失敗していれば、伊丹作品は一本で終わった可能性もある。
その場合、今も健在の可能性は高い。
世に発信する力は偶然性も強い。
その結果、人生も左右してしまう。
そんなどうでもいいことも考えてしまった。

お葬式が悲しい儀式ではなく、ぬくもりがあって幸せを共有する儀式
という価値観を与えてくれたのも本作。
なんとも言えない温かさと笑いが周りを包み込んでいった。

当たり前だが、本作はかつての名優が多く出演している。
今も活躍している役者の方が少ない。
笠智衆、菅井きん、大滝秀治、奥村公延等々。
津川雅彦や加藤善博はその後、伊丹監督の常連になっていった。
加藤善博は脇役でしかないが、独特の存在感を出していたのだろう。
とても懐かしい。

こんな作品を観ると当時の自分を思い出す。
これも映画が教えてくれる大切なこと。
これからも80年代の作品には触れていきたい。

偶然の機会に感謝!