前向きに行こう!名大社社長ブログ

2016年05月の記事一覧:

社長になるまでのこと <再掲2>

多分、うちの会社に詳しい業界の方は思っていたと思う。
トップ、ナンバー2のいない名大社は終わりだと・・・。
実際にそのような声は僕にも届いていた。
そんな時期での決断だった。

そこから社長とのやりとりが始まった。
100%の信頼をされていたわけではない。
「もしかしたら、こいつが会社を潰すかもしれない。
自分が作り上げてきた会社を他人が潰すくらいなら、解散した方がまし。」
もしくは
「私物化して会社をメチャクチャにするかもしれない。」
そんなふうに思われていた。

お互いに意見は交わすものの、多くの場合は持論をぶつけられ、
そこから前に進むのは難しかった。
社員もきっと不安だったはず。
ある時、右腕となる社員とサシ飲みをした。
会社の今後が話題の中心だったが、右腕は僕に聞いてきた。
「哲さんは本当に会社をやっていきますか?途中で辞めたりしませんか?」
当然ある疑問だろう。

僕はこれまでのこと、今回の決断のこと、多くの事を頭に巡らせながら答えた。
「大丈夫。辞めない。」
「なぜですか?」
「俺は今まで何かを途中で辞めたことがない。
学校も塾も部活もアルバイトも一度決めたことは辞めたことがない。
30歳から始めた日記も今やってるマラソンも辞めていない。
辞めた経験がないんだ。だから大丈夫だ。」
チープな論理だった。
それでも説得力は持っていたようだ。
右腕は「分かりました。納得しました。」と言って、後は何も聞かなかった。
それは右腕に言った言葉でもなく、自分自身に向けて言っている言葉だった。

そんな状況でも会社は動いている。
自らも営業し、数字が思うように上がらないものの、組織は鼓舞していかねばならない。
同時に経営計画書を作成していく。
今の赤字状態からどう脱却するか。
コストダウン、新商品の開発など黒字化するための道を探っていた。
苦しい時間であった。

最大のコストダウンはオフィスの移転。
創業以来、40年間、栄にある中日ビルにオフィスを構えていた。
徐々に拡張していったため、結構なスペースもあった。
そこから移転で大幅に固定費はカットできる。
しかし、40年間暮らしてきた場所を安々と離れることはトップの感情として許しがたいことでもあった。
ここの説得が難航したが、最後には理解してもらうことができた。

秋頃は、社長とそのようなやりとりを繰り返しながら、
会社存続に向け話し合いを続けていた。
ある時、急きょ呼び出され、二人で飲むことになった。
これまで一度もお邪魔をしたことのない洒落た小料理屋だった。

どんな話になるかは想像ができていた。
僕自身、覚悟もできていた。
どんなことがあろうと会社を守る。
自信も根拠もなかったが、その気持ちだけは強かった。

社長の懸念材料は多かったと思う。
一番大きな要素が会社は誰のものになるかという点。
「お前は会社を自分のものにするつもりはないか?私物化しようとしていないか?」
そこははっきりと答えた。
「ありません。もし、そんな様子を少しでも感じるようであれば、クビしてもらって構いません。」
自分でクビを切りだしたのは初めてだった。

これまで何度もダメ社員の烙印を押され、危うい立場を過ごしてきたが、
自らキッパリ言うのは初めてだった。
定かではないが、この言葉が社長の気持ちを変化させたのかもしれない。
そして、僕は11月に重要事項を決定した。
冬の賞与を一切支給しないことに決めたのだ。
前年も業績は悪かったが賞与がストップすることはなかった。
過去も一度もなかったはず。

それを僕が決めた。
ただでさえ給与が減り生活が苦しい状態でその決断は社員には本当に申し訳なかった。
心が離れる社員が増えるのも予想された。
全ての現場を任されていた僕は全員の前で詫びた。

誰ひとり非難する声は上がらなかった。
会社は酷い状況だったが、夏以降、誰も辞めなかった。
さすがに冬の賞与の件で退職者も出るだろうと覚悟したが、
その時も会社を去る者は誰もいなかった。
僕はそれが一番嬉しかった。

会社は何とかなると思えたのも、そんな仲間の存在だった。
賞与をゼロにしたことで社長は僕にすべてを任せようと決心したようだ。

12月上旬、急に社長宅に呼ばれた。
経営資料を携え最終的な詰めを行った。
そして、その時に僕が正式に会社を引き継ぐことが決まった。
驚くほど呆気なかった。

対外的には翌年の株主総会後だが、
実質は12月21日より全ての決裁権を自分が持つことがその場で決定した。
社長は体調を崩していたこともあり、自ら対応を早めに決断したのだろう。

さすがにその夜は眠れなかった。
布団の中にいても目が冴えるばかりだったので、
当時放映されていた「坂の上の雲」の録画を観た。
この世界に比べれば、まだまだ小さい事じゃないかと自分を納得させていた。
そんな気持ちで自分を維持しようとしていた。
寒さが堪えたのか、結局、風邪を引いてしまったことを記憶している。

とりとめなく書いてきたが、これが僕が社長になるまでの経験してきたこと。

帝王学を学んだわけでもなく、経営者の準備をしてきたわけでもない。
それでも会社は成り立つ。会社は毎日動いていく。
その年の大晦日の日記にも書いていたが、
この一年は僕の人生の中で最も変化の激しい、スピードの速い一年だった。
何年分かを一年で過ごしてしまったようだった。
トップを任される一年前に飛び込み営業をしている奴なんてあり得ない。

ここで会社以外のこと少し・・・。

社長を引き継ぐ事が決まった時、僕は実家と嫁さんの実家に挨拶に出向いた。
僕の実家は岐阜で農業も含め自営をしている。
僕は三人兄弟の長男。
父親はいずれ息子は戻ってくると期待していたと思う。

僕が実家に挨拶に出掛けたのは、その期待を完全に裏切ることを意味していた。
僕自身、そんな感じで思っていた。
僕は父親に、これから会社をやらなければならない。
家業はやれないとそんな様な話をした。

父親は「会社のことはよくわからんけど、あんばようやってちょ。」とだけ言った。
”あんばようやってちょ”と言うのは岐阜弁で、”しっかりやってくれ”という意味。
その言葉を聞いて僕は安堵とし父親の大きさに感謝した。

そして、嫁さんの実家にも挨拶に行った。
その一年前、義父を癌で亡くしていた。
僕は義母にこれまでの事を話した。

「これから会社を任されることになりました。
家庭の事は今以上にないがしろにするかもしれません。
もしかしたら、最悪の状況に引き込んでしまうかもしれません。
嫁にも子供にも迷惑を掛けるかもしれません。」

そんな僕の言葉に義母は言ってくれた。
「天国に行ったお義父さんは喜んでいると思うよ。
哲也さん、何も心配することなく頑張ってください。」と・・・。
僕は涙が出るくらい嬉しかった。
結局、僕は周りに支えられて生きているに過ぎない。

支えてくれたのは嫁さんの存在もあるだろう。
不思議なことに僕がどんな状況、立場であろうと何も変わらなかった。
単純に僕に関心がないだけかもしれないが、僕が役員を降格になった時も、
給与が半分になった時も、社長になる時も何ひとつ変わらなかった。
「あら、大変、どうしましょ~。」
と呑気に言うくらいで態度はいつも同じだった。
そんな態度に僕は救われたのかもしれない。

長々と書いてきた「社長になるまでのこと」。
思い出したままを感情的に書いているので、どこまで伝わったかわからないが、
今、こうしてこんな事を書けるのも幸せなこと。
改めて充実した毎日に感謝しなければならない。

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以上が2009年12月までのこと。
完全な手抜きブログだが、ご理解いただきたい。
明日からは愚か者ブログをしっかり書いていきます(笑)。
引き続きよろしくお願いします。

社長になるまでのこと <再掲>

明日、第47期株主総会を開催する。
この時期を迎えると思い出す。
こんな時を過ごしてきたことを僕は忘れてはいけないと・・・。
また、会社のメンバーも知っておかなければならない。
特に「丸の内チルドレン」はそう。
そのために2年前のブログを再掲したい。

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今でも時々考えることがある。
もしあの時、自分が引き受けていなかったら、会社はどうなっていたのだろうかと・・・。
少なくない確率で会社の存在はなかった。
そうだとすると、現在、共に働く仲間、名大社を支えてくれるクライアントやユーザー、
そして、僕がこの間、ご縁を頂いた知人やネットワークの存在もなかった。

あの時の決断は間違いではなかったと思うと同時に今、
こうして毎日を過ごせることに改めて感謝。
本日、株主総会を行い会社を任され5年目を迎える今、
いい機会でもあるので、当時の出来事を改めて振り返ってみたい。

役員を降格になったことは昨年同時期のブログに書いた。
2009年がスタートした時は悶々とした状態で仕事をしていた。
前年のリーマンショックで会社の業績は急降下。
過去一度も経験をしたことのない落ち込みを日々の営業活動の中で実感していた。

それでも会社を辞める気持ちは不思議と消えていて、
健康的な状態とは言い難いが真摯に仕事に向き合っていた。
しかし、会社の雰囲気は最悪。
退職する社員は後を絶たず、暗い雰囲気が全体を覆っていた。

組織の中心から外されていた僕は、会社を客観的に見ながらも一人黙々と仕事をする日々。
自分に課せられた仕事をこなすのみだった。
だが、自分の環境も徐々に変わり始めてきた。
社長やナンバー2にほとんど相手にされない日々から少しずつ意見を求められるようになってきた。
単純に組織が疲弊していたのが理由だったのかもしれない。

そして、期が明けた4月に営業部門を任される人事が発令された。
「何という気の変わりようだ」と僕は半信半疑でしかなかったが、
久々に部下を束ねることになり気持ちは盛り上がりつつあった。
しかし、業績の低迷は変わらない。
全く先行きの見えない時間を過ごしていた。

僕が代わる前に部門を率いてきた若手のリーダーはそれまでの態度と一変し、
あっという間に会社を去っていった。
あれだけトップに忠誠を誓い、部下に対して罵倒していた存在はいとも簡単に会社を辞めた。
その人事に納得できなかったのか、会社に愛想が尽きたのか、
先行きに期待感がなかったのかは分からないが、
僕は会社から逃げたとしか感じることはできなかった。
営業だけみれば僕よりは格段に優秀。
後輩だったためいろんな話もしてきたが、それ以降は一切に連絡を取ることはなくなった。

そして、5月のある日、数名の社員と社長宅に呼ばれ、食事をすることになった。
かなり重要な話がでることは覚悟をしていた。
一つはワークシェアリングの実施、もう一つは僕の役員への復帰だった。

役員の復帰といえば聞こえはいいかもしれない。
しかし、会社が最悪の時期にその役職は責任が重い。
しかも、ワークシェアリングの中味は半端なかった。
次長以上の役職は給与半分、出勤半分と大胆なもの。
僕の場合、給与半分にわずかな役員手当、出社は自由、
すなわち休みはなしということだった。
割の合わない仕事だった。
会社は助成金の申請をしていなかったため、次長より上の役職者の生活は厳しかった。

実際に僕も手取りの給与ではとてもじゃないが生活はしていけない。
完全な赤字。
幸いにも蓄えがあったため、貯金を切り崩しながらの生活だった。
休日にバイトをしようと真剣に考えていた。

若手社員はそこまで厳しい待遇ではなかったが、
会社に対してのロイヤリティは完全に失くしていた時期。
不安しかなかっただろう。

組織全体もギクシャクしていた。
社長とナンバー2との関係性が悪化した。
少し前から一枚岩に思えた2トップの関係が怪しくなっていた。
詳しい内容はここでは書かないが、結果的にナンバー2は役員を降り、しばらくして退職をした。
現場のリーダーを失くしたのだ。
営業部門の一つを任されていた僕が先輩を差し置き全体を仕切ることになった。

ナンバー2が役員を降りる頃、社長の会社に対する方向性が定まってきた。
高齢であった社長は自らの引退を表明し、3つの中から選択することを考えていた。
「会社の自主解散」
「会社の売却」
「社員が引き継ぐ」

「会社の売却」は社長の意に反する面もあり、選択肢から消えていた。
残すは2つ。
2つとした時点で社長の考えはある程度、決まっていたようだ。
「会社の自主解散」。
今なら社員に退職金を払って処分することができる。それが一番安全策という判断であった。
誰かに任せてもいいという話もされていたが、本意とは感じれなかった。
それに相応しい人物はいなかった。

幹部会でその話を切り出したわけだが、僕は自主解散の判断はやむを得ないと正直思っていた。
特に反対もしなかった。
トップがそう判断するのであれば仕方ないと結構冷めていた。

幹部会終了後、ナンバー2が僕を個室に呼んだ。
「哲、なぜ手を挙げない。お前しかいないだろ。」と言われた。
僕は理解できなかった。
つい数か月前まで、僕は組織から外れ、ほとんど窓際にいた人物。クビに近い存在ではなかったか。
どうしてそんなことを言われるのか当初は理解できなかった。
このブログを書くにあたり、その当時の日記を読み直してみたが、内容は酷いもの(苦笑)。
疲れた、疲れたという泣き言とトップの非難ばかり。
前向きさは微塵も感じられない。
情けない話だが健全な状態ではなかった。

しかし、それは僕だけではなく全社員が同じように感じていたのかもしれない。
もしかしたらナンバー2の一言から真剣に考え始めたのかもしれない。
それは今でも分からない。
ただその頃から、会社をどうすべきかと真剣に向き合うようになってきた。

「自主解散」という選択が本当に正しいのか。
一生懸命働いている社員はどうなる?
名大社を信頼してくれるお客さんを自分勝手な論理で裏切っていいのか?
本当にそれが正しいのか、
自分の行動はそれでいいのかと何度も何度も自問自答した。

次第に明確になってきた。
そして、答えがはっきりした。
「自分がやる」という解だった。
会社全体にそんな雰囲気が少なからずあったと自分勝手に感じていた。
それが後押ししてくれた面もあるかもしれない。

だが、その判断は自分に最大のリスクを与えることになる。
現時点で業績は最悪。売上も前年比3割である。
3割ダウンではない。
ワークシェアリングを実施しているとはいえ、赤字が続いていた。

このままの状態であれば、いずれ破たんを招くことになる。
無借金企業といえどもあっという間に債務超過に陥ることもある。
尊敬する先輩にも揶揄された。
「どろ船の船長になるのか?」と・・・。

(続く・・・)

オフィス移転を考える

事務所が随分と手狭になってきた。
オフィススペースもこれ以上人数を放り込むと快適な仕事環境を作るのは難しくなる。
セミナールームもちょっとした勉強会や講習を行うと満杯。
先日行った全体の研修もかなり窮屈に感じた。

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人材紹介の事業も忙しくなってきたため、
応接もかなり前から予約しておかないと使えないことも多い。
これで会社が伸びていなければ大問題だが、おかげさまで今のところは順調。
あくまでも今のところです(笑)。

6年前、この丸の内に移転をしてきたのははっきり言って「後ろ向き」の移転。
固定費を抑えることを目的とした移転だった。
しかし、今回は「前向き」の移転を検討している。
多分、秋から年末にかけてオフィスを移転することになる。
はっきりした段階で改めてご報告したい。

あれこれ考えることは多い。
せっかく「前向きな」移転をするのだがら今のオフィスにはない空間にしていきたい。
僕が考える新しいオフィスの条件はこの3つ。
★会社に行きたくなるオフィス
★イノベーションが起こる(起こりそうな)オフィス
★稼げるオフィス

ざくっとした表現だが、こんな空間を目指していきたい。

今後、オフィスの在り方は変わってくるだろう。
いずれ会社に出社すること自体ナンセンスになってくるかもしれない。
だが、同じ会社のメンバーが顔を合わせるのなら、
よりよいコミュニケーションが図れる場としたい。
これ以上、よくなると仕事しないのではないかという不安もあるが、
それでも成り立つ会社ができればそれは理想。
絶対にあり得ないけど・・・(笑)。
よりフラットで風通しのいい場を作っていきたい。

そして、個人的に考えていることが一つ。
思い切って社長の机を失くしてしまいたい。
すなわち僕の机を失くすということ。
社長室を失くすということではない。
そもそもそんなものはないし、僕には必要ない。
それよりももっと前進させ社長の机を失くす。

メンバーが猛反対すれば撤回しなければならない案だが、
今はそんなことを思っている。
会社に行かないわけではない。
基本、毎日行く。嫌がられても行く。
しかし、居場所はない。
空いたスペースに座る。それでいい。
ネットさえ繋がっていればどこでも仕事はできるはず。

いきなりオガワの隣に座ったら、無意味に喋りだすだろう。
トミタの隣に座ったら、すぐに営業に出てしまうだろう。
コンドーの隣に座ったら、痩せるだろう。
おお~っ、いいことづくめじゃないか・・・。
そんなふうに今は妄想している(笑)。

セミナールームでの打ち手も増えるから、稼ぐオフィスにも繋がるだろう。
期待が膨らむと同時に不安が付きまとうのも正直なところだが、
ここは思い切りたい。
なんたって経営者に必要なのはセンスと判断力と度胸なのだから・・・。

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僕はこの机と付き合うのもあとどれくらいだろうか。
今のうちに磨いておくかな・・・。

食べ物のはなし 番外編 イタリアン

思いのほか多忙で円頓寺商店街に顔を出すことができません。
人気食べ物ブロガーとしては、
食べ物ブログを維持させるためにも他の手を打つしかありません。

この日も出張で東京でした。
ランチは軽くサクサクッといきたいところですがそんな簡単な問題ではありません。
何とかネタを捻りださなければならないのです。
そんな事を考えながら大手町の地下を歩いていました。

見つけました。
うってつけのお店を見つけたのです。
12時前だというのに既に行列ができていました。

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午後の予定に若干の余裕があったことから迷わず並ぶことにしました。
大手町ビルにある「リトル小岩井」さんにお邪魔しました。

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お洒落なパスタ屋さんといいたいところですが、そうでもありません。
一般的にパスタ屋さんのイメージはお客さんの8割が若い女性かと思います。
しかし、そんな気配は見られません。

並んでいるのはオジサン、オジサン、オニイチャン、オジサン・・・。
こんな感じです。
とても東京とは思えません。
あと数人でお店に入れそうな時に店員さんが聞いてきます。

「メニューはお決まりですか?」
「いいえ、メニューを見せてください。」
ほとんど常連さんで並んでいるオジサンたちは当たり前のように注文していきます。
手渡されたメニューを眺めます。

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「そうか、こうくるか。ここは醤油バジリコなんていいな。」
と頭によぎります。
しかし、ブログネタを考えた場合、あまりいい選択とはいえません。
「すいません、イタリアン大盛りでお願いします。」
ベストと思えるような注文をし、
「これでいいブログが書けるぞ。」と頭の中でイメージします。

しばらくすると「次の方、空いてる席へどうぞ!」と促されます。
ほとんどが一人客です。
4人席も一人客の相席です。
みんな無口でじっとパスタが届くのを待っています。
食べている人は何も喋らず黙々と食べ続けます。
まるでそれがルールのように思えてきます。
案の定、店内は100%男性客です。お洒落な女性は一人としていません。

「おまちどうさまです。イタリアン大盛りです。」
イタリアン大盛 600円

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「お~、これがここのイタリアンか。名古屋じゃあり得んな。」
その姿を見てこっそり呟きます。
メニューを見た段階で何となくイメージはできましたが、そのギャップに驚いたフリもしてみるのです。
「ほ~、これが東京本場のイタリアンか。なかなかやるじゃないか。」
と心の中で呟きながら黙々と食べ続けます。
無造作に置いてある粉チーズもかけてみます。
きっと名古屋で食べるイタリアンの方が粉チーズはマッチすると思われます。
しかし、こんな経験も必要です。
新しい出会いとなるのです。

最後までこれがなぜイタリアンかは解明できませんでした。
厳密にいえば、そのつもりもありませんでした。
いい経験をさせてもらいました。
東京は広いですね。

ごちそうさまでした。

「古事記」を学び、そして飲む

今年、僕が立てた目標の一つに”「無用の学」を学ぶ”というものがある。
それはビジネスや経営に直結する「有用の学」ではなく、
歴史や文化などビジネスに直結しない学びを得る場を作ることをいう。

今回、それに相応しい機会を頂いた。
僕の50歳の誕生日に行われた「古事記に学ぶ集い DAY2」がそれ。
DAY1は4月9日に行われ、その第2回目が一昨日の日曜日だったのだ。

今回の勉強会に至るまで、僕は古事記を読んだことがなかった。
「古事記」と「日本書紀」の違いも知らなかった。
勉強会参加者の中ではとてつもなく低いレベル。
初回に向けマンガの「古事記」を初めて読んだくらい。

DAY1は「NHK 100分de名著」を題材に世界と人間の誕生とヤマタノオロチまでを学んだ。
僕は付いていくのがやっとだったが、温かいメンバーに恵まれ、
有意義かつ楽しい時間を送ることができた。

そして、一昨日がDAY2。
今回のファシリテーターは僕のご近所さんでもあり、歴史に造詣の深いキヌガサさん。
前日の深夜3時までアイデアを練っていたという。
その甲斐があって中身の濃い内容となった。

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前回の振り返りから始まり、因幡の白兎の道徳性、
スサノオとオオクニヌシの違い、出雲の国譲りまで多岐に渡るもの。
正解のない世界から正解を導く議論をチームごとに行った。

「古事記」を学ぶにつれ、日本人としての素晴らしさを感じると共に
神や天皇の在り方を知ることとなった。
歴史を知ることで、当たり前のように過ごしている生活にも
繋がっていることがよく理解できる。
僕らが普段あまり考えることのない価値観も「古事記」の中に含まれている。
これは伝承していかないといけない。

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全体の議論ではいくつもの意見が出て大いに盛り上がった。
ちなみに僕らのチームも創造性が働きすぎ、
白兎は実はアマテラスだったとか、
オオクニヌシが出雲の国を譲ったのは、鴻海とシャープの関係性に近いとか、
とんでもない意見を飛び交わせてしまった。
みなさん、強引な理屈で繋げ、すみませんでした(笑)。

みなさんの意見を伺うことで自分自身の学びも深くなる。
一人で本を読んでいるだけでは理解不能なことや
思いもよらない深い思想が頭の中にストンと入ってくる。
貴重な学びだと改めて実感。

勉強会終了後は、恒例の懇親会。
僕は懇親会くらいしかお役に立てないので、今回も担当することに。

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円頓寺の「ぽろ」さんを貸し切りにして、お昼から飲むこととなった。
いやあ~、気持ちのいい晴天の日に昼から飲めるのは最高。

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美味しい料理を頂ながら、冷酒を飲み、すっかりいい気分になってしまった。
50歳の誕生日祝いとは全く関係なかったが、とてもシアワセな時間であった。

僕の場合、懇親会が目的じゃないかと言われると否定はできないが、
「無用の学」を学ぶ重要性を改めて感じることとなった。

お疲れ様でした。
6月もどうぞよろしくお願いします。

フジテレビはなぜ凋落したのか

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少なからず業界に関わる者として読んでおいた方がいいと思った1冊。
タイトルから推測すると著者がフジテレビを批判対象として綴ったかにみえるが、
そうではない。
元フジテレビの社員として愛着を込めて、その低迷ぶりを書いている。
そんな意味では客観的な見方というよりは
主観的な見方で書いているとも捉えられる。

フジテレビが辿ってきた70年代から今までの歴史を紐解きながら
栄枯盛衰を表現しているわけだが、それは僕がリアルに接してきた時代。
中学生時代に「8時だョ!全員集合」から「ひょうきん族」へチャンネルを変えたわけだし、
「おニャン子クラブ」も結構見ていた。
入社した頃は「東京ラブストーリー」ら月9のドラマにもはまっていた。
名古屋では東海テレビにあたるわけだが、フジ系の番組を好んで見ていた。
単純に面白かった。

それが本書で書かれているフジテレビの全盛期。
社員が大部屋で一体感を出し、
若手も中堅も自由にその権力に捉われずに番組を作っていた頃。
これはあくまでひとつのテレビ局の話だが、
すべての業界や企業にも当てはまるのではないか。

著者がいうように自分たちを一流と意識した時点で顧客視点はなくなり、
競合にも軽んじた扱いをしてしまう。
最近、報道される大手企業の不祥事も同じようなことが言えるのかもしれない。
内向きな組織になった時点で健全な競争を捨ててしまうのだろう。
誰も意識せずに・・・。

時代背景が理解できるだけに、
この凋落ぶりを他人の事として見るわけにはいかない。
いつ何時、自分たちがそんな立場にならないとも限らない。
業界トップでもないし、
世の中に話題になるような大きなことを手掛けているわけでもないので、
そんな心配はする必要がないかもしれない。
しかし、反面教師として学ぶべき点はある。

会社を一定規模に持っていくことは必要だが、
身の丈以上の規模にしてしまうと悲しい現実が待っている。
それは経営者の器によるので一概には言えないが、
会社が堕ちていく背景には組織が組織として
機能しなくなる規模的な分岐点も存在するのではないだろうか。
本書を読みながらそんな点を感じてしまった。

今後、フジテレビが復活するかはわからない。
しかし、身近なところでいえば、東海テレビでお世話になっている方も多い。
個人的な感情として、このまま停滞してもらうのは困る。

テレビをほとんど見なくなった僕が語るには説得力はないが、そんなふうに思う。
復活する日を祈りたい。

50歳になるということ

昨日は三重大学で行われた「東海グローバルサミット」に参加した。

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付き合いのある意識の高い学生らが企画したイベント。
伊勢志摩サミットのタイミングに合わせ、
若者たちの意見を社会に発信しようというもの。
「難民」「保健衛生」「教育」「環境」と4つの分科会を中心に学生らが議論を行う。
全国から意欲的な学生が集まり、自分たちの考えを述べ合っていた。
僕は協賛企業として参加したに過ぎないが、
このような連中がこれからの社会を支えていくのだろう。
僕の学生時代からは考えられない問題意識。
2050年の日本は期待できるのかもしれない(笑)。
50歳を過ぎリーダーとして活躍している時期だろう。

50歳といえば、今日は僕の50歳の誕生日。
早いもので半世紀を生きたことになる。
論語だと、五十にして天命を知るということ。
迷いっぱなしの40代を振り返れば、自らの使命を知るには早すぎる。

それに正直なところ、実感がない。
世間的にそれでは困ると思われるだろうが、そのレベルに達していない。
残念だが、相応しい50歳とは言い難い。
もっと深く考えるべきだが、一つ年齢を積み重ねたに過ぎない。
自分自身にあまり緊張感がないのだ。

もっと自分の中で沸々を湧き上がる想いが溢れ出るのかとも期待したが、
そんなことはなかった。
年末年始の神聖な気持ちや
年度末、年度初めのヒシヒシとくる緊張感とは比べ物にならない。
僕としてはそちらの方が大きな価値に値する。

20代の頃、50歳なんてもっと立派な存在と思っていた。
30代の頃は50歳はもっと貫禄があり知識も豊富にあると思っていた。
しかし、その当時と比較すると大して変わっていないのが実情。
確かに見かけは老けてきたし、頭も少しずつ薄くなっている。
その程度のこと。

体力はあまり変わっていないと思うし、食欲も旺盛。
本気になれば若い奴には負けないだろう。
常に腹は減る。大盛を注文したいが我慢しているだけだ。
睡眠時間を確保し、健康管理に注意しようと心掛けているだけ。
いずれガクッと落ちる時が来るだろうが、今は変わらない。
自分自身はまだまだ若いと思っている。
毎日飲みに行っても平気だ。
(週7日はさすがにしんどいけど・・・笑)。

自分の決めたルーティンに従うことが若さを維持すること。
そう今は信じている。
しかし、世間はそんな風には思わないだろう。
年齢に相応しい振る舞い、
年齢に相応しい発言、
年齢に相応しい身なり、を求めてくる。
そうしなければと思う一方で、どうでもいいと思う自分もいる。
今のままでいいじゃないかと。
年齢なんか気にせずに今の延長で行動しようと。

すみません、期待に応えらずに・・・。

それでも今日から50代がスタートする。
どんな10年になるだろう。
とてつもない荒波が襲ってくるかもしれないし、
ノーテンキな毎日を過ごすだけかもしれない。
もっと計画的に、もっと戦略的に、もっと家族の事も考え生活すべきだろうが、
僕のやっていけることをやっていくだけ。

何の宣言もしない誕生日ブログになってしまった。
それでも呆れることなく、お付き合い頂きたい。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

名大社は「ホワイト企業」になれるのか・・・

hr1605

今週17(火)・18(水)日は日本の人事部主催の「HRカンファレンス」に参加。
2日間合計7つの講演に出席。
今後の事業や人事を構築していく上で参考になる点が多かった。

そのひとつに
『次世代に残すべき素晴らしい会社とは~「ホワイト企業」という概念で日本に活力を生み出す』
というスゴイ長いタイトルのセッションがあった(笑)。

ホワイト企業アワード受賞企業の事例発表と
ワークライフバランスで有名な小室叔恵さんらの取り組みを伺う内容。
知らないうちにホワイト企業認定が始まっていたのだ。
この認定を行う一般財団法人日本次世代企業普及機構(JWS)の説明は割愛するが、
こちらが中心に活動している。

ここが掲げる次世代に残す企業のための3つのホワイトバランスとは、
適正な利益・成長(事業計画、収益の黒字)
お客様からの信頼(売り上げ規模、継続性)
従業員満足度(ワークライフバランス、法令順守、人事制度)
をいう。

一般的にブラック企業の反対となるホワイト企業の観点でいうと
従業員満足度がメインだがそれだけでは足りないようだ。
それについては賛成。

健全な会社であり続けるには、従業員満足度は必要だが、
顧客から支持され会社が儲かっていないと意味がない。
最近の働きやすさの捉え方だとその点が抜け落ちているように感じていたので、
利益や顧客の信頼を加えていた点は納得できる。
そこがなければ次世代に残すべき企業になることはできない。

事例発表では10数名の企業から東証上場の企業までの報告が行われた。
奇抜なアイデアを売りにするケースもあれば地道に向き合うケースも紹介された。
「へ~」と感心することもあり、参考にすべき点が多く見られた。

参考にすることや評価することは簡単。
いかに自社で取り組めるかや落とし込めるかが難しい。
うちの会社でもいろんな取り組みはしているが(いや、しているつもり?)、
まだ足りない点ばかり。
できるだけ早く帰社させたいと思っていても遅くまで頑張っているメンバーも多い。
構造的な問題があるのは事実で効率性を含め考えを改める点もある。
やらない仕事の指示をこちら側がしなければならない。
会社の責任があるのも当然だが、一人一人の意識も変えなければならない。
まだまだ遅く残っているのが働いている証拠と思っているメンバーもゼロとはいえない。

制度を整えたとしても本人の意識が変わらないと進められない点もある。
それも変えさせるのも経営側の役割。
僕としては従業員満足度は年々高まっていると思うが、
(自分が思っているだけかも・・・苦笑)
最新の事例を聞くとまだ足りないところばかり。
特に女性比率が高くなり、既婚率も高くなっている今、
そのメンバーに応えるための制度も整備する必要はある。

もっと働く時間や場所がフレキシブルになってはくるだろうから、
それに対応できるインフラも作らねばならない。
満足度を向上させるのは制度や待遇だけではないとは思うが、それを踏まえるのは重要。
まだまだ有給取得率も低いと思うし・・・。
飲み会ばかりやってればいいというわけではないな・・・。
う~ん・・・。

有給を取れと言っても取らないのはなぜだろう?
「そんなこと言ったってとれる状況じゃないじゃないですか・・・」
なんて思っているだろう。

それも僕のせい?
今回のセッションでも、トップから休まないといけないという話をされていた。
そうか、僕がもっと休むべきなんだ。
そうすればメンバーももっと休みやすくなるし、仕事の効率性も高まる。
なんだ、僕が会社に行かなければ名大社は「ホワイト企業」になれるのか・・・。
う~ん・・・。

それはともかく、ホワイト企業になるために会社の内側のことももっと考えねばならない。
もちろん外側のこともだが・・・。

食べ物のはなし 番外編 オールビーフハンバーグ

暖かくなってきました。
というよりも、暑くなってきました。
暑くなってくると食べたくなるのって・・・。

そうですよね。
ハンバーグですよね。
かなり強引ですが、そんな気分です。

天気のいい日は出張もしたいものです。
この日は東京・飯田橋でした。
同業者の会合がここで行われたのです。
飯田橋にオフィスを持つ仲間とランチに出掛けました。
名前をオープンにしても構いませんが、食べ物ブログでは人の名前は登場しません。
それが人気食べ物ブロガーとしてのこだわりです。
少々スケベな方とだけ言っておきます。

bis1655

東京大神宮に向かった途中にある「びすとろ大将」さんに行ってきました。

bis1652

「ここのランチは結構美味いんだよ~。」
どうやらお墨付きのようです。
ランチはハンバーグとローストポークの2種類。
ダブルにすることも2種類とも注文することもできます。
トッピングも多く、ソースも選ぶことができます。

bis1653

「え~と、どうしようかな・・・。
ハンバーグにとろけるチーズをトッピングしてください。これに合うソースは何ですか?」
「そうですね。やっぱりデミグラスソースが合いますね。
でも、今日のおススメはジンジャーソースです。」
「そのジンジャーソースはチーズに合いますか?」
「あっ、あまりチーズには・・・」
「だったら、とろけるチーズは止めて、ジンジャーソースにします。」
「あっ、はい。かしこまりました。」

この店員さんは後で後悔したことでしょう。
自分がジンジャーソースを勧めたばかりに、
とろけるチーズのトッピング100円の売り上げを失くしました。
ランチタイムで客単価を100円上げるのは難しいことです。
自らそのチャンスを奪ってしまった行為にきっと店員さんは反省しているかもしれません。
店長さんにお店の裏に呼ばれ、叱られているかもしれません。
そのことを想像すると申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
そんな時間を過ごしていると
「おまちどうさまでした!」と運ばれてきました。

オールビーフハンバーグランチ 880円

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「お~、なかなか、いいじゃないか。ジンジャーソースも美味そうだ。」
既に申し訳ない気持ちはすっかり忘れています。
「いいぞ、いいぞ、このジンジャーソース。ハンバーグとの相性もバッチリだ。」
店員さんを持ち上げているような、ダメ出ししているような、無責任な表現をします。
「まあ、東京だし、人気食べ物ブロガーの存在はここでは分からないし・・・」
と嫌なブロガーになってしまいました。

「ごちそうさまでした。」
「はい、800円です。」
「あれっ、880円では・・・」
12時前に入店するとお値打ちになるようです。
知りませんでした。
ますます店員さんに迷惑を掛けたような気がしました。

「次回お邪魔する時は、たくさんトッピングを頼むからね。」
と心の中で誓い、お店を出ました。
次はいつかは分かりません。
ごちそうさまでした。

中小企業を襲う社員の不正

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今月の「日経トップリーダー」はなかなか刺激的だ。
「経営トップの”美しい”引き際」という特集と
もう一つがタイトルにある特集。

”美しい”引き際については、例のセブン&アイ鈴木会長の件。
これについては僕なりの考え方と緊急アンケートの結果と近い。
中小企業のオーナーに実施されたアンケートでは、今回の突然の引退に対して、
「後継者を育て、もっと早くトップの座を譲っておくべきだった」という意見が圧倒的。
簡単な事情ではないとはいえ、僕も同意見。
カリスマの存在が長引けば長引くほど引き際は難しくなるはず。
そして、後を継ぐ者はより辛くなるはず。
なんだか大空電機みたいだな・・・(笑)。

社長が高齢化が進むにつれ交代は難しくなる。
僕のわずかな経験からも言えること。
アンケートでは65歳~70歳が譲る時期として最も高かったが、
僕はもう少し早くてもいいと思う。
あくまでも個人的意見だけど。
この特集では引き際を考えるべき10の兆候が述べられている。
なるほど・・・。
あえてここでは紹介しないが、納得できるものばかり。

そして、もう一つの特集がタイトルにもある「中小企業を襲う社員の不正」。
龍角散の事例を始め、いくつかの不正事件を紹介している。
そのほとんどが内部犯罪だ。

日本国内では、勤務年数10年以上の41歳~50歳の男性、中間及び上級管理職が多いという。
3つの条件を満たすと不正に手を染めやすいらしい。
「機会を熟知」
「丸投げの信頼を得ている」
「自分の行為の正当化できる」
これが3つの不正トラップ。

確かにいくら信頼がおける誠実な人でも、
この条件が揃うと誘惑に負けてしまうケースも多いようだ。
人間誰もが持つ本質的弱さなのだと言われる。

経営者にも性善説で考える者と性悪説で考える者と2種類あるだろう。
僕は社内は性善説に基づいて全ての行為を行っている。
それ自体間違ってはいないと思うが、
不正防止のための対策は念には念を入れた方がよさそうだ。

この特集でもその手法を取り上げている。
中身を読んでみると既に取り入れているものがほとんど。
会社の仕組みとして成立しているわけだ。
しかし、今後、外部からのアタックを含め、常に策を練っておくべき。
これができるのはトップしかいないと思うし・・・。

僕の立場だから勝手なことが言えるわけだが、
いかに個人主体ではなく会社主体で物事を考えることができれば、不正なんて起きようがない。
かなり難しいことだとは思うが、無理なことでもない。
それが理想に近づくことでもあるだろう。

会社は生き物なので、今正しいと思うことがずっと続くわけではない。
ふと、気が緩んだ瞬間、すべてが崩れ落ちることもある。
中小企業の場合、どんな原因もトップの責任。
いや、トップが原因となる。
引き際であろうと不正であろうと自分次第ということを肝に銘じなければならない。

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