明日、第47期株主総会を開催する。
この時期を迎えると思い出す。
こんな時を過ごしてきたことを僕は忘れてはいけないと・・・。
また、会社のメンバーも知っておかなければならない。
特に「丸の内チルドレン」はそう。
そのために2年前のブログを再掲したい。

-----------------------------------------

今でも時々考えることがある。
もしあの時、自分が引き受けていなかったら、会社はどうなっていたのだろうかと・・・。
少なくない確率で会社の存在はなかった。
そうだとすると、現在、共に働く仲間、名大社を支えてくれるクライアントやユーザー、
そして、僕がこの間、ご縁を頂いた知人やネットワークの存在もなかった。

あの時の決断は間違いではなかったと思うと同時に今、
こうして毎日を過ごせることに改めて感謝。
本日、株主総会を行い会社を任され5年目を迎える今、
いい機会でもあるので、当時の出来事を改めて振り返ってみたい。

役員を降格になったことは昨年同時期のブログに書いた。
2009年がスタートした時は悶々とした状態で仕事をしていた。
前年のリーマンショックで会社の業績は急降下。
過去一度も経験をしたことのない落ち込みを日々の営業活動の中で実感していた。

それでも会社を辞める気持ちは不思議と消えていて、
健康的な状態とは言い難いが真摯に仕事に向き合っていた。
しかし、会社の雰囲気は最悪。
退職する社員は後を絶たず、暗い雰囲気が全体を覆っていた。

組織の中心から外されていた僕は、会社を客観的に見ながらも一人黙々と仕事をする日々。
自分に課せられた仕事をこなすのみだった。
だが、自分の環境も徐々に変わり始めてきた。
社長やナンバー2にほとんど相手にされない日々から少しずつ意見を求められるようになってきた。
単純に組織が疲弊していたのが理由だったのかもしれない。

そして、期が明けた4月に営業部門を任される人事が発令された。
「何という気の変わりようだ」と僕は半信半疑でしかなかったが、
久々に部下を束ねることになり気持ちは盛り上がりつつあった。
しかし、業績の低迷は変わらない。
全く先行きの見えない時間を過ごしていた。

僕が代わる前に部門を率いてきた若手のリーダーはそれまでの態度と一変し、
あっという間に会社を去っていった。
あれだけトップに忠誠を誓い、部下に対して罵倒していた存在はいとも簡単に会社を辞めた。
その人事に納得できなかったのか、会社に愛想が尽きたのか、
先行きに期待感がなかったのかは分からないが、
僕は会社から逃げたとしか感じることはできなかった。
営業だけみれば僕よりは格段に優秀。
後輩だったためいろんな話もしてきたが、それ以降は一切に連絡を取ることはなくなった。

そして、5月のある日、数名の社員と社長宅に呼ばれ、食事をすることになった。
かなり重要な話がでることは覚悟をしていた。
一つはワークシェアリングの実施、もう一つは僕の役員への復帰だった。

役員の復帰といえば聞こえはいいかもしれない。
しかし、会社が最悪の時期にその役職は責任が重い。
しかも、ワークシェアリングの中味は半端なかった。
次長以上の役職は給与半分、出勤半分と大胆なもの。
僕の場合、給与半分にわずかな役員手当、出社は自由、
すなわち休みはなしということだった。
割の合わない仕事だった。
会社は助成金の申請をしていなかったため、次長より上の役職者の生活は厳しかった。

実際に僕も手取りの給与ではとてもじゃないが生活はしていけない。
完全な赤字。
幸いにも蓄えがあったため、貯金を切り崩しながらの生活だった。
休日にバイトをしようと真剣に考えていた。

若手社員はそこまで厳しい待遇ではなかったが、
会社に対してのロイヤリティは完全に失くしていた時期。
不安しかなかっただろう。

組織全体もギクシャクしていた。
社長とナンバー2との関係性が悪化した。
少し前から一枚岩に思えた2トップの関係が怪しくなっていた。
詳しい内容はここでは書かないが、結果的にナンバー2は役員を降り、しばらくして退職をした。
現場のリーダーを失くしたのだ。
営業部門の一つを任されていた僕が先輩を差し置き全体を仕切ることになった。

ナンバー2が役員を降りる頃、社長の会社に対する方向性が定まってきた。
高齢であった社長は自らの引退を表明し、3つの中から選択することを考えていた。
「会社の自主解散」
「会社の売却」
「社員が引き継ぐ」

「会社の売却」は社長の意に反する面もあり、選択肢から消えていた。
残すは2つ。
2つとした時点で社長の考えはある程度、決まっていたようだ。
「会社の自主解散」。
今なら社員に退職金を払って処分することができる。それが一番安全策という判断であった。
誰かに任せてもいいという話もされていたが、本意とは感じれなかった。
それに相応しい人物はいなかった。

幹部会でその話を切り出したわけだが、僕は自主解散の判断はやむを得ないと正直思っていた。
特に反対もしなかった。
トップがそう判断するのであれば仕方ないと結構冷めていた。

幹部会終了後、ナンバー2が僕を個室に呼んだ。
「哲、なぜ手を挙げない。お前しかいないだろ。」と言われた。
僕は理解できなかった。
つい数か月前まで、僕は組織から外れ、ほとんど窓際にいた人物。クビに近い存在ではなかったか。
どうしてそんなことを言われるのか当初は理解できなかった。
このブログを書くにあたり、その当時の日記を読み直してみたが、内容は酷いもの(苦笑)。
疲れた、疲れたという泣き言とトップの非難ばかり。
前向きさは微塵も感じられない。
情けない話だが健全な状態ではなかった。

しかし、それは僕だけではなく全社員が同じように感じていたのかもしれない。
もしかしたらナンバー2の一言から真剣に考え始めたのかもしれない。
それは今でも分からない。
ただその頃から、会社をどうすべきかと真剣に向き合うようになってきた。

「自主解散」という選択が本当に正しいのか。
一生懸命働いている社員はどうなる?
名大社を信頼してくれるお客さんを自分勝手な論理で裏切っていいのか?
本当にそれが正しいのか、
自分の行動はそれでいいのかと何度も何度も自問自答した。

次第に明確になってきた。
そして、答えがはっきりした。
「自分がやる」という解だった。
会社全体にそんな雰囲気が少なからずあったと自分勝手に感じていた。
それが後押ししてくれた面もあるかもしれない。

だが、その判断は自分に最大のリスクを与えることになる。
現時点で業績は最悪。売上も前年比3割である。
3割ダウンではない。
ワークシェアリングを実施しているとはいえ、赤字が続いていた。

このままの状態であれば、いずれ破たんを招くことになる。
無借金企業といえどもあっという間に債務超過に陥ることもある。
尊敬する先輩にも揶揄された。
「どろ船の船長になるのか?」と・・・。

(続く・・・)