amesup15

クリント・イーストウッドはいつも何も言わない。
全ての作品を観ているわけではないので確かなことは言えない。
昨年の「ジャージー・ボーイズ」も観ていない。
そんな僕に説得力はないが、クリント・イーストウッドは何も言わないように感じる。

それは「ミスティック・リバー」にしても
「ミリオンダラー・ベイビー」しても
「グラン・トリノ」にしてもそう。
あるのは我々に対する「問い」だけだ。

本作でも反戦のメッセージとして受けとられるようなセリフはない。
しかし、監督としてのメッセージは発している。
全く音楽の流れないエンドクレジットもメッセージのひとつだろう。

そして、「問い」への解は我々が持つべきものである。
いろんな解釈があると思う。絶賛する声もあれば非難する声もあるだろう。
映画を観た一人ひとりがその解を持てばいいのだ。

残念ながら僕はクリント・イーストウッドの「問い」に対して明確な「解」は持ち合わせていない。
厳密に言うのならば、「深い問い」に対して「深い解」は持っていない。
チープな答えならいくらでも話すことはできる。
しかし、求められるのはそんな事ではないと思う。
チープな解は失礼でしかない。だから僕は答えることができない。
もっともっと深く考えねばならないのだろう。

一体、何の話をしているんだ・・・。
どんな映画かさっぱり分からないじゃないか・・・。
と、このブログを読んで思われるかもしれない。
まあ、いつものことなので気にすることもないかもしれないけど(苦笑)。

少なくとも言えるのが、
クリント・イーストウッドの「問い」をできるだけ多くの人に感じてもらいたい。
今の日本の立場としても感じる必要があるかもしれない。
そんなことは思ったりもする。

あとひとつ、主役クリス・カイルを演じたブラッドリー・クーパーは
昨年、亡くなったロビン・ウィリアムスに似ている。
映画を観てそう感じたのは僕だけだろうか・・・。