
これも日経新聞の書評欄に紹介されており、つい手にした一冊。
普段読まない書籍を読む8月。
ウディ・アレンの作品はもう何十年と観ていない。
学生時代、粋がって、また知ったかぶりをして観ていた記憶はある。
「カイロの紫のバラ」「ハンナとその姉妹」「ラジオデイズ」。
ちょうど80年代、最も輝いていた時代。
ちょっと洒落ていて通好みの映画が多かったので、
感化されやすい青二才はいかにもそれっぽい感想を周りと喋っていたと思う。
何を喋ったかもどんな映画だったかも全く記憶がない。
所詮、そんなもの。
今はブログというツールがあり、記憶から消えても記録として残るからいいね。
それでもどの作品もミア・ファローが主役であったのは記憶にある。
当時、この2人の関係は知らなかったと思うが、
ウディ・アレンは今、思えば公私混同甚だしい監督。
それも超絶甚だしい。
作品のほとんどは自らの脚本で監督。
ある意味、思いのまま。
出演者も自分で決める。
女性への口説き文句にもなっているし、伴侶がいても簡単に恋に落ちる。
その時点で「ウディ・アレン追放」と思うが、そのあたりの事実は前座にすぎない。
言い方は失礼だが、背も低いし二枚目でもないのに、なぜこんなにモテるのか不思議。
やはり才能豊かな男はモテるということか。
それは実績が物語っている。
未だにほぼ毎年作品を撮り続けている。
入れ替わりの激しい世界でここまで続けられるのも豊かな才能があるからだろう。
脚本一本書くのも七転八倒な作家がほとんどだと思うし。
さて、本題。
本書はウディ・アレンとミア・ファローのゴタゴタを描いている。
ミア・ファローの養女への性的虐待が本書の中心。
読み進めるうちにイヤな気分にもなってくるが、そこに目を背けない。
人の愚かさや自分勝手な自己防衛を知るにはワイドショー的にも面白い。
僕はこの手のスキャンダラスに興味はないが、
世界的巨匠がどんな振る舞いをするかは興味が湧く。
裁判でもどう立ち回るかも・・・。
僕が当事者になることはあり得ないが、参考にはなった。
本書は翻訳された書籍ではなく、日本の映画ジャーナリストが書き上げた。
僕と同い年の女性映画ライター。
なぜウディ・アレンなの?と単純な疑問が沸いたが、そのあたりはあとがきに触れている。
それにしても不思議。
アメリカならともかく日本では売れようがないと思うんだけど・・・。
僕が知る以上にウディ・アレンファンが多いのか。
それともスキャンダルに関心が高いのか。
日本の俳優の不倫はネタとして小さすぎるかもね。
そんなワイドショー的な情報を著者は伝えたいわけではない。
あくまでも客観的事実。
捉え方は読者次第。
これがアメリカの実態かと・・・。
求められるのはどこまでいっても倫理観。
僕は追放されないですよ。

この夏休みは普段読まないジャンルの書籍を読もうと思い購入。
タイトルだけ見れば普段のジャンルと遠くはないが、
読めばそのジャンルの違いが分かるけどね。
普段読まないジャンルを探すのは意外と難しい。
目につくのはどうしても自分の興味のある分野。
大体はビジネス関連になってしまう。
そろそろ仕事脳から頭の中を切り離し、脳みそも多様化させたい。
そんなに多く入らないのは分かってはいるが・・・。
知人の紹介する書籍も大切だが、いつくかの書評も参考にしたい。
本書は少し前に日経新聞で紹介されていた。
そもそも日経新聞の書評から選ぶこと自体、仕事脳から外れていないが、
その中では違う空気を放っていた。
辛酸なめ子さんの名前はちょくちょく伺うが、実際の生業もよく知らない。
もちろん書籍も初めて。
ビジネス要素がゼロとは言わないが、僕がいつも気にする組織とか評価とか、
そこから導き出す人間関係とは大きく異なるだろうと安易に想像。
95%は正解だった。。
僕はどうしても会社を中心に人間関係を考えることが多い。
上司部下の関係、部署を跨いだ関係性、ブレーンやクライアントなど、
あくまでも会社が主体。
僕個人が人間関係に悩まされることはあまりない。
ノー天気な性格、かつ苦手なタイプがない万能営業だったので、まあまあ上手くこなしてきた。
常にテキトーだろという反論もあるだろうが、それも持ち味と勝手に解釈。
むしろ周りの人間関係に悩まされてきた。
やはり自分と他人とは違う。
他人のことはわからない。
それを組織論でまとめるのではなく、本書のような存在から学ぶことも必要。
結局は仕事に繋げている気もするが、
著者の人に対する接し方と考え方を面白おかしく知り、吸収することができた。
結構、笑えるし・・・。
僕自身も大いに頷ける点もある。
一方で、自分の鈍感さで気づかない点もある。
オリンピックでも話題になったが、SNSの存在が今後人間関係に与える影響も大きい。
著者は世の中を斜めから見て、世間ずれしているわけではない。
常識人であるのは間違いない。
しかし、その視点は少し角度が違う。
異次元でもないし反体制的でもない。
いい表現が見つからないが、角度が左にずれ下がっているのだ。
著者の実体験を基に書かれているので、納得感も強かった。
これからはもっと違うジャンルを読もう。
そして、下エネルギーの発信には気をつけよう。
そんなことを思いながら読み終えた。

松竹映画100周年の記念の作品。
監督は松竹を支えてきた山田洋次氏。
「男はつらいよ」シリーズがなければ、松竹の経営はかなり厳しかっただろう。
貢献度でいえば100周年は山田監督しかない。
ふと、思った。
この作品は松竹がやりたかったのか、
山田監督がやりたかったのか。
いかにも松竹っぽく山田監督らしいので、キッカケが気になってしまう。
スタイルは山田監督の定番中の定番で昭和的。
何かがあった時になんかが起きるとルールが守られている。
よく分かんない表現ですね(笑)。
監督に詳しい方は納得してもらえるはずだ。
僕の本作の事前知識は主役が志村けんから沢田研二に変わったことと、
昔の映画を題材にした作品であることくらい。
(敬称略ですみません)
ある種、活況だった日本映画へのオマージュかと・・・。
確かにその要素は含まれるが、主張は微妙に違う。
そこは観て確認してもらいたい。
ネタバレにならないことでいえば、
主役の若かりし頃を菅田将暉が演じ、老いぼれを沢田研二が演じている。
相方の若かりし頃を永野芽衣が演じ、献身的な老婦を宮本信子が演じている。
超個人的な感想だが、若かりし頃の永野芽衣はメチャ可愛い。
あんな態度で接すれば誰でも惚れてしまう。
昭和の大女優を演じた北川景子が一目を置くのも理解できる。
ちなみに昭和の銀幕ヒロインを演じた北川景子も見事。
昭和30年前後の雰囲気を上手く醸し出している。
勝手な想像でいえばリリーフランキーが小津安二郎で北川景子が原節子か・・・。
それは僕の乏しい想像力でしかないが、そんなイメージがノスタルジックに僕を襲う。
よき日本映画を懐かしんでいるようにも思える。
往年の日本映画ファンならそれでいい。
年配者のみを観客とするのであれば問題ない。
しかし、本作にはこれから日本映画を支えるであろう
菅田将暉や永野芽衣が重要な役を演じている。
配給側は理解をしていると思うが、その客層を掴めているのか。
少々心配であったり・・・。
いい意味でも悪い意味でも本作は日本映画のこれまでとこれからを占う作品。
松竹が次世代の作り手をどう育てていくのか。
楽しみに待っていたい。
ブログを書いているうちに違う方向に向かった。
これは映画評といえるのか。
そのあたりはキネマの神様に聞いてもらいたい(笑)。

例年、この季節になると戦争の悲惨さや愚かさを伝える特集番組が組まれる。
意味があり、続けることで同じ過ちを繰り返さない戒めにもなる。
映画も同様。
この時期には反戦要素の強い作品が公開される。
それも大切なこと。
ただ僕らが見る世界は日本が舞台で、その悲劇を伝えるのがほとんど。
あくまでも自国の目線が中心。
それは間違ってはいないが、視野を広げれば、
同じように悲劇を繰り返さないために作られた海外の作品も多い。
本作もそう。スロバキア・チェコ・ドイツの合作。
アウシュヴィッツ強制収容所で起きた実話を描いている。
自国を否定する映画を作るドイツは尊敬に値するし、
僕らが知らない世界を映画という媒体を通し歴史認識が深まるのは感謝すべき。
ホロコーストの事実をおぼろげに認識しても、実態を知る機会はあまりない。
本作を通して、戦争の悲惨さを改めて学ぶことができた。
簡単にいえば、アウシュヴィッツ強制収容所を脱走した若者が、
真実を伝えることで12万人のユダヤ人の命を救ったストーリー。
しかし、そこに感動はない。
厳しい事実を見せつけるだけ。
演出された映画ではあるがドキュメンタリーの再現ドラマにも思える。
余計な感情を排除し、真実に基づいた出来事を忠実に伝える。
それがメッセージとなり、僕らはアウシュヴィッツ収容所の恐怖を認識する。
昨年、観た「サウルの息子」はハンガリー系ユダヤ人からの角度だったが、
本作はスロバキア系ユダヤ人の角度。
角度を広げれば解釈も広がる。
映画は楽しむものであり、学ぶものだと改めて実感。
脱走する主役の2人は、「逃げる」ことが目的ではなく「伝える」ことが目的。
その方が危険度は高い。
肉体や精神が破壊してもおかしくない極限状態が続く。
それを支えるものは何なのか。
ラストの長回しでまざまざと受け止めた。
映画の冒頭で「過去を忘れる者は、必ず同じ過ちを繰り返す」と
哲学者ジョージ・サンタヤーナの言葉が紹介される。
エンドロールには各国の首脳の発言が・・・。
それが映画の最大のメッセージなのか。
この時期に日本で公開されるのも大きな意味があるのだろう。

主演女優は元「乃木坂46」の伊藤万理華さん。
僕は知らないが、プロフィールを見ればアイドル映画と思う。
しかし、それは映画を観る前段階で否定できた。
僕が観た映画館では年配のお客さんが多い。
若いお客さんからすれば僕もそこに属するが、僕から見ても年配者は多い。
元乃木坂46を好きなお年寄りは少ないはず。
それが本作の評価を明確にする指針になるのではないか。
男性客中心なのでアイドル要素が強いかもしれないが(笑)。
本作は映画ファン、それも自主映画に関わった人なら特別な存在になる。
なんせ舞台は高校の映画部。
僕も大学時代とオーバーラップさせながら、自分勝手に一喜一憂していた。
気持ちはメチャクチャ分かるのだ。
ネタバレしない程度に紹介すると主役は映画部の女性部員。
ハダシという名の監督志望の元乃木坂46。
自分たちで制作した作品を文化祭で披露する。
それは僕の学生時代と同じ。
学園祭に向け映画を作り、そこで発表するのが大きな目的となっていた。
そのために製作費をかき集め、ロケハンをし撮影(その前に脚本だけど)、
そして編集して1本の映画を仕上げる。
当時を思い出しながら映画を観ていた。
大きく違うのは制作もデジタル化。
本作では撮影もスマホで行っていた。
それには正直びっくり。
当たり前だが編集もPC。
時代の進化を感じた時間だった。
いいたいことはそんなことではない。
高校生が自らの夢に向かいながら葛藤する青春映画。
55歳を迎えた僕はこの手の作品に自分の気持ちが揺れ動かないと思っていた。
しかし、GW中に「アルプススタンドのはしの方」を観て、感受性が残っているのに気付いた。
青春映画で感動できる自分を・・・。
本作もまさにそれ。
自主映画出身者ではなくても主人公や巻き込まれる仲間に共感し、ウルウルしてしまう。
青春映画としてバッチリな作品。
それも10代、20代を喜ばせるのではなく、
50代、60代を喜ばせる青春映画にあたるだろう。
松本監督は自分たち世代をターゲットに置いていないはずだが、
結果的に観客をみれば間違いではない。
いい意味でターゲットを広げたね。
ある意味、不変のテーマなんだよ。
キラキラした好きとか嫌いはないが、
(いや、イヤミでそう演出してるか)
その真っすぐな向き合い方に僕は素直に感動。
ただ本作はごく一部の映画好きが評価する作品だと思う。
たまにはそんな作品があっていい。
僕が純粋に楽しめた映画だったから・・・。

当初は本作ではなく「返校 言葉が消えた日」を観る予定だった。
社会派ドラマよりホラーの要素が強いと思い、
観賞日直前でこちらに切り替えた。
近くの映画館で時間帯が合ったというのが映画を観た正直な理由。
僕はミュージカルに心を踊らされることはなく、
3年前の「グレーテスト・ショーマン」程の話題性がないと観ない。
本作はそこまでの話題性はないと思うが、
時間の余裕のある時に何も考えず観るには最適な作品。
本作を非難しているのではない。
夏休みに弾けたい気持ちがある時に観るには相応しいということ。
この季節にマッチした一本といえるだろう。
上映時間は143分と少々長い。
通常の映画なら途中に中だるみするケースは多い。
2時間を超える時間で集中力を維持するのは意外と難しい。
作品の持つ緊張感が重要。
しかし、本作に緊張感があるかといえばそうではない。
むしろ一般作に比べて、ないともいえる。
それでも維持できるのは定期的に訪れる美しく楽しい音楽とダンスがあるから。
映画に登場する全ての役者陣が一糸乱れることなく、
最高のパフォーマンスを発揮する。
そのシーンを切り取って観るだけでも十分な価値はある。
それが肝となるシーンで繰り広げられ、観ている者を楽しませる。
そうして映画は流れていく。
そして、大切なのは必ずハッピーエンドで終わること。
この類のミュージカルで絶望的なラストシーンを迎えるとなると、
これまでの時間が無駄になる。
盛り上がった宴会が締めの社長の挨拶でドン引きとなり場が凍り付くのと同じ。
あっ、僕はそんなことはしないからね。
空回りはあるけど・・・。
ミュージカル映画のラストシーンは定番でなければならないのかも。
僕は日本映画のファンだが、こういった作品を日本で作るのは難しい。
英語だから堂々と作品を打ち出せる。
人種の気質もあるとは思うけど・・・。
アクションやアニメのいいが、こんな作品を家族で観るのもいいかもね。

刺激的なタイトルと刺激的な帯に惑わされ購入してしまった(笑)。
日本のGDPの伸び率の低さはあちらこちらで目にする。
生産性が低いということも耳が痛いほど聞く。
実際、日本人は労働時間が長い割に収益性が低いとも・・・。
懸命に働く身としては納得しがたい面もあったが、
本書を読んでようやく納得することができた。
そこにも大きな要因があったかと・・・。
帯にも書いてあるように、ディズニーもダイソーも世界で最安値水準。
ダイソーは何となく理解できるにしても、
ディズニーランドは高いと思っている人は多いんじゃないだろうか。
ただそれは日本人の感覚。
日本の8200円に対し、フロリダ州では約14500円だし、パリでは約18000円。
他国のディズニーランドと比較すると格安。
僕が初めて行った大学時代はいくらだっただろうか。
確か5000円弱だったような。
今から35年前。
そう思うとそれほど変わらない。
僕が働き始めた頃と多くを比較するともっと変わらないことが言える。
当時ランチは700円程。
今とほとんど変わらない。
スーツは6~7万だった。
バブル期だったとはいえ、新人でその値段のスーツは今よりも遥かに高い。
適正な価格をみても3~4万。
むしろ今の方が安いのではないか。
回転寿司はあったが、100円のクオリティはなかった。
そんな例だけ見ても日本はこの30年ずっとデフレ。
平均世帯年収が変わらないのも当然といえよう。
そこには行き過ぎた価格競争がある。
今でも価格競争は続いているが、そろそろそれもお終いにした方がいいと
本書を読みながら、つくづく感じた。
それが幸せだと感じる人も多いし、物価が安い方が生活はしやすい。
だとしたら給与が上がらないことに対しても文句をいっちゃいけない。
そんなふうにも思う。
海外の方がモノが安いなんて幻想で、それは内側しか見ていない証。
自戒を含め、現状認識が必要。
日本人が裕福だと思うのも過去の話なわけね。
もちろんバイアスが掛かっている面はあるだろうが・・・。
商売柄気になったのが、海外人材の報酬や転職者の賃金。
ここで完全な差がつく。
最近日本でも優秀な人材であれば新卒でも1000万を提示する企業があるが、海外では当たり前。
自社ができない力不足は棚に上げて、その賃金の上がり方の差は理解しておく必要がある。
一時期、積極的に展開していたベトナム辺りからの高度人材も
日本には魅力を感じなくなってしまうかもしれないし。
国内の競合だけ考えれば給与差はあまり競う材料にならない。
せいぜい数百万の世界。
それが海外企業だと2~3倍となるから勝負にならない。
優秀な人材は持っていかれる。
もちろんロイヤリティがあるので、すべてにはならないが、
いずれロイヤリティでは戦えなくなる。
他人事では済まされない。
そう、すべてにおいて自分事と捉えないといけない。
京都あたりのホテルに安く泊まることばかり考えてちゃいけない。
思考停止と同じ。
簡単に抜け出せることではないけれど(汗)。

監督は25歳の女性。
それも主演作もある立派な女優さん。
こんなカワイ子ちゃんがこんな映画を撮るのか・・・。
そんな表現をすると、ダイバーシティの時代では偏見と非難を浴びる。
それは時代の象徴ともいえるし、若い世代が活躍の場を広げる可能性でもある。
アイドルがブームに乗って自分勝手に作品を作るのではない。
才能ある者が豊かな表現力で時代を切り開く。
何の知識を持たずに本作を観れば、
中堅社会派監督が撮った作品と勘違いするだろう。
それだけ映画には落ち着きと貫禄がある。
細かな演出はとても初の長編作とは思えない。
最近は国内外問わず女性監督の活躍が目立ってきた。
映画界も徐々に変化している。
変化するといえば、映画の制作現場も変化がみられるようだ。
先日の日経新聞にも掲載されていたが、
制作現場の働く環境も改善されているという。
昔は働く時間は有無をいわさず、セクハラ、パワハラの横行が当然の職場。
しかし、それでは辞める人が後を絶たず、
現場に残るのはベテランだけになってしまった。
環境改善で若い才能を活かす場を作らなきゃいけない。
そんな記事が掲載されていた。
本作の小川紗良監督も改善された現場だからこそ、生まれた存在かもしれない。
それを考えると過酷さの必然性を言い訳に若いの才能の芽を摘んできたともいえる。
どんな業界でも改善が求められているわけね。
話が逸れた。
本作は実際、日本のどこかで起きていそうな話。
無縁であって身近な出来事。
こんな環境を作らないのが、僕は親の責任と思うが、
何らかの理由によりその責任を放棄してしまう人も存在する。
意外と身近に・・・。
映画から現実の辛さを味わうことはできるが、間接的でしかない。
ただここで大切なのは間接的な経験をいかに自分事に落とし込むか、
いかに当事者の立場として理解することができるか。
その点において、小川監督の演出は素晴らしい。
とても25歳の女性とは思えない。
おっと、また、非難を浴びそうな発言。
とても小さな作品であるのは間違いない。
残念ながらローカルな映画館でしか公開もされない。
しかし、僕らは一定量、そこに目を向ける必要がある。
世の中は決して楽しいことばかりじゃない。
勧善懲悪な世界ばかりではない。
小さな希望を抱きながら自分と向き合うことも大切。
それを感じた作品だった。

この映画を観ながら思い出した作品があった。
4年前に観た「愚行録」。
ある部分が似ている。
そのある部分が主役の行動を過激なものにしていく。
そこだけが似ていて、あとは何も被らない。
「愚行録」は憂鬱になったと締めくくったが、本作はむしろ逆。
爽快な気分で映画を観終えることができた。
ポスターや予告編からは過激な復讐劇を想像させ、
残酷さが頭に焼き付きそうだがそうではない。
捉え方はマチマチだが、僕は爽やかな友情物語と受け止めた。
その見方も怪しいものだが・・・。
映画の内容に触れたいが、本作は何も情報を入れずに観た方が楽しめる。
作品の紹介や評論を読まないことをおススメしたい。
僕はそれを読んだ上で観ることを決めたのだが、
中身を知らない方が驚きと感動を覚えるだろう。
騙されたと思って、何も知識を入れず映画館に足を運んでもらいたい。
そんなことを書いたら、ブログであと何を言えばいいのか。
作品の紹介も評論も読むなといいながら、映画コラムニストとしてブログをまとめなければならない。
困った・・・。
どうでもいい話だけしておこう。
本作は今年のアカデミー賞で、5部門にノミネートされ脚本賞を受賞。
巧みな構成が脚本賞に値したのだと思う。
メチャクチャ斬新というわけではない。
世にはもっと難解で脚本賞に相応しい作品もあるが、
エンターテイメント性において感じることもできる。
主演女優賞にもノミネートされたキャリー・マリガンはこの作品で初めて知った。
最近の海外の女優さんはほとんど分からないので、大体は初めて・・・。
彼女の豹変ぶりも素晴らしい。
素の可愛らしい女性から異常な世界へ自らを誘うその表情。
本性でもあり演技でもあるその演技は時に人を辛くさせる。
こちらの感情移入を巧みにコントロールする。
きっと何を言っているのか伝わらないので、やはり映画館に足を運んでください(笑)。
ずっと日本の女優さんに似ていると思っていたが、香里奈さんに似ていないか?
そう感じたの僕だけ?
最近、見ないけど何をやっているんだろうか?
名古屋市出身だし、頑張ってほしいけどね。
なんとか作品の内容に触れることなくブログを終えれそう。
「プロミシング・ヤング・ウーマン」とは明るい未来を約束された女性のこと。
日本語訳をタイトルにするわけにはいかない。
僕の好感度は高かったけど・・・。

先月、SQUETのオンライン講演会で一橋ビジネススクールの楠木健教授の講演を拝聴。
やたら面白く、その流れで本書をポチっとしてしまった。
彼は作家で大学の先生だが、喋り手としても上手い。
そしてとても痛快。
その低音の声も魅力的だ。
あの声でオチャラけた話をされるとなぜか高尚になる。
不思議だ。
4年前に参加したイベントも刺激的な内容だった。
こんな先生ばかりなら授業も面白いだろう。
本書のタイトルだけでは中身を想像するのは難しい。
変に勘ぐるよりも素直に受け取った方が納得感は強い。
分かりやすくいえば映画「バックトゥザフューチャー」みたいなもの。
いや、違う、全然的確な表現じゃない。
未来ではなく過去が重要といっているだけのこと。
楠木氏の解説では、
逆・タイムマシン経営論が、「新聞雑誌は寝かせて読め」を標榜するのは、
新聞や雑誌の記事が、一定の期間を置いてみると、
良書に勝るとも劣らぬスローメディアへと変質するからです。
といっている。
特に本書で取り上げられていたのが、日経ビジネス。
刺激的な特集タイトルが賑わせる。
●●革命、●●は消える、●●時代の終焉など、未来に対して脅しとも受け取れる内容に
僕らは危機感を覚え、時代遅れにならないように焦る。
10年後消えると言われてたものが消えたかといえばそうではなく、
実際はその当時より伸びてる場合もある。
それが真実かどうかは昔の記事を読み返してみると判明する。
だから著者は寝かせて読めという。
日本でも「人口増が諸悪の根源」といわれた時代があった。
しかし、今は「人口減少が諸悪の根源」的な要素が強く、
あちこちのニュースで取り上げられている。
増えても減っても諸悪の根源ということ。
今の議論が20年後本当に当てはまるかはわからない。
そんなことが僕らの周りには多く、振り回され将来への悲観や楽観を繰り返す。
歴史をじっくりと眺めることと自分で判断を下す思考力を身に付けることは必要。
常に振り回される身としては肝に銘じなければならない。
著者はそれを「激動期トラップ」と面白おかしく表現する。
他にも「飛び道具トラップ」とか「遠近歪曲トラップ」とか・・・。
シリコンバレー礼賛のイメージもそう。
シリコンバレーでベンチャー企業が続々と誕生し、
世界の先端を走っているように思うが、全てではない。
当然、消えていく企業も多いし、そこを拠点としないと世界の先端を走れないわけでもない。
しかし、数々の記事を読むと勝手に信じてしまう。
「遠近歪曲トラップ」に陥るわけだ。
そして、「テンゼロ・オジサン」にならないようにも気をつけないと・・・。
「●●3.0」から「●●4.0」に移ったなどというが、その決定的な違いは何か、
さらにその先はあり得るのか、変化の本質を論理的に考えることも必要。
言葉だけで踊らされていないか。
僕も「テンゼロ・オジサン」の一人かもね(汗)。
そんなことも含め。本書は逆・タイムマシンに乗れというのだ。
ドイツの文学者、シュレーゲルがこんな言葉を残している。
「歴史は後ろ向きの預言者である」と・・・。
「今こそ激動期!」と無責任に振り回されないようにするのも大切。
確実に前に進むにしても、一旦立ち止まり、過去を振り返る作業もね。
僕は「シナジー・オジサン」にならないように気をつけます。