珍しく今年で3本目の中国映画。
これまで注目してこなかったが個性的な作品が増えたように感じる。
「FPU 若き勇者たち」も「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」もガンガンに攻める映画。
圧倒的な自己主張のある作品。
メリハリがあり娯楽要素が強いのがこれからの中国映画かと思わせる。
韓国映画に対抗意識があるのではないか。
いい意味で競い合っている。
香港映画の流れを組むこれからの路線かと思わせてくれた。
しかし、それは偏った見方。
本作はその反対に向かう作品。
まるで前述した中国映画らしさがない。
僕らが見てるのは一面で本作が象徴的な姿かもしれない。
中国のことは表面的にしか知らない。
同じ仏教国でありながら弔辞などの習慣は異なる。
こんな世界があるんだ・・・。
本作は脚本家としての夢が破れた弔辞を代筆する若者を描く。
いや中年に差し掛かりそうなので若者ではないな。
あまりにも頼りないのでそう思える。
弔辞の代筆なんていう商売があることを初めて知った。
多分、日本では存在しない。
代筆はあるかもしれないが商売として成立するなんて聞いたことがない。
中国との文化の違いか。
それだけ弔辞の意味や役割が大きい。
主人公ウェン・シャンは依頼主に対して丁寧な取材を行い故人の人物像を追う。
人物像は人により捉え方が異なるので物議を醸すが、それぞれの生き様がある。
そんなやりとりが淡々と描かれる。
静かに時間は流れ、ウェン・シャンは自問自答しながら様々な境遇の人に向き合う。
僕らがイメージするガツガツした感じはない。
感情的な場面もほとんどないため盛り上がるシーンもほぼない。
空気が流れるように映画も流れる。
中国映画らしさがないといったのもそんな理由。
ウェン・シャンの葛藤に共感する人もいれば、退屈に映る人もいるだろう。
不思議に見えた同居人の存在が映画が進むにつれて見えてくる。
そこがカギともいえるかも・・・。
中国の見えなかった一面を知れたことが本作の収穫か。
なんとも不思議な作品だった。
個人的には・・・。