巨匠ケン・ローチ監督の最後の作品といわれる。
2023年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門にも出品されている。
そうであれば、なぜ、もっと早くに公開されないのか。
2024年、せめて2025年の公開でもいいのではないか。
配給会社の事情もあるだろうが、せっかくの良作はもっと早く手元に届いてもいい。
なにか勿体ない気がしてならない。
10年近く前まで監督の存在を知らなかった。
初めて観たのが「家族を想うとき」。
閉塞感のあるイギリス社会を鋭く描いていた。
その後、「わたしは、ダニエル・ブレイク」を鑑賞。
キネマ旬報ベストテン1位の作品でもあり、広がる格差社会を映し出した。
そこからの本作なので話題性もあると思うが、ごく一部の人に限られるのか。
決して楽しい映画ではないし。
楽しい映画じゃなくても観なくちゃいけない映画もある。
世界の社会情勢に疎い僕はこんな作品から人々の生活を知る。
それもごく普通の人々。
日本でもそうだが、少し地方の平均的な家庭を知ることで日本全体を理解することは多い。
本作もそんな感じ。
舞台は2016年のイングランド北部にある炭鉱の町。
以前は栄えたが今は主たる産業がなくなり、人々の生活はラクではない。
昼間からパブでビールを飲み、愚痴をこぼすオヤジたち。
それを咎めることはできない。
見方を変えれば社会の犠牲者。
そこにシリアからの難民が移り住み不満は募る。
難民を非難するオヤジたちは理解のない人に思えるが、
今や世界中、そんな人が溢れている。
3年前じゃなく、今年日本で公開されるのも、もしかして意味がある。
日本の事情もこの数年で変化。
寛容性がなくなり外国人に対して誹謗中傷も増えた。
それを踏まえての今年公開?
もし、そうだとすれば前文は撤回しないといけない。
主役は店の看板が壊れても修理もできないパブのオーナーTJとシリア難民女性のヤラ。
2人の交流を通して、当時のイギリス社会を映し出す。
今とどう違うのか。
難民に対しての理解が深まったのか。
むしろ逆。
舞台が2026年ならもっと辛辣な状況が描かれたかもしれない。
「家族を想うとき」は救いようのないラストだったが、本作は異なる。
希望を抱くことができた。
しかし、それは10年前のこと。
そのあたりをどう捉えるか。
ケン・ローチ監督はそこまで予測して本作を仕上げたのか。
キャッチコピーには「世界に伝えたい、心揺さぶる感動作」とある。
もっと話題にすべきだし多くの目に触れるべき。
知らないまま過ぎていくのは惜しい。
もっと上映の機会も増やしてもらいたい。


