争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール 争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール
(2011/12/15)
木村 元彦

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全くおろかである。何が?って。自分が・・・。と自虐的になってしまった。
一つは本書の存在。
同級生丙午経営者の櫻山さんのブログで、本書の存在を初めて知った。既に初版からは一年近く経過している。スポーツノンフィクションの分野は比較的詳しいつもりでいたが、こんな素晴らしい作品を知らないなんておろかだ。
そして、もう一つ。
迂闊にも通勤電車の中で涙をこぼしそうになってしまった。木村氏の名著である「オシムの言葉」も、読みながら電車の中で泣きそうになってしまったが、同じ行為を繰り返しそうになった。
いいオジサンが満員電車の中で泣いてしまうなんて、おろかとしか思われないだろう。何とか踏み止まったのだけど・・・。
ジャンルで言えば、スポーツノンフィクションにあたるのだが、法廷ドラマであり、医学書であり、ビジネス書でもある。そこには正義があり、勇気があり、覚悟がある。
しかし、正義や勇気や覚悟も本書の前では軽い言葉にしか聞こえない。言うだけでは何の価値もないのだ。行動を起こさない限り。
我那覇選手のドーピング事件は新聞報道で知ってはいた。冤罪であったことも。ただそれはうわべの事実を読んだに過ぎず、本書に書かれている凄まじい真実は知る由もない。
表面的な報道に関心を示していただけの情けない存在に過ぎないのだ。物事の本質を見抜く力は持ち合わせていないな・・・。と自分自身にがっかりしてしまう。
本書を紹介した櫻山さんがお勧めしていたように、サッカーファンやリーダーは読むべき一冊。大きな組織や権力に対して向き合っていきたい人も・・・。