近年、聴覚に障がいのある人をモデルにした素晴らしい映画作品が多い。
4年前の『コーダ あいのうた』
3年前の『ケイコ 目を澄ませて』
2年前の『ぼくが生きてる、ふたつの世界』。
いずれも秀作であり、健常者の視点から見た「ろう者」とのすれ違いや葛藤、
そして相互理解に至る人間模様を丁寧に描いていた。
第三者にも伝わりやすく、感情移入もしやすい。
僕の視点もそこにあった。
しかし、本作は、それらとは一線を画す。
描かれるのは、聴覚に障がいを持つ3人の若者の視点。
人工内耳を装用し「聞こえる人」として“普通”の生活を送ろうとするソフィー。
生まれながらのろう者として、手話話者であることに誇りを持つジーソン。
そして、人工内耳装用者であり、手話と口話のバイリンガルとして生きるアラン。
この3人の関係性だけで、僕の想像を遥かに超える世界が展開される。
想像力の乏しい僕は、聴覚に障がいのある人は皆、
同じような思考や悩みを抱えているものだと決めつけていた。
だが、当たり前の話だが彼らも三者三様。
それぞれに独自のアイデンティティがあり、譲れない理想がある。
「聞こえる世界」と「聞こえない世界」の狭間は僕には想像できない複雑な世界。
主演のソフィーを演じたジョン・シュッイン。
吉高由里子を「普通の女の子」にした感じで、その自然体な演技もよかった。
彼女とジーソン、アランの3人が、安易に恋愛関係に発展しないのも好感が持てる。
僕らは普段、音があることを前提に生活している。
対してろう者は音がないのが前提。
そして人工内耳装用者は、その両方が前提となり得る。
健常者のエゴで考えれば、当然「音がある生活」を望むだろうと思い込んでしまう。
しかし、それは果たして本当なのか。
音のない世界で、手話を通じて魂をぶつけ合い、互いを深く理解する。
そこには余計な雑音が存在しない分、よりストレートに想いが伝わる瞬間がある。
もしかしたら、その世界は我々が思うよりもずっと、純粋で素敵な場所なのではないか。
ろう者の方々の苦労や大変さを理解しないまま語るのは無責任甚だしいが、
鑑賞後、そんなことさえ感じてしまった。
自分たちの言葉で、自分たちの生き方を語る。
ステキな香港映画だった。


