入社7年目(1995年)28歳の時に主任になった。
今の名大社でいえばサブリーダーのポジション。

驕った表現ではなく、その昇格は遅かった。
それまでに十分相応しい実績は出していた。
そんな見られ方は周りもしていたと思う。
自分もなぜだ、なぜだと思っていた。

その前後に直属の上司に言われた。
できれば山ちゃんとF(同期)を一緒に上げたいと・・・。
その同期の実績が伴うのを待っていたとのこと。

しかし、結果的に僕が先に昇格した。
それが原因ではないと思うが、しばらくして同期は退職した。

当時、名大社では主任は部下を持つことが前提。
僕も初めて部下を持った。
中途で入社した4歳年下のT。
いろんな経緯があり名大社に入社したのだが、とても優秀な人材。

最初に「同い年だけど新卒入社の先輩Yを抜け」と言ったら、
「そこは見てません。山田さんを抜きます。」
軽く言い切った。
口だけではなかった。

抜群の営業センスを持っていた。
1年目からかなり活躍したのではないだろうか。
僕との相性も良かった。
酒は飲めなかったが、2人でよく飲みにも行き未来を語り合った。

おかげで僕も評価されたし、僕の成績もよかった。
当時は年末に社員総会を行い、優秀社員の表彰をしていた。
いくつかある賞の中で最も栄えあるのが「名大社さん賞」。
その年、名大社を代表する社員がもらえる賞で分かりやすくいえばMVP。

その年は僕が受賞した。
当時では最年少。
役員(その5で揉めた人)と三越に行き、オーダーでブレザーをこしらえてもらった。
「三つボタンにしてください」と頼んだら「調子に乗るな!」と却下された。
派手なエンブレムも付いた。

社員総会で表彰され、着させてもらった。
挨拶で「三つボタンが良かった」と言ったら叱られた。
調子に乗ってはいけません・・・。

あのブレザーはどこへ行ったのだろう。
ほとんど着る機会はなかった。

主任になった一年間はかなり燃えた年だった。

翌年、大阪から何故かやってきた新卒Hが新たに部下になった。
関西弁丸出しで宴会ではメチャクチャ盛り上げる存在だったが、
クライアントでは全く喋れなかった。

そのギャップは面白かったが、成績は今一つ。
部下の育成の難しさを感じた年でもあった。
それでもTとHの3人のチームは勢いもあり楽しく仕事をしていた。

続く・・・。