
「人生の悲劇は二つしかない。
一つは、金の無い悲劇。
そして、もう一つは、金のある悲劇。
世の中は金だ。金が悲劇を生む。」
これはNHKドラマ「ハゲタカ」で使われた名言。
シチュエーションは異なるが、この言葉がしっくりとくるのが本作。
映画を観終わった後に思った。
この秋は見応えのある日本映画が続く。
しかし、重くて暗い作品が多すぎないか。
「愚か者の身分」「盤上の向日葵」「爆弾」「港のひかり」
この2ヶ月だけでもそんな作品が並ぶ。
その中でも本作はさらに重くて暗い。
北川景子の美しさがなければ辛くて観れなかった。
それは大袈裟だが、非現実的でありながら現実的な世界。
シングルマザーで近い生活はあるのかもしれない。
何を大切にするか、何を護るか。
シングルマザーの中には育児放棄や虐待を行う者もいる。
一方で愛情を注ぎながらも先が見えず苦しむ者もいる。
少なくとも愛情を注ぐ母親には何とかなって欲しいと思うが、
世間は上辺でしか物事を判断できない。
それが不幸を加速させる。
そんな場所に北川景子演じる夏希は存在する。
彼女がドラックの売人になることに「やめておけ!」と心の中で叫んでも、
どこか同情し許してしまう。
夏希と偶然出会った女性格闘家の多摩恵は自分と重ね合わせながら、
夏希とその家族と守っていく。
多摩恵を演じるのは森田望智だが格闘能力もなかなかなもの。
この2人を中心にドラマはあらぬ方向に向かっていく。
まあ、ストーリーはそんなところまでにしておこう。
そして、冒頭の金のない悲劇と金のある悲劇。
夏希の家族と多摩恵は一体どうなっていくのか。
明るい未来を想像する人は少ない。
いや、いないと思う。
夏希と多摩恵はどうか。
望みがある限り前に進む。
諦めない。
それが正しい姿。
僕は本作のラストは内田監督の優しさだと感じた。
希望は持ち続けるのだと。
本作にはもう一人母親が登場する。
裕福な家庭でありながら幸せを感じない田中麗奈演じるみゆき。
娘との繋がりは金。
後妻とも本妻とも判断がつかない。
彼女も最大の愛情表現を示す。
それはゆがんだ愛情表現。
貧困でありながら真っすぐな愛情。
裕福でありながらゆがんだ愛情。
皮肉を感じる。
世の中は金だ。金が悲劇を生む。
そんな作品だった。

原作となったフランス映画「パリタクシー」は観ていない。
却ってその方がよかった。
観ていたら純粋に本作を楽しめなかったかもしれない。
比較しても仕方ないし。
山田洋次監督は現在94歳。
数年前は監督として衰えたと思っていたが、
(失礼ですね・・・)
いやいやそんなことはない。
ヒューマンドラマを描く力はまだまだ一流。
そんなことを感じた作品だった。
倍賞千恵子が主演で柴又帝釈天からスタートするリスペクトが作品を後押しする。
20代だったさくらは80代のすみれになった。
華やかさは異なるが美しいには変わらない。
すみれの方が可憐ともいえるし。
何度も予告編を観て相方がキムタクなので止めようかと思ったが、
(決してキムタクが嫌いなわけじゃないです・・・)
止めなくてよかった。
当初、抱いていたタクシー運転手浩二役の違和感は徐々に薄れた。
すみれの言動が浩二を変化させる。
すみれの物語であると同時に浩二の物語でもある。
なぜタクシー運転手になったかまで深掘ると明確な人間性が理解でき、
よりスムーズにラストシーンへ繋がったように思う。
簡単に言えば東京観光をしながら浩二とすみれの一日の交流を描いただけの物語。
簡単すぎるな(笑)。
映し出される東京の風景とは別の物語が涙を誘う。
すみれはなぜ自分の過去をすべてさらけ出したのか。
背景的に浩二じゃなくてもさらけ出した可能性は高い。
しかし、感動的なドラマになったのは浩二だったからこそ。
オーソドックスで想像を裏切らない展開はチープな作品になりやすい。
そうならなかったのは監督の力量であり、二人の演技。
映画館内はすすり泣く声が響いていた。
山田洋次監督はいつまで映画を撮るのか。
近年は2年に一本のペース。
となると次回作は96歳。
意外と容易く撮ってしまうのかも。
そんなことを思ったり。
エンドロールをみると意外な名前が並ぶ。
明石家さんまは全く分からなかった。
物語に支障がないのでこれだけネタバレさせてほしい。
あ~、電話の主ね・・・。
松竹らしい年末に向けた泣いて笑っての作品。
誰もが楽しめる一本といえるだろう。

「さよならは別れの言葉じゃなくて再び逢うまでの遠い約束~」
は薬師丸ひろ子が歌った「セーラー服と機関銃」の歌詞。
公開時、国語の教師が歌詞を絶賛していた。
映画を観ているうちにそんなことを思い出した。
「愛って、よくわからないけど、傷つく感じが素敵~」
これは同じく薬師丸ひろ子の「メインテーマ」の歌詞。
上映は確か1984年なので高校3年生の時。
受験生だったが夏休みに観た。
本作を観た後、何度も口ずさんでしまった。
同世代であればそんな人は多いんじゃないかな。
大切なシーンで使われ、美しくもあり悲しくもある曲とだけいっておこう。
今年は不思議とラブストーリーを観る機会が多い。
とうに卒業したつもりだったが、少なからず大人の恋愛に憧れがあるのか。
本作はなんといっても井川遥。
設定は50代だから驚きだ。
それもパート勤めのアパート暮らし。
生活もギリギリ。
「いやいや、いるはずないぞ」と自分に言い聞かせながら、吸い込まれた。
井川遥演じる須藤葉子は太い。
堺雅人演じる青砥のセリフにもあるが、そんな言葉が似合う生き方。
美しさは当然ながら、その言動にも惹かれた。
2人は中学時代の同級生。
須藤も青砥もバツイチのひとり身なので、やましいことは何もない。
堂々と付き合えばいい。
にもかかわらず・・・。
とストーリーとしてはここまでにしておこう。
大人の恋愛映画って、上手くいかないことが多い。
本作はどうか。
お互いを思いやる気持ちがあるからこそ複雑。
冷静に考えれば納得できるし、感情的になれば納得できない。
誰の人生でもそんなことなのかもしれない。
中学時代と現在を行ったり来たりすることで、2人の関係性が徐々に明らかになる。
観る側も引き寄せられ、いつの間にか2人を応援する。
だからこそ予測のつく結末も許される。
もしかしたら何の支障もなく僕がシアワセに暮らすのは奇跡かもしれない。
それは誰のおかげか。
そんなことを考えると家人をもっと大切にしなきゃと思ったり・・・。
大人の恋愛映画は50代も終わろうとするオヤジに多くを教えてくれる。

イスラエルのネタニヤフ首相を描いたドキュメンタリーだが、
僕はサラ夫人がもう一人の主役だと感じた。
サラ夫人はきっと若い時は美しい女性だったと思う。
年齢と共に顔つきは変わる。
それもどんな経験を積むかで顔つきは変わるだろう。
お金と権力を持つとここまで傲慢になれるものか。
その傲慢さが顔つきに表れていると思うのは僕だけか。
そして、本作のポスター。
意図的に極悪非道に見せている感じで、まるでマフィアのドンのよう。
この2人の表情だけでどんな世界を描くかは容易に想像できる。
イスラエル国内では上映禁止になったのも当然。
首相が許すわけがない。
本作がイスラエルとアメリカの合作というのも皮肉だが・・・。
パレスチナ・イスラエル戦争の報道はマスメディアを通してしか見ていない。
お互いの関係性を深く切り込んで見るわけではなく、あくまでも表面的。
それは自分の未熟さで、通り一遍の見方しかしていない。
サラ夫人の姿や発言も本作を通して初めて見た。
ネタニヤフ首相の汚職疑惑は知っていても、
どんな人物が絡み、どんなやり取りをしていたかは理解していない。
実態に迫るドキュメンタリーがあるから知れること。
シャンパンとジュエリーがこんなに影響するとは・・・。
人はどこから強欲になっていくのか。
ネタニヤフ首相も若い頃は外向きで国を想うことが一番なはず。
それが保身に走り、自らを護るために戦争まで引き起こす。
正義を振りかざし簡単に戦争を起こすパワーには驚くが、それが権力者の姿。
僕らは作品を通し(これが正しいとすれば)実態を知るが、
どこまで影響を与えるかは疑問。
もっと話題になってもいいし、本作から逮捕への道筋をつけてもいい。
極右勢力と組んで長期政権を維持することで安定に繋がっていくのか。
一人の存在が国を大きく変えてしまう。
特に最近はあちこちの国でそんな一人の存在が大きくなっている。
平和を感じられるのは今のうちか・・・。
そう考えると昨年の「シビル・ウォー アメリカ最後の日」は間近なのか。
本作はもっと多くの映画館で上映されてもいいと思う。

映画を観ながら思った。
本作は藤井道人監督の日本映画に対してのリスペクト。
多くの日本映画を観てきた藤井監督の想いをそのまま映画化したと。
監督に影響を与えたヤクザ映画や高倉健作品らの要素を詰め込んだようにも思える。
撮影は木村大作氏。
冬の富山の風景が実にそれらしく35ミリフィルムでの撮影。
今年86歳の大御所はまだ第一線での活躍。
ここにもリスペクトが存在していると感じてしまった。
エンディングの字幕もかつての日本映画。
今どき文字が左から右に流れる作品はないと思う。
そんな点で本作は完成した時点で目標を達成。
評価や興行収入はどうでもいいのではないか。
それは言いすぎかな(笑)。
出演者も藤井監督に共感する役者が集まった気がしてならない。
元ヤクザを演じた舘ひろしは「ヤクザと家族 The Family」で親分役。
ピエール瀧や一ノ瀬ワタルらも藤井作品の出演は多い。
それもはまり役で。
横浜流星は出ていないが、さすがに忙しすぎるかな。
岡田准一は友情出演でチラッと出てはいるが・・・。
ストーリーに目新しさはない。
昔観たことあるようなテーマ。
元ヤクザの漁師が盲目の少年と絆を深め、自ら犠牲になりながら少年を救う。
周りには親切な人とろくでなしが存在し、その中で関係性を築いていく。
そこにヤクザが絡んできて・・・。
昭和でも平成でも令和でも成り立つ展開。
どんでん返しもなければ、予想を裏切ることもなく、驚く要素はない。
感動させるシーンも泣かせるシーンも筋書き通りのヒューマンドラマ。
僕はそれで十分。
きっとそれが藤井監督がやりたかったことだろうから。
と藤井監督ファンとして勝手に想像。
古くさいとか評価は分かれると思うが、僕は張りつめる空気感を含め見応えがあった。
ヤクザの世界はクスリから詐欺に移っているようだが、
親分とその子分のキレ方もハンパない。
親分の椎名桔平の非情さもよかったが、輪をかけて舎弟の斎藤工がよかった。
剃り込みを入れ眉毛も剃ってしまう役作りには感心。
キャリアを積んでもやることはやるんだね。
それも監督への想いか。
藤井監督にはこれからも期待したい。
日本映画らしい作品をコンスタントに作ってもらいたい。

つくづく歴史を知らないと改めて感じた。
舞台は第2次世界大戦下のドイツ。
当時のドイツといえば独裁者ヒトラーのナチス政権でイメージはホロコースト。
ユダヤ人を中心に外国人に対して敵対関係が頭に浮かぶ。
当然、同じドイツ人は味方と思うのが普通の捉え方。
戦時中の日本を見ればわかるが、政府に反抗する者は非国民扱い。
本作も同様。
ヒトラーに反抗する者はアウシュビッツ並みの迫害を受ける。
独裁政権の恐ろしさを映画は教えてくれる。
タイトルにあるボンヘッファーは20世紀を代表するキリスト教神学者。
自らの信念を貫くためにナチス政権を敵に回す。
その態度はブレることはなく、どんな制裁にも正面から向き合う。
どちらが正義なのかは一目瞭然。
しかし、それは戦後何十年が経過してわかること。
当時の正義は圧倒的にナチス政権でありヒトラー。
反対意見を示した時点で逮捕されるし、場合によっては処刑される。
感情的な配慮はなく、感情的な憎悪が生まれるだけ。
そんな姿をリアルな映像を通し僕らに訴えかける。
相手を潰すことなんていとも簡単。
描かれるのはナチス政権の強圧的な政策。
観る側は間違いなく否定的に捉える。
昨今のドイツ映画はそこを言い訳することなく、
自国の非道な行為を認める作品が多い。
本作はそれとも微妙に違う。
映画が始まり、すぐに違和感を感じた。
舞台がドイツでドイツ人が出演しているのに言葉は英語。
外国語に疎い僕でもそれくらいは分かる。
大学時代の第二外国語の選択はドイツ語だったし。
それは関係ないか(笑)。
ボンヘッファーが留学したアメリカで英語を操り、ジャズに感化されるシーンは納得できる。
しかし、すべてが英語だとなんとなく違和感を感じてしまう。
それは日本人の僕が思うだけか。
「キングダム」でも日本人が演じ日本語を喋っているわけで・・・。
ドイツ映画と思っていたが、あとで確認するとアメリカ・ベルギー・アイルランド合作。
自国を批判する映画は他国の方がやはり作りやすいのか。
今年観た「ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男」は
忠実に当時に描き否定も肯定もしていなかった。
本作はドイツでも公開されているのかな・・・。
自らを信じ「ヒトラー暗殺計画」を立てた行動は時代と共に評価も変わる。
それを知っておくのも大切なんだろう。

ここ最近で僕が最も好きな監督が三宅唱監督。
「夜明けのすべて」は2024年日本映画の1位にしているし、
「ケイコ 目を澄ませて」は2022年のベスト5の中の1本。
この年は順位をつけなかったが、順位をつけたとすれば1位にしていた。
空気感というか微妙な人間関係を描くのが上手いというのが僕の印象。
派手さはない、ドンパチもない、お涙頂戴というわけでもない。
息づかいがこちらまで届く感覚が素晴らしかった。
本作もそんな作品。
ただ先の2作とは異なり、観る者を選ぶのが本作じゃなかろうか。
元々、大きな盛り上がりを作る監督じゃないと思うが、
本作ほど淡々と進行する作品はない。
つげ義春の作品を読んだことはないが、暗い作品が多いイメージ。
ロカルノ国際映画祭最高賞の金豹賞を受賞したからと期待しすぎてはいけない。
大体、ヨーロッパの映画祭は地味な映画が選ばれることが多いと思うし。
簡単に説明すると、
作品に行き詰まった脚本家が旅先での出会いをきっかけに人生と向き合う姿を描く。
主役はシム・ウンギョン。
すぐに「新聞記者」を思い出す。
彼女は日本中心の活動なんだろうか。
日本語と韓国語の操り方が上手いので重宝されるかもしれない。
そうでもない?。
韓国語の手書きを見る機会はないが、実際に直筆だとあんな感じ。
きっと上手い字とどうでもいいことを感じた。
旅先で出会うのは堤真一演じる旅館の主人。
あんな旅館が成立するとは思えないが、東北の田舎だと納得してしまうのが不思議。
この2人のズレたやりとりがコミカルでもあり愛らしくもある。
「おいおい、それはないだろ!」と思うようなことも軽く流してしまう。
誰もが許してしまう。
そんなふわ~っとした空間が本作の魅力。
強烈なメッセージがあるわけじゃない。
エンディングもなんとなく。
人が何か変わる場合、大きなショックを与えられるよりも徐々に変わるのが本当の姿。
さじ加減が絶妙な映画。
そうそう、本作にも河合優実が出演。
少し前にAmazonプライムで「悪い夏」を鑑賞し、彼女の多才ぶりには改めて驚かされた。
本作は何をしたかったのかな(笑)。
89分という短い映画だが、いい意味で長さを感じた。
ゆっくりと時間が流れるのもいいんだろうね。

畳み掛ける展開で面白く観ることができた。
映画が終わって、しばらくして思った。
スズキタゴサクって、一体何者?
頭脳犯なのか、愉快犯なのか、道連れなのか、都合のいい存在なのか、
結局、解明できないまま終わった。
もしかしらそれが最後のセリフに繋がっていたりして・・・。
本作は予告編を何度となく観た。
個人的には予告編は失敗だと思う。
本編の魅力を消している気がしてならない。
予告編ではスズキタゴサク演じる佐藤二朗は間抜けに思えるし、
刑事・類家役の山田裕貴も傲慢にしか思えない。
スルーしようと感じさせる予告編。
しかし、レビューや友人の評判が予想以上に良く観ることにした。
周りの評価は裏切らない。
期待に沿う作品であった。
あれだけ次から次へと事件が起きれば盛り上がらないわけはない。
映画を面白くしようとすれば、ド派手な事件が数多く起き、
多くの人が泣いたり嘆いたりすればいい。
大きな刺激を与えることになる。
それだけ作品は成功。
サイコパス的なタゴサクと賢すぎて嫌味な類家の絡みだけでも堪能できる。
敢えて取調室は暗い。
ついでに刑事らが仕事をするオフィス?も暗い。
普通、あんなに暗くはない。
それが却って事件の重さを生み、しどろもどろになる人間を描く。
大爆破を描くシーンもありながら、密室劇で全体を通すのが肝。
一つ一つのセリフが持つ意味を徐々に考えさせる優れた演出も魅力。
2人の駆け引きが想像力を働かせ、現実と非現実の合間を彷徨う。
みんな、まんまとやられてしまうわけね。
本筋とは関係ないと思えた加藤雅也(役柄は長谷部有孔)が肝心だったり・・・。
あんな性癖もなくはないんだろう。
ネタバレになっているようでなっていないよね。
一見、ストーリーと関係ないように思えるが本作は組織論の在り方も匂わせる。
野方署の上司・鶴久(正名僕蔵)と部下・等々力(染谷将太)の関係性と
警視庁の上司・清宮(渡部篤郎)と部下・類家(山田裕貴)の関係性。
方や自分の過ちを認めず一方的に部下に命令する。
方や自分の力量を認め、高い能力の部下に任せる。
今の時代、自ずと結果ははっきりする。
裏テーマというつもりもないが旧態依然とした組織が晒される実態を知れた。
誰も感じていない?(笑)
そんな感じで本作はいろんな角度から楽しませてくれる。
楽しさを爆発させちゃいけないけどね。

毎年、秋になると話題作が増える。
本作もそう。
今年前半は不作が多く日本映画が不安だったが、
「国宝」あたりからいい作品が上映されるようになった。
盛り上がったタイミングで日本映画らしい本作の公開は効果的。
単なるお涙頂戴ではない。
綺麗ごとでは済まされない重厚な人間ドラマ。
123分の上映時間が短く感じられた。
舞台は1970年代から1990年代まで。
昭和から平成に移る時代。
坂口健太郎演じる上条桂介は僕よりも少し年上。
同時代を生きてきたので自然に体に入っていく。
僕は高校時代、将棋を覚えたが、ほぼ未経験。
圭介が憑りつかれたように吸い込まれる姿は想像できない。
ただ魅力はヒシヒシと伝わった。
好きな者にとっては最高の勝負事。
こんな作品を観るとにわか知識でも持ち合わせた方が楽しめる。
身元不明の白骨死体が発見からストーリーは進み、
天才棋士・上条桂介の名が浮かび上がる。
その事件を追いかけるのが2人の刑事。
その流れで思い出すのは映画「砂の器」。
紹介サイトやレビューにもその比較が書かれている。
上条桂介は天才音楽家を演じた加藤剛。
佐々木蔵之介と高杉真宙が演じた2人の刑事は丹波哲郎と森田健作。
事件の捜査と共に隠したい過去が解明される。
似た点は多い。
本作は「令和の砂の器」なんて評されることもある。
しかし、個人的な感想でいえば、その比較は酷。
本作を否定するつもりはない。
2025年の映画では上位に入る。
だが、「砂の器」と肩を並べるかといえばそうではない。
画面から伝わる緊迫感は比べものにはならない。
あの寒々しい風景を超えることは難しい。
僕自身も並べた側だが、その観方は止めた方がいい。
純粋に本作を楽しんだ方がいい。
なんだか変なコラムになってしまった。
優れた日本映画には優れた俳優が欠かせない。
主役坂口健太郎の葛藤も良かったが、やはりここは渡辺謙。
「国宝」を含め助演男優賞をかっさらうだろう。
柄本明や小日向文世のベテラン勢もよかった。
大泉洋のお友達はあんな役が最高に合う。
結末はいつも同じ気がして気の毒だけど。
エンディングに流れるのはサザンオールスターズ。
ついに演歌かと思ったのは僕だけか。
本来、向日葵は周りを明るくする。
悲しい向日葵の存在も受け止めておくべきかな。

書籍広告が気になってAmazonでポチると、結構な時間、入荷待ち。
今どきそんな売れている本があるのかとワクワクしながら待った。
僕は地方の自治体が次々にコンサルの餌食となり、
いいように吸い上げられるケースがいくつも紹介されるのかと思っていた。
ライトな展開を想像していたので、それを遥かに超えた。
久々に読んだ骨太のノンフィクション。
通常、こういった作品はノンフィクションライターが取材を積み重ね書き上げるが、
それとは似て非なる。
取材を積み重ねているが、この事件に絡む当事者でもある。
取材しながら自らの体験を綴っていく。
ジャンルは異なるが沢木耕太郎を思い描いてしまった。
著書の横山勲氏は河北新報の記者。
不可解な自治体の請負事業を追いかけ新聞記者魂を貫く。
特にスクープを狙っていたわけではない。
自分の信念に基づいて実態を解明したに過ぎない。
その姿に感動し、地方新聞もまだまだやれるんだと期待感を抱いた。
今、新聞社はどこも経営環境は厳しいはず。
発行部数は減り続け、知り合いの新聞記者はあと15年で新聞紙は消えるとも言った。
しかし、本書を読むと新聞社が根本的に持つ力は維持しなきゃいけない。
本作のメインの舞台となるのは福島県国見町。
正直、どこに位置するかも知らない。
だから狙い目なんだろう。
過疎にあえぐ小さな自治体をターゲットに、
そこに近づき公金を食い物にする「過疎ビジネス」が成り立つ。
地方創生と美しい言葉を並べ、結局は誰のためにもなっていない。
請け負ったコンサルが栄えるだけ。
そんな事実があちこちであるという。
もちろん大真面目に取り組み目指すべき姿が創られることもあるだろう。
だが、多くは予算を掛けた割には成果を見出せず自己満足的に終わることも多いようだ。
もしかしてほとんど?
その分野に関心がなく注視してこなかったが、
東海地域を見渡しても同じような失敗は存在しているかも。
著者は自戒を込めて発している。
予算がない場合、何も考えず行政の担当部署に電話し記事にすることもあると。
そう考えると読み手の力も問われる。
サ~ッと流すだけでなく読み込まないと。
普通に新聞を読むだけでは難しいが、本書からその必要性を感じた。
毎日、地方紙を読んでいる身としては一層、そう思う。
そして、地方新聞社にも頑張ってもらいたい。
読み応えのある書籍だった。