
東宝東和さんから試写会に招待され公開前に鑑賞。
本作がシリーズものであることは知っていた。
ただ過去に3作もあることは知らなかった。
映画コラムニストととして失格(汗)。
単純に恋愛映画だと捉えて興味が湧かなかったのが正直な話。
もっと内容を確認した上で観る観ないを決めなきゃいけない。
世の映画ファンのみなさん、勝手にバイアスかけてませんか?
僕は素直に反省しています・・・。。
第1作目は2001年の公開なのですでに25年近い年月。
第2作が2005年、第3作が2016年の公開。
かなり間隔の空いたシリーズがこうして続くのは貴重。
それも出演者はほぼ同じで同時進行で年齢を重ねる。
ブリジット・ジョーンズファンは一生追いかけて欲しいんじゃないかな。
今更で申し訳ないが過去の作品をこれから観ようと思う。
僕と同じような人は多くないか(笑)。
最新作を観て、作品の面白さに触れ過去を遡る。
正統派ではないがこんな観方があってもいい。
理想は1作から観て本作に臨むのがいいが、本作が初めても十分楽しめる。
共感したら過去の作品に触れてもいいわけだし。
いかん、本作の内容と関係ないことばかり書いてしまった。
肝心なのは本作。
ブリジットは二人の母親でありながらシングルマザー。
4年前に旦那だったマークを亡くした。
そこから物語がスタートし、新しい生き方を模索していく。
周りには旧知の仲間や以前恋仲になった男友達もいる。
このあたりは過去の作品を知っている方が理解は早い。
まずテンポがいい。
そして遠慮がない。
平気でセックスという言葉が飛び交うが、いやらしさは微塵も感じない。
むしろ健康的に聞こえる。
過去も現在もブリジットはモテるのだろう。
抜群の美貌でもスタイルでもない。
ストレートな性格が却って男どもには魅力に感じたり。
さすがにアラフィフにも関わらず、35歳というのは無理があると思うが(笑)。
いくつかの展開に観る側はハラハラさせられ吸い込まれていく。
あとは観てのお楽しみといったところか。
ブリジット役はずっとレネー・ゼルウィガー。
32歳役を演じた初回から今に至る。
シリーズファンは違和感のなさに感動を覚えるのではないか。
次回作は5年後?10年後?
本作よりどんな展開になっているのか楽しみ。
その際もぜひ、試写会にお誘い頂きたい。

不思議な映画だ。
一体ジャンルは何になるんだろう。
めったに観ることのないHPを確認すると、
「魂を撃ち抜く、全く新しいミュージカル・エンターテイメント」
なんて紹介されているが、あまり頷けない。
確かにミュージカルといえばミュージカル。
ただそれはオマケにすぎないような気がする。
そして製作はフランス。
フランスの名匠ジャック・オーディアール監督作だがフランス映画っぽさはゼロに近い。
舞台はメキシコで言葉はほぼスペイン語。
その点も不思議だ。
多様性や複雑性が謳われる昨今、映画のジャンルも国ももはやどうでもいいのかも。
人の多様性を描く意味では理に適った作品ともいえる。
表現が正しくないか・・・。
簡単にいってしまえば、いかつくて恐ろしい暴力的なメキシコの麻薬王が
性別適合手術を受けて女性となり新たな人生を歩むストーリー。
予告編から何かの企みのために女性になったかと思っていたが、そうではない。
シンプルに心も体も女性になりたかった男性。
少し前なら2020年の「ミッドナイトスワン」とほぼ同じ。
それが裏社会に生きるヤクザな男なのでかなり面倒。
結局のところ、このエミリア・ペレスのわがままな人生を描いただけの映画。
そう表現すると身も蓋もないし叱られる。
本作はアカデミー賞もゴールデングローブ賞もカンヌ国際映画祭にもノミネートされた。
れっきとしたメッセージがあるのだ。
人は生まれ変わっても変われないことがあるし、
忘れようと思っても忘れられないことがある。
悪党が善人になっても、善人が悪党になっても同じ。
気持ち次第で全てを変えてしまう。
僕は自分勝手なヤツだと冷めた目で観ていたが、
(いや、そんなことはない。結構、同情してたかな・・・)
想いに共感した人も多いだろう。
予告編からはサスペンス映画を想像。
ミュージカルの要素はなかった。
あえてそうしたのか。
やはり不思議な作品。
ただインパクトは強く心に残った。
ご覧になってこの不思議さを確かめてもらいたい。

何度も予告編を観て、本作はパスしようと思っていた。
重い作品は嫌いではないが、必要以上に重そうだった点と
宗教が絡むと難しい解釈が増える点でパスしようと思ったのだ。
ところが映画評論仲間のBush氏が公開初日に観て絶賛。
凄い衝撃の問題作と評価していた。
宗教的な理解もあると思うが、その言葉を素直に受け映画館に足を運んだ。
カトリック教会に何ら興味を持たない身でも、
新教皇を決める教皇選挙「コンクラーベ」の世界には目を奪われた。
水面下で繰り広げられる様々や陰謀や野望。
そこまでして立場を手に入れたいかと思ってしまう。
積み重ねてきた歴史を否定するつもりはない。
何度も行われる選挙も十分な意味はあるのだろう。
しかし、より冷静に客観的な立場で眺めると、
自分勝手な思想や非合理なシステムに反発したくなってしまう。
これが最高指導者を目指す人や場所なのかと。
そんなことを思わせることが本作の面白さ。
「コンクラーベ」の舞台裏を覗き見ることで人間の本性を垣間見ることができる。
聖職者も一般人も関係ない。
描かれるのは現代。
情報が乏しい中世の出来事ではない。
どんな時代になっても人のエゴや弱さは変わらないんだ・・・。
凡人である僕は教皇候補者に憤りを覚えながらも、なんとなく安心してしまった。
僕が勉強になったのはシスティーナ礼拝堂界隈のこと。
教会というべきか分からないが、あんな施設で食事をし寝泊りをする。
もっと質素な場所かと思っていたが予想外に豪勢。
昼間っからワインも飲んでるし・・・。
そんなとこに関心を持ってどうする(笑)。
本作はできれば予習した方が楽しめる。
枢機卿(すうききょう)って何?と思うのが普通の日本人。
登場人物も押さえた方がいい。
ペリーニ、トランプレ、アデイエミ、テデスコの名前をすぐに覚えられば問題ないが、
そうでなければ顔と名前を一致させた方がいい。
えっ、レベルが低い?
そんなことを感じた作品。
知らない世界を覗き見たい方には最適な映画だろう。

どうだろうか、映画が終わって時間が経過するにつれ、ジワジワと沁みてきた。
ちょっと不思議なラストシーンから遡り、様々なシーンを繋げていく。
そうか、あそこのあの場面はあんな意味だったのか。
当初抱いていた捉え方とはまるで異なる。
なるほど!と後になって納得。
そんな意味では余韻を楽しめたということか。
事前情報はほんの少し。
入れた情報は第二次世界大戦後のイタリアを描く。
そして、2023年イタリア国内興行収入第1位の映画であること。
それくらい。
ポスターの雰囲気から社会派ドラマと想像したが、そうではなかった。
その要素は含まれるが流れはコメディ仕立て。
えっ、ここでミュージカル・・・。
なんて意表を突くシーンも観られたり。
これも映画を観終わって知ったことだが、
主役デリア演じるパオラ・コルテッレージはイタリアの人気コメディアン。
しかも本作の監督、脚本。
映画では洒落っ気はあるが地味な女優さんというイメージ。
ラストシーンの仕草がコメディアンっぽいが、あくまでも演出と捉えた。
モノクロ映画であるため1940年代に制作された作品とも錯覚。
まあ、これも巧みな演出なのかな。
フランスでもそうだが当時のヨーロッパは女性に厳しい。
いや、アジアはもっとそうか。
離婚も中絶もできない。
2022年のフランス映画「あのこと」を思い出した。
僕らは勝手にヨーロッパは女性の立場も平等と思い込むが、大きく異なる。
(そうじゃないかな?)
本作なんかは圧倒的な男尊女卑。
仮に僕が昭和初期に生まれ育っても、この時期のイタリアは酷いと思うだろう。
特に作品の中心となる家族の夫イヴァーノは酷い。
今なら間違いなくDVで訴えられるが、当時は許される行為。
さほど問題になることはない。
それに耐えるデリア。
映画はそんな家族の様々な出来事を描くが、観る者は誰しもデリアに同情する。
そして、早く逃げろ!と思う。
一方的に映画の観方がデリアの肩を持つ方へ。
そこが上手い演出。
ネタバレになるので何が上手いかは言えないが、ジワジワ沁みるのはそんな点もあるから。
しかし、デリアの置かれた環境は特別ではなくイタリア全体にいえたんだろう。
だからあんな結末になっていくんだ・・・。
もっと歴史を学ばねばいかんね。
どこの国も最終的に強いのは女性。
それも偏見か(笑)。
それを改めて知らされた映画だった。

「静かな退職」という言葉を目にした時、昨年の「静かに退職する若者たち」を思い出した。
海老原さんも早期離職をする若者の特徴についての書籍を出されたのかと・・・。
僕のイメージとは全く異なった。
ここでいう「静かな退職」とは、会社を辞めるつもりはないものの、
出世を目指してがむしゃらに働きはせず、最低限やるべき業務をやるだけの状態をいう。
アメリカのキャリアコーチが発信し始めた和訳とのこと。
2月の海老原さんと石丸伸二さんのセミナーと本書で言葉の意味を知った。
日本の若者の傾向のように思えるがそうではない。
世界中の多くの働き手が「静かな退職」。
決められた時間だけ働き、定時になったらそそくさと帰る。
アメリカでもヨーロッパでもそんな働き方は多い。
むしろその方が生産性は上がる。
仕事とは手を抜けば抜くほど生産性は上がると海老原さんはいう。
僕のような昔の価値観の持ち主は今でも懐疑的だが、中身を理解すると確かにそう。
売上目標を達成するために残業をしまくり、用もないのにお客さんの下に頻繁に通う。
わずかなミスでも必要以上の謝罪をする。
それを当たり前としてきたが、合理的に考えればムダな作業を繰り返し。
その頑張りで会社を支えてきたんだ!という自負は通用しない世の中。
出世は誰しもが望むと考えたのも過去の話となった。
僕も会社のトップになりポストに見合う人材配置を行い矛盾に気づいた。
全てを昇格させるのも責任あるポストを与えるのも難しい。
ヤツは今のままでいい・・・。
そんな人材の重要性も組織を束ねる上では必要なことも理解できた。
更に加速させたのが本書。
静かな退職者が日本の企業において重要な役割を担う。
極力リストラを生まない体制や安定した雇用の維持にも必要なこと。
万年ヒラ社員という言葉がネガティブではなく普通の働き方として認められる時代。
僕もそれでOKとようやくいえるようになった。
これも多極化の一つなんだと・・・。
本書は欧米の事例や数多くのデータから、これからの在り方を解説。
そのための仕事術まで著されているので、「静かな退職」を希望する方にも役に立つ。
それに対応すべきマネジメント層が学ぶ点も多い。
これからの社会がこちらの方向に向かっていくのか。
学生に提供する価値ある情報の一つにもなる。
僕のような立場にもかなり勉強になった。
ありがとうございました。

いじめ問題はいつの時代になってもなくなることはない。
それは日本に限ったことではなく全世界でいえること。
本作はベルギー映画。
過去、他国との合作は観ているが一国での制作は初めてじゃないだろうか。
お国事情というよりは子供の置かれた環境。
日本やベルギーが特別ではなくきっと万国共通。
だから普遍的なテーマで扱われる。
本作についても目新しさはない。
どこかで見た風景ではある。
しかし、なぜか深く僕の心に刺さってきた。
それは客観的な視点ではなく、7歳の少女の視点で描かれているからだろうか。
目線は小さな子供の範囲。
大きな視野で物事を見ることはない。
せいぜい半径5メートルの世界。
映し出しカメラは低い位置でほぼアップ。
時折遠い風景を映すがはっきりとは見えない。
ぼやけている。
子供の目が見えないということではなく、子供が見れる世界は限られている。
だからこそ少女ノラが抱く不安や寂しさ、大人への恐怖がヒシヒシと伝わる。
時に子供は残酷だ。
人を傷つける気もない正直な言葉に人は傷つく。
気づくのは本人だけ。
悪意がない分、寂しく辛さを感じる。
普通の生活と普通じゃない生活。
何も変わることはないが受け止め方によって普通が普通でなくなる。
大人になればやり過ごすことができるが子供はそうはいかない。
感情が揺れ動き、違う方向に影響を及ぼす。
ここまで書いたところで映画の内容は理解できないだろう。
まあ、いつものことだしそれでいい(笑)。
本作は72分と映画としては短い。
繰り広げられる世界もほぼ小学校内。
校庭か教室か。
とても小さな世界だが7歳の少女からすれば大きな世界。
ほぼアップが続く巧みな演出により小さな世界が不安を与える大きな世界になる。
ローラ・ワンデル監督の力量だろう。
それにまして引き込むのが主役ノラを演じたマヤ・バンダービーク。
7歳の少女の葛藤を見事に演じる。
とても演技とは思えない。
ここ近年の子役では断トツじゃないかな。
そんなことを感じた。
本作はカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。
とはいえそれは2021年。
国内でもっと早く公開されてもいいと思うが・・・。
7歳のノラはもう11歳。
今、どんな生活を送っているのだろうか。
笑顔で健やかに学校に通っててほしい。

公開直後のレビューの高さは気をつけなけばならない。
実力以上に高い評価が頻繁に見られる。
公開から一週間ほど経過すると恐ろしく下がる作品も多い。
本作がそれだというつもりはないが、公開時は高い評価。
それが理由で観るのを決めた事も否定できない。
それだけでなく韓国の若者の実態を理解できると思ったのも理由の一つ。
日本でも韓国でも若者が生きづらさをよく耳にする。
先日の「ANORA アノーラ」や「リアル・ペイン 心の旅」もその面が強い。
成長を求められる世界では顕著に表れるのか。
職業学生にとしても教える立場としても把握しておきたい気持ちは強かった。
韓国と日本は似ている面は多い。
若者が将来に不安を抱くのは共通するし当然のこと。
舞台が日本でも違和感は感じないが、韓国の方が格差は大きい。
家庭環境、学歴、働き方は特にそう。
それが国嫌いに繋がり、海外に飛び出す理由になる。
日本の若者は内向きで海外に出ないというが韓国は真逆なのか。
主人公ケナの行動をみるとそう感じる。
ケナは英語を話せないが、家や職場から離れたい一心でニュージーランドに渡る。
周りには同じような韓国人もいたり。
セリフにもあったが、裕福な家庭であればニュージーランドではなく向かう先はアメリカ。
会話から劣等感を感じ自分の存在を図ってしまう。
国を出ても不安がなくなることはない。
むしろ暮らしの中で本国と海外の違いを知り、
ウザかった家族のありがたみを感じることとなる。
それを理解するためにも海外で揉まれる必要もあるだろう。
安易な目的で問題は解決しないが行動しないよりはまし。
なんらかのキッカケを掴むことは可能。
そんな点では何も変わっていないと思えるケナは成長した。
モヤモヤがなくなることはないが・・・。
派手でもなく地味でもなく平凡な日々から得る経験が人には大切。
そんなことを感じた映画。
レビューが高くなるか低くなるかは感じ方の違い。
大いに共感する人とそうでない人と大きく分かれそうだ。
ケナを演じるのはコ・アソン。
韓国は美人女優が多いイメージだが、至って普通。
(失礼ですね)
それが等身大の若者を映し出すようでいい。
韓国映画特有の派手な演出もない。
時にはそんな作品を観るのもありだね。

歯に衣着せぬ表現をされる冨山氏なのでかなり辛辣な書籍と想像した。
のほほんと暮らしているホワイトカラーは消滅し不要になるぞ!
と厳しい言葉を浴びせる内容と思っていた。
その香りはあるが、そこまで強烈ではなかった。
少し安心したかも(笑)。
この類の書籍を読む場合、以前は自分と重ね合せて読んでいた。
自分自身が今後どうしていけばいいのか?
そんな危機感を持ちながら読むことが多かった。
今でもその部分がないわけではない。
しかし、60歳手前で一通りの経験した今、そこまで真剣に自分を重ねることはない。
むしろ下の世代。
息子や娘はどう対処していけばいいか、
会社のメンバーにどうしてもらいたいか、
学生に何を伝えるべきか、そんな目線で読んでいた。
深刻な人手不足は言うまでもない。
採用支援を行う会社として毎日のように現実に晒されている。
一方でAIによって無くなる職業や仕事が語られる文脈も多い。
狭間に立つ者は自分の立ち位置に戸惑うだろう。
超売り手市場で学生の就職先への危機感は薄らいでいるが、
未来に対して不安は大きい。
漠然とした未来に期待感ばかり持たせるのは危険だが、
社会に対してネガティブになって欲しくないというのが個人的な考え。
そんな時に本書は有効的だ。
大学進学率が圧倒的な今、大卒の優位性がないのは事実。
すべてがホワイトカラーになれることはない。
古い価値観は捨てた方がいい。
多分、今の若者は現実を理解しており、親世代の方が古い価値観に縛られている。
50代の管理職も・・・。
僕が危うい世代なのは間違いないが、
仕事柄、幅広い層と接し何とか踏みとどまっている。
冨山氏はローカル経済の重要性を語ることが多い。
本書でもグローバル産業のホワイトカラーから
ローカル産業のエッシェンシャルワーカーへのシフトを取り上げている。
いずれホワイトカラーの仕事はブルシットジョブになってしまう。
そうなる前にアドバンスト・エッシェンシャルワーカーになれという。
確かにそういえるだろう。
僕の場合、ドブ板営業からスタートし、本書でいう「駅長さんモデル」を経験しただけ。
それが却って良かった。
そもそもホワイトカラーの能力がないかもしれないが、
ローカル企業で一通りやれたのはシアワセなこと。
ローカルな中小企業も悪くはない。
おススメするつもりもないが、ひとつのケースにはなる。
本書には世代ごとのホワイトカラーの処方箋も著されている。
特に若い世代には勉強になるのではないか。
可能性も広げられるしね。

予告編はどれだけ観たことか。
ナンパな恋愛映画と思っていたが、気づいた時にはアカデミー賞の各賞にノミネートされていた。
結果的に作品賞、監督賞、主演女優賞、脚本賞、編集賞を受賞。
ほぼ独占といっていい。
昨年の「オッペンハイマー」が硬派な作品だけに傾向の違いに驚いた。
ナンパな恋愛映画は予告編の顔。
アノーラがストリップダンサーで「契約彼女」なのでR18+と思ったが、そんな優しいものではない。
オープニングからかなりきわどい。
ロシア人のバカ息子との激しいシーンも想像以上。
そりゃあ、18歳未満は観ちゃダメだよね。
隣の観客が若い女性だったので、やや緊張してしまった。
カップルも多かったが、どんな感想を共有するのだろうか。
本作の意を汲むのは難しい。
アノーラは純粋で一途な想いだけだったのかもしれない。
バカ息子も葛藤や苦悩があったのかもしれない。
しかし、ドラッグと酒とセックスに明け暮れ贅沢三昧の姿を見ると60歳前のオッサンはたじろく。
本当に一途?
その苦悩は本物?
と思ってしまったり。
ただ、なんだろう。
有無を言わせぬスピード感がたじろくオッサンを凌駕する。
若さが世間の常識をぶっ飛ばす。
ただ、勢いは長くは続かない。
常識面したぶっ飛んだ司祭が現れたあたりから物語の様相も変わる。
そして登場するバカ息子の両親。
僕がバカ息子といっちゃいけない。
あくまでも御曹司。
いっていいのは実の両親だけ。
両親は誰に対してもストレートな物言い。
自分たちが一番偉い。
この親にしてこの息子か・・・。
そんなことも思ったり。
一体、誰がまともなのか。
一周回るとアノーラが一番まともにみえる。
きっと人なんてそんなもの。
職業や人種や収入で人の価値を図る。
グルーッと回ってようやく人の価値に気づくのだ。
すべてを客観的に見ていたイゴールという寡黙な男がその役目。
だからチープな恋愛映画で終わらず、アカデミー賞を受賞することにもなったのだろう。
それは違うか(笑)。
これからアノーラはどこへ向かっていくのか。
なぜか彼女には幸せになってほしいと願う。
そしてバカ息子、いや御曹司はこれからまともに働くのか。
どうでもいいことも観終わった後に感じたのだった。

ボブディランは現在83歳。
どんな気持ちで本作を観たのだろうか。
あんな上目遣いの視線は送ってないぞとか。
もしかして、観ていない?
少なくとも本人に何らかの取材や協力依頼はあったと思うがどうなんだろう。
そのあたりの情報が載っていない・・・。
現役での伝記映画は珍しい。
「ボヘミアン・ラプソディー」でも「エルヴィス」でも没後に描かれている。
そういえば「エルヴィス」はまだ観ていない。
多少、美化されて映し出される面があると思うが、本作はどうだろうか。
ボブディラン本人は納得しているのかな?
彼がデビューした時、僕はまだ生まれていない。
洋楽にハマりだした中学生時代はビリージョエルやイーグルス、
REOスピードワゴンが好きで、ボブディランはひと昔のミュージシャンという印象。
後に功績を知ることになるが当時は聞いたことがなかった。
ちょくちょく耳にするのは最近かもしれない。
伝記映画として下積みの苦労が描かれていると思ったがそうではない。
ほとんど下積みはないし、売れるまでも苦労はしていないように思える。
デビュー前から才能をいかんなく発揮し周りは端から認めていた。
むしろ本人の予想以上の影響力に苦悩していたのではないか。
天才ゆえの悩みか。
だからこそ破壊者的な存在にもなっていったのか。
そんなふうに思わせる。
彼が売れ始めた1960年代前半はアメリカも混とんとした時代。
ケネディ大統領の暗殺など暗雲とした社会的背景が彼を求めたのだろう。
そんなことは僕が言わなくても分かっていることだが、
どんな時代も時代に相応しい名もなき者が現れる。
作品で流れる曲はボブディラン本人の音声を合わせたと思っていたがそうではなかった。
主役ティモシー・シャラメの演奏であり歌。
僕は素人ながらに見事だと感じた。
ついでにいえばジョーン・バエズ演じるモニカ・バルバロも本人。
とても美しい歌声。
いやいや、今どきの役者は凄いね。
2人のデュエットの写真を見る限りソックリだし。
と音楽に疎い者の見方だが、それだけでも観る価値はある。
残念ながらどの部門もアカデミー賞は叶わなかったが見応えのある作品。
改めてAmazonミュージックでボブディランを聴こうと思う。