これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「ゴールド・ボーイ」

僕は密かに日本映画界で一番いい男は岡田将生と思っている。
軟派で軽薄な二枚目を演じさせたら右に出る者はいないんじゃないか。
しかし、演技はそれほど評価されていない気もする。

本作は軟派で軽薄とは真逆。
東昇という残忍な娘婿を演じ、それもはまり役。
ある意味、恐ろしかった。

彼が主役で物語が進むと思ったが、途中から様子が変わってきた。
映画的には岡田将生が主役だが、実際はその東昇を脅迫する中学生朝陽役を演じる羽村仁成。
どこかで見たことある顔だと確認したら「リボルバー・リリー」に出演していた。

映画後半は完全に主役の座を奪い、彼中心に物語は進んでいく。
だからポスターの顔は岡田将生と羽村仁成と半々なのか。
なんだか単純だな(笑)。
まあ、2人とも「ゴールド・ボーイ」だし・・・。

本作は沖縄を舞台としたサスペンスドラマ。
原作は中国で人気の小説だという。
エンドロールにやたら中国人名が連なるのが不思議だったが、それが理由。

むしろ韓国映画にありがちな作品。
物語は二転三転し、思わぬ方向に進む。
韓国映画の十八番かと思わせる展開に、グイグイと引っ張られた。

その構成に吸い込まれ、面白く観ることができた。
映画としての完成度はそれなりに高い。
上手く繋がっていると思う。

しかし、冷静に考えればとても恐ろしい話。
完全犯罪を狙ったのは確かだが、それを考えたのは中学生。
それもクラストップの優等生。

犯罪と結びつけるだけなら不思議じゃないが、その精神性は異常。
スリラーでもホラーでもないが、とても恐ろしい。
そんなことを考えているなんて・・・。
そりゃあ、岡田将生も困っちゃうよね(笑)

監督は金子修介氏。
久しぶりに名前をみた。
監督作品を観たのは1995年の「ガメラ」以来じゃないか。
ほぼ30年ぶり。

最も活躍していたのは僕の大学時代の37~38年前。
日活ロマンポルノでデビューし、当時のアイドル映画を何本も撮っていた。
バブル期の就活を描いた「就職戦線異状なし」も金子作品。
過去の存在かと思っていたが、
(失礼でスミマセン)
本作を観る限り力は衰えていない。

沖縄が舞台ならパーッと明るくしてほしいが、意外とそうならない。
思い出しても暗い作品が多い。
本作も街並みや背景がマッチしていたし・・・。

タイトルの「ゴールド・ボーイ」の意味はぜひ映画で確認してほしい。

映画「52ヘルツのクジラたち」

結構、評価が高いので観ることにした。
同様に評価の高い「夜明けのすべて」とは真反対の作品。

片方は日常で、片方は非日常。
僕にはそう映った。
どちらに感動するかは観る人によるが、感動させやすいのは非日常。
あり得ない世界の方が人の心は動かしやすい。

畳みかける展開が痛みや驚きや喜びを生み、心を動かす。
最終的に感動を呼び込む。
そんな点で本作は成功だろう。

物語は相当、辛い。
今も過去も虐待が一貫している。
そんな時に必要ないだろう暴力も。
それが映画を引っ張るのだから、日常を描く「夜明けのすべて」とは大きく異なる。
どちらが好みかは大きく分かれそう。

2021年本屋大賞を受賞したベストセラー小説の映画化。
ストーリーの面白さは映画でもそれを反映している。
のめり込んで鑑賞できる作品であるのは間違いない。

監督は成島出氏。
こんなテーマの作品は得意領域。
僕は特にファンではないが、ここ数年の作品はすべて観ている。

2020年の「グッドバイ 嘘からはじまる人生喜劇」
2021年の「いのちの停車場」
2023年の「ファミリア」「銀河鉄道の父」
こうして作品を並べてみると監督のカラーが理解できる。
日本映画界で安定度抜群の監督。

主演は杉咲花。
何もいうことはない。
「市子」でも凄かったが本作も見事。
らしさが伝わってきた。

僕が驚いたのが志尊淳。
ちょっとかわいい男優くらいに思っていたが、そうじゃなかった。
本作における役どころは神秘性や抱える闇、それを超える優しさを含め素晴らしかった。
難しい葛藤を演じていた。

タイトルである「52ヘルツのクジラたち」は何度となく象徴するシーンで腑に落ちる。
目にしたクジラはどうなんだと思ったり(笑)。
いい演出なんだよね・・・。

正直な感想でいえば、こんなテーマの作品はそろそろ終わっていいんじゃないかと思う。
それは日本映画に限らず外国映画も。
しかし、見渡せば同様のテーマは絶えることがない。

悲しいかな、どの時代でもついて回る。
その度ごとに子供を不幸にするのは親だと悲しくなる。
啓蒙活動として必要なら大いに受け入れるが。

ハッピーエンドだが、こんな世界はあってはならない。
そんなことを感じた作品だった。

「仕事の辞め方」を読む

たまたま新聞の書籍広告をみて、気になり手に取った一冊。
放送作家として活躍する著者は知っていたが、どんな番組を手掛けたかは知らない。
番組もほぼ見てはいない。
たまにインタビューに答えられているのを無意識に見たくらい。

僕は2か月もすれば58歳。
昔であればあと2年で引退といったところ。
おかげさまで体は元気。
食欲もあり毎日飲んでもへこたれない。
老眼が進んでいるのと記憶力の低下は気になるが生活に支障はない。

まだまだ大丈夫だと思っている。
しかし、本当のところはどうなんだろう。
自意識過剰なだけで、周りからみればうざいオッサンかもしれない。

僕が早めに社長を交代したのも「老害」になりたくないのが理由の一つ。
実際、そうならないように極力余計なことは言わないが、
著者からすれば40代で「ソフト老害」は始まっているという。
会社にとっての「必要悪」であればいいが、「老害」では困る。

僕は努力と根性でここまで辿り着いたといっていい。
動物占いにもそう出ていた(笑)
自分だけがそれなら問題ないが、同じことを若者に求めてしまう。
口には出さないが、自分の価値観としてその節があるのは否定できない。

多分、その時点で「老害」。
著者は自身の行動に例えながら、潔くバッサリと斬る。
それが50歳にして仕事を辞める一つの理由のようだ。

そこに対して共感する。
想像するに「老害」にはなっていないと思うが、その危機感がそちらに向かわせる。
本当の「老害」は自分が「老害」であることを気づかないだろうし。

もう一つ共感した点でいえば、「人とつながる」ことに好奇心を持つこと。
人脈が一番の宝という。
もしかしたら僕もそうかも。

なんの専門性も能力も持ち合わせない自分が何とかなったのはその力が大きい。
だとすればもっと「勇気」をもって「図々しく」なった方がいい。
なるほど。
そんな考え方もあるわけね。

本書ではお金についても言及している。
仕事を辞めとなると今後のお金が気になるのは当然。
夢や希望を持ち、未来を考えて仕事を辞めるならお金に執着しない方がいい。
夢や希望もなくボーっと過ごすなら、お金は必要に決まっているけど・・・。

この類の書籍を読むことはほとんどない。
たまには別世界の方の著書も読むと新しい気づきもある。
分野が違えども考え方が近かったりすることも・・・。

僕自身も「仕事の辞め方」を真剣に考えないといけないかもね。

映画「コットンテール」

夫婦役はリリーフランキーと木村多江。
どこかで見た風景だと映画を観ながら思い出した。
2008年に公開された「ぐるりのひと」。

映画コラムニストを語る前なのでブログは書いていないが、当時、DVDで鑑賞。
壊れゆく夫婦の再生を2人が演じたステキな作品。
誰も気づかないことを思い出すなんて、さすが映画コラムニスト!と自画自賛していたら、
映画サイトにインタビュー記事が当たり前のように掲載されていた。
みんな分かってたのね(汗)

ちょっとだらしない役を演じさせたら天才的なリリーフランキーと
神経質な役は抜群の木村多江とのコンビは本作でも魅力を発揮。
こんな姿が本当にありそうに気がしてならない。

タイトルの「コットンテール」とは野兎のこと。
本作でもウサギがカギになるが、あくまでもラビット。
ラの発音に注意しなければならない。
ラビットが若かりし二人を近づけ大切な存在になっていく。

シンプルに説明すれば、明子(木村多江)に先立たれた兼三郎(リリーフランキー)が
遺言状に従ってイギリスのウィンダミア湖に遺灰を撒くまでの話。
それ以外は何もない。
家族との関係性が描かれるだけ。

兼三郎はわがままで情けない。
傍からみれば叱り飛ばしたくなる。
でも、きっと叱れない。
せつなく、悲しく、寂しい表情に気持ちを持っていかれる。
世代が近いせいもあるが、自分と重ねてしまう。

実際、同じ状況なら僕はどうするだろうか。
わがままで情けない兼三郎と変わらないんじゃないか。
イギリスの広大な自然がより気持ちを駆り立てる。

順風満帆な夫婦関係ではないだろう。
ちょっとしたトラブルも絶えなかっただろう。
そんなことをイメージさせる。

でも、お互いに想う気持ちは出会った時と同じ。
一番大切な存在には変わらない。
親子のわだかまりも時間や環境が解決してくれる。
どこまでいっても家族は家族。
何かを失うことでそのありがたみや大切さを理解する。

わざとらしいセリフはない。
感動させようとするシーンもない。
きわめて普通であり日常。
舞台がイギリスなだけ。
そこがいい。
愛しさが伝わってくる。

「落下の解剖学」は夫婦で観ない方がいいと書いたが、本作は一緒に観た方がいい。
僕は恥ずかしいから行かないけど。

やっぱり自分が先に逝きたいと感じた作品だった。

映画「落下の解剖学」

原題はAnatomie d’une chute。
そのまま翻訳したタイトルが「落下の解剖学」。
あまりヒットしそうにない。
玄人好みの映画のように思えてしまう。

しかし、どうだろう。
カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したせいか、映画館は結構賑わっていた。
むしろ正々堂々と勝負した方がいいということか。
そして、映画を観終わってから、本タイトルの正しさを理解。
なるほど、解剖したわけですな・・・。

本作も最近、よく観るフランス映画。
やはり今年も注目すべきか。
素晴らしい作品を連発しそうな予感。
国としての施策もあるのだろうか。

正直なところ前半は眠かった。
高評価の作品なのに眠くなるとはどういうことか。
自分の目が節穴なのか、よほど疲れていたのか。

ちょっとまずいなと思ったあたりから、グイグイと引き込まれていった。
眠気は吹っ飛び、繰り広げられる舌戦に巻き込まれていった。
法廷劇をメインとしたヒューマンサスペンスだが、こういった作品は緊張感が全て。
裁判所のピリピリとした空気感がこちらまで伝わってくる。

スキャンダラスな事件を知りたいだけの野次馬的な傍聴者も激しいやり取りに表情が変わる。
そして、追及により明かされる知られざる真実。
夫婦のいざこざをできれば子供には見せたくはない。
仮に見せるなら当事者の口から知らせるのが本来の姿だろう。

それが検察官の追及や調査から丸裸にされたなら、その場に立ち会う子供はどれだけ辛いか。
容赦ない言動に苛立ちながらも、それが正義なら正しい行動として受け入れるしかない。
そのシーンが英語とフランス語で展開される。
もし、僕が両方とも理解できたら、もっと映画を楽しめた。
よりリアルなシーンとして感じることができた。

外国語がまるで分からない自分の無能力さを痛感。
映画を観ながら後悔もしてしまった。
一体、フランスで英語を話せる人はどれだけいるのか?
そんなことも思ってしまった。

間もなくアカデミー賞も発表される。
本作が作品賞を受賞したら、さらに注目もされる。
ただ夫婦で観るのはおススメしない。

夫婦喧嘩はしない方がいいが、仮に喧嘩しても録音はしてはいけない。
その場ですべて終わらせよう。
そんなことも教えてくれた作品。

いい勉強になりました。
違うか(笑)。

映画「コヴェナント 約束の救出」

解説には、「アフガニスタン問題とアフガン人通訳についての
ドキュメンタリーに着想を得て撮りあげた社会派ドラマ」と書かれてあった。
紛争が続く今の時代に批判的な社会性の強い映画と勝手に思い込んでいた。

いい意味で裏切られた。
そんな意味合いもあるが、むしろ男同士の友情を描いた作品で、
エンターテイメント性に富んだアクション映画。
余計な感情は持たずに観た方がいい。

舞台は2018年のアフガニスタン。
米軍とタリバンとの紛争を描いている。
その内容は過度な演出はあるとはいえ、実話に近いという。

アフガニスタン紛争なんて随分前の出来事と思っていたが、米軍が撤退したのは2021年。
まだ最近のこと。
ロシアによるウクライナ侵攻はすでに始まっていたし、
本作で描かれる同様の物語があちこちで存在する。
僕らが知るニュースは表面的に過ぎず、
戦争に駆り出された一人一人の生きざまを捉えれば、それだけでも映画になり得る。

描く側次第で正義でも悪にもなるが、人を殺す行為が人を傷つけることには変わりない。
本作ではタリバンが悪の象徴のように描かれるが、タリバンが描けば米軍が同じ存在。
結局はどこまでいっても自分たちを正当化する。
反省したり、過ちを認めるには相当な時間が必要なんだろう。

それはさておき前述のとおり、本作は男同士の友情作品。
米軍の曹長とその通訳のアフガニスタン人が銃撃戦に巻き込まれながらも、
逃げ切る姿をヒリヒリするような緊張感で描く。
それはそれで十分楽しめる。

ただ、それだけであれば単なるアクション映画。
そこにそれぞれの国の事情が入り現実味を帯びる。
自国を非難する者、裏切った者は許さない。
どこかと同じ。

そんなことを考えると今、公開する意味もあるわけだ。
一応はハッピーエンドだが、その後を考えればそんな単純ではない。
より複雑なような気もする。

本作は米軍側を中心に描いているが、制作はイギリス・スペインの合作。
アメリカはあまり作りたくないのかな・・・。
そんなことも思ってしまった。

それでも観る価値は大いにあると思う。

共感革命 社交する人類の進化と未来

友人の読書のプロが絶賛していたので、予備知識もなく手に取った一冊。
普段の生活ではこのジャンルをまず読むことはない。
基本的には自分の興味関心がある書籍を読む。

それだけではダメだということが本書を読んでつくづく理解。
偶然の出会いは大切だというが、書籍も同じ。
この偶然が僕に新たな気づきを与えてくれた。

本書には全然知らなかった人類の歴史が書かれている。
それも霊長類学者の視点で・・・。
今まで考えもしなかったことや未知の領域が、
次から次へと著されているので驚きの連続。

改めて自分の無知に嫌気がさした(汗)。
そして思った。
今日、明日、来年、再来年のことを気にしている自分がいかに小さいか。
何百万年の歴史からすれば、埃にもならない。

この100年の歴史は人類史の中でも変革の時代とは思うが、
人類史を俯瞰すれば大したことはない。
歴史は繰り返すというし、前の時代に戻っただけなのかもしれない。

ジャングルは「コモンズ」で、誰もが平等に利用できる資産。
多種多様な生物が共存し、調和関係を保って生きてきた。
その生態系を忘れてかけているのが現代人という。

人間社会は3つの自由で作られている。
動く自由、集まる自由、対話する自由。
そこが猿や類人類とは異なり、人間は生きる喜びを得てきた。
それだけであれば幸せなんだろうが、そうわけでもない。

暴力や戦争は人間の本性ではないという。
言葉によって作り上げてしまった虚構。
何かにつけて「言葉」は大切だと言われてきたし、
僕もそう発してきたが、必ずしもそれだけではない。

「言葉」があるから戦争が起き、醜い争いは絶えない。
少なからず宗教もそれに繋がるのだろう。
そんなことは一度も考えたことはなかった。

それだけでも本書の価値はあるが、ちょっとした雑学も身に付いた。
チンパンジーやゴリラの性に関しても初めて知った。
交尾とか射精とか中学生が喜びそうなそんな事実があったとは・・・。
かなり大胆。
人間にもチンパンジーのようなヤツはいるけど(笑)。

それはともかく人が格差もなく平和に暮らしていくには人類史から学ぶ必要はある。
同じところに留まっててはいけない。
それを理解できただけでもいい学び。

感謝!

映画「渇水」

昨年6月に公開された作品だが、見逃したためAmazonプライムで鑑賞。
この類の作品も観るといつも辛くなる。
育った環境がどこまでも影響し、不幸は不幸を招いてしまう。

親が暴力をふるえば子も暴力をふるう。
親が子供に冷たければ、その子供は親になっても冷たくしかできない。
何度もそんな場面は見てきた。

幸い身近にはいないので、こういった映画やニュースでしか知らないが・・・。
反面教師的に立て直すのは少ない例なんだろう。
つくづく親の責任を感じさせる。

もうネタバレでも構わないと思うが、
本作は水道局員の岩切(生田斗真)が停水を執行された家庭との交流を描く。
原作は1990年に発表されたのでバブル崩壊前。
原作者の河林満氏はすでに亡くなっている。

どこまで原作に忠実か分からないが、当時より今は深刻な問題だと思う。
不変なのはいつの時代も家庭や子供を放り出す親がいるということ。
見捨てられた子供がいるということ。
悲しいかな、それは昭和でも平成でも令和でも変わらない。
連絡手段がスマホになっているだけ。

誰かを救えとか、みんなのために動け、と言っているわけじゃない。
自分の周りだけ何とかしなさいと言っても、どの時代もそうはならない。
心の渇きを水に例えているのは絶妙だが、結局、のどが渇いた状態が続けば心も渇いていく。
繋がっているんだ・・・。

映画は絶望で終わることなく希望が見えてくるのが救いだが、根本的な解決にはなっていない。
母親(門脇麦)の気持ちは分からなくはないが、最終的な行為は許せない。
匂いなんて関係ない。

そう思う僕は間違っているのか?
彼女の実際の気持ちなんて本当は分かっていない。
そんな環境とは無縁なので無責任に正論をかざしているだけ。
だから根本的解決は程遠い。
途中で出てくるお節介なおばさん(柴田理恵)とあまり変わらなかったりして・・・。

それにしてもここにも登場するのが磯村勇斗。
昨年は大車輪の活躍。
案の定、キネマ旬報ベストテンでも助演男優賞を受賞した。
ドラマ「不適切にもほどがある」でも好演。

そして、注目すべきが姉役の山崎七海。
彼女の冷めた表情や優しい表情が映画の重さを担っている。

親から誘うのではなく、子供から誘ってくる環境が健全なんだろうね。
そう思うとエラそうに書いている僕もまだまだみたい。
頑張らねば・・・。

僕の周りでは評価の高い作品だった。

映画「夜明けのすべて」

これが日常。
坦々と日常を描いた作品だが、胸に押し迫るものがあった。
素直に感動した。
そして、平凡に生きることがいかにありがたく幸せかとも思わせてくれた。

三宅監督は一昨年末に「ケイコ目を澄まして」という愛しい作品を与えてくれたが、今回は年明け。
どちらも16mmmフィルムで撮影された映像が瞼に焼き付く。
セピアっぽい少しざらついた感じが温かさを感じる。
鮮明でない映像の方が人を美しく表現するのか。
そんなことも思わせてくれた。

ネタバレなしに本作を説明するのは難しいので、少しだけ。
PMS(月経前症候群)の藤沢さん(上白石萌音)と
パニック障害を患う会社の同僚の山添くん(松村北斗)との日常を描く。
藤沢さんのPMSは以前から発症していたが、
山添くんは2年前にラーメン屋でいきなりパニック障害になった。
なんの予兆もなかった。

素人からみれば同じような病(病気ではないか・・・)でも症状は異なり、
それは本人しか分からない。
本人もなぜそんな症状に陥るのかは理解できず、人知れず落ち込む。
そんな2人が次第に助け合っていく。
分かりやすく言えば、ただそれだけ。

恋愛関係に発展することも、大げさな事件が起きることもない。
当たり前の日常が過ぎていく。
それがなぜか愛おしい。

お互いを思いやることで他人にも優しくなり、職場での人間関係もよくなる。
周りも過度に気を遣わず自然体に近い。
どこにもありふれた風景。
少なからず辛い過去を背負っているが、後ろ向きにはならない。
前を向く。
それが生きる勇気と感じさせてくれる。

普通であることが普通とはいえない。
普通でないことが普通なのかもしれない。
電車でパニックになる人、
急に怒り出す人を冷静に受け止めれるか。
鈍感な僕はそんな姿をみてようやく理解し、普通でない日常に感謝する。

誰しも真っすぐ生きている。
夜が来れば朝が来る。
星座が美しい夜中に落ち着く人がいれば、夜明けの光に希望を見出す人もいる。
すべてが正しい。

本作を観て、少し優しくなれる気がした。

男子系企業の失敗

中身を確認せず、タイトルだけで購入。
「男性中心企業の終焉」に近い経験に基づく内容かと想像したが全然違った。
データに紐づいているとはいえ、主観的な捉え方が強いというのが僕の印象。

それはいい面でもあり、悪い面でもあり。
少し上から目線を感じたが、ちょっと前の企業はそんな見方なんだろうね(笑)。
今はかなり変化があると思うが、そうでもないのか・・・。
まだまだ旧態依然した大企業が多いということか。

「昭和おじさんの暗黙知」を理解できないわけじゃないが、
アフターファイブの飲み会で全て決まるといわれると違和感を感じる。
昭和の時代が男性中心なのは間違いない。
その価値観が残っていることも否定しない。

ただ価値観が残っている人たちも、
自ら奮い立ち変化しようとする側が多いのではないか。
最近の政治報道にその要素が強いため偏った見方になるのではないか。

本書では男性経営陣の特徴と女性経営陣の特徴を各々取り上げている。
日本ばかりがその傾向が強く報じられるが、そうでもない。
著者曰くリーマンショックはリーマンブラザースだけでなく、
シスターズだったら起きなかったのではという。

リスク回避、不確実性への対応、倫理や道徳的態度は男女の違いがあると・・・。
多様性の方がイノベーションを起こしやすい分、男性中心だと同質性が高くなる。
そのため変化対応に遅れ弊害をもたらす。
確かにそんな面はあるのかもしれない。

いい例が東芝。
名誉欲が強く保守的であったため、変えることができなかった。
本書では男性社会に対して批判しているが、
女性を全面的に推しているわけではない。

女性の方が自分に自信を持てない割合が高い。
いい意味でビジョンや目標を共有できるが、大きな決断は難しかったり・・・。
そんなことが書かれている。

要はどっちかではダメで、男性も女性も特徴を理解した上での多様化が大切。
確かにそんな面はあるだろうが、決めつけてしまうのも違うとは思うけど・・・。
ひとつの研究内容を理解することが重要だし学びにもなる。
その中で自分としてどう判断していくかがより大切なんだろうね。