これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「入国審査」

お盆期間は観たい映画が意外に少ない。
映画館としてはヒットする作品も多く興行的にも恵まれる時期だし、
家族で楽しめる作品も多いのも分かる。
それを否定するつもりないが、
いつも一人で映画を楽しむ身としてはもう少しラインナップが増えてほしい。

そんな時に選んだのが本作。
お盆に相応しいとはいいがたい。
シアワセになれる感覚じゃないしね。

上映時間は77分。
映画としては短い。
それも丸一日を描いただけ。

ほぼ密室で繰り広げられる。
激しいアクションもないし、人が死んだりするわけでもない。
会話が中心の人間ドラマだ。

ジャンルは何かと問われればホラー映画と呼ぶ人もいるだろう。
実際、ホラー映画の要素は1ミリもないが、サスペンス映画として見応えは十分。
もし自分が同じような立場だとしたら、
それは男?女?どっち?という捉え方もあるが恐ろしくなるのは間違いない。

どんな作品か簡単に説明すると、
移住のためアメリカへやって来たカップルが入国審査での執拗な尋問を受け、
お互いの関係性が揺らでいく流れ。
人によっては些細な問題で、人によっては重要な問題。
説明次第で受け止め方は変わるが、一歩間違えば大事故になる可能性も高い。

映画では重箱の隅をつつくような質問攻めで相手の気持ちを揺さぶる。
目的な何なのか?
ゴールはどこにあるのか?
それが見えないとストレスも溜まるし不安にもなる。

密室劇は緊張感を生み、徐々に表情が変化していく。
その展開が作品の見どころ。
移住が少ない日本人にはピンとこない面は多いが、
外国から外国へ移る方には実際あり得る展開なんだろう。

あんなふうにラストを迎えるとカップルはどうすればいいのか。
その先の心配を観る側は勝手に想像する。
言葉の使い方も絶妙。
英語なのか、スペイン語なのか。
どこ言語を操るかで心証も変わる。

怖い映画はイヤだけど、ドキドキ感を味わいたい方にはおススメ。
夏休みは派手で豪華な映画もいいが、地味で低予算の映画を楽しむのも悪くはない。

映画「ジョニーは戦場へ行った(4K)」

以前から気になっていた作品。
この夏に終戦80年企画として4K版が公開されたのでミリオン座へ。
50年以上前の作品だが、意外と映画館は混んでいた。
「生とは何か」というテーマはどの時代でも不変ということか。

当時どれだけ話題になったのかは分からない。
1973年のキネマ旬報ベストテン外国映画ではスケアクロウに続いて2位。
読者選出ベストテンでは1位で、監督賞はダルトン・トランボ氏。
ベトナム戦争に被っている時期なのでより敏感だったと考えられる。
そんな点では今年、公開される意味は大いにあるのかもしれない。
終戦80年はひとつのキッカケにすぎない。

本作は第1次世界大戦でほぼすべての身体機能を失った青年兵士の視点から、
戦争の本質を描く。
戦闘シーンは皆無に近い。

大半はベッドに横たわるジョーの悲痛な叫びがほとんど。
身体機能を失ったジョーの叫びは医師にも看護師にも届くことはない。
声を上げていても心の叫びとしか受け止めることはできない。

病室を中心とした現在はモノクロで描かれ、回想シーンはカラーで描かれる。
「オッペンハイマー」もこれに近い。
目の前が何も見えないからモノクロなのか、
過去の記憶が鮮明だからカラーなのか、
監督の意志が映像で表現されるが解は観る者に委ねられる。

記憶が鮮明なカラーであっても幸せとは言い難い。
その瞬間は幸せであってもモノクロの現在に塗り替えられる。
オセロが白から黒に変わるようにカラーはモノクロに凌駕される。

もしくは鮮明な記憶は存在せず、夢がカラーになっていたのかもしれない。
考えるととても恐ろしいこと。
それが戦争ということか。

ダルトン・トランボ監督は赤狩りでハリウッドを追放された脚本家。
名作「ローマの休日」は名義を借りて書いたと以前読んだ書籍に書いてあった。
監督作品は本作のみ。

個性的であり万民受けもしそうにない。
本作を観てツラさを感じても希望や喜びを得ることはない。
考えさせられるが正直面白いとは言い難い。
そんな作品のため監督として実績を積み上げるのは難しかったのだろう。
しかし、今になって公開されることに価値がある。

ポスターにもあるピースサイン。
Vサインとも呼ぶべきか。
さりげないシーンでピースサインは登場するが、
そのシーンにどんな意味が隠されているのか。

僕には自信がないように映ったけど。

映画「長崎 閃光の影で」

今日が長崎に原爆が落とされた日。
すでに80年が経過している。
僕は当時のことを報道や読み物や本作のような映画で知るだけ。

その度に思う。
このような悲劇を風化させてはいけないと。
口で言うのは簡単だが、実際、自分にできることは何もない。
その悲劇を扱った作品をブログとしてアップするだけ。
それだけでも自分の気持ちを強くすることができるし、
一人でも多く作品を知ってもらうことはできる。

本作は原爆投下直後の長崎を舞台に、被爆者救護にあたった看護学生の行動を描く。
学生はまだ17歳で看護学校からの帰省時に原爆が投下された。
本作は救護にあたった看護師らが被爆から35年後、手記にまとめたものを映画化。

ほぼ実話。
当時を語る方が減る中で貴重な体験。
こんな事実を歴史に留めておかなければならない。

当時の10代であれば日本の置かれた状況も表面的にしか理解していないはず。
大人のいうままに従い、それを信じて行動するだけのこと。
それが身近に死者が出るだけでなく、救われようのない看護に追われ、初めて現実に向き合う。
到底、冷静でいられるわけもなく、それでも自分の使命を果たしていく。
報われない日常が戦争の悲惨さを間接的に表現する。

戦争の被害にあうのは一般の人たちでそれを救うのも一般の人たち。
本作でも偉い軍人や政治家は誰一人登場しない。
現実とはそんなこと。
それが却ってリアリティを生む。

本作が海外で上映されることはないかもしれないが、
今だからこそ原爆の恐ろしさを知るいい機会だろう。
海外にも戦争に悲惨さを伝える作品は多く、この時期に公開されることもしばしば。

監督は松本准平氏。
長崎出身で被爆三世だという。
思い入れも強いはず。

以前観た「パーフェクト・レボリューション」といい、
未鑑賞だが「桜色の風が咲く」といい、
実話を基に製作することが得意かもしれない。

主役は3人の女優だが、気になったのは小野花梨。
大河ドラマ「べらぼう」では可憐な女郎役だったが、
本作では原爆に翻弄される看護学生を上手く演じていた。
長回しの台車を引くシーンの抑えきれない感情が見事だった。

夏休みは「鬼滅の刃 無限城編」ばかりの映画館だが、
こういった作品も多くの人に観てもらいたい。

映画「私たちが光と想うすべて」

インド映画ってダンスシーンがあり3時間の上映が普通と思っていた。
最近観た作品はそんな感じだし、日本で公開されるインド映画はその傾向が強い。
しかし、そんなはずはない。
全ての映画が3時間以上だと疲れてしまう。
日本映画が時代劇やアニメばかりじゃないのと同じでインド映画も幅広いジャンルがある。
初めてのジャンルでインドの文化を知るいい機会となった。

本作は2024年カンヌ国際映画祭にてインド映画として初めてグランプリを獲得。
もっと話題になっていいと思うが、名古屋でも地味に公開。
カンヌ映画祭グランプリ作品は確かに通好みでマニアックな作品が多いため話題になりにくい。

本作も自由な生き方が難しいインド女性の葛藤を描くため、事情を知らないと理解も簡単ではない。
宗教的な問題も僕らが考える以上に本人に与える影響は大きい。
日本なら浄土真宗と曹洞宗、いや仏教徒とキリスト教徒での結婚もそれほどハードルは高くはない。

そこに日々の仕事が絡む。
ムンバイでの生活は東京の比ではないのだろう。
人口増加もハンパなく家賃高騰やビルの建替えも生活を脅かし、
普通に人が住むにはかなり厳しいようだ。
今どきのオフィスビルの周辺に昔ながらの汚い長屋が並ぶのはその象徴。
それを語るシーンはないが、幻想的な映像から垣間見えるリアルさから容易に想像できる。

本作の主役はムンバイで働く2人の看護師。
ルームメイトで真面目な先輩プラハと陽気な後輩アヌ。
お互いの価値観は異なりぶつかるが、信頼関係は厚い。
姉のように妹のように接する。
僕は途中まで姉妹と勘違いしていた。

お互いに抱える問題は他人にとっては小さなこと。
それも異国の関係性においては分かりづらい。
僕がスムーズに感情移入できなかったのはそれが理由かも。

しかし、映画が進行するにつれ徐々に感情移入もできていく。
自然に作品にのめり込んでいく。
どんな展開になるかは伝えない方がいいし、伝えたところで分かりずらい。

ダンスありの3時間映画を観るとインド人は感情的で表情も豊かだが、実際はそうではない。
感情を抑え耐えることも多い。
ステレオタイプに人種を判断してはいけない。

閉鎖的な社会での女性の在り方はこれからもっと描かれるべきだろう。
そんなことを感じた作品であった。

映画「ジュラシック・ワールド 復活の大地」

東宝東和さんからご招待いただき試写会で鑑賞。
恥ずかしい話だが、僕はこのシリーズを一本も観たことがなかった。
本作がシリーズ初鑑賞。
「それで映画コラムニストを名乗ってるのか!」
とバッシングにあいそうだが、ごまかしても仕方がない。

紛れもない事実。
通算7作目というのも今回初めて知った。
理由は特にない。
話題となった第1作目の機会を逃したので、そのままズルズルきただけのこと。
スティーブン・スピルバーグが嫌いとか、恐竜が怖いとかもない。

試写会に招待されたからいうわけではないが、今さらながら後悔。
前作も観ておけばよかった。
本作がすこぶる面白かったので、そう素直に思っただけのこと。

7作目にはなるが今までの作品を知らなくても問題ない。
この一本で完結。
きっと僕のような人も多いと思うので、何も気にせず観に行って欲しい。

小さいお子さんには刺激が強いが、子供から大人まで楽しめる超娯楽作であるのは間違いない。
それも夏休みに相応しい。
きっとここから次作への展開が始まるだろうし。

簡単に紹介すれば、ある目的を持つチームが禁断の島に足を踏み入れ、
恐竜と格闘しながら目的を果たすという物語。
ちょっと表現がチープすぎるか(笑)。

とにかく映像を楽しんだ方がいい。
これは到底日本映画では真似できないし、韓国映画でも難しい。
こんな作品を見せられるとアメリカ映画の強さを感じることができる。
集まるところにはお金も人も集まるのだ。

主演はスカーレット・ヨハンソン。
個人的に最近のアメリカの女優さんではナンバーワン。
昨年公開された「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」のコミカルな演技もよかったし、
「ジョジョ・ラビット」の母親役もよかった。

美しいだけではない、
幅の広い演技ができる女優。
本作においてはアクション俳優の位置づけ。
抜群の動きをしていた。
当面、オファーが途切れることはないんじゃないかな。
とアメリカ映画に詳しいわけでもないが、そう思ったり・・・。

圧倒的な迫力で押しまくる映像だが、身勝手な人間が犯した罪も問われる。
人は被害者ではなく加害者でもあると。
恐竜も技と怪獣に見せているのではと疑ってしまった。
あの恐竜って怪獣だよね?。

この類の作品を観ることもブログに書くことも少ない。
たまにはいい。
思わず体がのけぞってしまったり、「あっ」と声が出てしまったり、そんなシーンも多い。
この夏休みに驚く体験をしてもらいたいね。

映画「木の上の軍隊」

毎年、この時期になると戦争の悲惨さを描く映画が公開される。
とても意味があることと思う。
描き方は様々だが間接的に反戦を訴える作品が多い。

ぜひともプーチン大統領やネタニヤフ首相にも観てもらいたいが、
本作を観たところで何も感じないだろう。
異国の小さな出来事としか捉えないんじゃないか。
犠牲に合うのは一般人でそれが一番辛い事実のはずだが、
旗を振る人はどうでもいい正論を振りかざす。
戦後80年といっても何も変わっていないのかな・・・。

本作は太平洋戦争末期の1945年の沖縄が舞台。
米軍の侵攻から逃れた日本兵2人の生き抜く姿を描く。
実話がベースだという。
そんな事実を僕は映画を通して知る。
事実を知らない愚か者にとっては意味がある。

終戦から2年間、2人だけで何の情報を得ることもなく生活を送る。
戦争が続いているという恐怖と戦いながら。
健全な精神の持ち主もそんな生活を送れるだろうか。
いつ襲われるかもしれないと怯えながら避難した木の上での暮らしを。

毎日、のほほんと暮す僕は到底耐えられない。
平和な日々に感謝するのみ。
同時に平和ボケにならないように注意するのみ。

先々に希望があれば何とかなるかもしれない。
それが見えない。
それでも生きようとする力は愛国心なのか、遠い存在である家族への想いか。

堤真一演じる上官山下と山田裕貴演じる新兵セイジュンの捉え方は異なる。
立場が違えば当然だが、人としての本質は同じ。
2人の立場から僕は自分の取るべき行動を考える。
逃げるか、投降するか、戦うか、諦めるか、諦めないか。
ほぼ2人で展開するので、それを考えさせる。

銃撃戦のない戦争映画は考えさせる余裕が大切。
結局、人は弱くて強いということだけど。
これでは内容が伝わらないかな(汗)。

本作はダブル主演だが明らかに山田裕貴。
これまでさほど演技が上手いとは思わなかったが、本作で一気に開花。
と個人的な判断。

時にのどかで、時に意志が明確で、時に普通の若者を緊張感の中、演じていた。
沖縄出身者が脇を固める中、沖縄の若者を絶妙に表現していた。
お涙頂戴でもない、完全無欠の反戦でもない。

過剰な演出はなく物足りなさを感じるかもしれないが、2年の日々は激しいばかりじゃない。
その方がリアリティ。

地味だが夏休みには必要な作品といえるだろう。

映画「スーパーマン」

アベンジャーズシリーズはほぼ観ていない。
絶対的なヒーローものもほぼ観ない。
バットマンシリーズのような影のあるヒーローには何故か惹かれつい観てしまう。

じゃあ、本作はどうか。
一般的な捉え方は絶対的なヒーロー。
基本、僕の鑑賞リストは入ってこない。
しかし、解説を読むうちに影を感じてしまった。
そして観に行ってしまった。

僕の中でスーパーマンのイメージはクリストファー・リーヴ。
彼のシリーズをどこまで観たかは正直記憶にない。
全シリーズは観ていないと思うが、
あの衣装を身に纏った強靭な肉体はいかにもという感じでカッコよかった。

時代は経て現代。
今もスーパーマンは活躍し世界の平和を守っている。
どうやら最近は戦争の仲裁にも入る役割を担うようだ。

どの時代にもそんなヒーローを敵視する悪党は存在し、スーパーマンを潰しにかかる。
戦闘能力を高めるだけではない。
SNSやフェイクニュースでスーパーマンを悪の存在へと貶める。
いかにもイマドキだ。

それに苦悩するスーパーマン。
そのあたりに惹かれて観に行ってしまったのかもしれない。
現代チックな社会的背景と従来のスーパーマン的強靭さ、
それに乗っかるジョン ウィリアムズのテーマ曲が上手く融合し、
飽きることなくヒーローの活躍を観ることができた。

今回の敵は天才科学者で大富豪のレックス・ルーサー。
ヤツの技術力がとてつもない。
スーパーマンのクローンを作り、更に外部から指示を与え圧倒的な強さを要する。
最新のFX技術を駆使したと思わせる闘いも面白い。

スーパーマンが死ぬことは考えにくいが、コテンパンにやられることも。
あっちへ行き、こっちへ行き、ラストを迎える。
スーパーマン一人では世界を守るのは難しい。

ひとつは「ジャスティス・ギャング」の存在。
僕は知らなかったがこんなキャラクターがスーパーマンの近くにいたとは・・・
もしかしたらスーパーマンより強いかも。
戦争をいとも簡単に止めさせてしまうから。
あっ、これはネタバレか(笑)。

大人も十分に楽しめるヒーローものといえるだろう。

映画「三谷幸喜「おい、太宰」劇場版」

最近の三谷作品は必ずしも評価は高くない。
昨年の「スオミの話をしよう」もそうだし、6年前の「記憶にございません!」もそう。
そこそこ面白いが三谷幸喜の才能が溢れ出るまでには至らない。
大河ドラマの方が数倍面白い。

このままだと才能を生かせないばかりか、
映画を撮る機会もなくなってしまうかもしれない。
そんなことを思ったり・・・。

そんな時に本作の存在を知った。
(な、わけないか・・・)
劇場版ということなので、確認したらWOWOW放送のドラマ。
そりゃ、知らない。
迷ったが、全編をワンカットワンシーンというのに引き寄せられ観ることにした。

ワンカットで思い出されるのが「1917 命をかけた伝令」
2020年公開のアカデミー賞ノミネート作品。
全編ワンカットだが、あきらかにデジタル技術を駆使した作品で時間軸としてもあり得ない。
却ってそれがいい緊張感を生み優れた作品。

本作もそれに近いかと思ったが、そうではなかった。
どちらかといえば舞台を見ている感覚。
一つの物語が同じ目線でずっと展開されていく。
多分、カメラは2時間回しっぱなしで、出演者もずっと演技しっぱなし。
「ほー、なんか三谷っぽい」と舞台は観たことないくせにそんなことを思った。

簡単に解説すると、太宰治を敬愛する夫婦がひょんなことから
昭和にタイムスリップし太宰治に遭遇するという物語。
夫婦を演じるのは田中圭と宮澤エマ、太宰治役は松山ケンイチ、
その愛人は小池栄子、そして三谷作品必須の梶原善。
映画に登場する役者は5人のみ。
梶原善は一人三役なので登場人物は7人ということになる。

それだけで映画が出来るのも流石だが、
ワンシーンワンカットでぶっ飛ばしてしまうのも凄い。

物語は至って単純なので語ってしまうと身も蓋もないで割愛。
とにかく昭和に戻って太宰ファンの田中圭の絡みが唸らせる。
これまでただの二枚目と思っていたが、そうではなかった。
かなり達者な役者。
そういえば永野芽郁はバッシングに合っているが、彼はそうでもないような・・・。
僕が知らないだけ?

田中圭だけでなく登場する役者はみんな作品を楽しんでいるよう。
小池栄子のイヤホンをつけて踊る姿は最高だったし、
宮澤エマの豹変する態度も見事だった。
上手く三谷カラーに染まったのだろう。

劇場版とWOWOWドラマとの違いを映画鑑賞後、調べてみた。
なんだ、最後のシーンだけか。
あとはそのままか。
WOWOWドラマを観ることはないので問題ないけど。

エンドロールが終わっても席を立ってはいけないね。

映画「桐島です」

本来、ブログタイトルは映画「「桐島です」」としなきゃいけない。
本作はタイトルに「」がついている。
なんとなくまとまりが悪いのでブログのカギカッコはは外した。
桐島ですという言葉が象徴的に使われ、タイトルにはしっくりくる。

本作は実話をベースに製作。
1970年代に起きた連続企業爆破事件の指名手配犯の逃亡劇を描く。
逃亡犯桐島聡は2024年1月に末期がんで死去。
入院時に本命を明かし、数日後に亡くなったというニュースは記憶にある。

僕の世代にとっては学生運動はニュースで見るもので、
自分ごととしてと捉えることはない。
その動きが下火になったとはいえ事件が起きたのは1975年。
僕の大学入学は1985年なので10年しか変わらない。

しかし、遠い過去の出来事としか認識できない。
その10年で若者の価値観は大きく変わった。
1975年でも時代遅れなんだろうが・・・。
頻繁に流れる河島英五の「時代遅れ」は桐島聡そのものと受け止められる。

僕は勝手に桐島聡の逃亡劇を描くスリリングなドラマと想像していた。
昨年の「正体」的な要素があるかと思ったが1ミリもない。
日々は坦々と過ぎていく。

本作のモデルとなった桐島聡は亡くなっており、
彼の辿った人生を語れる人はまずいない。
平穏無事なのか、常に何かに追われていたのかを証明する人はいない。
特にプライベートに関してはベールに包まれたまま。

そこを高橋伴明監督は巧みに演出。
事件を起こしてからの50年を時代ごとに追うが、監督の眼は優しい。
その時代を同じ想いで生きているからだろうか、
爆破犯という卑劣なイメージはなく、桐島聡は親切で礼儀正しく繊細。
偽名ウチダヒロシと付き合う周りは心優しい人物としか思わないだろう。

50年近く平凡な日々を過ごすので映画に必要なドラマチックなシーンはない。
桐島聡が一人で生きる孤独感はあるが、日々の暮らしは普通。
葛藤する本人を知られることもなければ、その葛藤が本当かどうかも不明。
監督の優しい思いが存在するだけ。

きっとそれでいい。
監督が思う桐島像を作ればいい。
映画として盛り上がる要素が少ないため評価は分かれるが、僕はそれでいいと思う。
そんな生き方もきっとありだ。

ただ1点だけ。
奥さんの出演の必要はあったのかな。
僕はあのシーンがなくでも映画として十分成り立ったと思うけど。

映画「夏の砂の上」

本作の主役はオダギリジョー。
エンドロールで知ったが、プロデューサーも兼ねている。
頻繁に彼の映画を観ているが、意外と主役は少ない。
肝心な役どころが多いので、主役と錯覚してしまうのか。

最近の作品は「茜色に焼かれる」にしろ「月」にしろ「劇映画 孤独のグルメ」にしろ
一癖ある旦那役、それも主役の相方が多い。
自分の中に迷いや闇を抱えている。
全てはまり役だが、それは彼がやりたい役柄かもしれないとプロデューサーを兼ねることでそう感じた。

本作では働いていた造船所が潰れても仕事を探さずフラフラしている小浦治を演じる。
過去につらい経験があり奥さん(松たか子)とは別居状態。
中途半端だが周りから愛される人間を演じるのがオダギリジョーの持ち味で、演じたい役柄。
そんなことを映画を観ながら感じた。

松たか子のちょっとイヤな感じも良かったし、
ここにも登場するかという光石研の脇役も冴えていた。

そして何より姪・優子役の髙石あかり。
今年知った女優で「ゴーストキラー」を観る限りアクション女優を目指すと思っていた。
「ゴーストキラー」も良かったが、本作での掴みどころにない役を上手く表現していた。
いかん、出演者のことばかり語ってしまった。

僕は原作も知らず事前情報も入れず鑑賞。
タイトルの「夏の砂の上」とは長崎の街のことか。
雨が降らずカラカラ状態の長崎のひと夏を描く。

大きな事件は起きない。
泣き叫ぶことはなくはないが、至って冷静。
静かに時間は流れ、それぞれが持つ悩みや苦しさは時間と共に変化していく。
乾いた状態では前に進みずらいのかもしれない。
全体がしみわたることで少しだけ心に余裕が生まれる。

それを淡々と描く。
長崎の街は坂が多い。
常に上ったり下ったり。
そうして毎日が過ぎていく。

仮に今が絶望だったとしても明日には変わるかもしれない。
変わらないかもしれない。
それでいい。
時々、自分を爆発させ抱えている重しを外す。
気がつけば夏が終わっている。

これではどんな作品かさっぱり分からないだろう。
それでいい。
本作には答えがない。

治はこれからどうなるか。
優子の将来は大丈夫か。
自分の中に答えを作っていけばいい。
きっとそれが正解になる。

僕は夏の砂の上の経験を通してしシアワセになってほしいけどね。