
今回はドキュメンタリー映画。
舞台となるのは、世界で最も過酷と言われる香港のトレイルランニング大会。
コースの全長は約300キロ、累積標高差は14,500メートルに及ぶ。
これはフルマラソン約7回分、エベレスト登頂2回分に相当する途方もない数字。
これでも僕はランナー。
フルマラソンの完走経験もあるし、今も年3回はハーフマラソン大会に出場している。
だからこそ、彼らが足を踏み入れる世界の異常さが、身に染みてよく分かる。
僕の感覚からすれば、到底考えられない次元の挑戦。
レース中、一定の休憩時間は設けられているものの、
トップランナーは50時間もの間、ほぼぶっ通しで走り続ける。
制限時間は60時間なのだが、その差だって10時間。
フルマラソンやハーフマラソンならせいぜい1~2時間。
60時間以降にゴールする完走者たちは、70時間ほどを費やす。
3~4日間、ほんのわずかな睡眠だけで山道を走り続けるなど、
普通ではあり得ない世界。
注視されるのはランナーたちの「精神力」。
問われるのは持って生まれた運動能力や体力ではない。
過酷な状況下でどこまで自分自身と向き合えるかという、極限の精神力なのだ。
興味深いことに出場しているランナーの多くはトップアスリートというよりも一般人に近い。
大学の教授であったり、大学院生であったり。
特に印象的だった可愛らしい女性ランナーのリサはまさにそうで、
外見からはとてもそんな強靭な体力を秘めているようには見えない。
彼らが挑んでいる姿は、まさに自ら好んで行う「拷問」。
M的要素を軽く超え、自らを苦しめる。
自分の限界に向き合うどころか、遥かに超えていく世界。
こんな凄まじい作品を観てしまうと、
僕が走っているハーフマラソンなんて屁みたいなもの。
「頑張って走った!」なんて口にしていたのが嘘のように思えるし、
自分の努力がいかに足りていないかを痛感させられた。
そんな意味でもありがたく刺激的な作品。
そういえば僕の仲間にもサハラ砂漠マラソンを走ったバカがいたな。
ということはヤツも映画になるわけね(笑)。

毎年夏の定番となってしまった本シリーズ。
劇場でこの作品が公開されるのを見ると、
今年もいよいよ夏休みが始まったなと認識させられる。
それにしてもこのシリーズは一体いつまで続くのだろうか。
僕は原作漫画を読んでいないので、この先の展開がさっぱり分からない。
昨日、ちょうど映画館から帰ってきた全巻読破している息子に聞いてみた。
彼にいわせれば、今回描かれている秦と「合従軍」の戦いだけでも、
映画であと4回分くらいのネタはあるという。
ということは、最低でもあと4年は続くのか。
主役の信を演じる山﨑賢人の体力がいつまで持つのか、少し心配(笑)。
息子は「合従軍」との戦いが区切りになると睨んでいるが・・・。
それにしても本シリーズは豪華キャストが並ぶ。
男優陣を見渡せば、日本の人気俳優がすべて出演しているといっても過言ではない。
今後、原作で新たな重要人物が登場してくる際、
それに見合う格の俳優がまだ残っているのか。
全く余計な心配だが、そんなことも考えてしまう。
また、今回はNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の出演者が目立っていたのも印象的。
織田信長は何もしなかったが、明智光秀は文句なしにカッコよかった。
藤堂高虎は大河ドラマと同じような感じ。
分かりやすい(笑)。
全体の感想としては「ここで終わるのか……」と少しばかり消化不良気味な気持ちが残った。
まあ、そこは来年の夏までお預け、ということなのだろう。
3時間の大作にするわけにもいかないので、いい戦略だね。
個人的には羌瘣役の清野菜名にまた戻ってきてほしい。
そして、次作で目立つであろう三吉彩花の存在も今から楽しみ。
できればこの2人の壮絶なアクション対決を見てみたいものだが、
原作にそんな展開は存在しないのだろうか。
息子に聞いてみるかな・・・。
作品のスケール感と迫力は相変わらずで、
夏のエンターテインメントとしては十分すぎるほど楽しめた。
消化不良分も含め、来年の夏を楽しみに待つことにしよう。

1977年にアメリカのインディアナポリスで実際に発生した事件を基に描かれた作品。
エンディングロールでは当時の実際の事件映像が流れるが、
劇中のシーンが忠実に再現されていたのがよく分かり唸らされた。
本作には余計な説明やいわゆる「遊び」の時間がない。
観客が息を整える間もなく、物語はいきなり事件に入っていく。
その潔い構成が却って作品の緊張感を生んでいるように思う。
簡単に解説すれば、財産をだまし取られた男が、
その相手企業の社長の息子を人質に取り、謝罪と金を要求するというストーリー。
映像が進むにつれて、彼をそこまで追い詰めた動機や真相が少しずつ解明される。
カギとなるのが、息子の父親である社長を演じたアル・パチーノ。
失礼な言い方だが、彼は年齢を重ねるにつれ面の皮が厚い嫌な男の役が似合う。
「ハウス・オブ・グッチ」でもそうだった。
調べたらもう86歳なんだね・・・。
本作における彼の役どころに関していえば、共感する者は誰一人いないと思う。
それほど見事な嫌悪感を醸し出している。
観終わってふと考えさせられたのは、
本作が一番描きたかったものは何だったのかという点。
主役である犯人トニー・キリシスの言動やその切迫した心持ちなのか、
それとも人質となり極限まで追い詰められた社長の息子ディックの心境なのか。
併せていえば、なぜ50年前のこの事件を、今この時代に映画として取り上げるのか。
そのあたりのことは分からなかった。
名匠といわれるガス・バン・サント監督はどこかで語っているのかな。
人間というのは本当に極限状態に追い込まれると、
あんな行動を取ってしまうものなのだろう。
もしこれがフィクションであれば、もっとドラマチックで大袈裟な展開になるだろう。
そうしない地味で歪なやり取りこそが、かえってリアルな恐怖として伝わってくる。
決して観終わった後の後味が良い作品ではない。
だが、あの緊迫した空気と人間の生々しい姿は、僕の脳裏に焼き付いてしまった。

僕たちの知る北朝鮮という国はニュースなどで流れるあの特異なイメージがほとんど。
しかし、その実態が本当はどうなのかは、僕たちには分からない。
在日コリアンと呼ばれる人々にとって、単なるニュースの向こう側の国ではなく、
自身のルーツであり母国であり大切な国なのだ。
立場が違えば、その国の映り方や見え方が全く異なるという当然の事実にハッとさせられた。
主人公は朝鮮学校に通う在日コリアンの14歳の少女ソヒ。
彼女はある日、ちょっとした出来心から問題を起こしてしまう。
そこに誰かを傷つけようという悪意があったわけではない。
むしろ、家族に余計な心配をかけまいと気を遣った、
いかにも子供らしい健気な行動の裏返し。
後になって大きな後悔に襲われるが、若さゆえに揺れ動く彼女の心の痛みが、
スクリーンを通して痛いほど胸に迫ってくる。
僕は日頃から、外国人に対しても偏見を持たず公平でいるつもり。
しかし、それは単に「公平に接しているつもり」だけであって、
相手の本当の気持ちや抱える葛藤を理解できているわけではない。
映画を観ながら痛感した。
僕の考えている公平さなど所詮は部外者の綺麗事。
当事者には全く別の、もっと複雑な想いがある。
それが多感な思春期を迎えた少女ともなればなおのこと。
大人と子供の狭間で彼女がどれほど孤独に悩んでいたか、推し量るのは容易じゃない。
それにしても本作は演じる少女たちの瑞々しさがとにかく素晴らしい。
主役のソヒを演じた恒那も、
同じ在日コリアンの同級生を演じた原田花埜も、
そして日本人の友達を演じた梨里花も、
決して目立つような演技をするわけではない。
どこにでもいる純粋で等身大な中学生の姿を自然体で演じていた。
それが素晴らしい。
さらに父親役の井浦新をはじめ、
脇を固める俳優陣の抑えた演技も作品にいい味を添えていた。
観終わった後、ふとタイトルの意味を考えた。
賞を獲得したトロフィーだけではない。
タイトルにある「トロフィー」は、
一体誰にあげるのが一番相応しいのだろうか。
必死にアイデンティティと向き合い、
小さな一歩を踏み出した少女たちに贈りたい。
なんて、キザなことも思ってしまった(笑)。

切ない作品だった。
何の罪もない9歳の娘がこれほどまでに切なく、
理不尽な経験をしなければならないという現実が、ただただ辛い。
そして、与えられた使命を果たすために、人を騙さざるを得ない極限の環境。
その中に身を置く人々の葛藤が、胸を締め付ける。
映画を観る前は、9歳の女の子が大統領のためにケーキ作りに奮闘するほのぼのとした作品と思っていた。
だが、実際に描かれていたのは、まるで真逆。
厳しく息の詰まるような世界。
よく考えれば、そんな世界も想像がつく。
描かれるのは、1990年代のイラク、サダム・フセイン政権下の時代。
当時、日本はバブルの末期で、世の中は浮かれた空気に包まれていた。
20代前半だった僕も同じ地球上の別の場所で、
このような過酷な現実が繰り広げられることなど何も知らず。
ニュースでフセイン政権の旗振り状況を知るだけ。
劇中に映し出される市民生活や街を走る車を見ていると、
日本で言えば昭和30年代前半のような、どこか物資の乏しい過去の光景に見える。
独裁政権下にある国では、これほどまでに世界の進むスピードが違い、
人々の自由が制限されてしまうのかと驚かされる。
正直にいって娯楽作として「面白い」映画ではない。
むしろ観ていて重苦しい気持ちになる。
しかし、だからといって目を背けてはいけない現実がある。
ほんの少しだけ2人の同級生の愛らしさを感じることができるが・・・。
上映する映画館もそれほど多くはない作品だが、
普段触れることのない世界の裏側を知り視野を広げることは必要。
本作をススメてくれたのは人生の先輩である映画コラムニスト見習い。
そのススメを素直に聞き、劇場に足を運んだのは正解だった。
自分一人では選ばなかった可能性も高い。
本作に出会えたことに感謝。
見習いの先輩にも感謝したい。
歴史の影に隠れた個人の悲劇を僕たちはどう受け止めるべきか。
ただの「過去の遠い国の話」で終わらせてはいけない。
混沌とした今の時期に公開されるのも大きな意味があると思う。

観る人をかなり選ぶ作品だと思う。
好きな人はとことん好きだろうが、
そうじゃなければボロクソな評価をされてもおかしくない。
観客によって、真っ二つに評価が分かれそうな危うさを持っている。
本作において観るべきは主演の映子を演じた奈緒の演技。
大袈裟ないい方をすれば、彼女のアップが映画の半分を占めているといっても過言ではない。
その画面に映し出される、彼女の微妙な表情の変化こそが、この映画の最大の特徴。
これまではただの可愛らしい女優さんという印象を持っていたが、
彼女が着実に演技派としてのキャリアを歩んでいることを確信した。
また、何者かに殺された亜佐美を演じた伊東蒼のつかみどころのない役どころもいい。
キネ旬で助演女優賞を獲得した「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」でも光っていたが、
本作でもその本性が見えそうで見えない絶妙なキャラクターを、見事に演じきっている。
彼女の存在感が作品のミステリアスな深みを支えている。
劇中、時折セリフとして吐き出される「死ねばいいのに」という言葉。
それを言われた相手は、文字通り心にグサッと突き刺されることになる。
しかし、その言葉は受け取る側によっては、
どこか優しいささやきのようにも聞こえ、
同時に逃れられない呪いをかけられたようにも響く。
この強烈な言葉を一体誰が、どのような意図で放ったのか。
それはぜひ、劇場で実際に確認して欲しいと思う。
観ながらふと、僕が学生だった頃のことを思い出した。
当時、これとよく似た手法で自主映画を作っていた連中が周りにいたように思う。
セリフの応酬や、物語の根底にある哲学的な要素が、
観る者にある種の戸惑いを生むのだろう。
決して万人受けするエンターテインメントではない。
しかし、2人の女優の演技力と言葉の持つ劇薬のような力に、
最後まで見入ってしまった。
金井純一監督作品は初めての鑑賞。
監督を含め奈緒や伊東蒼は今後、どんな作品を手掛けるのか。
それも気になってしまう。
期待したいけどね。

カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、
主演のビルジニー・エフィラと岡本多緒がそろって女優賞を受賞した話題作。
前評判の高さからずっと気になっていたのだが、実は観るのを少しばかりためらった。
理由は作品の内容ではなく、上映時間。
196分という長さ。
軽く3時間を超える時間に身体が耐えられるかどうかが不安だった。
恥ずかしい話だがこの年齢になると3時間もの間、トイレを我慢することが難しくなる。
映画館に入る前は相応の覚悟で臨んだが、
結果からいえば不思議なほどすんなりと我慢することができた。
それどころか、時間の長さすら全く感じさせないほど、作品の世界に没入してしまった。
本作は劇的な大事件やハリウッド映画のような大きな盛り上がりがあるわけではない。
二人の「マリ」が、日本語とフランス語を交えながら会話を交わすシーンがほとんどを占める。
それなのに彼女たちの口から放たれる何気ないセリフの数々に、なぜか深くグッときてしまう。
ドラマチックに仕立てられた場面ではない、
ごく当たり前の日常のひとコマに、気づけば涙腺が緩みそうになるシーンも多かった。
映画全体を包み込む、独特の心地よい空気感も素晴らしい。
ある時はパリの洗練された市街地であり、
またある時は京都ののどかな片田舎、
そしてパリ郊外の歴史ある介護施設。
それぞれの場所が持つ穏やかな風景と、そこに流れる時間に気持ちを持っていかれた。
濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」はとても好きな作品なのだが、
本作を観ている間、どこかあの作品に通じるような静かな強さを感じた。
映画としてのクオリティや余韻の深さは、間違いなくあの作品に匹敵。
僕の中では今年のベストテンの上位に確実に食い込んでくるだろう。
年末のランキングで日本映画として扱うべきか、
あるいは外国映画にすべきかで迷うだろうね。
主演の岡本多緒は本作で初めて知った。というより初めて観た。
凛とした佇まいとストレートなセリフ回しが魅力。
「新情報・・・」という何気ないセリフがよかった(笑)。
活躍する女優が多い中で彼女が選ばれた理由が映画の流れから分かる気がした。
3時間強の時間に自信のない方もトライしてほしい。

最初はスルーするつもりだった。
しかし、映画評論仲間から「観なきゃ映画コラムニスト失格!」と非難され、映画館に足を運んだ。
結果としてその言葉は正解だった。
本作は誰もが気軽に楽しめる娯楽作。
賞レースを席巻したり、キネマ旬報などの年間ベストテンで上位に食い込むことはないと思う。
だが、娯楽映画としての完成度や作品としての評価は高い。
社会派ドラマの要素はゼロ。
それでも登場人物の細やかな心の機微が、素直に観る者の胸に落ちてくる。
何より主演の舘ひろしがいい。
かつてのハードボイルドな格好良さを残しつつも、
いい意味で肩の力が抜けてチャーミングな魅力を振りまいている。
脇を固める役者陣も非常に魅力的。
言葉を選ばずに言えば、ピークを越えたベテラン俳優の存在感が素晴らしい。
宇崎竜童、南野陽子、西岡徳馬、中山忍らが効果的に配置され、その使い方の巧みさには唸らされた。
味のある演技で作品の厚みを支えている。
劇中に登場する少年は映画「国宝」喜久雄の少年時代。
黒川想矢も成長した。
見た目はあまり変わらないけど。
さらに西野七瀬演じるマネージャーも印象的。
あえて美しく見せないような地味なキャラクターに仕立てていたのだが、
それがかえって役のリアリティを生み出していた。
ただ映画のテーマである「70歳で免許返納」という設定は、
先日60歳を迎えた者としてはとして複雑な思い。
今の時代、70歳といえばまだまだ元気な世代。
それなのに10数年後には社会からこんな扱いを受けるようになってしまうのだろうか。
自分自身の未来と重ね合わせてしまい、少しだけ寂しい気持ちになったのが正直なところ。
それに車も運転したい。
70代後半なら免許返納を考えるが、70歳ではあり得ない。
とはいえ、映画全体に流れる空気はどこまでも温かい。
人生の晩年をどう生きるかという重くなりがちなテーマを、笑いと共感で包み込んでくれる。
「ハーレーライダー」という安直なタイトルもいい(笑)。
映画仲間のおススメは大切にしないとね。

つい2週間前、台湾訪問で中部国際空港(セントレア)に足を運んだ。
その際、何気なく税関の前を通ったのだが、まさにその場所で起きた実際の事件を基に描かれた作品。
ここが舞台だったんだとリアルに感じた。
物語の主軸となるのは、一見どこにでもいる有村架純演じる専業主婦の和歌子。
どこにでもいそうな大人しい女性が、ある出来事をきっかけに徐々に変化し、
抑え込んでいた感情が露わになっていくさまが人間っぽい。
人間というのは普段どれだけ平穏に暮らしていても、何かの弾みで全く違う顔を見せる生き物。
意外とそういう二面性は、誰しもが心の中に持っているものかもしれない。
そもそも事の始まりを作ったのは、和歌子の夫。
演じているのは塩野瑛久。
大河ドラマ「光る君へ」ではいい演技をしていたと思う。
見た目は非常に人が良さそうに思えるのだが、実はかなりだらしがない。
元を正せばすべてそのだらしなさが原因であり、和歌子に同情するとすればまさにそんな夫の存在。
悪気がないからこそタチが悪い。
途中から観たら正しい夫にしか映らない。
作品としてはハラハラしながら観ることができた。
ただ、映画全体の構成としては少し惜しいと感じる部分もあった。
犯罪劇としての娯楽作品に振り切るか、
あるいは現代社会の歪みを描く社会派ドラマに徹するか、
どちらか一方に振った方がよかったのではないか。
全体的に少し中途半端な印象が残ったのが個人的な感想。
とはいえ、メガホンを取った天野監督は愛知県出身であり応援したい映画監督の一人。
昨年観た「佐藤さんと佐藤さん」に続く公開ということもあり、
このまま順調に売れっ子監督になっていくのではないかと期待が高まる。
主役有村架純は2児の母親役。
まだまだ可愛いお姉さんと思っていたが、そんな役を演じる年齢にもなった。
それなりに汚れ役も演じることができる。
キャリアは広がっていくわけね。
黒木華のダメさ加減も馴染んでいた。。
南沙良は「万事快調 オール・グリーンズ」の方が断然よかったかな。
3人の女性を取り巻く環境。
人間の弱さや愚かさがひょんな行動で露わになる。
人が堕ちていくのは簡単だと教えてくれた。

僕にとって1980年代は、リアルタイムでマイケル・ジャクソンを観ていた時代。
「スリラー」のミュージックビデオは、最も繰り返し観た映像と言ってもいい。
それだけに「ボヘミアン・ラプソディ」や「名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」よりも、
本作は遥かに自分の中へと自然に入り込んだ。
当時の空気感が体に蘇ってきた。
観る前は彼の栄光とその裏にあるスキャンダラスな「光と影」を描く作品と想像していた。
しかし、実際にスクリーンに映し出されていたのは、いわば「光と光」の物語。
マイケル・ジャクソンの純粋で美しい姿、アーティストとしての輝きが表現されていた。
厳格な父ジョセフとの確執や葛藤も描かれはするが、
それすらも彼という人間の繊細さと優しさを際立たせた。
結果としてマイケルをより美しく見せる要素として機能していた。
違和感なく映画に没入できたのは、主演を務めたジャファー・ジャクソンの存在が大きい。
マイケルの実の甥である彼の佇まいは、本人がそこに降臨しているかのようだった。
特に圧巻なのはライブシーン。
あまりの再現度の高さに当時のアーカイブ映像を観ているのではないかと錯覚してしまう。
これも血筋がもたらす天性のシンクロニシティなのか。
気がつけば、2時間強という上映時間はあっという間に過ぎ去っていた。
映画としては非常に見応えのある時間。
ただ彼の人生を思えば、この先の時代に待ち受けるさらなる展開やドラマも当然気になる。
これで終わりにするのはあまりにも惜しい。
ぜひ、このクオリティのまま続編が制作されることを期待したいところ。
偉大なスターの軌跡をリスペクトを込めて映画にしてくれたことが嬉しかった。
あの時代を共に過ごした世代はもちろんだがリアルタイムで知らない世代にも、
その「光」の凄まじさは十分に伝わると思う。
当時はレコードを購入したわけではなく、レンタルで借りカセットテープに録音していた。
実家に当時のテープが残っていないかな?
懐かしさも実感できた作品だった。