これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「わたしの知らない子どもたち」

僕の周りでもやたらと評価が高い作品。
だから観ないという選択肢は最初からなかった。
そもそも西川美和監督の作品は、問答無用で劇場に足を運ばなきゃいけない。
いつも鋭い話題作をこちらに投げかけてくる。
実力は当然ながら、その着眼点や映画的なセンスにはいつも感心する。
脚本だけでなく、原案も彼女自身が手掛けているのだから流石だ。

本作は実話ではないが、戦後の日本なら似たような話があちこちに存在していたのだろう。
ざっと解説すると、戦争で家族も日常もすべて奪われた12歳の少女・琴子が、
生き延びるために自らの性別を隠し、少年として生きた数年間を描いた物語。

女であること、少女であることの危険さを子どもながらに察し、
一人の少年になりすまして過酷な時代を懸命に生き抜いていく。
その姿を追っているだけで胸にグッと押し迫るものがあるし、
戦争がもたらす悲劇のリアルさを生々しく感じ取ることになる。

子どもたちは、大層な正義を語ったりはしない。
戦争の無意味さを声高に叫ぶわけでもない。
しかし、大人たちが犯した誤った行動や、
ろくに反省もせず図太く暮らす矛盾を、直感的に肌で感じ取っている。
言葉にしない分、その姿がなおさら痛々しい。

主役の12歳の少女・琴子を演じるのは小八重葵美。
まず何よりも、彼女の存在感が素晴らしい。
少女としての目。
少年になりきる時の目。
そして、世の中の理不尽さを冷静に見抜く冷めた目。
その圧倒的な目力に引き込まれた。

「今年の主演女優賞を獲得する!」
というコラムニストらしき人もいたが、本当にそうなるかもしれない。
彼女の力で作品のクオリティが何段階も上がったのは間違いない。
個人的には一緒につるんでいた少年・将吉を演じた羽山由一郎の喋りや眼差しも良かった。
脇を固める名優らは、あえて語る必要もない。
作品をより重厚なものにしていた。

2026年に公開された日本映画では間違いなく高い評価を受けるだろう。
西川美和監督が日本を代表する監督のひとりであることも証明されただろう。

ラストシーンで見せた琴子の表情を忘れることはない。
毎年、秋になると日本映画の素晴らしさを感じることができる。

映画「真実と反逆 ナチスと闘った若きレジスタンス」

本作は実話に基づいた作品だという。
ナチスの恐ろしい真実を世に伝えるべく立ち上がったひとりの青年と
ナチス政権下での壮絶な格闘を描く。
きっと当時はこうした知られざる実話があちこちで起きていたのだろう。

副題に「ナチスと闘った若きレジスタンス」とあるが、まさにその言葉どおり。
わずか16歳の若者がこれほどの覚悟を持って行動していたなんて信じがたいが、
その勇気と行動力は手放しで賞賛すべきだ。

舞台はナチス支配下のドイツ国内の話だが、劇中の言語は全編英語。
昨年観た『ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師』もそうだったが、
アメリカ主導で製作される以上、やむを得ない。
野暮な突っ込みを入れるのは止めておこう。
映画としては母国語であるドイツ語で演じられるのが理想だが、
世界中のより多くの人々にメッセージを届けることの方が大切だともいえる。

ナチス政権下の非道や狂気を描く映画は、毎年のようにどこかで公開されている。
今年観た『白パンと独裁者』もそうだったし、観れていない作品も何本もある。
映画人たちはこうした作品を通して、
間接的に今も世界に存在するどこかの独裁者たちへ釘を刺しているのだろう。
まあ、当の本人には全く響いていないのが現実だけど。

今から振り返ってみれば、あんなにも聡明で優秀な若者を失うことは、
ドイツという国にとっても計り知れない損失だったはず。
彼を取り締まっていた秘密国家警察の連中も、
冷酷な判決を下した裁判官も、
心の奥底ではそのことに気づいていたのかもしれない。
しかし、あの時代を覆っていた異様な空気が、
それを立ち止まらせることを許さなかったのだ。

いつの時代になっても、人間は同じ過ちを繰り返す。
表立ってニュースには出てこないだけで、現在のロシアでも、イスラエルでも、
同じように声を上げている若きレジスタンスたちがいるんじゃないだろうか。
僕たちが知らない間に、そうした尊い命や才能が理不尽に消されるのはあまりにも悲しい。
映画の中で描かれるような現実が、これ以上繰り返されないことを願うばかりだ。

映画「mentor」

観た直後よりも、時間が経つにつれてじわっと胸に迫ってくる作品。
数日経過した今、改めて作品を振り返るとさらにその感情が深まってくる。
主役ともいえる3人の登場人物たちの感情に思いを巡らせると、
一見すると奇抜や過剰に思えた行動の数々が、不思議とストンと胸に落ちる。

「もし自分が彼らと同じ立場に立たされたら、
同じような行動を起こしてしまうかもしれない・・・」
観終わったあとに、そんなことまで考えさせられた。
しかし、映画館で観ている最中は、「ヤバいな」という捉え方しかできなかった。
ブラックコメディが効きすぎているというか・・・。

瞬間的な怒りや衝動で感情を昂らせて起こす行動と、
長年耐え忍んで感情を抑え込んだ末に爆発させる行動。
両者はまるで異なるもののようでありながら、実は紙一重なのかもしれない。

物語の中心となるのは3人の男たちだ。
磯村勇斗が演じるアーチェリーのオリンピック日本代表候補・龍之介。
末澤誠也が演じる、引きこもり生活から抜け出そうともがく拓海。
そして、この2人が原因で妻子を失うことになった、綾野剛演じる埜本。

この3人が、それぞれの複雑な立場を絶妙な距離感と迫力で演じ切る。
僕は末澤誠也という俳優を全く知らなかったのだが、
後で調べたらアイドルグループ「Aぇ! group」のメンバーで結構な人気があるらしい。
名大社女子にもモーレツなファンがいる。
葛藤しながら感情を行ったり来たりさせる難しい役どころを見事にこなしていた。

僕は𠮷田恵輔監督を「人の人生における浮き沈みを描く最も上手い監督」と認識。
それも大袈裟なドラマとして演出するのではない。
ごく普通の人間の在り方として、
一人の人間が舞い上がったり、底まで沈んだりする姿を映し出す。

これまでにも結構な本数を観てきたが、
『BLUE ブルー』も『空白』も『ミッシング』も『神は見返りを求める』も、
思い返せばどれもそうだった。
あっ、いかん、今年公開の『四月の余白』は見逃した。

間違いなく2026年に公開された映画の中でも、
ふとした瞬間に劇中のシーンが頭に鮮明に焼き付く特別な一本。
埜本が被る中日ドラゴンズのキャップも含めて。

映画「ハードボイルド」

原題は『Absolution』。
日本語に訳せば「赦し」や「罪の許し」といった意味になる。
映画の内容を考えれば、明らかに原題の方がニュアンス的にしっくりくる。
なぜ配給会社は「ハードボイルド」なんて大雑把なタイトルをつけてしまったのだろうか。
宣伝の都合かもしれないが、少し首をかしげたくなる。

「ハードボイルド」と聞くと、どこか硬派でストイックなイメージを抱く。
最近のアメリカ映画ではあまり聞かなくなったが、
昔ならハンフリー・ボガートの主演作や「ダーティハリー」
「チャイナタウン」といった70年代の作品でよく語られていたジャンル。

寡黙でタフな男が言い寄ってくる魅力的な女性にも目をくれず、
自らの信念とその道だけを進んでいく。
かつての映画はそんな男の生き様を指していたと思う。
20代の頃は僕もそんな男を目指していた。
違うか(笑)。

そう考えると、本作はどうだろうか。
主演のリーアム・ニーソンが演じるのは半分痴呆症になりかけた老ギャング。
作中では普通に女性にうつつを抜かすし、自らの弱さや老いを隠すことなくさらけ出していく。
だが、これこそが真のハードボイルドなのかもしれない。
あるいは、現代における「イマドキのハードボイルド」の形なのかもしれない。
格好良いばかりが男の美学ではないということだ。

そういえば、3年前に観た「MEMORY メモリー」でも、
リーアム・ニーソンはアルツハイマー病に侵された老いぼれ殺し屋を演じていた。
こういう記憶が途切れがちな男の哀愁を演じるのが、
すっかり彼の得意分野になっている気がする。
他の作品を知らないだけだけど。

正直に言えば、これから先長く記憶に残り続けるような大作ではないと思う。
年末の映画ベストテンなんかに選ばれることもきっとないだろう。
それでも、観終わったあとに「手元にひっそりと置いておきたいな」と思わせてくれる。
どこか捨てがたい魅力を持った作品だった。

映画「DIGGER ディガー」

本作を説明するのは、かなり難しい。
観た人のほぼ100%はそう思うのではないだろうか。
もしこの映画を簡単に説明できてしまう人がいるとしたら、
それは作品に対しての理解が浅いというしかない。
もしくは映画への愛がないというしかない。

ひとつだけハッキリと言えるのは、
事前に予告編から想像していた内容とは180度違っていたということ。
「こんな世界なのか……」
と、観終わったあとは少なからずショックを受けた。

それでも少しだけ触れておこう。
物語はトム・クルーズ演じる石油採掘会社のCEOであるディガー・ロックウェルの常人の想像を超える行動を描く。
観ている者は頭が混乱する。

しかし、段々、分かってくる。
彼の行動そのものが、まるで現在のアメリカという国を象徴しているのではないかと。
それは決してポジティブな描写ではない。
むしろ、国そのものを烈しく批判しているようにも受け取れる。

果たしてこれは主演であるトム・クルーズ自身の意志なのか。
それとも単に監督の意向に従って演じただけなのか。
なんとなく彼自身の強い意志が含まれていると感じてしまうのは、僕だけだろうか。
彼は隠れトランピアンと言われるらしいが、その逆のような気もするし。
アメリカではヒットしていないというし。

と、こんな話をされたところで「一体なんのこと?」と思うだろう。
だが、それでいい。
とにかく実際に観てみないことには、この感覚は分からないのだ。
劇場で観て、大いに動揺し、血迷えばいい。

僕たち日本人が観る分には、どこか客観的で納得度も高くなるかもしれない。
しかし、当事者であるアメリカ人が観たらどうだろうか。
共和党と民主党の分断ではないが、
観る立場によって賛否は大きく真っ二つに分かれるのではないか。
そういう意味でも、かなり危険度の高い作品だといえる。

トム・クルーズはこれまでのイメージを捨てても、
本当はこんな作品をやりたかったのではないか。
そんなことも感じたり。

どちらにしても、これ以上はネタバレに近い表現になるので書けない。
気になった方は、ぜひ劇場へ足を運んで自分の目で確かめてほしい。

これではどんなジャンルかも分からないね(汗)。

映画「汝、星のごとく」

いかにもという恋愛映画は基本観ない。
そのジャンルはもう卒業したし、年齢的に距離感も生まれている。
しかし、本作は別。
単純に言い訳だが、藤井道人監督作品だし、予告編にも何となく惹かれた。

ただこの予告編にはいい意味で騙された。
映し出される映像からストーリーを予測するのだが、まるで想像とは異なる。
僕は勝手にああなって、こうなるんだと思っていた。
原作を知らずに観た者はまんまと騙され、作り手は今頃、ケラケラと笑っているだろう。
チクショー。

本作は今、日本映画で最も活躍する横浜流星と広瀬すずのW主演。
高校生時の出会いから15年の2人の運命を描く。
高校時代の横浜流星のムリさを指摘する人もいるが、ここは許してあげたい。
妙なメイクはせず上手く演じていたと思う。

15年にも及ぶ物語を否定する人はいないだろう。
誰しもが素直に受け入れていく。
映画館ですすり泣く声があちこちから聞こえてきたのが、その証。
きっとそうなるだろうという展開は裏切ることなく、そのまま。
冷静な見方をすれば素っ気ない感想。

それでいい。
そんな恋愛映画の方がいいのだ。
僕は藤井監督は王道を描く監督と認識。
映画に対してリスペクトがあり、観る者を裏切らない作品が多い。

裏切ったのはあくまでも予告編と本編のギャップ。
まあ、松村北斗の姿には驚いたけどね。
最後の横浜流星の姿にも・・・。

俳優陣でいえば脇役も豪華。
最初誰か分からなかった木村佳乃も、編集者の濱田岳にノリもよかった。
松村北斗があんな役であの展開もファンにとっては意外だろう。
個人的に中村アンは好きな女優だが、あの風貌で編集者というのは違うような気がした。
そこも含め、上手く流れをつかんだいい作品だと思う。

そして、違った視点からみればキャリア論にも通じた映画。
自分のやりたいことにどう向き合るのか、向き合わないのか。
何が自分に蓋をするのか。
そんな見方もあると同世代の若者は感情移入しやすい。

こうした安定した作品を作り続ける藤井監督はこれからも時代に求められる。
(上から目線ですみません)
これからも作品を期待したい。
できれば「新聞記者」のような硬派な作品を期待したいけど。

映画「ファーストボイス」

舞台となる1989年は、僕が大学を卒業して社会人になった年。
世の中はまさにバブル絶頂期。
映画の中で見せられる登場人物たちの衣装や髪型は、
まさにあの当時の空気をそのまま映し出している。

作中では「セクハラについて騒がれ始めた年」と描かれている。
だが、当時を振り返ってみても、僕自身にはそういう社会的な高まりの認識はあまりなかった。
決して女性に対する意識が低かったわけではない。
うちの会社は当時から男女平等で、
どちらかが特別扱いされるようなことはなかった。

職場でお酒を注ぐような役割が女性の仕事だなんて、誰も考えていなかった。
むしろ新人だった僕は、女性の先輩にガンガン詰められていた記憶の方が強い(笑)。
そのためか、同じ時代を生きていながら、描かれる世界には若干の違和感を抱いた。
しかし、これもおそらく現実。
本作は実話をベースに作られているというし。

一般的な本作の評価はかなり高いが、僕の受け止め方は少し異なる。
「もっとどちらかに振り切った方が良かったのではないか」と感じたのだ。
どちらかというのは、社会派作品としてか、それとも娯楽作としてか。
本作は両方の要素を押さえることで、
(僕の感覚では社会派7、娯楽派3くらい)
より多くの人が楽しめる作りになっている。
それが松竹作品っぽいのかな・・・。

だが、その分、どこか中途半端に映ってしまい、勿体なく感じられた。
個人的には、思い切って全編を社会派に寄せた方が作品の芯が立ったと思う。
あくまでも個人の意見で社会派映画ファンとしての捉え方。

トーンが変われば、出演者の描き方や扱いも違ってきたのではないか。
例えば、中日ドラゴンズの新監督の息子の言動はいかにも軽すぎる印象。
(息子の演技が悪いというわけではないので誤解なく・・・)
裁判所という場所であんなことが本当にあり得るのだろうか、
と思いつつ、案外そうでもないのかな、と考え直したり。

いろいろと書いてしまったが、決してつまらなかったわけではない。
最後まで飽きることなく、しっかりと楽しめた映画だった。
ファーストサマーウイカの演技も良かったしね。

映画「ハート・オブ・ビースト」

当初はこの作品をスルーしようと思っていた。
しかし、映画評論仲間の評価がやたらと高い。
最近はこのパターンで観に行くことが多い気がする。
人の評価は素直に受け止めた方がいいということ。
観て正解だったしね。

僕は原題である「ハート・オブ・ビースト」は元軍用偵察犬のオーディンを指していて、
「猛獣の心」といった意味合いなのだと思い込んでいた。
だが、解説を読んでみると「魔の領域」という不時着した過酷な奥地を指しているらしい。
このあたりで自分の無知や適当な正体がバレてしまいそう(汗)。
同じことを思った人はきっと他にもいるよね・・・。

物語はアラスカの奥地に取り残された退役軍人と義足の元偵察犬の絆を描いたサバイバルドラマ。
主演はご存じブラッド・ピット。
ストーリー自体は至ってシンプル。
不時着してしまった大自然の極限状態から、我が家への生還を目指すというもの。

登場するのは、ほぼブラッド・ピットと元軍用偵察犬のオーディンのみといっていい。
ふたり(?)の間にある信頼関係は厚く、
互いに支え合いながら過酷な大自然の試練を乗り越えていく。
観ていると、主役はむしろオーディンではないかとさえ思えてくる。
それにしてもオーディンの演技は素晴らしい。
主人を想うあの眼差しがいい。

映画は最初の20分は静かに始まる。
あるタイミングから繰り広げられるハラハラドキドキの展開が凄い。
文字通りサバイバルドラマ
僕なら最初の苦難で早々に生きるのを諦める。

何より、今年で63歳を迎えるブラッド・ピットの俊敏な動きとタフさには驚かされるばかり。
スクリーンで体を張り続ける彼を観ながら、
10年前に観たレオナルド・ディカプリオ主演の「レヴェナント: 蘇えりし者」を思い出した。
超一流と呼ばれる俳優たちは、
キャリアを重ねても直感的にこうした極限状態を描くハードな作品を求めてしまうか。

最後まで息をのむ見ごたえのある作品。
もし僕がこれから新しく犬を飼うとしたら、きっとオーディンと名付けるだろう。
(パクらせてもらいました・・・)

映画「ナギダイアリー」

本作はカンヌ国際映画祭で上映された際、
スタンディングオベーションを受けたという。
なんとなくその理由がわかる気がした。
カンヌという場所は明確な答えを用意する作品よりも、
「答えがありそうでない作品」が好まれる傾向があるように思う。
(あくまでも持論です・・・)

実際に本作には、これといったわかりやすい答えが存在しない。
観客がそれぞれ置かれた状況や人生経験によって、導き出される解はいくらでも変わる。
そのため観終わったあとにスッキリとせず、どこかモヤモヤとした気持ちを抱く人は多いはず。
それがレビューなどの映画の評価にも反映されているように感じる。
だが、僕はそれでいいと思うのだ。

エンディングロールをぼんやり眺めていて、岡山県に奈義町という町があることを初めて知った。
ナギという架空の町ではなかったのだ。
スクリーンに映し出されていた風景と後で調べた町の写真とほぼ同じ。
ロケに行っているのだから当然か(笑)。

しかし、のどかな田舎の風景こそが、作中の人々を素直で正直にさせている。
そもそも現実の人生において明確な答えがある場合など滅多にない。
多くの場合、答えなんてものは存在せず、
自分が求め選んだものこそが自分にとっての解になるのだから。

深田晃司監督といえば、おだやかな見かけによらず、感情を激しく揺さぶる作品が多い。
僕が好きな「淵に立つ」や「よこがお」も、ヒリヒリとした緊張感が漂う激しい作品。
だが本作は珍しく見かけどおりというか、
ほわっとした柔らかな感覚が作品全体を優しく包み込んでいる。

主演は松たか子となっているが、
実際の感覚としては石橋静河の方が主演といっていいだろう。
それにしても最近の彼女は本当にいい。
デビュー当初、親の七光りと思っていたのは失礼な話。
すみませんでした・・・。
8月に観た「八月の声を運ぶ男」でも脇役ながら魅力的な存在感を放っていたが、
今作でも芯がなさそうでありそうな演技がいい。

多くの人に大きな評価を得るには難しい品かもしれない。
それでも個人的には、ぐっと心に残る映画だった。

映画「オデュッセイア」

クリストファー・ノーラン監督作品は、観る前にいつも少し構えてしまう。
鑑賞中は頭も体もフルに活用することになり、
観終わったあとはかなりの疲労感に襲われることが多い。
それだけ作品を理解し、世界観についていくのにエネルギーを要するということ。

本作も3時間近い超大作。
正直、当初は観に行くことを躊躇していた。
しかし、周りの評価があまりにも高い。
映画コラムニスト見習いも息子も絶賛。
「これは観ておかないと映画コラムニストとして失格なのではないか」
そんな半ば強迫観念のような思いに押され、劇場へ足を運ぶことにした。

全国的にも珍しい上映だと思うが、
今回はミッドランドスクエアシネマでの35mmフィルム上映で鑑賞。
オープニングの映像を見た瞬間は、どこか懐かしいような独特の感覚を覚えた。
だが、物語が進むにつれて35mmならではの深みや味わいがじんわりと効いてくる。
最新のDolby Cinemaが誇る圧倒的なクリアさや重低音とはまた一味違う、
フィルムだからこそ魅力。
ミッドランドスクエアシネマ、やりますね。

元となった古代ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」について、
僕は全く知識がない。
残念ながら、この手の古典や歴史ジャンルに対する造詣も皆無。
観る前は「背景知識がなくてついていけるだろうか」という不安も少なからずあった。

しかし、結果としては杞憂に終わった。
知識がなくても、映画として十二分に見応えがあった。
息をのむような迫力ある映像表現と、観客を飽きさせないスリリングな展開。
難しい予備知識に頼らせず、純粋な映像体験として力ずくでねじ伏せてくるあたりは、
やはりクリストファー・ノーラン監督の並外れた力量だと感服するしかない。

3時間という長尺を感じさせない圧倒的な濃密さ。
構えて観に行ったはずなのに、
観終わってみればその世界観にどっぷりと引き込まれていた。
億劫がらずに劇場へ足を運んで本当に良かったと思える、見事な作品だった。