これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「盤上の向日葵」

毎年、秋になると話題作が増える。
本作もそう。
今年前半は不作が多く日本映画が不安だったが、
「国宝」あたりからいい作品が上映されるようになった。

盛り上がったタイミングで日本映画らしい本作の公開は効果的。
単なるお涙頂戴ではない。
綺麗ごとでは済まされない重厚な人間ドラマ。
123分の上映時間が短く感じられた。

舞台は1970年代から1990年代まで。
昭和から平成に移る時代。
坂口健太郎演じる上条桂介は僕よりも少し年上。
同時代を生きてきたので自然に体に入っていく。

僕は高校時代、将棋を覚えたが、ほぼ未経験。
圭介が憑りつかれたように吸い込まれる姿は想像できない。
ただ魅力はヒシヒシと伝わった。
好きな者にとっては最高の勝負事。
こんな作品を観るとにわか知識でも持ち合わせた方が楽しめる。

身元不明の白骨死体が発見からストーリーは進み、
天才棋士・上条桂介の名が浮かび上がる。
その事件を追いかけるのが2人の刑事。

その流れで思い出すのは映画「砂の器」
紹介サイトやレビューにもその比較が書かれている。
上条桂介は天才音楽家を演じた加藤剛。
佐々木蔵之介と高杉真宙が演じた2人の刑事は丹波哲郎と森田健作。
事件の捜査と共に隠したい過去が解明される。
似た点は多い。

本作は「令和の砂の器」なんて評されることもある。
しかし、個人的な感想でいえば、その比較は酷。
本作を否定するつもりはない。
2025年の映画では上位に入る。
だが、「砂の器」と肩を並べるかといえばそうではない。

画面から伝わる緊迫感は比べものにはならない。
あの寒々しい風景を超えることは難しい。
僕自身も並べた側だが、その観方は止めた方がいい。
純粋に本作を楽しんだ方がいい。
なんだか変なコラムになってしまった。

優れた日本映画には優れた俳優が欠かせない。
主役坂口健太郎の葛藤も良かったが、やはりここは渡辺謙。
「国宝」を含め助演男優賞をかっさらうだろう。
柄本明や小日向文世のベテラン勢もよかった。
大泉洋のお友達はあんな役が最高に合う。
結末はいつも同じ気がして気の毒だけど。

エンディングに流れるのはサザンオールスターズ。
ついに演歌かと思ったのは僕だけか。

本来、向日葵は周りを明るくする。
悲しい向日葵の存在も受け止めておくべきかな。

過疎ビジネス

書籍広告が気になってAmazonでポチると、結構な時間、入荷待ち。
今どきそんな売れている本があるのかとワクワクしながら待った。

僕は地方の自治体が次々にコンサルの餌食となり、
いいように吸い上げられるケースがいくつも紹介されるのかと思っていた。
ライトな展開を想像していたので、それを遥かに超えた。

久々に読んだ骨太のノンフィクション。
通常、こういった作品はノンフィクションライターが取材を積み重ね書き上げるが、
それとは似て非なる。
取材を積み重ねているが、この事件に絡む当事者でもある。
取材しながら自らの体験を綴っていく。
ジャンルは異なるが沢木耕太郎を思い描いてしまった。

著書の横山勲氏は河北新報の記者。
不可解な自治体の請負事業を追いかけ新聞記者魂を貫く。
特にスクープを狙っていたわけではない。
自分の信念に基づいて実態を解明したに過ぎない。
その姿に感動し、地方新聞もまだまだやれるんだと期待感を抱いた。

今、新聞社はどこも経営環境は厳しいはず。
発行部数は減り続け、知り合いの新聞記者はあと15年で新聞紙は消えるとも言った。
しかし、本書を読むと新聞社が根本的に持つ力は維持しなきゃいけない。

本作のメインの舞台となるのは福島県国見町。
正直、どこに位置するかも知らない。
だから狙い目なんだろう。

過疎にあえぐ小さな自治体をターゲットに、
そこに近づき公金を食い物にする「過疎ビジネス」が成り立つ。
地方創生と美しい言葉を並べ、結局は誰のためにもなっていない。
請け負ったコンサルが栄えるだけ。
そんな事実があちこちであるという。

もちろん大真面目に取り組み目指すべき姿が創られることもあるだろう。
だが、多くは予算を掛けた割には成果を見出せず自己満足的に終わることも多いようだ。
もしかしてほとんど?
その分野に関心がなく注視してこなかったが、
東海地域を見渡しても同じような失敗は存在しているかも。

著者は自戒を込めて発している。
予算がない場合、何も考えず行政の担当部署に電話し記事にすることもあると。
そう考えると読み手の力も問われる。
サ~ッと流すだけでなく読み込まないと。
普通に新聞を読むだけでは難しいが、本書からその必要性を感じた。

毎日、地方紙を読んでいる身としては一層、そう思う。
そして、地方新聞社にも頑張ってもらいたい。

読み応えのある書籍だった。

映画「サムシング・ハプンズ・トゥ・ミー」

冒頭のシーン。
昼間のカフェでビールを飲む美しい女性をロングショットで映す。
徐々にカメラが近づいてきて、そこに一人中年女性が現れ話しかける。
会社をリストラされた美しい女性の相談に乗るような場面。
てっきり美しい女性が主役かと思ったが逆だった。

その後、中年女性をカメラが追いかけていく。
なんだか普通のオバサン。
それだけでも不思議な感覚。
どんな展開が待っているのか全く予想できない。

本作は中年女性の妄想と葛藤と復讐を描く。
R15+作品だが、あと少し過激ならR18+作品になっていた。
「えっ、修正なし?」と瞬間的に思ったり・・・。

中年女性ルシアは20年務めた企業が倒産し、タクシー運転手に転身。
倒産した企業ではIT担当というが、あのパソコンの扱いでIT担当とは思えない。
ひょっとしてこれはコメディかと錯覚に陥る。
他にもそんなシーンがあり本国ではコメディ扱いかと思ったが、それにしては恐ろしすぎる展開。

タクシー運転手としてありそうでなさそうなことがいくつも起きる。
危うい事件に巻き込まれそうにもなるが、ルシアはそれも愉しんでいる。
そして事件も起きる。いや、起こす。

黒い鳥(カラス)と結った髪に刺されたかんざし。
ポスターが映画を象徴している。
作品を物語っている。
ネタバレにならないが、鑑賞後、その恐ろしさに気づく。
となると本作はホラー映画?と思ったり。

解説を読むと「異色のサスペンス」と紹介。
確かにその通り。
異色であるのは間違いない。

ルシアを演じるのはマレーナ・アルテリオというスペインの人気女優。
50歳過ぎて堂々と全裸を披露。ハードなシーンも。
本作ではスペイン版アカデミー賞ともいわれるゴヤ賞で主演女優賞を受賞。
スペイン映画は対象作品の許容範囲が広いのか、これがメジャーなのか。
日本でも公開されるくらいだから話題性はあるのだろう。

原題は「Que nadie duerma」。
日本では英訳され「サムシング・ハプンズ・トゥ・ミー」。
和訳すると「私に何かが起こる」。
和訳タイトルじゃダメなのかな?
配給会社に聞いてみたいが、何らかの意図はあるのだろう。

スペイン映画って縁がないなと思っていたが、最近では「入国審査」「太陽と桃の歌」を観ていた。
どちらも興味深い作品。
本作の感じ方は観る者の感性によってかなり変わる。
そのあたりを考慮してご覧いただきたい。

映画「ミーツ・ザ・ワールド」

先日観た「愚か者の身分」もそうだが、本作の舞台も新宿・歌舞伎町。
公開日は同じ10月24日。
今、歌舞伎町は何かPRしたいことがあるのかな・・・。

とはいえ設定は180度異なる。
方や愚か者、方や腐女子。
僕は常識がないのか、時代遅れなのか本作で初めて「腐女子」という言葉を知った。
男性同士の恋愛を描いた作品、いわゆるボーイズラブを好む女性のことをいう。
僕の周りで使っているのを一度も見たことがない。
そりゃそうか・・・。

腐女子のオタクがキャバクラ嬢と出会い、徐々に変化する日常を描く。
オタク女子由嘉里を演じるのは杉咲花。
いやあ、彼女は天才。
由嘉里にホレることは100%ないが、杉咲花の演技が見事。
多分という表現しかできないが、オタクの言い回しや仕草、表情は完璧。
女優魂を感じた。
それだけで映画を観た甲斐があった。

で、ブログ終了。
としたいが、これでは杉咲花が新宿でキャバ嬢に出会ったことしか分からない。
もう少し映画コラムニストらしく書いておこう。

南琴奈演じるキャバ嬢ライは泥酔した由嘉里を介抱し、そのままルームシェアを始める。
価値観が異なる二人だが、なぜかウマが合いお互いに世話を焼く。
世界観が違う二人のやり取りが絶妙で、観る者は吸い込まれていく。
これも今の若者像なんだ・・・。
何かしらの悩みを抱えながらも流されて日々が過ぎる。
妙に歌舞伎町にマッチするから不思議だ。

この二人を中心にホスト役の板垣李光人や作家役の蒼井優、BARマスター役の渋川清彦が絡む。
そこがなんとも心地いい。
板垣李光人はほどよく軽く、蒼井優はほどよく哲学的で、渋川清彦はほどよく優しい。
あんなヤバさそうな歌舞伎町に人が集まる理由が何となくわかる。

本作を簡単にいってしまえばオタク女子の成長物語。
それ以上でもそれ以下でもない。
ただ圧倒的に言葉足らず。

成長に何が含まれているのかが大事。
明かすとネタバレになるので止めておくが、大したことない事が実は大したこと。
よく分からんね・・・。
金原ひとみの柴田錬三郎賞受賞小説ということで十分か。

エンドロールには菅田将暉の名前が流れた。
しかし、その姿を観ることはなかった。
あとで調べて分かった。
なるほどね。

本作は杉咲花のアイドル映画。
絶対好きにならないアイドルだけど。
今年を象徴する一本にもなるだろう。

世界は団地でできている

Amazonであれば購入することはなかった。
というより発見できなかった。
ふらっと本屋に寄り新書のコーナーを眺めていたら目に入った本書。
「なんだ、なんだ」と呟きながら購入。

正式タイトルは
「世界は団地でできている 映画のなかの集合住宅70年史 」
団地をテーマにした映画をネタに一本の書籍が完成。
著者は団地団。
「誰だ、それ?」と思うだろう。
団地団とは団地トークユニットの総称で写真家、脚本家、編集者、作家など6名で構成。
世の中には風変わりなユニットがあり、本書で存在を初めて知った。
超オタク的な存在だが、切り口は鋭く視点の深さに感動してしまった。

サブタイトルにあるように団地をテーマにした映画を時代ごとに追いかけている。
団地をテーマにした映画だと「団地妻のナントカ」とそっちをイメージするスケベもいるが、
(僕ではないですよ)
実に幅は広い。
そして団地を描くことで時代背景が分かり、その時々の日本社会が浮き彫りにされる。

1本の作品を一度観たところで環境をすべて語るのは難しい。
このユニットはどれだけの回数を観ているのだろうか。
そんな点も気になった。

本書によれば団地映画のスタートは1961年。
それは作品タイトルに使われていることをいい、団地が舞台になっている作品は含まれない。
小津安二郎監督の「お早う」「秋刀魚の味」も団地が舞台。
時代により団地の捉え方は異なる。

9月に観た「遠い山なみの光」も広瀬すず夫婦が住むのも団地。
どちらかといえばエリートが住むイメージ。
団地住まいに憧れる時代があった証ともいえる。
それが中産階級の住まいとなり、最近では高齢化が進み空室も目立ち、時代と共に変化。

僕は団地住まいの経験はないが、小学生の頃はかすかな憧れもあったように思う。
何となく最新の家電なんかが揃っているような気がして・・・。
しかし、現実はストレスの溜まる状況も生み出し、「団地妻 昼下りの情事」も生まれる。
(そっちにいくか・・・)。

僕は今まで団地が舞台であることを気にして映画を観たことはない。
名作でいえば「家族ゲーム」も団地。
狭いがゆえに横並びの食卓であり、隣人が葬式で悩んだり。
昨年の「あんのこと」の住まいも確か団地だった。

昔はいいイメージの作品だったが、最近はネガティブな使われる方が多いように思う。
これも本書を読んで気づかされたこと。
是枝裕和監督は団地出身という。
それが作品に反映され、「海よりもまだ深く」という秀作も生み出した。
どこで育つかで価値観も醸成されるのか。

かなりニッチな書籍だが、新しい視点を頂き面白おかしく読ませてもらった。
偶然の出会いは大切。
ありがとうございました。

映画「愚か者の身分」

自分が愚か者だからだろうか。
なぜか愛おしく感じてしまった作品。
主役を務める3人は確かに愚か者。

というよりはハンパ者。
共感する要素は1ミリもない。
世の中的にみれば憎むべき対象。
しかし、憎むことはできないし、完全否定することもできない。
少しばかりの同情が働く。

基本的に愚か者には完全な悪人はいない。
(これは僕の勝手な決めごとです・・・)
登場する人物は愚か者以外はほぼ悪人。
こちらは憎むべき対象。
同情のかけらもない。

その違いは何か。
一つは犠牲者であるということ。
本人の意志とは別に与えられた環境で不幸になってしまった。
落ち度がないわけではないが、
気づいた時には嵌められた世界に閉じ込められてしまった。
だからもがく。
だから新たな生き方を探す。
ヒシヒシと伝わる感情に愛おしさを感じたのかもしれない。

本作の主役は3人。
北村匠海演じるタクヤ、林裕太演じるマモル、そして綾野剛演じる梶谷。
闇社会に放り込まれた3人が現在と過去を行き来しながら自分の居場所を求めていく。
闇社会である以上、簡単に見つかるわけもなく逃げ出すことさえ難しい。

「愚か者の身分」はここだと顔を地面に押し付けられている状態。
とても切ない。
関係性でいえばタクヤの兄貴分が梶谷で、弟分がマモル。
糸と糸を繋ぎ3人は成り立っている。

そこで事件が発生。
あらぬ方向にストーリーは展開する。
先行きに期待はできないが、わずかな希望を抱き突き進む。
理想通りにはいかないことは誰もがわかっている。

と書いたところでどんな映画か理解できないだろう。
愚か者が出口に向かい彷徨う映画といっておこう。
果たしてハッピーエンドなのか。
そうじゃないのか。

個人的な解釈はハッピーエンド。
多分、訪れるだろう不幸なんてどうでもいい。
少しでも日が射せばいいんだ。

本作で林裕太という俳優を初めて知った。
最近、露出が増えている役者だが、
怯えながらもチャラさを併せ持つ表情は見事。
幅の広い役者になるのではないか。

そして主役の北村拓海。
表情が乏しさからあまり僕の中では冴えなかったが、本作は素晴らしい演技。
その実力を理解した。

闇社会を描いているが現代日本の縮図ともいえる。
誰しもあちら側に陥る可能はある。
もし、タクヤ、マモル、梶谷に未来があるのなら、その可能性を諦めないでほしい。

映画「次元を超える」

変な映画を観てしまった。
その表現は監督や関係者に失礼かもしれない。
自分の想像力が乏しいのか、シリーズの全体を理解していないからか、
僕にとっては変な映画だった。

作品の解説には
「行方不明になった修行者とその捜索を依頼された暗殺者が繰り広げる、
時空を超える壮大な追跡劇を描く」
「過去から現在、そして未来を駆けめぐる2人は、日本から地球、さらに宇宙へとたどり着く」
と書かれている。

勝手に主演の窪塚洋介と松田龍平が時空を超えてバトルするアクション度の高い作品と想像。
所詮、僕の想像力とはその程度で次元を超えることは到底難しい。
どこが過去で、どこが未来かも判断付かない。
今、どこにいるのかもよく分からなかった。

本作は呪術を使い人をコントロールする場面がよく見られる。
それを象徴するシーンがあるが、僕は何故か催眠術をかけられた。
肝心なシーンを見落としてしまった錯覚に陥った。
僕のような観客はいるんじゃないだろうか。

強烈な映像の意味が理解できないと催眠術をかけられてしまう。
実に巧みな戦術。
そうとも受け取れる。

監督は豊田利晃氏。
名前を知った監督だが過去の作品は観たことがない。
確認してみると覚せい剤取締法違反や銃砲刀剣類所持等取締法違反で逮捕歴がある。
あ~、それで知っていたんだ。
犯罪は犯罪として刑罰を受けなければならないが、
映画監督としての才能を否定するものではない。
むしろ突拍子もない行動をする人の方が感性は豊かだったする。
大体、有名監督はちょっとネジがずれている。

こんな監督だからこそ出演者に好かれるのかもしれない。
主演の2人もそうだろう。
気になったのが、野々花役芋生悠と助手役の祷キララ。
映画を観ながら「え~っと。どれに出てたっけ??」と考えていた。
芋生悠は「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」で、
祷キララは「サマーフィルムにのって」だった。
二作とも面白かったがマイナー作品なのでうっかりしていた。

そしてなんといっても千原ジュニア。
そのまんまの感じだが危険な宗教家は見事だった。

きっと観る人を選ぶ作品。
賛否も分かれる。
やはり、僕にとっては変な映画だった。

映画「沈黙の艦隊 北極海大海戦」

当初、観る予定はなかった。
もちろん原作漫画は読んでいない。
前作やAmazonプライム作品も観ていない。
当たり前だが観る理由がない。

そんな作品なのでスルーしようと思っていた。
しかし、親しい映画仲間はこぞって本作を評価している。
映画サイトのレビューも高い。
外部の意見に流されるのはどうかと思うが、人は素直にならなきゃいけない。
どんな時でも自分の気持ちに正直になることが大切。
きっと本作の表現したい点でもあるだろう。

そんなわけで遅ればせながら鑑賞。
食わず嫌いはいけない。
先入観だけで物事を判断してはいけない。
勝手に戦争を煽っているイメージがあったが、それは自分で決めつけただけのこと。

で、どうだったか。
予想以上に面白かった。
VFX技術を駆使した迫力ある映像も日本映画の可能性を示したし、
緊張感ある展開も見応えがあった。

そして、その先とその前が気になった。
過去の作品を知らなくても冒頭の10分の映像で大まかに理解できる。
僕のような未経験者のために配慮だろう。
ありがたい限り。

そうなるとほぼ製作者側の意図した動き。
きっと僕はこの後、1作目を観るし、その流れでAmazonプライム作品も観る。
そして本作をもう1回観てしまうかもしれない。
勢いがつけば原作も読んでしまうかも。
間違いなく続くであろう続編も観る。
思う壺だったりして・・・。

あえて本作を説明する必要はない。
大沢たかお演じる海江田艦長率いる原子力潜水艦「やまと」が
壮大な理想に従いアメリカに向かうストーリー。
国内では政権交代が起き、海外に対し国の姿勢も問われる。

これが4~5年前であればあり得ない展開と笑っていられた。
しかし、昨今の国内外の状況もみると非現実ともいえない。
いつ何時、海江田四郎が現れてもおかしくない時代になってきた。

原作漫画は1988年~1996年の連載だが、今の時代を予測していたのか。
だから大沢たかおは自らプロデューサーに名乗りを上げたのかな?
調べれば分かると思うが・・・。

次回作はもう決まっているのだろうか。
原作を知らない分、次の展開が気になって仕方ない。
楽しみにしておきたい。

映画「ホーリー・カウ」

大学時代にこんなような作品を観たという錯覚に陥った。
近いストーリーの映画が存在したわけではない。
何となく懐かしさを感じたまでのこと。

描かれるのは1980年代でも90年代でもない。
今、この時代。
にも拘わらず懐かしさを感じるのは、
18歳という多感な時期は今も昔も変わらないということか。

大人ぶって酒を飲み、些細なことでケンカをし、
女性を追いかけたり追いかけられたり。
時代がどれだけ変わっても幼稚な男どもの行動は不変。
情けないようで共感し、けなすようで同情する。
そんな日々を送り、少しずつ大人へと成長する。

本作はフランスの片田舎ジュラ地方の農村が舞台。
家族で牧場を経営したり、チーズを作ったりで生活を営む。
暮らしはラクではないが、自由気ままな生活を送る。

主人公であるトトンヌは勝手気ままな生活で怠惰な日々を過ごす。
当たり前だが、それで人生は進まない。
目の前に不幸が訪れる。
そこで初めて生きる苦労を学ぶ。

本作はそんなトトンヌを中心に取り巻く若者の葛藤や喜びを描く。
フランスではなく日本でもいい。
韓国でも中国でもいい。
国が変われば文化も変わるので方向性は異なるが、万国共通のテーマ。
だからこそどこか分からないジュラ地方でも愛着が湧く。
こんな田舎も悪くないと思ってしまう。

簡単に解説すると事故で父親を亡くしたトトンヌが
7歳の妹の面倒を見ながらチーズ作りにチャレンジする物語。
奇抜な展開があるわけじゃない。
想定の範囲内。

却ってその方が応援したくなる。
勝手気ままなトトンヌにエールを贈りたくなる。
そこは妹クレールの堂々とした態度が影響している。
彼女の奔放さが兄貴たちを押し上げる。
恋愛に発展するトトンヌも相手の積極さから生まれたもの。
世界中どの国でも女性が強いということか。

出演者は全員演技経験ゼロの素人。
とてもそんなふうには思えない。
ジュラ地方で声を掛け決まった役者だというが、みんなイキイキしている。

小規模な作品ながらフランスで100万人を動員したヒット作で、
カンヌ国際映画祭でユース賞も受賞。
意外とこんな作品に飢えているのかもしれない。
時々、青春映画は体に注入しないといけないね。

映画「夏の終わりのクラシック」

韓国映画は観るが韓国ドラマは観ない。
大した理由はない。
そこまで時間が取れないということ。
周りには映画は観ないがドラマは観る人は多い。
それだけ興味を引くストーリーなんだろう。

勝手な想像だが本作は韓国ドラマのような展開。
韓国映画にしては地味であり大袈裟な演出はない。
「冬のソナタ」で有名な恋愛ドラマの名手ユン・ソクホ監督なのが日本で公開された理由なのか。
ちなみに「冬のソナタ」は一度も観たことがない。

本作は大人の恋を描いている。
恋愛ものにさほど興味は示さないが、ごくまれに大人の純愛ドラマは惹かれることがある。
キュンとした気持ちにもなりたいと。
健全な中年男子の証かな。

主人公は表面的にはやたら明るくおせっかいの中年女性と
音楽家の御曹司と思われる不愛想な中年男性。
二人とも何らかの傷を抱えているのは容易に想像できる。

舞台は済州島。
韓国のリゾート地なのでいつもの韓国の景色とは違う。
ただリゾートっぽい派手さや賑やかさはなく静かな海と穏やかな空気が流れる。
その雰囲気が妙に映画にマッチする。

二人はふとしたことで出会い、音楽家らしくクラシックアルバムが溢れ、二人の仲は少しずつ進展する。
ざっと解説すればそんなところ。
そこから恋愛に発展するのか、そうじゃないのか。
これが大人の恋というのかは観て判断してもらいたい。
観る人によってはモヤモヤするし、観る人によっては心が洗われる。

感じたのは韓国の格差社会が反映されているということ。
そもそもクラシックはエリートが嗜む音楽と位置付けられる。
一般ピープルがクラシックという高尚な音楽を理解できない。
本作はそれを訴えているわけではないがそんなことを感じたり。

通常、韓国映画の恋愛ものであれば圧倒的な美男美女が出演する。
言い方は失礼だが、本作の主役2人は普通だ。
普通のオバサンとオジサン。
普通のオバサンという表現は主役キム・ジヨンファンには叱られるだろう。
全く知らない女優さんだが、表情はチャーミングだし好きなタイプでもある。
だからこそこんな物語が受け入れられるのかもしれない。

本作がどこまで上映されるか分からない。
レビューも少ない。
韓国恋愛ドラマファンは楽しめるだろうね。