
女子柔道の世界大会を舞台にした社会派ドラマ。
僕らはオリンピックにしても世界大会にしても柔道の試合を見る時は日本目線。
お家芸もあるので日本人選手の活躍しか見ない。
金メダル獲得とか、準決勝敗退とかニュースで一喜一憂するが、
相手選手がどこの国のどんな選手かを気にすることはない。
作品を観て、その視点を反省した。
今や柔道は世界各国で頂点を目指すスポーツ。
そして様々な国の事情を抱えながら試合に臨む。
僕の平和ボケを否定はしないが、もっと高い視点で観戦した方がいい。
本作は実話がベースで世界柔道選手権でのイラン代表選手や監督の葛藤を描く。
直接、時期は明かされていないが、東京五輪の話題が出るので比較的、最近のこと。
詳しくは映画を観てもらえればと思うが、軽いショックを受けた。
イランという特殊な国のあり方。
そこで暮らす国民の関わり方や感情。
シンプルに勝利を求めて闘うアスリートの苦悩。
描かれる世界が理解してそうでしていない分、軽いショックを受けるのだ。
国全体を表すスケールの大きい話ならともかく一人の女子柔道選手の話。
その方が身に迫るものは大きい。
国のあり方にピンとこなくでも個人の生き方に感情移入はしやすい。
一人の選手の活躍を見ながら、イランという国の恐ろしさを感じた。
解説を読むと製作はアメリカ・ジョージア合作。
当初、なぜ?と思ったが、映画の途中から理解することができた。
当然のようにイランでは上映不可。
製作に関わったイラン人出身者は全員亡命したという。
命懸けの作品ということが状況から判断できる。
僕らはこんな作品を通し世界を知る。
日々報道されるニュースやドキュメンタリーも重要だが、
事実に基づき演出の加わった作品から得ることも大きい。
それが「TATAMI」という原題を通し僕らに訴えかける。
何のために競技を行うのか。
国と国とぶつかり合うのか。
そこには純粋なスポーツマンシップが基本のはず。
そこに大義のようなエゴが生じる。
観る者は何が正しくて、何が正しくないかを理解する。
しかし、角度を変えれば正しいことは180度変わる。
さほど話題になっていない作品だが、多くの人に観てもらいたい。
迫力ある柔道シーンも見応えはあるが、言葉にしないメッセージを感じてほしい。

広瀬すずが映画やドラマで重宝される理由がよく分かった。
可愛らしい女優というのが理由だけではない。
本作で演技の幅の広さを感じた。
Netflixドラマ「阿修羅のごとく」の虚勢を張る少しワガママな四女咲子もよかったが、
本作の男たちを翻弄する女優長谷川泰子もよかった。
両方とも感情的で喜怒哀楽が激しい役だが明らかに異なる。
咲子は末っ子という幼さを感じるが、泰子は辛い過去を背負う生きづらさを感じさせた。
感情の激しい演技でも全く異なるタイプ。
広瀬すずの魅力が十分に伝わってきた。
そして監督は根岸吉太郎氏。
若い人はピンとこないと思うが、僕ら世代にはなじみ深い。
80年代、90年代、根岸監督は多くの作品を残してきた。
ピンク映画からキャリアをスタートさせ「遠雷」で注目され、
「探偵物語」「ウホッホ探険隊」「永遠の1/2」など話題作を連発。
柔らかさの中に芯が通った人間ドラマが多かったように思う。
当時、ほとんどの作品を観た。
前作「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」からは14年ぶり。
この作品もDVDで観て稚拙なブログを書いていた。
この14年間、何をしていた?
と思ったりするが、こうして新たな作品を撮ってくれるのは嬉しい。
文学的な香りがする映画が似合う監督の一人だ。
本作は大正時代に活躍した詩人中原中也と文芸評論家小林秀雄と泰子のドロドロとした男女関係を描く。
実話がベース。
ドロドロといっても方や詩人、方や文芸評論家がそれらしく語るのでイヤらしさは感じない。
高尚な行いのような錯覚を与える。
それが大正らしさかもしれないし、インテリチックな文学界を表しているのかもしれない。
そんな会話や行動に挟まれた泰子は次第に壊れていく。
辛い過去が精神を病ませたと思わせるが、
僕は中原中也と小林秀雄の関係性や言葉が精神を病む原因だと感じた。
一時は美しい言葉に思えても、毎日浴びせられると疲れてしまう。
今風にいうとパワハラに近い。
あんまし関係ないかな(笑)。
田中陽造氏が40年前に書いた脚本なので、どんな時代も人に与える影響は不変ということか。
僕は悲しいかな中原中也も小林秀雄もしっかりと読んだことはない。
教科書レベルの話。
中原中也は若くして夭折した天才詩人という印象。
しかし、本作はその印象を遠ざける。
木戸大聖がガキっぽく演じてたせいか幼稚に見えた。
根岸監督の意図した通りかは分からない。
岡田将生演じる小林秀雄は大人に見えた。
実際に小林秀雄は5歳年上だから正解か。
本作が若い人にウケるかは分からない。
ただ実話を純文学っぽく見せる映画が存在してもいい。
そんなことを感じた作品。
広瀬すずの素晴らしさもね。

来週3月7日より公開。
本作は東宝東和さんから試写会へ招待され公開前に鑑賞。
映画コラムニストを語りながらもこのジャンルを観ることは少ない。
どうしても子供向けじゃないかと敬遠してしまうのだ。
その偏った見方は映画を観て素直に反省。
実際は子供向けではなく大人が楽しめるファンタジーミュージカル。
勝手にディズニー作品と判断したことも反省。
ディズニーではありませんよ。
上映時間は161分と長い。
それだけではない。
本作はPART1でPART2が続く。
これは一般的に知られていないと思うが、どうだろうか。
PART1を観たほぼ全員がPART2を観るだろう。
そこは巧みな演出。
上手く誘導している。
「オズの魔法使い」に登場する悪い魔女といい魔女の知られざる世界を描いているが、
その世界のスケールは凄い。
CGを駆使し映像も迫力はあるが、そこに加わるミュージカル。
さらにバトルも繰り広げられてんこ盛り状態。
一本の映画でいくつものジャンルを楽しめるともいえる。
子供が観たら疲れちゃうんじゃないかな。
僕らは人を見た目で判断するケースは多い。
肌の色とか人種とかダイバーシティが当たり前の世界でもこれまでの価値観で物事を捉える。
それは人間だけはなく動物もそう。
予告編やチラシからいい魔女と悪い魔女を勝手に判断する。
それが果たして正しいかどうか。
マジョリティとマイノリティ。
本作はそんなことを我々に問うているようにも感じる。
そんな視点で映画を観ると完全に大人向けの作品。
しかしファンタジックな映像は子供たちをワクワクさせるだろう。
ターゲットが存在しそうでしそうにない。
となると自分の眼で確かめてもらうしかないね。
本作はアカデミー賞にも多くの部門でノミネートされている。
発表は明日なので、どこまで獲得するか。
それにより大ヒットするかの影響も出るだろう。
僕のブログのアクセスも急上昇したりして。
楽しみにしておきたい。
東宝東和さん、ありがとうござました。

何度も予告編を目にし、安易なタイトルだと感じ観るかどうか迷った。
結論からいえば素晴らしい作品と出会え、観て正解。
原題は「Bastarden」。
日本語にすると「ろくでなし」。
このタイトルではヒットしないだろうね。
「愛を耕すひと」でよかったのかな(笑)。
本作は史実も基に製作され、舞台は18世紀のデンマーク。
18世紀といえば大河ドラマ「べらぼう」と同じ。
僕の記憶が正しければ、本作は18世紀前半だと思うので少し昔だがほぼ同じ時代。
貴族の生活と武士の生活。
ヨーロッパと日本。
特権階級が牛耳っている点は同じだが、建築物、衣装などの違いにハッとさせられる。
ヨーロッパが近代的に見えるのは当然のことか。
それにしても「べらぼう」はビジネスドラマを見てる感覚。
結構、面白い。
横浜流星もいいね。
話を戻さねば・・・。
本作は退役軍人ケーレンが荒野の開拓に命を懸ける姿を描く。
貴族の称号を得たいという野望はあるが、
不可能に思えた荒れ地を農作物が育つ環境にしていく。
それに関わる訳アリの人たち。
その交流を通し、人として大切なことと希望を見出していく。
それが愛を耕すということ。
そして、現れる「ろくでなし」。
違う立場からみればケーレンもろくでなしだが、観客の立場から見るろくでなしは共通。
どんな時代でもこんなろくでなしが人々を傷つけ国を停滞させる。
このろくでなしにはメチャクシャ腹が立ったが、演技は見事。
実際はかなりの二枚目なので日本でも人気が出るじゃないかな。
誰だ、誰だ・・・。
主演はマッツ・ミケルセン。
僕は「アナザーラウンド」の酔っ払いの印象だが、
デンマークの至宝と呼ばれる実力派俳優。
彼の感情を押し殺しひたむきに正しい行動を貫く姿は感動的。
不器用な生き方も共感を生むだろう。
ろくでなしとのコントラストが坦々と進行するドラマに刺激を与える。
本作はオバマ元大統領が選ぶ2024年のベスト映画10本の一本という。
大いに納得。
今年も重厚なヨーロッパ作品が楽しませてくれるのか。
こんな作品をこれからも観ていきたい。

全く予備知識なく鑑賞。
映画を観終わって初めて監督と主演が同じだと知った。
僕が主演と思っていたのはむしろ助演で、監督本人が主演。
一体何のことか分からないよね(笑)。
本作はユダヤ人のデヴィッドと兄弟のように育った従兄弟ベンジーの旅を描く。
デヴィッドが主演のジェシー・アイゼンバーグで、ベンジーが助演のキーラン・カルキン。
ベンジーの方が圧倒的な存在感なので主演とも受け取れるが、作品はデヴィッド目線。
キーラン・カルキンはゴールデングローブ賞の最優秀助演男優賞を受賞。
本年のアカデミー賞にもノミネートされている。
まあ、納得できるよね。
最優秀作品賞にもノミネートされていたが、あまり話題になってはいないような・・・。
テーマが地味すぎるのかな。
従兄弟同士の2人はポーランドのツアー旅行に参加。
そこでの珍道中を描くが、背景にあるのは生きづらさ。
生真面目で社交性に欠けるデヴィッドと社交性豊かだが感情的なベンジー。
対照的な2人はもしかしたら現代人の象徴かもしれない。
お互いに悩みを抱え、それをオープンにするでもクローズにするでもない。
ツアー旅行に参加する人たちとの関わりを通して2人の人物像があからさまになる。
一般的にみれば関わる人にとって2人は迷惑な行為がほとんど。
ただ関わる人も何かしら抱えるものがあり、2人に対しては寛容。
大きなトラブルが起きることはない。
大人な対応ができない人はブチ切れるだろう。
ふと、思った。
アメリカに限らず、日本に限らず、現代人にとって生きづらさはある程度、持つもの。
ノーテンキな僕が鈍感で感じないだけで、多くの人はそんなふうに生きている。
それが健全なのか・・・。
日本の幸福度ランキングは51位。
アメリカは23位。
かなりの差はあるが僕は日本の方が高いように思えてならない。
アメリカの方が人種が多く様々な課題に向き合わざるを得ない状況をみると余計に感じる。
本作で描かれるユダヤ人もそんなふうに思う。
どんな人に対してもハグできる環境が幸福度を上げさせるのかな。
本作は何か問題が解決するわけではない。
かといって、大きな問題が残るわけでもない。
時間が流れていくだけ。
きっとそれでいい。
世の中はだいたいそう。
原題は「A Real Pain」。
邦題はそれに「心の旅」が加わる。
そこに大きな意味があるのかもしれない。

「セプテンバー5」に続くテレビ局内を中心としたサスペンス映画。
一日の事件を追いかけているのも同じ。
フィクションかノンフィクションかの違い。
フィクションの方が過激な演出になるのは当然のこと。
時代設定は異なるとはいえメディアが抱える問題は常に同じ。
視聴率と話題性にがんじがらめになり目的があらぬ方向に向かう。
タイプが異なる2作だが恐ろしさを感じることとなった。
ただ本作はエンターテイメント性が強い娯楽作。
社会性はなくはないが「セプテンバー5」とは比較にならないし、比較すべきではない。
阿部寛演じるニュースキャスター折本眞之輔の独壇場で彼自身がドラマ。
何度も観た予告編でもそれを匂わせた。
最近では一番面白い予告編で自ずと期待値が上がった。
期待値が高すぎた分、一般的な評価はイマイチなんじゃないか。
僕は評価がイマイチなのを確認してから観たため、逆に期待した以上に楽しめた。
不思議なもんだね・・・。
ハラハラドキドキの展開なのは間違いないが、観る人にとっては受け止め方は変わる。
よりサスペンス度を高めるのか、よりエンタメ性を高めるのかで映画の角度は変わる。
本作は両方狙おうとしたのかもしれないが、それはかなり難しい。
どちらかに寄せた方が作品自体のクオリティは高まる。
上から目線で申し訳ないが、そんなことを感じた。
ニュースキャスター折本の言葉が重いのか、軽いのかはっきりさせた方がよかった。
ショウタイムなので観客を楽しく喜ばせるほうがいいのだろうが・・・。
映画はラジオ局内、テレビ局内とほぼ密室で繰り広げられる。
取材現場からの映像はあるが、これもカメラを通して映っているにすぎない。
小さな世界にも拘わらずスケールの大きさを感じた。
このトリックが本作の最大の面白さだったりして。
ブログを書きながら、そんなことを思った次第。
本作はテレビ局の裏側を描いているが、少なからず近い出来事はあるかもしれない。
こんな描き方だとますますテレビ離れが進む。
余計なことを心配してしまった。
勇気は時として仇になってしまうね。

実話モノの映画が好きだ。
それも時代を忠実に反映させ緊張感で押し迫ってくる作品が。
本作もそんな作品といえる。
描かれるのはミュンヘンオリンピック開催期間の1972年9月5日。
この一日だけを描く。
だからタイトルはセプテンバー5。
そのままである。
小難しいタイトルよりも好感が持てる。
パレスチナ武装組織によるイスラエル選手団の人質テロ事件を描く映画を
この時期に公開するのはなんらかの意図があるのか。
考えすぎなのかな・・・。
僕はこの事件はうっすらと知っているものの詳細は知らなかった。
当時は6歳。
日本人選手が活躍する競技も後の時代に知るだけ。
この事件は日本でも大きなニュースになったと思うが、どこまで世間が揺れ動いたかは想像できない。
生中継が与える衝撃は相当だが、ドイツと日本の時差は8時間。
生中継の時間は夜中なのかな?
イスラエルとパレスチナとの緊張感も重要だが、より重要なのはジャーナリストとしての姿勢。
事実を伝えるのがジャーナリストの務めだが、真摯にそれだけに向き合えるのか。
1970年代であろうと2020年代であろうと変わらない。
倫理観は持つとはいえ自社メディアが他社よりも優位に立つ使命感も必要。
自社や他社、自分と戦いながらどう関わっていくか。
賛同を得る行動と批判に晒される行動は紙一重。
賛同を得て評価されれば名声に繋がるが、その逆のパターンもあり得る話。
誤ったニュースを伝え、よかれと考えた報道がマイナスに進むと180度違う展開になる。
メディアの功罪といえる。
最近、公開される時代を描く作品は今に繋がっているように思えてならない。
時代を映す鏡。
ネットが繋がっていようとなかろうと。
本作はドイツとアメリカの合作。
英語とドイツ語が飛び交う。
どちらも分からない僕は字幕に頼るだけ。
その2か国語の仲介に入り通訳も務めるのがレオニー・ベネシュ。
どこかで観た女優と思っていたら、昨年観た「ありふれた教室」の主役。
本作といい感情表現が難しい役を上手く演じていた。
僕らはこうした作品を通して歴史的な事件の真相を理解する。
こんな機会はありがたいし、こんな作品が世界情勢を語る。
エンタメ映画もいいが、骨太の映画も大切にしたい。

盟友でもある副本部長が感銘を受けていたので手に取った。
高峰秀子という大女優はもちろん知っているが、生き方、考え方までは知らず。
本書を読み感動。
こんなカッコいい人だったのかと感動した。
読後、勢いで高峰氏の著書「わたしの渡世日記」も購入。
文庫本解説で楠木健氏がもっとも影響を受けた書籍として紹介していた。
こちらも楽しみにしていきたい。
楠木氏は高峰秀子の存在は国民的な教養の価値があり、
義務教育に入れるべきだととんでもないことを言っているし・・・。
高峰秀子は日本を代表する女優。
2014年発「キネマ旬報」の「オールタイム・ベスト日本映画女優」でも第1位を獲得。
日本映画史上ナンバーワンの女優と称されている。
僕が観た作品は「浮雲」「無法松の一生」。
「二十四の瞳」も観た気もするが高峰秀子主演作じゃないかもしれない。
いずれも学生時代なので遠い昔。
すっかりと忘れている。
55歳で引退し、その後エッセイストとして活躍されたが、僕の関心は向かなかった。
人としてレベルの低さを実感。
人となりを見て吸収すべきかどうかを考えなきゃいけない。
本書は高峰秀子の養女となった齋藤明美が彼女との生活やインタビューを通し、人物像を著している。
その姿がカッコいい。
司馬遼太郎は「どんな教育をすれば高峰さんのような人間ができるんだろう」
と言ったらしいし、沢木耕太郎もそれに近いことを本人に言ったという。
それだけ周りの者を唖然とさせる。
僕も生き様に感動し、チープな言葉で「カッコいい」とまとめてしまった。
詳しくは本書を読んでもらえればと思う。
小見出しで「動じない」「求めない」「期待しない」「振り返らない」
「迷わない」・・・と括ってあるが、まさにそれ。
5歳でデビューし、デブと呼ばれる酷い養母に育てられ、
(ほんとにこの養母はサイテー)
学校にも通えず、好きでもない女優業を55歳まで続けてきた。
大物俳優にありがちな驕ったエラそうな態度はなく、誰に対しても同じ姿勢。
その姿も尊敬に値するが、「信用」を最も大切にする生き方はまさにお手本。
こんな潔い生き方を少しでも見習いたい。
そして、高峰作品を改めて鑑賞したいと思った。
そうそう、今、ミッドランドスクエアシネマで生誕100周年プロジェクトで作品も上映。
時間を作って行ってみたい。

素晴らしい書籍をご紹介頂き、ありがとうございました。

大人の恋愛ものと期待して劇場に足を運んだ。
60歳近い年齢になると子供じみた恋愛ドラマには興味が湧かない。
しかし、大人を感じさせるドラマはまだ欲求があるのか、妙に気になったり・・・。
本作は何度なく予告編を観る度にそんな気持ちにさせられた。
ピュアな心を求めているのか。
そんな意味では僕の期待を裏切らないストーリー。
くたびれた結婚生活の果てに最悪の結果を迎える夫婦は多い。
昔持っていた純粋な気持ちを取り戻すにはうってつけの作品。
危うい夫婦が一緒に観る機会は少ないと思うが、
どちらか観るだけでも一定数の夫婦が救われるのではないか。
映画館には松村北斗ファンらしき若い女性が多かったが、できれば中年夫婦に観て欲しい。
僕は危ういわけでも冷めた関係でもないが、もう少し優しくなろうと強く思った。
映画が持つ副産物。
自分自身、反省する面も多かった。
本作は過去に戻って未来を変えていこうとする行動を描く。
タイムトラベルする過程はやや強引だと思うが許せる範囲。
15年前に戻って全てを変えたいという気持ちがヒシヒシと伝わるから。
タイムトラベルするのが主人公カンナを演じる松たか子。
その夫で15年前の青年駆を演じるのは松村北斗。
松村北斗は昨年のキネマ旬報主演男優賞。
僕も1位に推した「夜明けのすべて」での演技が認められた。
僕はさほど凄い演技とは思わなかったが、本作で素晴らしさを知った。
繊細な表情ができる役者であると。
どうだろう。
松たか子は現在が実物で15年前の彼女はなんらかの手が加わっている。
松村北斗は15年前が実物で現在の彼は老けさせ太らせ手が加わっている。
微妙な腹の出方に好感を持った。
それが普通に年齢を重ねることだ。
一方で15年前の松たか子は随分と可愛らしい。
個人的には「四月物語」の彼女が好きだが、15年前の彼女も負けてはいない。
あれはどう加工?メイク?したのだろうか。
きっと同じことを思っているくだらない輩は多いはず。
いかん、本筋から外れた。
どんな手を打ったとしても自分の未来を変えることはできない。
ただ相手を想う気持ち一つで幸せになるか、ならないかは決めることができる。
今さら、それを学んでも遅いかもしれない。
しかし、未来をこれから作るわけだから、決して遅くはない。
やれることは多いと・・・。
そんなことを感じた作品だった。

初めて予告編を観た時は「なんだ、学生の作る自主映画か・・・」という感想。
と同時に舞台が岐阜県関市であることに驚いた。
僕の実家は岐阜市だが、東に100メートル歩けば関市。
それに母親は関市出身。
小さい頃の買い物はほとんど関市だった。
初めて映画に行ったのも今はなき関市の映画館。
加えて主人公は山田一郎、ヒロインは吉田麻衣。
吉田は母親の旧姓。
何かと近い存在なので観ることとした。
舞台が知らない町なら観なかった可能性は高い。
本作はご当地映画の製作を命じられた関市役所職員の奮闘を描く。
正直、いかにも・・・という感じだが、むしろ好感が持てる。
市長役は清水ミチコ。
彼女は岐阜県出身だが高山市。
まあ、近いということで選ばれたのかな?
作品は関市が全面的にバックアップ。
商店街や企業も積極的にサポートしている。
関市を代表する企業も有名な鰻屋さんも僕が営業時代にお世話になった企業も協賛。
なんとその企業の社長はセリフまでもらい出演。
ここまで徹底したバリバリのご当地映画って、これまであったか。
単に美しく見せるだけならあるかもしれないが、怪獣が公舎を壊してしまうなんて・・・。
市長の描き方も過激なので、器の小さい市長なら激怒するんじゃないか。
その点で関市の寛容さというか、思い切ったチャレンジというか、その姿勢には感服。
ご当地映画の取り組み方だけでも話題になる。
東海地区中心の公開かと思ったが、どうやら全国で公開されているよう。
綾野剛がほんのわずかでも出演してくれたら、もっと話題になっただろうね。
主役山田一郎を演じたぐんぴぃは知らなかったが、
YouTubeでメチャクシャ人気のあるお笑いグループ。
相方もさりげなく映画に出演しており、このあたりもファンには嬉しいだろう。
SNSを通して本作がより話題となり、関市が更に注目されると相乗効果も生まれる。
大ヒットはしないし、優秀作としてベストテンに入ることもないが、
(スミマセン・・・)
作品が存在することがシアワセ。
これをキッカケに少しでも多くの人に関市へ来てもらいたい。
今は商店街も寂しいし・・・。
少しでも活性化になれば我がこととして嬉しい。