
そういえば、今年3月に観た「ナースコール」も医療現場の一日を描いた作品。
それらを通して感じるのはヨーロッパにおける医療現場の過酷さや抱える難題が、
僕たちの想像以上に深刻であるという現実。
物語はあるシングルマザーと4歳の息子アダム、そこに関わる看護師の姿を追う。
少し冷静な視点で観ると、周囲を振り回すワガママな母親に付き合うことで、
主役である看護師自身が徐々に冷静さを失い、感情的な決断しかできなくなるプロセスが描かれる。
本来ならプロとして一線を引くべきなのかもしれない。
しかし、追い詰められた状況下で生まれる衝動は人間らしく、僕はそれを否定することはできない。
そして、4歳のアダムの存在が胸を締め付ける。
母親からの、時に歪んだ過剰な愛情であっても、幼い彼はそれをただ素直に受け取ることしかできない。
自分勝手な行動をとってしまうのも、決して子供のせいではないのだ。
昨年、ローラ・ワンデル監督の「Playground 校庭」を観た時も、ひどく気持ちを持っていかれた。
この監督は、本当に子供の視線やその内面を描くのが上手い。
大人の身勝手な世界を、子供がどう見つめているのか。
その切り取り方に、またしても唸らされた。
気になったのはタイトルの違い。
原題の『L’Intérêt d’Adam』を日本語訳すると「アダムの関心」や「アダムの利益」という意味。
邦題の「原罪」とはニュアンスが大きく異なるが、
配給側がこの言葉をあえて選んだ意図はどこにあるのだろうか。
アダムが背負わされた過酷な宿命を、キリスト教的な原罪になぞらえたのか。
そんな背景を詮索したくなる。
何より印象的だったのは、映画の終わり方。
音楽も何もない、ただ文字だけが流れる静寂のエンディングロール。
それが逆に、何かを強く訴えかけているように感じられた。
映画の中で明確な答えを出さず、観る者に考える余地をあえて与えているのだろう。
観終わった後も、アダムのあの悲しげな視線が頭に残る。
重い余韻とともに、人間の業について深く考えさせられる一本だった。

マ・ドンソク主演の韓国映画「犯罪都市」シリーズはなぜか全部観ている。
強すぎるマ・ドンソクの殴り合いに惹かれる面もあるが、
なんとなく韓国のリアルが垣間見える面も魅力に感じる。
実際の韓国とはかけ離れているのかもしれないが、
その空気感が韓国の実態を表しているように思えるのだ。
どの作品も同じような展開なので、寅さんの変型版といってもいいかも。
違うか・・・。
それでもってユニバース化した本作。
韓国作品と同じような展開かと期待した。
似てはいるが大きく異なる。
やはりリアリティがないように感じた。
それは僕が日本に住み、日本社会を理解している点が大きい。
内閣総理大臣官邸で争うのは面白いが、あまりにも現実感がない。
これは作品を非難しているのではない。
全編通して飽きずに楽しめる作品であるのは間違いない。
むしろ「犯罪都市」シリーズと切り離した方が、娯楽作品としての評価は上がる。
漫画の世界のようにも思えるし。
とにかくハチャメチャな展開なので、とやかくいう必要もない。
主役の新人刑事・相葉四郎を演じるのは水上恒司。
歌舞伎町で生まれ育ち、元暴走族の総長で刑事という設定もあり得ないが、
あり得ないからムチャな展開も許される。
その相葉がめっぽう強い。
マ・ドンソク並み。
彼ほどの強靭な肉体は持っていないが、ここまで鍛え上げアクションもできるとは驚き。
上映前に新作の予告編が流れていたが、似ても似つかない。
これから引っ張りだこになっていくかもね。
国際指名手配犯を演じた福士蒼汰も迫力があった。
最初は水上恒司が二役を演じてるのかと思ってしまった。
この2人似てない?
福士蒼汰は正統派の二枚目俳優と思っていたが、屈強な悪役を演じれるなら幅も広がる。
ヒコロヒーやとにかく明るい安村はビミョーだが、これも計算通りかな。
内田監督は人間ドラマが得意と思っていたが、
この手のアクションもイケることが分かったのは収穫。
残念ながら、まだ韓国作品には追いつかないが・・・。
「犯罪都市」にも同じ役で出演しているパク・ジファンは本作でもいい繋ぎ役。
この作品がヒットすれば、マ・ドンソクと水上恒司の共演があるかもね。

遠くない未来。
とドローンと共にオープニングで映し出される。
映画が進むにつれ、確かにそうかもしれない…と思うようになってきた。
今、日本映画界で最も話題を集めるのが是枝監督といっていいだろう。
本作もカンヌ国際映画祭コンペティション部門出品され注目を集めた。
ただ、残念ながら大ヒットする作品は少ない。
このあたりは日本映画全体の課題かもね。
いや、そもそもカンヌ映画祭でヒットする作品ってあるのか。
そんなことも思ったり。
いろんな捉え方があるが、僕は人間の怖さを感じた作品。
主役の綾瀬はるかは美しく優しい、それに仕事もデキる素晴らしい母親。
傍から見れば非の打ち所がない。
それはあくまでも表面的。
内面もまっとうと思われる。
どこにでも存在する立派な大人。
しかし、それが人間の恐ろしさかもしれない。
知らず知らずのうちにエゴになり何かを傷つける。
誰しもがある得ること。
僕も同じ。
時に感情的になるが、客観的視点の夫役大悟の方が冷静なモノの見方ができる。
それでも惑わされるわけだが・・・。
特に解説する必要はないと思うが、
息子を亡くした夫婦が同じ姿をしたヒューマノイドを迎え、共に生活するストーリー。
それで平和に終わるわけもなく様々な問題が起きる。
ここには正解がない。
全て問いのように感じる。
改めて理解した。
是枝監督作品はほぼ観ているが、彼が答えを出すことはない。
観客に委ねられている。
だから観終わった後はモヤモヤすることが多い。
しばらくして「ふ~ん」と思ったり、「なるほど」と感心したり。
本作のレビューを見ると決して評価は高くない。
期待値が高すぎたのか、モヤモヤ感がそうさせたのかは分からない。
僕は是枝作品らしさを感じたし、作品にも惹きこまれた。
満足できた作品。
役者についても少し。
誰も当初、意外と思う大悟。
意外ではなかった。
自然体で演じたせいもあるが違和感なく複雑な心境の父親を演じていた。
そしてヒューマノイド翔役の桒木里夢。
素晴らしい。
ヒューマノイドを見たことはないが本物のヒューマノイドに思える。
説得力ないか(笑)。
上手く子供を演じていた。
これからも是枝監督は厄介な問いを僕らに提供するんだろう。
楽しみにしていたい。

いい意味で裏切られた作品。
1950年代の戒厳令下、政治的弾圧が行われた「白色テロ」の時代が舞台。
観る前は重厚で息苦しいほどの社会派ドラマなのだろうと想像していた。
しかし、いざ始まってみれば、ユーモラスでコミカルなシーンが随所に散りばめられている。
重いテーマを扱いながらも、観客が極度の緊張感に陥ることはない。
このバランスが国内での大ヒットに繋がったのかもしれない。
台湾映画界最高峰の金馬奨にて最優秀作品賞を含む4部門を受賞しているわけだし。
日本人として1950年代の台湾の歴史を知る機会はまだ少ない。
恥ずかしながら「白色テロ」という言葉の背景をよく知らなかった。
教科書に載っているような大文字の歴史ではなく、
映画を通じて当時を懸命に生きた一般の人々の泥臭い歴史を学ぶことができたのは収穫。
ふと、最近よく観る韓国映画と比較してみる。
もしこれが韓国映画なら、もっと国家の独断を容赦なく描き、不条理な体制を批判しただろう。
しかし、台湾映画はそこまで辛辣ではない。
過酷な運命に翻弄される人々を見つめる眼差しに、ある種の温かさ、優しさのようなものを感じた。
主役を演じた少女・阿月と人力車の車夫・趙公道の関係性が気持ちを和ませた。
この2人の魅力が優しい作品に向かわせたわけね。
そして、ポスターにある「進む。ただ、未来へ。」という言葉が作品を象徴している。
どんなに霧が深く、先が見えない暗闇の時代であっても、人は前を向いて歩いていくしかない。
その力強さが、静かに伝わってくる。
ラストシーンについては、映画としては出来すぎではないか、と感じる部分もある。
ただ、そこに至るまでの想いに触れていたせいか、
まんまと感動してしまい、不覚にもホロッときてしまった。
だから、その出来すぎな点も快く許そうと思う。
(ネタバレじゃないよね・・・)
暗い歴史の影を描きながらも、観終わった後にどこか救われたような気持ちになる。
台湾映画の持つ懐の深さを、改めて感じさせてくれる一本だった。

映画サイトのレビューが高く、気になり観ることにした。
主人公は、カナダに移住した韓国人の母親とその息子。
物語の背景からてっきり韓国映画だと思い込んでいたのだが、実はカナダ映画。
そこがまず新鮮な驚きだった。
時代設定は1990年代。
息子が子供の頃と青年期を描く。
当時は何かと訳ありで、韓国から海外への移住者が多かったのだろうか。
劇中、アジア人が露骨に差別される環境が描かれるが、
これは間違いなく現実にあったことなのだろう。
韓国も日本も欧米から見れば同じアジア。
当時の日本人も現地では同じように「ライスボーイ」と呼ばれ、おちょくられる存在。
移民の苦悩や親子の絆というテーマ自体は、決して新しくはない。
しかし、いつの時代であっても、どんな国であっても、共通の認識を持てる普遍性がある。
自分自身のルーツ、根源が何なのかという問いは、
誰しもが人生のどこかで気にするものだからだ。
本作は2022年の製作。
4年を経て日本で上映されることにも、何らかの意味があるのだろう。
多様性が叫ばれる現代だからこそ、改めて見つめ直すべき大切な視点があるように思う。
少し細かい部分だが、食文化の違いも興味深かった。
以前「大丈夫、大丈夫、大丈夫」を観た時にも思ったのだが、
韓国人のお弁当や給食には、普通にキムチやキンパが入っている。
異国であっても、彼らにとってそれが当たり前であり、アイデンティティそのものなのか。
周囲から奇異の目で見られようとも、食の記憶は変えられない。
子ども心は複雑だが、食の誇りでもあるのかと。
映画全体としては大作ではない。
小粒ながらも、どこか懐かしく抒情的な雰囲気をじっくりと味わえる作品に仕上がっている。
劇的な展開に頼るのではなく静かに流れる空気感の中で、
観る側に大切な問いを投げかけてくる。
母親役のチェ・スンユンは感情的で騒ぐシーンは多いが、まあ、それもよし。
遠い異国の話でありながら、どこか自分自身の足元を振り返りたくなる。
16ミリの映像も効果的で、静かな余韻が心地よい一本だった。

著者の株式会社新東通信の谷社長とは、昔から懇意にする関係。
僕よりも若いが尊敬する経営者の一人。
常に新しい取り組みを行い、挑戦し続ける姿にはいつも刺激を受けている。
本書でも勉強熱心さは伝わってきた。
実は本書を自分で購入した直後に谷さんから贈呈していただいた。
あらかじめ言ってくれれば良かったのに(汗)。
それでも少しは販売部数に協力できたのかなと思う。
このブログでもう少し販売部数も伸ばしたいので、
みなさん、よろしくお願いします。
本書の最大の魅力は、その圧倒的な説得力。
理論だけを並べた解説書とは一線を画している。
谷さん自身が自社で試行錯誤し、実践してきた経験が余すことなく語られている。
DXやAIの導入に悩み、葛藤する日々。
そしてそこに懸ける情熱。
同じ経営者として、その苦悩や熱量が手に取るように分かった。
キレイ事だけではない、泥臭い挑戦の軌跡がここにある。
僕も読みながらその気にはなっているが、どこまで理解しているかといえばかなり怪しい。
自分自身のイメージできる点もあれば、
上辺をなぞるだけで理解不足な点があるのも否めない。
一度、読むだけじゃなく再読して頭の中でイメージしないといけない。
嬉しいことに谷さんをお招きする機会がある。
本書にも登場する風雅AIの吉川社長と一緒に、今年の西川塾特別例会に登壇いただく。
AIの最前線を走る二人が、どのような掛け合いを見せてくれるのか。
今から開催が楽しみでならない。
詳細は改めてご案内するが、9月29日(火)の夕方からの予定。
興味のある方は今から日程を押さえて欲しい。
会場は名古屋クラウンホテル。
僕自身、AIや最新のテクノロジーに関しては、まだまだ知識が足りない。
毎日のようにGeminiと向き合うが追いつかない。
このブログも手伝ってもらったりして(笑)。
本書は技術の解説書ではなく、組織をどう変革するかという「リーダーシップの書」である。
事業の未来を模索する多くの経営者や現場を率いるリーダーには手に取ってもらいたい。
リアルな実践から学ぶ価値は大きいと思うし。
地域の企業がこれからの時代を生き抜くためのヒントが詰まった一冊。
それは間違いないだろうね。

最初に予告編を観た時はドキュメンタリー作品かと思った。
それだけ主役のドウェイン・ジョンソンが見事な肉体と格闘技。
実際、プロレスラーでもあるので当然なのかもしれない・・・。
「PRIDE」や「K1」が流行った時のことは確かに記憶にある。
さほど興味はなかったが、TVでちょくちょく見ていた。
日本選手は分かるが外国選手は分からない。
その程度のレベル。
マーク・ケアーの試合も見たことあるかもしれないが、名前は本作で知った。
個人的な話でいえば、大沢たかおが演じた榊原信行さんは何度かご一緒したことがある。
大学の先輩でもあり東海テレビ事業に勤めていたのでご縁を頂いた。
確か当時「PRIDE」の話もあったような・・・。
本人は覚えていないだろうなあ(笑)。
本作からそのご活躍を再確認。
大沢たかおが演じるなんて光栄じゃないかな。
その流れでいえば時代背景は絶妙。
名大社のクライアントのアクセルさんが「PRIDE」のリングスポンサー。
それも記憶にあること。
忠実に再現されていることがよく分かった。
前評判が高く、クリストファーノーランも絶賛というので、ワクワクしながら映画館に足を運んだ。
普通に楽しめるのは間違いないが、期待が高かった分、少し物足りなさを感じた。
マーク・ケアーの人間的な弱さや葛藤をもっと深く描いて欲しかった。
本人も健在なので、あえてあの程度にしたのだろうか。
作り手も遠慮したのかな。
そして、もっとも気になった点。
マーク・ケアーの恋人役ドーンはエミリー・ブラント。
「プラダを着た悪魔2」とは全く違う役柄。
映画では分からないくらい。
感情的であんな肉体美を披露するなんて・・・。
製作はアメリカだが、日本国内での撮影も多く日本人も多く出演。
一人だけイントネーションのおかしいお偉いさんがいたが、
光浦靖子にしても布袋寅泰にしてもハマっていた。
布袋寅泰は本人役なので当然だが、当時よりはかなり年寄り(笑)。
そうそう、柔道金メダリストも久々に見た。
調べてみるとウクライナ国籍を取得したよう。
作品とは関係ないことばかり書いてしまったが、
プロレスファンは楽しめる作品だろうね。

本作は2025年のカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞し、
アカデミー賞やゴールデングローブ賞にもノミネートされた。
近年の国際映画祭を見ていると、社会性の濃くメッセージ性の強い作品が選ばれやすい。
そんなふうに感じるが、アメリカから見た外国作品だからか。
今回もイランという国の今を切り取った濃密な人間ドラマ。
昨年観た「TATAMI」はイラン当局から上映禁止を食らい、製作もアメリカとジョージア。
対して本作は、一応イラン製作となっている。
痛烈な国への直接批判がないから、国内でも上映が許されているのだろうか。
だが、物語の根底に流れる空気感からは社会の歪みや閉塞感がひしひしと伝わる。
特筆すべきは、ワンシーンがかなりの長回しで構成されている点。
カメラが人物を追いながら、執拗なまでに撮り続けていく。
その手法のおかげで、映画を観ているというより、
他人の生活を覗き見ているドキュメンタリーのような錯覚に陥る。
俳優がセリフを喋っているという感覚がなく、
リアルなイランの人々が、剥き出しの感情でまくしたてるように映る。
その迫力にはただただ呑み込まれるしかない。
同時に、映画を観ながら少しホッとした部分もある。
ニュースなどで流れる政治的なイメージとは裏腹に、
描かれる一般的なイランの人々は情に厚く、お節介なほどに「いい人たち」なのだ。
ネタバレになるので明かさないが、いやいや、普通はそこまでしないよ・・・。
本来の彼らは温かい国民性なのだと思わせてくれる。
しかし、物語は「偶然」というタイトル通り、些細な出来事から予想もしない方向に向かう。
ちょっとマヌケな気もするが、それがユーモラスに繋がる。
そして迎えるラストシーン。
その解釈は観る側に委ねられているが、非常に恐ろしいものに感じられた。
イランという国のことは表面的なニュースで知るだけ。
本当の姿は知らない。
単なる「遠い国の話」として片付けられない普遍性を映画から学ぶ。
名誉、信仰、そして家族。
描かれる世界がどこまで実態かは分からないが、
ジャファル・パナヒ監督自身の経験も盛り込まれているという。
巨匠と呼ばれる監督はこだわりを貫くんだろうね。

先日書いた「国家が破産する日」に続きAmazonプライムで鑑賞。
実はこの作品はGeminiから「韓国の実態を抉る映画」として推薦された。
「韓国映画から見る、激動の韓国近現代史」にも紹介されており、以前から気にはなっていた。
2018年前後に公開された韓国映画には、骨太な社会派作品が多いように思う。
本作もその筆頭と言えるだろう。
なにか訴えたいことが多い時期だったのか。
本作もファクション。
1987年、一人の大学生が警察の拷問によって命を落とした事件。
その真実を隠蔽しようとする国家権力に対し、検事、記者、看守、
そして学生や市民たちが、それぞれの立場と声を上げ、巨大なうねりとなっていく。
結果として全斗煥大統領政権は終焉を迎える。
当時の韓国の熱量と殺伐とした空気感に圧倒された。
そして考えさせられたのは、描かれる現実は、
「終わった過去」ではなく、現在へと繋がっているという点。
今の韓国の民主主義や、権力に対する厳しい国民の眼差しは、
こうした壮絶な闘いの積み重ねの上に成り立っている。
自分自身の1987年を振り返ると、ひどく複雑な心境になる。
当時、僕は大学3年生。
映画に登場する学生たちと同年代だが、生活ぶりは彼らとは180度異なるもの。
バブルに向かう高揚感の中で、ノーテンキな学生生活を謳歌していた。
正直に言えば、隣国でこれほどの事件が起き、
若者たちが命を懸けて民主化を叫んでいたことすら、ほとんど知らなかった。
平和な日本で、何も考えずに過ごしていた自分。
今更ながらかなり恥ずかしい気持ちになる。
知ろうとしなければ、真実は見えない。
それは今も昔も変わらない教訓だろう。
「知る」ことで、世界の見え方は変わる。
重厚な歴史の重みを感じると同時に、自らの若かりし頃の無知を省みる。
それだけでも観た意味はあったかもしれない。
「大統領暗殺裁判 16日間の真実」や「ソウルの春」。
これらの作品のほぼ10年後の世界。
韓国の政治に興味があるわけではないが、つい見入ってしまう。
さて、次はどんな作品なのか。
またGeminiに聞いてみるかな。

利重剛監督は40年前の学生時代から知る存在。
当時、自主映画を作っていた学生たちの間では、名の知れた若手監督。
これから日本映画を担っていくポープとして見られていたはず。
80年代のあの熱気の中で独特の存在感は今でも記憶にある。
しかし、世間一般では「映画監督」というよりも「俳優」のイメージが強いのではないか。
それも主役を張るというより、物語に深みを与える脇役としての出演が多い。
作品によって、強烈に記憶に残ることもあれば、
申し訳ないが失念してしまうほど自然に溶け込んでいることもある。
だが、利重監督自身はむしろ「役としての消え方」を楽しんでいるようにさえ思える。
先日の「未来」はイヤな記憶が残っているけど(笑)。
本作でヒロインを演じた呉城久美は初めて知った。
スクリーンでの彼女は瀧内公美を少し荒々しく、野生味を足したような印象。
大変失礼だが特別美しいというわけでもない。
気になって調べてみると、京都大学を卒業した才女だという。
クイズ番組などにも出演していると知り、そのギャップに驚かされた。
しかし、不思議なものでラストはとても美しく映っていた。
本当はそっちが正しいんだね。
肝心の映画といえば、なんとも不思議な感覚に包まれる作品。
プロの技術で撮られてはいるものの、
精神性としては自主映画の延長線上にあるような、瑞々しさと「青さ」が同居している。
ストーリーを追うというより、その場の空気や言葉にできない感情の揺らぎを共有するような体験。
商業映画の枠組みに無理に当てはめようとしない、自由な空気感が心地よい。
役者としても出演している利重監督はそれも楽しんでいるよう。
思えば学生時代のあの頃、僕らが憧れた「表現」の形がそこにはあった。
効率や分かりやすさが優先される現代において、
こうした「正解を提示しない」映画の存在は貴重。
昨年末に旅行した横浜・山下公園が舞台なのも印象的。
ランニングした場所がそのまま撮影されたエリアだったし・・・。
それだけで評価は上がる(笑)。
利重監督にはもっと映画を作ってもらいたいね。