これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

「和田誠 映画の仕事」を鑑賞

12月半ば、東京出張の際に少し時間が空いたので、出掛けたのがこちら。

国立映画アーカイブ。
以前からお邪魔したい施設だったが、機会がなかった。
映画マニア以外には知られていない存在なのか、とても静か。
訪問時も観客は5名といなかったように思える。

無限大に時間が許せば、期間限定で上映される昔の映画も観れただろう。
そこまでの余裕はなかったので、展示室のみ観覧。

常設展では日本映画の歴史を学ぶことができる。
「社長たちの映画史」の内容にも近いが、辿ってきた歴史を知れるのはうれしい。

昔のカメラや台本なども展示。
小津安二郎や黒澤明の脚本や絵コンテも展示されていた。

企画展は「和田誠 映画の仕事」。

2019年に亡くなられた日本を代表するイラストレーターの和田誠氏の作品が展示されていた。
和田氏との映画の関りは深い。
高校時代にも年間100本以上の映画を観ていたというし、仕事も映画がらみが多い。

僕も高校時代から和田氏の作品はよく見ていた。
この企画展では和田氏の映画との接点を5章に分けられていた。

第1章 映画を知った
第2章 映画を描いた
第3章 映画を語った
第4章 映画を集めた
第5章 映画を撮った

詳細は避けるが、ほぼ時系列に並べられた作品は懐かしさと新鮮さがあり、ずっと見入っていた。
そういえば僕は高校から大学にかけて「お楽しみはこれからだ」を購入していた。

今でも実家にあるんじゃないかな。
これで海外の名作を学び、名セリフも覚えたように思う。
独特のタッチはどこで描かれようと和田誠作品だと分かる。

監督としても何本か作品を残している。
有名なのは「麻雀放浪記」だが、僕が好きなのは「怪盗ルビィ」。

若かりしキョンキョンが奔放に動き回っていた。
久々にポスターも見たが、いまも色あせない。
2000年代も映画を撮っていたが、すいません、知らなかった・・・。

今後の企画展は分からないが、こんな施設が東京のド真ん中にあるなんて利用しない手はない。
入館料は250円だし・・・。

映画コラムニストとして空いた時間にまた寄りたいね。
ありがとうございました。

映画「市子」

いい映画は「問い」で終わるケースが多い。
本作もそう。
答えは映画を観る者に委ねられる。
そんなことを感じた。

何度となく予告編で目にして、ずっと気になっていた。
半年に一度の「自称映画コラムニストの会」の課題作として仲間と鑑賞。
様々な視点で「市子」について語り合った。

映画が醸し出す空気感であり、
不幸が不幸を招く現実であり、
主演杉咲花の抜群の演技力であり、
多方面からの見方は自分にない視点もあり刺激的。
大いに参考になる会であった。

ここからは僕が感じたことを・・・。
僕は失踪した市子を追いかける長谷川(若葉竜也)と一緒に、
その世界へ吸い込まれていった。

周りを惑わす表情や言葉に僕自身も戸惑った。
この涙は本当の涙か、ウソの涙か、
その放った言葉は真実か、デタラメか、
天使か悪魔か、

どう受け取るかは観る人次第。
ラストシーンがどの場面を描いているかもその人次第。
幸せでもあり、不幸。
対極の選択を迫られているように思える。

僕は純粋にその涙を信じたいし、その言葉を信じたい。
偽りのない市子の心の奥底をあぶり出しているのかと。

こんなふうに書くと究極のラブストーリーとしても受け取れる。
確かに間違いではない。
純粋な男女の物語でもある。

しかし、一筋縄ではいかない過去があり、背負ってきた人生がある。
できれば近づきたくない。
温かい健全な家庭環境で育った人と付き合う方がどれだけ幸せになれるか。
考えるまでもない。
だが、感情が邪魔をし、思いもよらぬ方向へと向かう。
現実でもそんなことは溢れているのだろう。

それを思わせてくれた本作は今年の日本映画界にとっては大きな収穫。
こんな作品が増えれば日本映画の強みも更に発揮できる。

市子扮する杉咲花は言うまでもなく、その母親役の中村ゆりも素晴らしい。
どうして彼女はいつも寂しいのか。
愛らしい表情の奥にある悲しさが本作をより盛り上げる。
僕だったらもっと守ってあげたのに・・・。

決してメジャー作品にはならない。
しかし、多くの方に観てもらい、感じてほしい一本。

日本映画は素晴らしい。
本作は悩ましいけどね。

人を導く最強の教え『易経』 「人生の問題」が解決する64の法則

著者の小椋さんとは7年ほど前に古事記の勉強会でご一緒したことがあった。
僕は主催者でありながらも、あまりにも無知なのでイチ参加者に過ぎない勉強会(汗)。
当時は優秀なビジネスマンという印象だったが、
すっかりご無沙汰のうちに書籍を出版される先生になられていた。

最近、古典を学ぶ意欲も芽生え、
所属する経営塾でも「論語」の勉強もしている。
昨日もそう。

年齢のせいか、もともと頭が弱いのか、せっかく学んでもすぐに忘れてしまう。
「論語」の勉強会は果てしなく続くが、復習を積み重ねないとモノにはならない。
人より時間が掛かるな・・・。

「易経」も以前おススメされた書籍を手に取ったことはあるが、
手に取っただけで終わっていた。
気持ちだけではダメで、学ぶ覚悟を持たないと理解できない難解な古典。

そんな時に知ったのが本書。
たまたま小椋さんが講師を務めるオンライン勉強会に参加。
恐ろしいくらい分かりやすい内容で、こんな僕でも大丈夫と思わせてくれた。

勉強会が終わった瞬間に(多分)、ネットで注文。
順番待ちの状態だったが、最近、読みを終えることができた。
ここまで易しく解説してもらうと頭にもす~っと頭に入ってくる。

易の六四卦を眺めていても何も理解できない。
卦の名前を抜き出し、ひとつずつ読み込むと少しだけ理解できる。
ただその程度。
簡単に吸収することはできないし、かなり難解なので相当時間も要する。

そんな「易経」を本書は丁寧に教えてくれる。
例えば、水沢節。
節とは、節度、節制、節目の時。
節を大切にすれば大きく伸びることができる、の意。

だからこそリーダーは節度を持った方がいい。
そこに著名人の言葉やビジネスの事例を絡ませ、よりその卦の奥深さを知ることとなる。
一節一節は短いが、必ず問いがあり、それに向き合うことになる。
すぐに答えられる問いもあれば、考え込んでしまう問いもある。

だからこそ意味がある。
結局、答えは自分で導くもの。
3000年前も現代も大切なことは何も変わっていないんだよね。

繰り返し繰り返しの行動は必要だが、
ハードルの高い古典を学ぶ新たなキッカケにもなった。
このような機会を頂き感謝。

小椋さん、ありがとうございました。

映画「アダミアニ 祈りの谷」

ドキュメンタリー作品を観るのはせいぜい年2~3本。
今年は本作と「モリコーネ 映画が恋した音楽家」
観る度に本数を増やそうと思うが、どうしても後回しになってしまう。

ドキュメンタリーも幅は広いが、今、観るべきは本作のような作品。
僕らは世界を知っているようで何も知らない。
特に小さな国の紛争に巻き込まれた市民のことはゼロに等しい。

多くの若者が紛争で亡くなる。
その若者には大切な家族がいる。
いくら国のためとはいえ、いとも簡単に犠牲になったら、
その悲しみや憤りはどこへ持っていけばいいのか。

恨みだけ残れば泥沼の争いになる。
より多くの犠牲者を生み、悲しみは増幅する。
そして希望も失っていく。
それでも明るい明日を望んで、新たな一歩を踏み出す。

分かりやすく言えば本作もそんな流れ。
数十文字で片づけられないので、リアルな姿は観てもらうしかない。

奇想天外な超大作なら事前情報は要らないが、
本作は予習して観た方が納得感は生まれる。
チェチェン紛争は知っていても、その背景やもたらされた結果はほぼ知らない。
舞台となるパンキシ渓谷が「テロリストの巣窟」であったことを理解する人はどれだけいるか。
無知な僕は何一つ知らなかった。
ジョージア人とロシア人の違いだって・・・。

今起きている紛争とは異なるが、共通項も多い。
戦争なんていつの時代も同じ理由で起きている。

本作は紛争で息子を失った母親とその従兄弟を中心に淡々と描かれていく。
もちろん悲壮的なシーンはあるが、全体的には穏やか。
美しい自然と調和した人間関係が映し出される。

いろんな想いを抱えながらも前を向く姿には感動を覚える。
但し、それは日常。
過度な演出もなければ、戦争で傷つくシーンもない。
あくまでも自然体だし、ハッピーエンドが用意されているわけではない。
メチャ面白かったという具合にはいかない。
それがこの分野の正しいドキュメンタリー。

本作は日本・オランダ合作で監督は竹岡寛俊氏。
3年間に亘り、地元の方との信頼関係を築く姿はもっと評価されてもいい。

戦争で生き残った従兄弟アポがどんな場所でも体を鍛えているシーンは印象深い。
複雑な思いがそんな行動をさせるのだろう。

来年はもう少しドキュメンタリー作品を増やそうと思う。

映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」

公開は知っていたが、気に留めることなく素通りしていた。
僕の目の中には入ってこなかった作品。
子供向けのアニメと思っていたからだ。

ある飲み会で、本作をモーレツに薦める仲間がいた。
スルーしようとした自分を完全否定し、
観なきゃ映画コラムニストを語るには失格だと言わんばかり。

そこまでいわれると観に行かざるを得ない。
また、レビューを読むと絶賛の声も多い。
他にも観たい映画があったが、ここは推薦の言葉に従った。

僕が抱いていた「ゲゲゲの鬼太郎」とは180度、異なった。
そもそも「ゲゲゲの鬼太郎」は小学校の頃、再放送を見ていた程度。
ハマったわけでもない。

記憶に残っているのは「ゲッ ゲッ ゲゲゲのゲ」から始まる主題歌。
内容はほぼ覚えていない。
原作者水木しげる氏が言わんとしていることは1%も理解していない。
夜に墓場で運動会をやってるくらいしか知らない。

そんな状況の中で観た本作。
軽いショックを受けた。
斬新な映像もインパクトだったが、そのストーリーには驚かされた。
予告や題名を知らずに観たら、最後の最後までゲゲゲの鬼太郎とは分からない。
いや、ねずみ小僧で分かるか(笑)。
でも、そんな世界だった。

それも複雑な日本の戦後を描く世界。
戦争で傷ついた人たちが這い上がる姿を辛辣な見せ方で表現している。
主人公となる水木氏はきっと原作者本人。
鬼太郎の父は目玉おやじになる前の姿。

どう鬼太郎が生まれたかが明らかになるが、
アニメ作品を忘れているので、繋がりは分からない。
その点でいえば、鬼太郎ファンにとっては愛しい作品になるだろう。
僕は「へ~」と冷静に感心しただけだけど。

飲み会でおススメされなかったら100%観なかった。
おススメに従ってよかった。
そう考えるとやはり先入観で作品を決めつけてはいけないし、
人の意見は素直に参考にすべき。
知っているようで知らない世界は多い。

それは水木しげる氏の訴えたい世界も同じ。
主題歌しか歌えない僕は何も分かっていない。
それを理解し、作品の社会性を体感できただけでもよかった。

タイトルだけで判断するのは止めよう。
いい勉強になりました。

映画「ぼくは君たちを憎まないことにした」

またまたフランス映画。
正確にはドイツ・フランス・ベルギー合作だが、
舞台がパリなのでフランス映画の立ち位置で問題ないだろう。

原題は「Vous n’aurez pas ma haine」。
フランス語はメルシーしか分からないが、忠実な日本語訳のタイトル。
「愛と青春の旅立ち」とは違うわけね。

本作は2015年のパリ同時多発テロ事件で最愛の妻を失ったジャーナリストの
事件発生から2週間を描いている。
ほぼ実話だという。
僕は知らなかったが、世界的なベストセラー。

この手の事件は世界中で起きているが、本当に胸が苦しくなる。
明らかにフィクションであれば冷静にみられるが、
実話となると自分をダブらせてみてしまう。

僕が同じ立場だったら、どうなるだろう。
幼い子供の残し、予定外に最愛の相手を失ったら、
自分自身が持ち堪えられるだろうか。
感情を抑え、周りと接せることができるだろうか。
何より母親を求める子供にどう向き合えばいいだろうか。
そんなことを考えてしまう。

本作はタイトル通りの内容。
妻を亡くした主役が犯人であるテロリストを憎まない姿が描かれる。
しかし、それは本心であって本心ではない。
あえてその方向に自分を向かせることで、
怒りや悲しみを抑えようしているに過ぎない。

実際に頭で理解できても、感情や気持ちのコントロールはできない。
きっと僕も同じ。
一人きりは耐え切れない。
アルコール依存症になる可能性もある。
多分、ギリギリそこまではならないと思うけど、分からない。

今、世界で起きている事件や紛争には同じような被害者がいる。
僕らは表面的なニュースでしか事実を知ることができない。
一人一人の置かれた状況はほぼ知らない。

その方が気持ちは楽だが、そのままでは一向に事件や紛争は終わらない。
残された子供の顔を想像して爆弾を落とすことができるか。
違う角度の想像力をもっと働かせてほしい。

子役のゾーエ・イオリオはまだ2歳くらい。
どこまでが演技か分からないくらい素晴らしい。
その分、悲しさは倍増する。

そして、主役のピエール・ドゥラドンシャン。
どっかで見たことのある俳優と思い調べたら、
「私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?」に出演していた。
やっぱりフランス映画って出てる俳優は限定的?
そんなことも思ってしまった(笑)。

どんな辛いことが起きても僕らは前を向いて歩かなきゃいけない。
それも教えてくれる作品だった。

日本の歪み

ふと手に取った本書。
たまには知識人の考え方を聞いておくことも必要。
解剖学者、脳科学者、批評家の共通点は3人とも東京大学卒業ということ。
それが理由で対談が行われたわけではないと思うが、
普段の生活では出会うことのない方の話は貴重。
僕にも東大卒の知り合いはいるが、ほとんどがビジネスマンだし・・・。

本書は日本社会の歪みを様々な視点で論じている。
歴史、戦争、憲法、天皇、税金、地震などテーマは様々だが、
たまたまテーマが複数に及んでいるだけで内容的には一貫している。

ここで感じるのはやはり教養の必要性。
教養がなければ深く考えることもできないし、日常に疑問を抱くこともない。
僕は残念ながら普段、どうでもいいことばかりに頭を悩ませ、大局的に物事を捉えることは少ない。
時々、ハッとさせられる難題を振られ、ドキマギしながらあぶり出すのがやっと。

自分の中での倫理観に基づき行動しているに過ぎない。
もしかしたらそれがあるだけまだマシなのかもしれない。
自分の判断軸を持たないと世の中に流され、なんとなく嫌だと感じることを受け入れてしまう。
それが本書でいう居心地の悪さに繋がっているのではないか。

この社会で生きていくには一定のルールに従う必要がある。
それは納得するかしないか関係なくルールはルール。
ルールは破るためにあるというバカもいるがルールは守るもの。
それがおかしいと思えばルールを変えるだけのこと。
もしくは表面的に従うだけのこと。

必要以上に縛られると苦しくなる。
だから僕はできるだけ自分を解放し、さらけ出す。
そうすることで縛られることは減り楽になる。
他人の目も気にしなくなる。
完璧じゃないけど・・・。
そんな点でいえば、僕はさほど社会に居心地の悪さを感じない。

しかし、それは昔からそうだったわけではない。
中学、高校の頃は結構、抑えつけられたと感じるし、
本当に解き放たれたのはこの10年くらいじゃないか。
開き直って生きられるようになってからだと思う。
この先、舞い戻る可能性もあるが、意外とそれって難しいのかも。
他人に思いやりを持ちながらも、もっと自由になれたらいいね。

本書には日本語の難しさについても論じられている。
「私」から「俺」へ変わるタイミングとか。
僕はブログでは「私」でもなく「俺」でもなく、
もちろん「オイラ」や「ワシ」でもなく「僕」で通している。

それが一番自然に感じるから。
講演なんかは使い分けるけど。
それもちょっとしたこだわりかもね。

本書は何かを解決してくれるわけではない。
疑問を投げかけるだけ。
ただそれをキッカケに高い視点を持つことはできる。
誰もが生きやすい世になってほしいだろうし。

映画「首」

カンヌ映画祭で絶賛されたというが、絶賛のポイントはどこか?
映像美なのか、
斬新なタイトルクレジットか、
いとも簡単に首がポンポンと飛ぶところか、
歴史の解釈を大きく変えたところか、
それとも北野武監督だからか・・・。

独特な演出の北野作品は好んで観ている。
本作も公開3日目に鑑賞。
何度も観た予告編でも体が震え、自ずと期待感が増していった。

その期待に応えたかは大きく意見が分かれるだろう。
評価は分かれる作品じゃないかな。
ぜひ、自分の目で確かめてほしい。

構想30年の集大成は僕らの常識を大きく変える。
こんな世界があったのかと驚かされる。

戦国時代の武将が映画やドラマで描かれるここと多い。
織田信長だけでも視点を変えれば全く異なる人物像。
「どうする家康」の岡田准一や「レジェンド&バタフライ」のキムタクはまっとうな信長。
「麒麟がくる」の染谷将太は狂気じみていたが、本作は軽くそれを超える。

ここまで狂気じみた信長を初めて見た。
加瀬亮って凄い俳優なんだと初めて理解できた。
あの佇まいやセリフのぶっ飛び方は半端ない。
あんな岐阜弁の使い方もあるんだ・・・。
それだけでも一見の価値があったりして。

一方で秀吉は一切、名古屋弁が出ない。
ムロツヨシはあれだけミャーミャー、ギャーギャー言っていたが、本作ではゼロ。
信長とのコントラストが際立つ。
明智光秀なんて美しすぎる日本語じゃないか。
カンヌで本作を観た外国人は絶対に分からないと思うんだけど・・・。

家康も大河ドラマと比較すると結構面白い。
「本能寺の変」の後の行動は見物。
信頼できる家臣の存在か、何人も登場する影武者の存在か、
歴史は解釈の上で成り立ち、作り手によって歴史は変えられる。

本作が描く世界は事実からかけ離れているが、
それは僕が勝手にそう思っているだけ。
本当はこっちの世界が正しかったりして・・・。

ポスターのキャッチコピー「狂ってやがる。」
まさにそう。
北野武監督の狂人性はまだ衰えないのかもしれない。

映画「PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ」

ここまで日本人を悪く描くと韓国人はスッキリするかもしれない。
一方でこれが本当の姿として捉えられると日本と韓国の距離感は一向に縮まらない。
あくまでも娯楽作品として観るべきだが、勘違いする人が増えてもおかしくはない。
被害者と加害者の関係はどれだけ時代が進んでも平行線なのかな・・・。
これが事実かもしれないけどね。

本作は1933年、日本統治下のソウル(京城)で起きた朝鮮総督暗殺事件が舞台。
抗日組織「黒色団」のスパイ「ユリョン」が事件を起こす。
フィクションだがこれに近い出来事は起きていそうな匂いも。
日本の警備隊が朝鮮人の容疑者を監禁し、そこで繰り広げられる攻防が描かれる。

シンプルで面白く観れるのは間違いない。
韓国作品らしいエンターテイメント性も感じる。
これが海外で上映されるのなら、それなりにウケるだろう。

しかし、日本人としてどうしても違和感を感じてしまった。
登場する人物はすべて韓国人俳優。
セリフの半分以上は日本語で役どころも日本人役が主役級。
懸命に日本語を扱う姿はそれなりに映る。
やはり何かが違う。
言い回しもイントネーションも微妙だったり・・・。

せっかくなら日韓合作にして、日本人役は日本の俳優を、
朝鮮人役は韓国の俳優を使えば、映画のクオリティはさらにアップしたはず。
そう思うとちょっと残念。
これだけ日本が悪者だと協力体制は難しいかもね(笑)。

僕が引っ掛かっているのは言葉の問題。
そんなことをいえば、映画「キングダム」で日本語を喋っているのは変だし、
まもなく公開される「ナポレオン」も英語なのは変。
言い出したらキリがない。
自国を中心に製作される以上、当然のこと。

今年は韓国映画を7本鑑賞。
見逃した作品も多いが、昨年と比較すると僕の全体的な評価は落ちる。
アイデアや視点はいいが、昨年の方が抜群に面白かった。

日本映画は引き離されたと思ったが、そんなことはない。
やっぱり素晴らしいし、まだまだこれから。
そんなことをここで呟いても仕方ないが、そんなことを感じた。

本作も面白いんだけどね。

映画「正欲」

「正欲」というワードは普通に変換しても出てこない。
性欲、制欲と表示されるくらい。
「正しい欲」ならありそうなワードだが、実際には存在しないようだ。

言い換えれば「常識」というワードになるだろう。
この「常識」というワードも厄介だ。

僕は自分を常識人だと思っている。
誤った道は歩まない。
人を傷つける行動はしない。
犯罪を犯したことはない。
家庭を大切にしている。
結婚だって1回・・・。

しかし、これは僕が勝手に思っている「常識」に過ぎないのではないか。
自分の中の「正欲」じゃないか。
本当にその「常識」や「正欲」は正しいのか。

本作鑑賞後、ジレンマに陥った。
もしかしたら僕は誤った道を歩いているのかもしれない。
実際は人を傷つけているのかもしれない。
自分勝手にそう思っていないだけ。
そう思った方がよさそうだ。

LGBTQもようやく当たり前のこととして認識しているだけ。
中学、高校時代ならそんな認識は持ち合わせなかった。
今の子供たちに比べ遅れている言わざるを得ない。
男性至上主義の老人を非難するのは簡単だが、そんな権利は僕にあるのだろうか。
自分の中の「常識」で正義感を振りかざしているだけ。

「常識」を疑え!
本作は僕に突き刺さしてきた。
それは主役の吾郎ちゃんと同じ状況。
最後のセリフがすべてを物語っているのかもしれない。

ここまで書いたところで映画の内容は全く分からないと思う。
まあ、いつものことか・・・。

少しだけ解説すれば、それぞれ悩みを抱える稲垣吾郎、新垣結衣、磯村勇斗、
佐藤寛太らが一つの事件を基に絡み合い、自身の存在をあからさまにしていく。
ちょっとまとめすぎか。
これでも全然分からないね。

朝井リョウの原作は未読なので、映画がどこまで忠実かは分からないが、
本作から性的指向の多様性を知るのも悪くはない。
受け止め方も人によって異なる。
自分の常識から、あり得ん!と断罪する人がいてもおかしくはない。
そんな人を僕は非難できない・・・。

それにしてもこれだけ可愛くない新垣結衣は初めて。
後半はイキイキとしてくるが、
前半は映画評論仲間Bushさんがいうように完全に目が死んでいた。
それは生き辛さの証。
抜群の演技ともいえるけど。

できれば毎日明るい表情で生きていたい。
そのためには「正欲」を捨てること。
そんなふうに思わせてくれる作品だった。